彼こそ、史上最高の安楽椅子探偵
万事控えめな給仕のヘンリーは、
月に一度の晩餐会で語られる”謎”を、
話を聞くだけで解き明かす――
全ミステリファン待望のリニューアル版
SF界の巨匠、アイザック・アシモフの愛すべき連作ミステリ短編集『黒後家蜘蛛の会』が装いも新たに刊行されることとなった。以前の版のアシモフそっくりのキャラクターが愉快なカバーも、その前のレストランのテーブルと椅子が粋なカバーも大好きだが、今度の新しいカバーがどのようになるのか楽しみでならない。この解説が読者諸氏に読まれるときには当然明らかだろうが、僕がこの文章を綴っている現在、それはまだ姿を見せていない。きっと作品に相応しい愉快で粋なものになっているだろう。
さて、シリーズ第一巻であるこの本でアシモフ及び黒後家蜘蛛の会(ブラック・ウィドワーズ)に初めて接する方も多いかもしれないので、まずは簡単な紹介をしておこうと思う。
1920年生まれのアイザック・アシモフは、その名前からわかるとおりユダヤ系のロシア人で、ソビエト連邦が成立した後にアメリカに移住した。子供の頃から書物、特にSFに親しみ、学生時代にはすでに実作を始め、「ファウンデーション」シリーズ、「ロボット」シリーズなどで地位を確立した。僕がSFを読み始めた1970年代頃にはすでにアーサー・C・クラーク、ロバート・A・ハインラインと共に世界三大SF作家に挙げられていた。彼が提唱した「ロボット工学三原則」は創作の域を超えて実際のロボット工学にも影響を与えている。
一方、ミステリの分野でもアシモフは歴史に名を残した。先のロボット工学三原則を背景にした『鋼鉄都市』『はだかの太陽』『夜明けのロボット』はSFでありながら優れたミステリでもある。こうしたSFミステリの分野においてもアシモフはパイオニアであり、没後三十年近く経った現在でも第一人者であり続けている。
そしてもうひとつ、アシモフがミステリで大きな成果を挙げたジャンルがある。それが「安楽椅子探偵(アームチェア・ディティクティブ)」という形式の作品だ。
探偵役が一定の場所から動かず、誰かが持ち込んできた謎を、話だけを頼りにその場で解明するというのが安楽椅子探偵の定型である。実際に安楽椅子に座っているわけではないのだけど、象徴としてこの言葉が使われている。代表的なものとしてはマシュー・フィリップス・シールの「プリンス・ザレツキー」、バロネス・オルツィの「隅の老人」、ジェフリー・ディーヴァーの「リンカーン・ライム」、アガサ・クリスティの「ミス・マープル」(このシリーズすべてが安楽椅子探偵ものではないけれど)、そして日本でも鮎川哲也の「三番館」、都筑道夫の「退職刑事」、北村薫の「円紫さんと私」、東川篤哉の「謎解きはディナーのあとで」など、名作が多い。その中でも質量ともに代表的なシリーズが、この「黒後家蜘蛛の会」なのである。
月に一度、ミラノ・レストランで会食をする六人の男たち。彼らはこの集まりを〈黒後家蜘蛛の会〉と称し、会員あるいは招かれたゲストが語る謎について侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を展開する。しかし最後に真相を突き止めるのは決まって、彼らの話を静かに聞いているレストランの給仕ヘンリーだった――というのが、このシリーズに一貫する物語の流れだ。
その謎も、ときには殺人や犯罪に絡むものもあるが、多くは日常に起きる、でも放置しておくには気がかりなものばかりだ。それに対して黒後家蜘蛛の会の面々は知識と見識と話術を駆使して自説を披露する。しかしどれも決定打とは言えず議論が行き詰まりとなったところで、それまで料理や酒を供しながら話を聞いていたヘンリーが「ひと言、よろしゅうございますか、皆さま」と言葉を発する。そこから先は彼の独擅場(どくせんじょう)となる。皆の盲点を突く発想で混迷を晴らし、思いもよらない真相に辿り着くのだ。そして称賛する黒後家蜘蛛の会の面々に向かって、彼は控え目に言う。「皆さまそれぞれに違う筋道を辿られました。わたくしはただ、残った道を行ってみただけのことでございます」
