ピエール・ルメートルのカミーユ警部三部作や、フランク・ティリエの諸作に代表されるように、近年のフレンチ・ミステリには、サイコ・サスペンスの要素が強い。ベルナール・ミニエのデビュー作『氷結〈上下〉』(土居佳代子訳 ハーバーコリンズ・ジャパン 各870円+税)も、その一例である。
ピレネー山脈の高所にある水力発電所で、皮を剥(は)がれ首のない馬の死体が見つかる。その馬の持ち主が大富豪ロンバールだったことから、当局は本格的な捜査に乗り出した。やがて、現場に残されていたDNAが、人里離れた研究所に隔離(かくり)済みのサイコキラー、ハルトマン元検事のものであることが判明する。
フレンチ・ミステリは、たとえどんでん返し交じりに劇的に盛り上がっていったとしても、展開で定石(じょうせき)を外し、日米英のミステリではあまり見られない脱線をする傾向がある。話の幹は同じとはいえ、枝葉の伸び方が違うのだ。『氷結』もその例に漏れない。死体が人ではなく馬だという妙な事件から始まっているのに、あっさりと殺人事件を起こして、冒頭の突飛さにあまり拘泥(こうでい)せず先に進む。巨大企業の悪徳を描く社会派になるかと思わせておいて、経営者ロンバール個人をクローズアップしてみせる。犯罪者を隔離する研究所では、ハルトマンをレクター張りの人物だと匂わせているにもかかわらず、実際には施設の管理者側の方がはるかに不気味に描かれる。また、ハルトマンに気に入られる新来の心理学者ディアーヌが、前の勤務先で上司との不倫関係に悩んでいた、という設定は、色恋要素大好きなフランスらしいとはいえ、いかにも過剰である。冬のピレネーの美しい風景と、ド派手な猟奇犯罪という取り合わせも、なかなか珍しい。
ただし、である。フランス作品らしく定石を外しつつ、組織を活かした丁寧な捜査、緊張感の途切れないサスペンス、奸智(かんち)に長けた犯人の計画、意外な真相といったミステリの勘所はおさえているのだ。主人公のマルタン・セルヴァズ刑事の造形もいい。もうすぐ四十歳のバツイチで(娘はいる)、マーラーを愛好する彼は、私事で悩みながらも、丁寧(ていねい)に事件の捜査を進めていく。どこにでもいそうな、奇を衒(てら)わない設定の人物であり、親近感が湧く。普通の人物の視点で見るからこそ、事件の特異性が際立っているようにも思う。
そんな 『氷結』のピレネー山脈から少し西に所在するバスク地方のバスタン渓谷(けいこく)を舞台にしたのが、ドロレス・レドンド『バサジャウンの影』(白川貴子訳 ハヤカワ・ミステリ 1,900円+税)である。同地で連続少女惨殺事件が発生し、地元出身の女性刑事アマイア・サラサルが捜査責任者になったものの、進展は捗々(はかばか)しくなくアマイアと同僚の対立も目立ち始める。おまけに現場周辺では、バスク地方の精霊バサジャウンの目撃証言が出る。
サイコキラーを相手取った警察小説であることはもちろん、家族小説、果ては幻想小説と、様々な側面を併せ持つ。特に、バスクの風俗描写は生々しく、バスタン渓谷の集落や森が、匂い立たんばかりに迫ってくる。これは、主人公と実家との因縁(いんねん)を設定したことが大きい。
主役アマイア・サラサルは一見、三十代既婚の女性捜査官としては至極ストレートなキャラクターだ。ところが実際には、少女時代の過酷な経験から、心傷・屈託を抱え、その同情すべき境遇は読者の感情移入を強く誘う。前半では、事件の捜査はあまり進展しない代わりに、サラサル家の話が重きをなす。後半でも結果的にアマイアとその肉親が物語の中心軸をなす。通常、ミステリでは事件がメインで、捜査官の家庭の話は補助線に過ぎないが、本書においては同等、ことによると逆転している。だからこそ、後半の怒濤(どとう)の展開が生きている。
『氷結』『バサジャウンの影』はいずれ劣らぬ魅力的な主人公を抱え 続き(奇(く)しくもどちらも、現時点では二長篇が未訳だ)が気になる幕切れを迎えた。主人公の成長や、取り巻く環境の変化を中長期的に追うことこそ、シリーズを読む醍醐味(だいごみ)である。ミニエもレドンドも、その期待に応えてくれそうな実力派で心強い。
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■酒井貞道(さかい・さだみち)
