『バンガローの事件』を読み終わって、ナンシー・ドルーに惚れ直した。だってこんな女の子、ちょっといない。
コンバーチブルを乗り回し、一人でどこへだって行く18歳の少女。まあ、そこまでは日本にだっているかもしれない。けれどタイヤ交換が一人でできて、ついでにモーターボートの操縦もできて、その上溺れかけた友人を救助してしまい、スポーツ万能で料理だってできる。もちろん見た目も可愛くって、礼儀だって完璧。ここまで来ると、もう嫌みなくらいだ。
思い起こせば、彼女との出会いは小学校の図書室。当時やはり乱歩の〈少年探偵団シリーズ〉を読んでいた私は、「少女探偵なんていうのもあるのか」と何気ない気持ちでこのシリーズを手に取った。しかし手に取ったはいいが、子供の私は数冊読んでそれっきりナンシーについて興味を失ってしまった。理由は、「なんかいい子ちゃんっぽいから」。
今にして思えばひどい理由だと思う。しかし夜の闇を駆ける少年探偵団のシリーズを読み慣れていた私にとって、ナンシーはあまりにも明るくて品行方正過ぎるように感じたのだ。優しくて裕福な父親の庇護のもと、困った人に手を差し伸べる面白みのないお嬢様。私の中の彼女は、長らくそんなイメージのままだった。
実際、今回のシリーズに関しても正直2作目の『幽霊屋敷の謎』までは、その疑念を完璧にぬぐい去ることはできなかった。確かに彼女は記憶の中よりもずっとアクティブで、一人でどこへだって行ける18歳の女の子だった。でも、それだけ? 読み進みながら、私は首をかしげた。それだけの魅力でナンシーは、こんなに多くの人に長く愛されているのだろうか。しかし本作を読んで、その疑問はあっけなく氷解した。ナンシーは、ただのお嬢様なんかじゃない。
シリーズ3作目であるこの『バンガローの事件』には、前二作とは大きく違う点がいくつかある。まず一つ目は、ナンシー自身が悪者に背後から殴られ、失神するという実質的な被害に遭っていること。そしてもう一つは、派手なアクションシーンの数々。前二作のいかにも「子供向け」といった冒険から一転、こちらは本当の意味で危険な状況が頻発するのだ。あまりのことに『もう、頭にきすぎて、おかしくなりそう!』と叫ぶナンシー。そんな彼女はお嬢様っぽくなく、とても身近な存在として描かれている。
さらに印象的なのは、ナンシーがホテルに泊まる場面だ。アメリカと言えどまだ若い女性が一人でディナーの席に着くのは珍しかった時代。なのに彼女は堂々と食事を平らげる。立派なホテルのダイニングで一人ディナーだなんて、現代の18歳にだって相当ハードルが高い行動に違いない。そう、ナンシーの「できること」の本質はこんな部分に現れているのだ。車の運転や料理は、学ぼうとすれば誰にでもできる。けれどきちんとした立ち居振る舞いというものは、一朝一夕で身につくものではない。これは1作目から貫かれているシリーズの特徴だが、本作ではそれが究極の場面で現れる。
犯人一味の車が崖から落ち、今にも炎上しようかという状況で、さすがに立ちすくむナンシー。この犯人には、彼女も彼女の父カーソンも殴られて気を失ったり監禁されたりしている。しかしカーソンはためらわずこう叫ぶ。『彼らが無事なら、助けなければ!』。
本当に育ちが良いということは、礼儀うんぬんではない。いざというときにきちんと行動できる力が身についていることではないかと、この物語を読んでいると思う。そしてその力こそ、ナンシー・ドルーという探偵が父から受け継いだたぐいまれなる資質なのではないだろうか。
1作目『古時計の秘密』の中でナンシーは、怪我の手当てをした老婦人にお礼を言われて、相手がそのことを気に病まないようこう答える。『あら、わたしでなくても、だれかが気づいて、きっとお助けしていましたよ』。あるいは2作目『幽霊屋敷の謎』の中で、彼女は悪に手を貸した男をあっさりと自白させる。『人はだれでも、ときどき間違いを犯すものよ。うまい言葉にだまされて、やってはいけないとわかっているのに、それをやらされてしまうことがあるわ』。相手のことを考えて気を使うこと、そして憎しみに心を曇らせずまっすぐに物事を見ること。それこそがナンシーの最大の武器だと私は思う。
そしてさらにこの時代ならではだと感じるのは、随所に現れる「備えあれば憂いなし」という場面だ。携帯電話どころかコンビニも自動販売機もない時代、ものを言うのは用意周到な準備だ。前述のホテルのシーンで彼女が車のトランクにいつでも一泊分の荷物を用意しているのはもちろん、冒険に出るときにはポケットにマッチを忍ばせるなどの行為。それが後々、いかに役に立つことか。現代に生まれた私たちのように「出先で買えばいいじゃないか」などと言っていたら、あっという間に窮地に陥ってしまいそうな世界にナンシーは生きているのである。ちなみにその「いざというときの一着」が黒いシンプルなワンピースだというのは、時代を超える普遍的なファッションセンスだと思わされた。センスまでいいなんて、もう反則だ。
そんな彼女は、ご想像の通り結構モテるらしい。本作ではプロムで彼女のパートナーをつとめたボーイフレンドのドン・キャメロンが登場するが、その他にも彼女をダンスに誘おうとする男性なども姿を現す。けれど彼女は『ロマンスを楽しんでいる余裕はないわ』とその誘惑をひらりとかわす。恋に身を任せず、かといって女同士で群れるわけでもない。一人できちんと立っている彼女には、男性ならずとも魅了されるに違いない。
とはいえ、実は私がナンシーに一番魅かれたのは食事をする場面だ。彼女はどんな状況に置かれても、きちんと食事をとることを忘れない。ハンナの作った料理はもちろんのこと、外食でも一人でも気負うことなく『もりもり平らげ』る。その姿は生命力に溢れ、とても健康的な魅力に満ちている。
こうして並べてみると、ナンシーは本当に無敵の女の子だ。涙が込み上げても、手の甲でさっと拭う潔さ。その弱さも強さも、すべてが一つの美しい形に集約されているような気がする。永遠の少女探偵ナンシー・ドルー。私は時を超えて今、彼女の魅力に気づくことができて本当に良かったと思っている。
そして最後に、素晴らしい翻訳でナンシーを甦らせて下さった渡辺庸子さんに心からの感謝を。子供向けの訳では気づくことができなかったナンシーに出会えて、本当に嬉しかったです。これからもナンシーの活躍を、一読者として楽しみにしています。
■ 坂木司(さかき・つかさ)
1969年、東京生まれ。覆面作家。2002年に、ひきこもり探偵・鳥井真一とその友人・坂木司を主人公にした連作短編集『青空の卵』でデビュー。ついで中編集『仔羊の巣』、長編『動物園の鳥』の3部作を上梓。新シリーズ『切れない糸』も好評。最新刊は『先生と僕』。
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