アシモフはこの巻のまえがきで、本シリーズの成立過程について説明している。それによると第一作である「会心の笑い」を書いた後「一つ書くと、もう私は止められなくなった。私は立て続けに〈ブラック・ウィドワーズ〉ものを書き、一年そこそこの間に仕上げた八本を残らずEQMMに発表した」とある。これだけ読むと、あたかも最初からシリーズ化を目論んで書き始めたかのような印象を受ける。しかし三巻のまえがきを読むと、その印象はいささか違ってくる。
「私は一作こっきりのつもりだった。ところが、エラリー・クイーンことフレデリック・ダネイは〈新シリーズ登場〉と銘打ってこれを発表した。そこで私は二作目を書き、次いで三作目をものした」
以後の巻でもアシモフはダネイの提案で「黒後家蜘蛛の会」をシリーズ化したと書いている。
どちらが正しいかは、「会心の笑い」を読めば明白だ。この短編はシリーズ化など意識していない、これひとつで完結したものだからだ。本作でもヘンリーは最後に謎の答えを明かすが、その意味合いは二作目以降とはまるで違う。彼は最初から答えを知っていたのだ。
独立した短編としても「会心の笑い」は優れた完成度を持っている。もしもこの後に続編が書かれなかったとしても、この作品は珠玉のミステリ短編として歴史に名を残しただろう。
しかしクイーンが続きを書かせようとしたのも理解できる。「黒後家蜘蛛の会」という設定はあまりにも魅力的だし、まだこれからもこの会を舞台にした作品が生み出される可能性を感じさせるものだったからだ。多分アシモフ自身も「これ、いけるかも」と思ったに違いない。
しかし一度完結した作品をシリーズ化するには、それなりの再構築(リストラクチャリング)が必要となる。ではアシモフは何をしたか。それはヘンリーを名探偵として昇格させることだった。
前述したように「会心の笑い」でのヘンリーは答えを提供しただけで、推理によって謎解きをしたわけではない。だが第二作の「贋物(Phony)のPh」でのヘンリーの振る舞いは、明らかに名探偵のそれだ。そしてこの件で会員たちの信頼を得た彼は、以後の作品で当たり前のように推理を披露し謎を解き明かす役割を果たす。
このパターンは最後まで変わらなかった。舞台はミラノ・レストラン。登場するのは会員たちとヘンリー、そして招かれたゲストのみ。このシリーズは第三作の「実を言えば」以降、ほぼ同じパターンで六十六作まで書かれた。
あからさまに言えば、三作目以降はマンネリズムに陥っている。それを良しとしない読者もいるだろう。しかしこのシリーズの愛読者は、このワンパターンな展開こそを楽しんでいるのだ。会食中の会員たちの博識な、しかし雑駁(ざっぱく)でもある会話。供されるさまざまな料理――もう少し美味(おい)しそうに描写してくれてもいいのになあと思わないでもないが――と酒。そして議論が煮詰まった頃合を見計らったように発言するヘンリー。こうした「お約束」を何度でも楽しめるのがこのシリーズの妙味である。リアルタイムで読んでいた読者は馴染みの酒を味わうように「黒後家蜘蛛の会」の新作を待ちわびていただろう。僕がそうであったように。
これなら書くのも簡単そうだ、と思われた方もいるかもしれない。だっていつも同じパターンなんだもの。何か新しいネタさえ思いつけば、あとはすらすら書けるだろうし、と。
いやいやいや、事はそう簡単でない。実作者として断言する。同じパターンのものを書きつづけるというのは本当に大変なことなのだ。
まず、そのパターンに当てはまるアイディアを創出しなければならない。これが結構難しいのだ。尻取りで同じ音で始まる言葉を何度も言わされたときのことを思い出してほしい。これはきついですよ。
アシモフは各作品に付したあとがきで作品の発想の元となったエピソードなどを明かしているが、これを読むと彼が常日頃「黒後家蜘蛛の会」のネタとなるものを鵜の目鷹の目で探していたことが窺える。多作で知られている彼でさえ、産みの苦しみは味わっていたのだ。
そしてもうひとつ、ワンパターンな作品を書き続けていくときにハードルとなるものがある。作者自身が書くことに苦痛を覚えてしまうことだ。