書評家。1979年兵庫県生まれ。早稲田大学卒。「ミステリマガジン」「本の雑誌」などで書評を担当。
ミステリ小説の月刊ウェブマガジン|Webミステリーズ! 東京創元社
ピレネー山脈の高所にある水力発電所で、皮を剥(は)がれ首のない馬の死体が見つかる。その馬の持ち主が大富豪ロンバールだったことから、当局は本格的な捜査に乗り出した。やがて、現場に残されていたDNAが、人里離れた研究所に隔離(かくり)済みのサイコキラー、ハルトマン元検事のものであることが判明する。
フレンチ・ミステリは、たとえどんでん返し交じりに劇的に盛り上がっていったとしても、展開で定石(じょうせき)を外し、日米英のミステリではあまり見られない脱線をする傾向がある。話の幹は同じとはいえ、枝葉の伸び方が違うのだ。『氷結』もその例に漏れない。死体が人ではなく馬だという妙な事件から始まっているのに、あっさりと殺人事件を起こして、冒頭の突飛さにあまり拘泥(こうでい)せず先に進む。巨大企業の悪徳を描く社会派になるかと思わせておいて、経営者ロンバール個人をクローズアップしてみせる。犯罪者を隔離する研究所では、ハルトマンをレクター張りの人物だと匂わせているにもかかわらず、実際には施設の管理者側の方がはるかに不気味に描かれる。また、ハルトマンに気に入られる新来の心理学者ディアーヌが、前の勤務先で上司との不倫関係に悩んでいた、という設定は、色恋要素大好きなフランスらしいとはいえ、いかにも過剰である。冬のピレネーの美しい風景と、ド派手な猟奇犯罪という取り合わせも、なかなか珍しい。
ただし、である。フランス作品らしく定石を外しつつ、組織を活かした丁寧な捜査、緊張感の途切れないサスペンス、奸智(かんち)に長けた犯人の計画、意外な真相といったミステリの勘所はおさえているのだ。主人公のマルタン・セルヴァズ刑事の造形もいい。もうすぐ四十歳のバツイチで(娘はいる)、マーラーを愛好する彼は、私事で悩みながらも、丁寧(ていねい)に事件の捜査を進めていく。どこにでもいそうな、奇を衒(てら)わない設定の人物であり、親近感が湧く。普通の人物の視点で見るからこそ、事件の特異性が際立っているようにも思う。
そんな 『氷結』のピレネー山脈から少し西に所在するバスク地方のバスタン渓谷(けいこく)を舞台にしたのが、ドロレス・レドンド『バサジャウンの影』(白川貴子訳 ハヤカワ・ミステリ 1,900円+税)である。同地で連続少女惨殺事件が発生し、地元出身の女性刑事アマイア・サラサルが捜査責任者になったものの、進展は捗々(はかばか)しくなくアマイアと同僚の対立も目立ち始める。おまけに現場周辺では、バスク地方の精霊バサジャウンの目撃証言が出る。
サイコキラーを相手取った警察小説であることはもちろん、家族小説、果ては幻想小説と、様々な側面を併せ持つ。特に、バスクの風俗描写は生々しく、バスタン渓谷の集落や森が、匂い立たんばかりに迫ってくる。これは、主人公と実家との因縁(いんねん)を設定したことが大きい。
主役アマイア・サラサルは一見、三十代既婚の女性捜査官としては至極ストレートなキャラクターだ。ところが実際には、少女時代の過酷な経験から、心傷・屈託を抱え、その同情すべき境遇は読者の感情移入を強く誘う。前半では、事件の捜査はあまり進展しない代わりに、サラサル家の話が重きをなす。後半でも結果的にアマイアとその肉親が物語の中心軸をなす。通常、ミステリでは事件がメインで、捜査官の家庭の話は補助線に過ぎないが、本書においては同等、ことによると逆転している。だからこそ、後半の怒濤(どとう)の展開が生きている。
『氷結』『バサジャウンの影』はいずれ劣らぬ魅力的な主人公を抱え 続き(奇(く)しくもどちらも、現時点では二長篇が未訳だ)が気になる幕切れを迎えた。主人公の成長や、取り巻く環境の変化を中長期的に追うことこそ、シリーズを読む醍醐味(だいごみ)である。ミニエもレドンドも、その期待に応えてくれそうな実力派で心強い。
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■酒井貞道(さかい・さだみち)
書評家。1979年兵庫県生まれ。早稲田大学卒。「ミステリマガジン」「本の雑誌」などで書評を担当。
(2017年3月28日)
ミステリ小説の月刊ウェブマガジン|Webミステリーズ! 東京創元社