豪邸×毒殺×名探偵
翻訳は作家・福永武彦!

フランスの古都に展開する典雅なる傑作ミステリ
名作古典が読みやすくなってリニューアル!




――不必要だからです。不必要な質問は出来るだけ避けた方がいいのです(アノー)

――気をつけろ! いったん人を疑い出すと、その人のすることなすこと、みんな疑いの種になりやすいぞ(ジム・フロビッシャー)

 英国出身の作家アルフレッド・エドワード・ウッドリー・メースンが1924年に上梓した長篇『矢の家』の魅力は、探偵とワトスン役との間の心理的距離、端的に言えば前者に対する後者の不信にある。探偵=パリ警視庁のアノーのやることなすことが、ワトスン=イギリス人の弁護士であるジム・フロビッシャーには腑に落ちないのだ。そのためずっと、ジムはアノーを監視し続けており、彼のせいで懐疑主義者のようになっている。
 物語は、ジムが勤務する法律事務所の顧客を守るために、フランスはディジョンに急行することから始まる。ジャンヌ=マリ・ハーロウという資産家が死亡し、その養女であるベティが殺人者として告発されたのである。事実を告げる手紙の後、当のベティからも窮地を訴える電報が届く。事態は急を要するようであったが、事務所の顧客の一人がかつてフランスでアノー探偵に知遇を得ていたことから、ディジョン訪問の前にジムはパリの警視庁に彼を訪ねるのである。初対面のジムに対してアノーは、非公式ながら協力を約束する。即席探偵コンビの誕生だ。ちなみに、アノーと面識のある顧客というのは、『薔薇荘にて』(1910年。国書刊行会他)で初登場し、『矢の家』を除く作品でワトスン役を務めるジュリアス・リカードウのことである。ジム・フロビッシャーは彼の代打のような形で本書に出演しているのだ。謎解き小説の中で「まだ犯人は明かせない。すべての証拠が揃ってからだ」と探偵がもったいぶることは珍しくないが、アノーとジムの間にはそれ以下の意志疎通しか存在しない。ジムは弁護士といっても刑事訴訟とは無縁であり、捜査の門外漢である。その彼に対してアノーは事件を闘牛に喩え、牛は二十分もあれば闘いの目的を理解するが、あなたはまだ十分しか経験していない、と諭すのである。いいから黙って見ていろ、ということか。
 子供扱いされたジムは当然おもしろくなく、自分なりの推理を進めていこうとする(事実整理のために作成した表が、ダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』に倣っている、というのがいかにも素人くさくて微笑ましい)。言うまでもなく彼はページのこちら側にいる読者の分身だ。読者に作中人物の眼を通して探偵を監視するように仕向ける。そうすると必然的に関心は探偵の一挙一動に集中するわけであり、そういった視線の中で作者は手品を仕掛けてくるのである。探偵と語り手のコンビはミステリという小説ジャンルが始まった十九世紀後半にはすでに存在していたが、そのキャラクター配置を利用して意図的に読者の心理誘導を行った点に『矢の家』という作品の新しさがある。
 ミステリとしては他にも言及しておきたい長所があるのだが、踏み込みすぎると未読の方の興を削ぐことになりかねないので自重する。やや曖昧に書くと、道具立てなどにやむをえず古めかしい点はあるが、細部に気に取られずに構造を見れば、本書は実に現代的なミステリなのである。登場人物をいかに魅力的に見せるか、という問題がプロットの肉付けと同期し始めて、ミステリの叙述における重要な構成部材としてキャラクターが認識されるようになったのが現代的なミステリの始まりだと私は考える。その起点と言うべき作品が、1913年のエドマンド・クレリヒュー・ベントリー『トレント最後の事件』(創元推理文庫)なのである。お読みいただければわかるが、『矢の家』『トレント最後の事件』が開発したミステリの趣向を継承している。『矢の家』の少し前に英国で上梓された某作や、大西洋を渡った先で数年後に書かれた某作(ともに邦訳あり)も、同じ宿題を違った形で果たしたものと考えていいだろう。アメリカ生まれだが英国移住期間が長かったジョン・ディクスン・カーも『矢の家』には大いに刺激を受けている節があり、本書のプロットを自作の中で換骨奪胎してたびたび用いている。
 日本にメースンを紹介した功績者の一人である江戸川乱歩が、『矢の家』の美点は探偵と犯人の心理的闘争のスリルにあり、としたことは有名である。この乱歩の論を、視点と叙述という観点から補足しておきたい。本書においては、探偵と犯人の間に存在する緊張関係を、内情を知らされていない観察者が見ている。逆に言えば、何も知らないがゆえに見聞した事実を独自に解釈し、他の人々の身上を斟酌する観察者がいるからこそ、情報の欠乏感、その必然としてのサスペンスが高まるのだ。そう考えると、『矢の家』に関してこれまで指摘されていた欠点、犯行計画の杜撰さや犯人当て小説としては容疑者サークルの構築が充分ではないことなどが、違った形で見えてくるようになる。これも解決篇で触れられることなので詳述は避けるが、本書においては偶然の要素が登場人物たちの運命を決定づけるものとして扱われている。いわば「そうせざるをえなかった過去」の集積物が作中で語られる事件なのである。謎解き小説としては評価の分かれるところだろう。私自身は、そうした「隙」があるからこそ、現代の読者にとって親しみやすい小説なのだと考える者だ。