同じことを繰り返すのは、結構な苦行なのだ。場を固定すると、その場を描写する言葉も限られる。何度も同じ描写はできない。
会話も同じだ、いつも同じ人間だけが出てくる話だと、もしかしたらこのやりとりは前にも書いているかも、と疑わしくなってくる。
さらに問題なのは、とっくに読者は飽きているのではないかと不安になってくることだ。読んでいるのは編集者と校閲者だけ、掲載しても読者は眼も通さない。そんなことになっているのではと疑心暗鬼に駆られてくる。
だから、作家は同じものを書くのが難しい。シリーズものであっても、何か変化を付けたくなる。登場人物を入れ換えたり、舞台を変えたり、趣向を凝らしたくなるのだ。事実、他の安楽椅子探偵ものでも作品が書き続けられると、探偵役が定位置を離れて自ら行動する話が書かれることが少なからずある。
それをあえてせず、最後まで同じものを書き続けたアシモフは、「黒後家蜘蛛の会」に対して相当の自信を持っていたのではないだろうか。もちろん読者にも絶対の信頼を置いていた。だからこそ、こんなにも長く、クオリティを保つことができたのだと思う。
名作たる所以(ゆえん)が、ここにある。
【Webミステリーズ!編集部付記】本稿は創元推理文庫『黒後家蜘蛛の会1』解説の転載です。
■ 太田忠司(おおた・ただし)
1959年愛知県生まれ。名古屋工業大学卒業。81年、「帰郷」が「星新一ショートショート・コンテスト」で優秀作に選ばれる。『僕の殺人』以下の〈殺人三部作〉などで新本格の旗手として活躍。2004年発表の『黄金蝶ひとり』で第21回うつのみやこども賞受賞。『刑事失格』に始まる〈阿南〉シリーズほか、〈狩野俊介〉〈探偵・藤森涼子〉〈ミステリなふたり〉〈目白台サイドキック〉など多くのシリーズ作品を執筆。その他『奇談蒐集家』『星町の物語』『幻影のマイコ』など著作多数。
【2009年3月以前の「本の話題」はこちらからご覧ください】
海外ミステリの専門出版社|東京創元社
万事控えめな給仕のヘンリーは、
月に一度の晩餐会で語られる”謎”を、
話を聞くだけで解き明かす――
全ミステリファン待望のリニューアル版
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SF界の巨匠、アイザック・アシモフの愛すべき連作ミステリ短編集『黒後家蜘蛛の会』が装いも新たに刊行されることとなった。以前の版のアシモフそっくりのキャラクターが愉快なカバーも、その前のレストランのテーブルと椅子が粋なカバーも大好きだが、今度の新しいカバーがどのようになるのか楽しみでならない。この解説が読者諸氏に読まれるときには当然明らかだろうが、僕がこの文章を綴っている現在、それはまだ姿を見せていない。きっと作品に相応しい愉快で粋なものになっているだろう。
さて、シリーズ第一巻であるこの本でアシモフ及び黒後家蜘蛛の会(ブラック・ウィドワーズ)に初めて接する方も多いかもしれないので、まずは簡単な紹介をしておこうと思う。
1920年生まれのアイザック・アシモフは、その名前からわかるとおりユダヤ系のロシア人で、ソビエト連邦が成立した後にアメリカに移住した。子供の頃から書物、特にSFに親しみ、学生時代にはすでに実作を始め、「ファウンデーション」シリーズ、「ロボット」シリーズなどで地位を確立した。僕がSFを読み始めた1970年代頃にはすでにアーサー・C・クラーク、ロバート・A・ハインラインと共に世界三大SF作家に挙げられていた。彼が提唱した「ロボット工学三原則」は創作の域を超えて実際のロボット工学にも影響を与えている。
一方、ミステリの分野でもアシモフは歴史に名を残した。先のロボット工学三原則を背景にした『鋼鉄都市』『はだかの太陽』『夜明けのロボット』はSFでありながら優れたミステリでもある。こうしたSFミステリの分野においてもアシモフはパイオニアであり、没後三十年近く経った現在でも第一人者であり続けている。
そしてもうひとつ、アシモフがミステリで大きな成果を挙げたジャンルがある。それが「安楽椅子探偵(アームチェア・ディティクティブ)」という形式の作品だ。
