本書を手にした貴方の耳の中で、悪魔の高笑いが響き続けるはずだ。
若林踏 Fumi Wakabayashi
謎解き小説において、不可思議な事件の謎を解き、物語内に秩序をもたらす名探偵はしばしば神に例えられる。しかし、時として他人をもてあそぶ悪魔にも見えないだろうか。そんな神と悪魔の顔を併せ持つ名探偵がいる。ジョン・ディクスン・カーが創造したアンリ・バンコランだ。
本書『絞首台の謎』はバンコランが登場する長編第二作である。内容を紹介する前にまずは書誌情報を整理しておこう。本書がThe Lost Gallows の原題でアメリカの出版社Harper & Brothersより刊行されたのは一九三一年のこと。同年にはバンコランものの第三作『髑髏城』(原題: Castle Skull)を、さらに翌三二年には第四作『蠟人形館の殺人』(原題:The Corpse in the Waxworks)を同じくHarper & Brothersより発表している。バンコランものの第一作にしてカーの長編デビュー作『夜歩く』(原題: It Walks by Night)が刊行されたのが一九三〇年のことだから、わずか二年の間にアンリ・バンコランを探偵役とした五長編のうち四作が刊行されたことになる。バンコランの物語がカーのキャリア最初期に集中していたことがお判りいただけるだろう。
The Lost Gallows の最初の邦訳は一九三六年の「新青年」夏季増刊に掲載された井上英三訳『絞首台の秘密』である。その後五八年の「別冊宝石75」に田中潤司訳で『絞首台の謎』と題され掲載。さらに翌五九年に井上一夫訳で東京創元社より「ディクスン・カー作品集2」として『絞首台の謎』が刊行、七六年に創元推理文庫に収録された。今回の和爾桃子訳は井上訳以来、約六十年ぶりの新訳である。
物語はロンドンにあるブリムストーン・クラブのラウンジでパリ警視庁の予審判事アンリ・バンコラン、元ロンドン警視庁の名士サー・ジョン・ランダーヴォーン、バンコランの友人で本書の語り手であるジェフ・マールの三人が語らう場面から始まる。サー・ジョンはバンコランとマールにロンドンで起こった奇妙な出来事を話す。サー・ジョンの友人が霧の中で迷っていたところ、ある家の横手に縄をぶら下げた首吊り台の影絵があり、黒っぽい姿のジャック・ケッチ(十七世紀に実在した絞首刑吏)が縄の調節にあがっていくのを見たのだという。サー・ジョンが話を終えた後、不気味なものがラウンジから発見される。それは絞首台の模型であった。誰が、何の目的でクラブのラウンジに絞首台の模型を置いたのか。
その晩、観劇のためにロンドンの街中へと出かけた三人は奇怪な事件に遭遇する。道を横断中の一行に、警官の停止を無視して一台の大型リムジンが突っ走ってきたのだ。運転席を見たジェフ・マールは吐きそうなほど恐怖にふるえて立ちすくむ。運転手は喉を掻き切られ、死んでいたのだ。リムジンはロンドンの町中を疾走した後、ブリムストーン・クラブの前で停車する。中には死んだ運転手以外、誰も乗っていなかった。リムジンの持ち主はニザーム・エル・ムルクというクラブに滞在するエジプト人だが、クラブから出かける姿を目撃された後、行方がわからない。謎だらけの状況のなか、さらに謎を深める情報がバンコラン達の元に舞い込んでくる。同じ晩、警察署に「ニザーム・エル・ムルクがルイネーション街の絞首台で吊るされたぞ」という匿名の電話が掛かってきたという。ところが〝ルイネーション〟などという名前の街は、ロンドンのどこにも存在しないのである。
「怪奇的な探偵小説あるいは探偵の出てくる怪奇小説と、いかようにも呼べる」と一連のバンコランものを評したのは評伝『ジョン・ディクスン・カー 奇蹟を解く男』(国書刊行会、森英俊・高田朔・西村真裕美訳)の著者ダグラス・G・グリーンであるが、まさに正鵠を得た表現だ。怪奇趣味を謎やトリックを引き立てるための飾りとして組み込んだ後の作品とは対照的に、三〇年代初めのバンコランものはエドガー・アラン・ポオやガストン・ルルーの作品にも通ずる、怪奇や幻想の世界に読者を案内することが目的のように書かれた小説である。中でも本書は、霧に包まれた街に突如浮かび上がる絞首台など、幻想性という面においては数あるカー作品のなかでも指折りのものだ。〈ギデオン・フェル博士〉シリーズや〈ヘンリ・メリヴェール卿〉シリーズなどは読んでいるけれどバンコランものは初めて、という方にはカーの描く幻視的な風景をきっと新鮮な思いで受け止められるだろう。
本書では二つの魅力的な謎が前半に提示され、物語の牽引力となる。一つは死人が運転する車の謎、もう一つは〝ルイネーション〟という幻の街を巡る謎だ。不可能趣味の度合いからすれば、車の謎の方にカーらしさを感じて惹かれる方が多いだろう。しかし本書をより妖しい輝きを放つ小説にしているのは、むしろ〝ルイネーション〟の謎である。大都市ロンドンに突如として降って湧いた地図に無い街という、魔術を使ったとしか思えないような謎。カーは『アラビアンナイトの殺人』(創元推理文庫、宇野利泰訳)といった長編などでも都市を舞台にした幻想めいた物語を書いているが、本書の〝ルイネーション〟の謎はその原点であると同時に、後の作品には見ることの出来ない幽玄なイメージを備えている。
