アメリカ人フリージャーナリスト、パトリックが、取材先のフランスで消息を絶った。妻で元チェコ人の舞台美術家のアリーは、妊娠を伝えたいとの一心で、パリに飛び、残されたメモや写真を手掛かりに、夫がどこに行ったかを探る。
本国での刊行が2009年ゆえ、シリア難民はまだ発生していない。しかし、パトリックが、どうやら移民問題または奴隷(どれい)貿易を追っていたことが判明するにつれて、作品は2017年の現代社会と恐ろしいほどの相似形を描き始める。妊娠中の身には本来手に余るはずの巨悪に対して、アリーは夫への想いを胸に、肉薄していく。
というわけで『海岸の女たち』(は社会派なのだが、主役アリーが、社会正義を追及するだけでないことは重要である。彼女は折に触れて、夫との楽しかった日々や、チェコ時代の暗い日々を思い出す。お腹の子どものことも気にかける。中盤では、それまで伏せられていたとある設定も意外性をもって明かされ、マイノリティや弱者への親和性が主人公には強いことが打ち出されていくのだ。移民問題への義憤と、個人的な感傷とが、見事に調和して、主役の行動原理に昇華されるのであり、これができる作品は必ずや名作になる。実際、この新人離れした手管(てくだ)は、松本清張すら思わせる。そして終盤、パトリックがどうなったかを知った後の、アリーの選択と行動もまた、非常に印象に残る。ほぼ完璧な社会派ミステリとして、高く評価したい。
キャッチーな表紙とは裏腹に、植民地における支配/被支配を直視する、シリアスな小説である。西洋社会の常識の中でのみ生きてきて、少なくとも序盤から中盤にかけてはそれを無批判に受け入れているエイヴリーと、それに対して懐疑的かつ批判的なブレイクの対比が、そのまま当時と現代の価値観の違いをなしているのが興味深い。また、インド固有の空気感を極めて濃厚に伝えてくれるのも素晴らしい。異国情緒満点のあの混沌と猥雑(わいざつ)は、そのまま、作品それ自体の強靭(きょうじん)な個性となっている。それに、現地の雰囲気をまざまざと描いているからこそ、支配者側が西洋の価値観でのみ動こうとすることが、いかに抑圧的であったかが手に取るようにわかる。その意味でもこの手法は効果抜群であった。最終的に、壮大なスケールの陰謀が語られることも付言しておきたい。植民地主義の闇が、ここにある。
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■酒井貞道(さかい・さだみち)
書評家。1979年兵庫県生まれ。早稲田大学卒。「ミステリマガジン」「本の雑誌」などで書評を担当。
(2017年7月24日)
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