探偵役が一定の場所から動かず、誰かが持ち込んできた謎を、話だけを頼りにその場で解明するというのが安楽椅子探偵の定型である。実際に安楽椅子に座っているわけではないのだけど、象徴としてこの言葉が使われている。代表的なものとしてはマシュー・フィリップス・シールの「プリンス・ザレツキー」、バロネス・オルツィの「隅の老人」、ジェフリー・ディーヴァーの「リンカーン・ライム」、アガサ・クリスティの「ミス・マープル」(このシリーズすべてが安楽椅子探偵ものではないけれど)、そして日本でも鮎川哲也の「三番館」、都筑道夫の「退職刑事」、北村薫の「円紫さんと私」、東川篤哉の「謎解きはディナーのあとで」など、名作が多い。その中でも質量ともに代表的なシリーズが、この「黒後家蜘蛛の会」なのである。
月に一度、ミラノ・レストランで会食をする六人の男たち。彼らはこの集まりを〈黒後家蜘蛛の会〉と称し、会員あるいは招かれたゲストが語る謎について侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を展開する。しかし最後に真相を突き止めるのは決まって、彼らの話を静かに聞いているレストランの給仕ヘンリーだった――というのが、このシリーズに一貫する物語の流れだ。
その謎も、ときには殺人や犯罪に絡むものもあるが、多くは日常に起きる、でも放置しておくには気がかりなものばかりだ。それに対して黒後家蜘蛛の会の面々は知識と見識と話術を駆使して自説を披露する。しかしどれも決定打とは言えず議論が行き詰まりとなったところで、それまで料理や酒を供しながら話を聞いていたヘンリーが「ひと言、よろしゅうございますか、皆さま」と言葉を発する。そこから先は彼の独擅場(どくせんじょう)となる。皆の盲点を突く発想で混迷を晴らし、思いもよらない真相に辿り着くのだ。そして称賛する黒後家蜘蛛の会の面々に向かって、彼は控え目に言う。「皆さまそれぞれに違う筋道を辿られました。わたくしはただ、残った道を行ってみただけのことでございます」
アシモフはこの巻のまえがきで、本シリーズの成立過程について説明している。それによると第一作である「会心の笑い」を書いた後「一つ書くと、もう私は止められなくなった。私は立て続けに〈ブラック・ウィドワーズ〉ものを書き、一年そこそこの間に仕上げた八本を残らずEQMMに発表した」とある。これだけ読むと、あたかも最初からシリーズ化を目論んで書き始めたかのような印象を受ける。しかし三巻のまえがきを読むと、その印象はいささか違ってくる。
「私は一作こっきりのつもりだった。ところが、エラリー・クイーンことフレデリック・ダネイは〈新シリーズ登場〉と銘打ってこれを発表した。そこで私は二作目を書き、次いで三作目をものした」
以後の巻でもアシモフはダネイの提案で「黒後家蜘蛛の会」をシリーズ化したと書いている。
どちらが正しいかは、「会心の笑い」を読めば明白だ。この短編はシリーズ化など意識していない、これひとつで完結したものだからだ。本作でもヘンリーは最後に謎の答えを明かすが、その意味合いは二作目以降とはまるで違う。彼は最初から答えを知っていたのだ。
独立した短編としても「会心の笑い」は優れた完成度を持っている。もしもこの後に続編が書かれなかったとしても、この作品は珠玉のミステリ短編として歴史に名を残しただろう。
しかしクイーンが続きを書かせようとしたのも理解できる。「黒後家蜘蛛の会」という設定はあまりにも魅力的だし、まだこれからもこの会を舞台にした作品が生み出される可能性を感じさせるものだったからだ。多分アシモフ自身も「これ、いけるかも」と思ったに違いない。
しかし一度完結した作品をシリーズ化するには、それなりの再構築(リストラクチャリング)が必要となる。ではアシモフは何をしたか。それはヘンリーを名探偵として昇格させることだった。
前述したように「会心の笑い」でのヘンリーは答えを提供しただけで、推理によって謎解きをしたわけではない。だが第二作の「贋物(Phony)のPh」でのヘンリーの振る舞いは、明らかに名探偵のそれだ。そしてこの件で会員たちの信頼を得た彼は、以後の作品で当たり前のように推理を披露し謎を解き明かす役割を果たす。