本書を読まれた方の中には、「謎のスケールの割には真相がいまいち」という感想を持たれる方もいるだろう。だがそれは〝ルイネーション〟の謎を、謎解き小説としての巧拙からのみ評価した結果に過ぎない。〝ルイネーション〟の謎は、その謎が解かれた後も悪夢のような感覚がいつまでも解消されずに残る。カーの狙いはこのもやもやとした感覚に読者を放り込むことにあるのだ。謎解き小説の核である謎やトリックが、怪奇幻想譚として小説を完成させるための一つのピースとして見なされるという、アンリ・バンコランものの特徴がこの〝ルイネーション〟をめぐる謎に良く表れている。
本書を禍々しく、漆黒に覆われた世界に仕立て上げている大きな要因に、アンリ・バンコランという探偵役の存在がある。パリ警察を束ねる予審判事のバンコランは〈ものうい長身の魔王――ひょいと片眉上げた魔王〉と本書で形容されるように、冥界から地上に降り立った悪魔のような雰囲気をまとった人物として描かれる。見た目だけではない。その行動や思考過程においても、血の通った人間とは思えない顔を覗かせることがあるのだ。犯罪捜査を遊戯のように捉え、右往左往する関係者たちを高所から見下ろす悪魔の化身というべき人物がロンドンを闊歩するたびに、本書はより仄暗さを増すのである。
一種のアンチ・ヒーロー的な要素を有しているこの悪魔的な探偵像はどこから生み出されたのだろうか。その鍵となるのが「グラン・ギニョール」である。
「グラン・ギニョール」とはパリのモンマルトル地区にあった劇場の名前である。そこでは二十世紀初頭に拷問や火あぶりなど、残虐な描写を売りにした恐怖劇が上演され好評を博していた。一九二七年から二八年の間、米国からヨーロッパへと渡ったカーは滞在先のパリで「グラン・ギニョール」劇を見物し、帰国後の二九年にひとつの中編を書いた。それが長編『夜歩く』の原型となった「グラン・ギニョール」だ。「パリ警察の長アンリ・バンコラン氏による演出、十部構成のミステリ」という副題が付いた本書でカーは、バンコランを恐怖の権化として描き、芝居仕立ての展開で陰惨怪奇な推理劇を表現した。
「グラン・ギニョール」劇がどんなものだったかは、当座の人気作家アンドレ・ド・ロルドの作品を収めた短編集『ロルドの恐怖劇場』(ちくま文庫、平岡敦編訳)や『グラン・ギニョル傑作選 ベル・エポックの恐怖演劇』(水声社、真野倫平編訳)を読んでいただくのが良いだろう。「グラン・ギニョール」劇にある恐怖の根源は、人間性の剥奪にある。人間は降りかかってきた災厄の前ではモノ同然になり、為すすべもなく人体や精神が損壊されていく。「グラン・ギニョール」劇ではそうした非人間的な扱いを受ける世界があることを観客に示す、黒い遊戯だったのである。(余談だがこの黒い遊戯の精神は、現代のフランス・ミステリにも受け継がれていると思う)
こうした悪魔のような存在から人間がモノとみなされる恐怖をカーが感じ取り、具現化したものの一つが「グラン・ギニョール」と『夜歩く』から『蠟人形館の殺人』までの四長編におけるアンリ・バンコランではないだろうか。本書では人間を冷ややかに見つめるバンコランの姿が、最も尖鋭的な形で表されている。本書を手にした貴方の耳の中で、悪魔の高笑いが響き続けるはずだ。
カーは『蠟人形館の殺人』を発表後、一九三七年の『四つの兇器』(ハヤカワ・ミステリ445、村崎敏郎訳)に一度登場させたきりでアンリ・バンコランものを書かなくなってしまった。『蠟人形館の殺人』の間に語り手ジェフ・マールのみが登場する『毒のたわむれ』(ハヤカワ・ミステリ357、村崎敏郎訳)を書いた後、カーは名探偵ギディオン・フェル博士を一九三三年の『魔女の隠れ家』において登場させる。以降、フェル博士とカーター・ディクスン名義の作品に登場するヘンリ・メリヴェール卿が、カー作品を代表する名探偵となっていく。ユーモラスでありながら推理の才能に溢れ、おまけに女性に優しい騎士道精神の持ち主という陽性の人物造型ゆえか、フェル博士とH・M卿の人気は現代の推理小説ファンの間でも根強い。一方で、どことなく陰気で暗いアンリ・バンコランは二大探偵の影に隠れる存在になりつつあるようだ。
しかし、謎解き小説の探偵役が神のようにも、また悪魔のようにもなり得ることを証明したバンコランは、フェル博士やH・M卿のみならず、英米探偵小説黄金期に誕生したその他多くの名探偵にはない魅力を放っている。本書を含む新訳版の刊行は、その魅力に触れるまたとない機会といえるだろう。冥界より蘇りしメフィストフェレスの魔性に、多くの読者が取り憑かれんことを。
■ 若林踏(わかばやし・ふみ)
1986年千葉県生まれ。『週刊新潮』『ミステリマガジン』などで書評を担当。
(2017年10月25日)
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