 H・ダグラス・トムスンは『探偵作家論』(1931年。春秋社)の中で探偵小説をいくつかに分類し、「戦慄小説(スリラー)」の作家にメースンを入れている。前後に大衆作家の代名詞であったエドガー・ウォーレスやJ・S・フレッチャーの名が並ぶのでいささか違和感があるのだが、「ロマンチツクの覆布(ヴェイル)」や終盤における「誘拐と襲撃の興奮」といったスリラーの要素が『矢の家』にあることは確かに否めない。それを謎解き小説としての不備な点と考える向きもあるはずだ。瀬戸川猛資は『夜明けの睡魔』(1987年。創元ライブラリ他)の中で小説全体を覆う「オフビートなユーモア」の存在を指摘し、「トリック嗜好と深刻趣味」に偏重すると本書の真価は受け止められない、と警告した。ミステリとしての評価の中に小説本来のおもしろさを含めるべきという指摘であり、トムスンのメースン=スリラー作家という見方は、そうした方向から見直されるべきなのかもしれない(これは余談になるがトムスンはアノー探偵について、アガサ・クリスティ創造するところのエルキュール・ポワロとの類似を指摘しており、前者から後者へのキャラクター造形における影響があるとの説の出処である可能性がある)。
 もともとメースンはミステリ専業の作家というわけではなかった。1865年5月7日、ロンドン・カンバーウェルで生まれた彼は、長じてオクスフォード大学トリニティ・カレッジに進む。そこで演劇の魅力にとりつかれ、卒業後は舞台俳優を志したが、役者としては大成しなかった。1895年に歴史小説A Romance of Wastdaleで作家デビューを果たしたのは、その前年までに演劇を通じて親しくなっていた年長のオスカー・ワイルドから、執筆を勧められたのが一因だったという。1894年はアンソニー・ホープ『ゼンダ城の虜』が刊行された年である。その成功にメースンが触発されたであろうことは想像に難くない。
 ホープはメースンの二歳上であり、彼と同時期にオクスフォード大学ベイリオル・カレッジに在籍していた。二人ともに自由党員で、1892年にホープが国政選挙に出馬して落選、1906年にはメースンが立候補し、こちらは見事に当選して1910年まで下院議員を務めている。また、『ゼンダ城の虜』とメースンの『サハラに舞う羽根』(1902年。創元推理文庫他)には単なるベストセラーというだけではなく、サイレント時代から何度も繰り返し映画化されているという共通点もある。二十世紀初頭の英国においては二人とも、ジャンルを越えた人気作家だったのである。彼らの時代には、ギルバート・キース・チェスタトンやアラン・アレキサンダー・ミルンなどの越境組が多数存在した。そうした才能の流入が、ジャンルを豊饒化させたことは間違いない。
 字数が尽きた。アノー探偵の登場作については前出『薔薇荘にて』の塚田よしと解説が未訳作品も含めて詳しいのでご参照いただきたい。アノーもの以外の長篇の邦訳で特筆すべきは『モン・ブランの処女』(1906年。朋文堂他)である。メースン作品には失われた名誉の回復を主題としたものがいくつかあるが、これもそうした物語だ。ミステリ・ファンが手に取ると、最後の二行でびっくりするはずだ。できれば復刊して多くの人に読んでもらいたい作品である。
 メースンは、そのキャリアを通じて世界各国に取材し、広範な作品を手掛けた。ベストセラー作家の得意分野の一つがミステリだった、という言い方のほうがふさわしいだろう。これはジュリアン・シモンズ『ブラッディ・マーダー』(1972年。新潮社)からの孫引きになるが、メースンはラジオのインタビューで以下のように語っているという。
 ――探偵小説とは、「ただ単に奇怪な謎とその解決だけ」で構成されればいいのか、それとも日頃からそうであって欲しいと考えているように、読者の関心を「ストーリーの一断面に引きつけたうえ、登場人物それぞれの性格の絡み合いや衝突の場面を示すことで彼らの利害関係の複雑さに興味を抱かせる、異なった次元の表現を」意図すべきなのか。(宇野利泰訳)
 明らかに後者と考え、一般小説との間の差異を取り払おうとしたのがメースンだった。ミステリの概念が巨大化し、探偵小説というジャンルさえ多様性を持つようになった現代において、彼の作法には今一度見直すべき価値がある。今回読み返して特に感銘を受けたのは個々の場面が持つ記銘力だった。「ノートル・ダム寺院の正面(ファサード)」と題された最終章を読み終えたとき、私の心中をよぎるものがあった。やはりミステリとは人によって引き起こされた事件を描き、その人の肖像を浮かび上がらせる小説ジャンルなのである。浮かび上がった影が、いつまでも胸に残る。


【Webミステリーズ!編集部付記】本稿は創元推理文庫『矢の家』解説の転載です。


(2017年11月13日)




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