このパターンは最後まで変わらなかった。舞台はミラノ・レストラン。登場するのは会員たちとヘンリー、そして招かれたゲストのみ。このシリーズは第三作の「実を言えば」以降、ほぼ同じパターンで六十六作まで書かれた。
あからさまに言えば、三作目以降はマンネリズムに陥っている。それを良しとしない読者もいるだろう。しかしこのシリーズの愛読者は、このワンパターンな展開こそを楽しんでいるのだ。会食中の会員たちの博識な、しかし雑駁(ざっぱく)でもある会話。供されるさまざまな料理――もう少し美味(おい)しそうに描写してくれてもいいのになあと思わないでもないが――と酒。そして議論が煮詰まった頃合を見計らったように発言するヘンリー。こうした「お約束」を何度でも楽しめるのがこのシリーズの妙味である。リアルタイムで読んでいた読者は馴染みの酒を味わうように「黒後家蜘蛛の会」の新作を待ちわびていただろう。僕がそうであったように。
これなら書くのも簡単そうだ、と思われた方もいるかもしれない。だっていつも同じパターンなんだもの。何か新しいネタさえ思いつけば、あとはすらすら書けるだろうし、と。
いやいやいや、事はそう簡単でない。実作者として断言する。同じパターンのものを書きつづけるというのは本当に大変なことなのだ。
まず、そのパターンに当てはまるアイディアを創出しなければならない。これが結構難しいのだ。尻取りで同じ音で始まる言葉を何度も言わされたときのことを思い出してほしい。これはきついですよ。
アシモフは各作品に付したあとがきで作品の発想の元となったエピソードなどを明かしているが、これを読むと彼が常日頃「黒後家蜘蛛の会」のネタとなるものを鵜の目鷹の目で探していたことが窺える。多作で知られている彼でさえ、産みの苦しみは味わっていたのだ。
そしてもうひとつ、ワンパターンな作品を書き続けていくときにハードルとなるものがある。作者自身が書くことに苦痛を覚えてしまうことだ。
同じことを繰り返すのは、結構な苦行なのだ。場を固定すると、その場を描写する言葉も限られる。何度も同じ描写はできない。
会話も同じだ、いつも同じ人間だけが出てくる話だと、もしかしたらこのやりとりは前にも書いているかも、と疑わしくなってくる。
さらに問題なのは、とっくに読者は飽きているのではないかと不安になってくることだ。読んでいるのは編集者と校閲者だけ、掲載しても読者は眼も通さない。そんなことになっているのではと疑心暗鬼に駆られてくる。
だから、作家は同じものを書くのが難しい。シリーズものであっても、何か変化を付けたくなる。登場人物を入れ換えたり、舞台を変えたり、趣向を凝らしたくなるのだ。事実、他の安楽椅子探偵ものでも作品が書き続けられると、探偵役が定位置を離れて自ら行動する話が書かれることが少なからずある。
それをあえてせず、最後まで同じものを書き続けたアシモフは、「黒後家蜘蛛の会」に対して相当の自信を持っていたのではないだろうか。もちろん読者にも絶対の信頼を置いていた。だからこそ、こんなにも長く、クオリティを保つことができたのだと思う。
名作たる所以(ゆえん)が、ここにある。
【Webミステリーズ!編集部付記】本稿は創元推理文庫『黒後家蜘蛛の会1』解説の転載です。
■ 太田忠司(おおた・ただし)
1959年愛知県生まれ。名古屋工業大学卒業。81年、「帰郷」が「星新一ショートショート・コンテスト」で優秀作に選ばれる。『僕の殺人』以下の〈殺人三部作〉などで新本格の旗手として活躍。2004年発表の『黄金蝶ひとり』で第21回うつのみやこども賞受賞。『刑事失格』に始まる〈阿南〉シリーズほか、〈狩野俊介〉〈探偵・藤森涼子〉〈ミステリなふたり〉〈目白台サイドキック〉など多くのシリーズ作品を執筆。その他『奇談蒐集家』『星町の物語』『幻影のマイコ』など著作多数。
(2018年4月6日)
【2009年3月以前の「本の話題」はこちらからご覧ください】
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