誘拐被害者あるいは行方不明者とされる人物の一人称は、うまくやれば《信用できない語り手》として機能する。怪しさと蠱惑(こわく)に満ちた、先の読めない展開を用意して読者を翻弄(ほんろう)できるのだ。ドット・ハチソン『蝶のいた庭』(辻早苗訳 創元推理文庫 1200円+税)はその作例の一つとして高く評価したい。

 FBI捜査官ヴィクターは、取調室で若い女性マヤと相対していた。彼女は《庭師》と呼ばれる裕福な男に拉致(らち)され、同じく誘拐被害者である同年配の若い娘たちと、豪奢(ごうしゃ)な庭園に幽閉されて暮らしていたのである。そこでは、娘たちは蝶の入れ墨を彫られたうえで別の名を与えられる。紳士然とした物腰の《庭師》は、しかし、娘たちが一定の年齢に達すると、彼女らを殺害し、遺体を保存するのだった。

 マヤの述懐によると、彼女は《庭師》から一定の信頼を得ており、娘たちの世話役めいたことをしていたようである。マヤは被害者ながら、ある程度事態を俯瞰(ふかん)する立場にもいたわけだ。物語開始時点で人事不省(じんじふせい)に陥(おちい)っているらしい犯人を除けば、事件の全体像を最もよく知る人物であったはずなのである。だが彼女の証言は小出しにおこなわれるのみ。

 しかも、マヤやFBIの発言の節々から、庭園は最後には破錠したと推測できるのである。人間性をはぎ取られる美麗な庭園で、娘たちはいかに懸命に生き、いかに空(むな)しく命を散らしたのか。その全貌は、一気にではなく、徐々に読者の前に姿を現していく。凄惨な真実の段階的な提示それ自体が、読者の興味を惹きつける効果を発揮する。殺人など残酷な光景の直接描写がほとんどなく、庭園と娘たちの美しさばかりが言及される点も、逆説的に、事件のおぞましさを強調しており、心に刺さる。

 この物語に、事実上のヒロインたるマヤの語り口が、更なる深みを与えている。中盤で「実際にこちらの質問に答えることなく、彼女がこれだけ質問に答えられるのは驚くほどだ」と書かれている通り、マヤの話は情報量こそ多いものの、婉曲的・象徴的な物言いが多用されており、話題もよく飛ぶ。質問に質問で返すこともよくあってQ&Aとしては要領を得ない。

 加えて、マヤ自身が何かを隠している気配も濃厚であり、FBIも彼女が無辜(むこ)の被害者なのか信じ切れていない。だがそんな疑惑もどこ吹く風、そもそも幽閉時から《庭師》に対してすら、達観したかのような飄々(ひょうひょう)たる態度で一貫する。その口ぶりに隠した、彼女の秘密が明らかにされたとき、読者が覚えるのは、驚きか、感動か、呆れか。それは実際に読んで確かめていただきたい。

 誘拐/行方不明ものとしては、アンナ・スヌクストラ『偽りのレベッカ』(北沢あかね訳 講談社文庫 880円+税)にも注目したい。作者はオーストラリア作家で、本作が2017年の豪州推理作家協会最優秀デビュー賞の候補となった。

 万引きで捕まったホームレスの《私》は、出来心で、11年前に16歳で失踪した女性レベッカ・ウィンターを名乗ってしまう。自分は誘拐されていたはずだけれど記憶を喪失している、と言い張る《私》を、レベッカの親兄弟や友人は信用し、温かく迎え入れる。だが何かがおかしい。

《私》のパートと、11年前の失踪直前のレベッカ本人のパート(最初はハイティーンの平凡な日常にしか見えないが、徐々にミステリアスな空気が流れ始める)が交互に進み、それぞれがクライマックスを迎えたところで、真相が判明する。

 序盤はなりすまし生活を送る緊張感がやけにリアル。中盤からはスリル感が増し、終盤は一気にカタストロフに雪崩(なだ)れ込む。ストーリーを劇的に盛り上げる手さばきは堂に入っている。一方で、新旧二人の語り手は、人物像が最初から完成されており、途中で印象が変わったり、描写精度が上がったりはしない。またレベッカの肉親たちには、ちょっと張りぼて感がある。これらが改善されたら、この作家は深みと凄みを増すだろう。

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■酒井貞道(さかい・さだみち)
書評家。1979年兵庫県生まれ。早稲田大学卒。「ミステリマガジン」「本の雑誌」などで書評を担当。

(2018年3月22日)



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