映画の大ヒットのために、人が殺される?
お洒落なユーモア・ミステリ。
イーライ・マークス・ミステリ・シリーズの第二弾、The Bullet Catch の全訳をおとどけします。
そう、本作はシリーズ第二弾です。でも、だいじょうぶ。この作品からお読みいただいて、まったく問題ありません。物語のなかで主人公のイーライ・マークスが、前作での出来事をさりげなく説明してくれます。マジシャンという職業柄か、イーライは話上手。本書が第二弾であることなどまったく意識せずに、お楽しみいただけるはずです。
三十代前半のマジシャン、イーライはミネソタ州のミネアポリスで暮らしています。その住まいは、おじさんが経営するマジックショップの三階。ガールフレンドのミーガンとはただいま“お休み期間”中で、それだけでも冴えないのに、今イーライは深刻な高所恐怖症に悩まされています。
そんな彼のもとに、ハイスクール時代の友人である俳優のジェークが訪ねてきたところから、お話は始まります。映画撮影のために街にやってきたというジェークですが、彼が演じるのは、かつて“外套の奇術師”として知られていたテリー・アレクサンダーの役。テリーは有名なマジシャンでしたが、テレビで再三マジックの種明かしをしたためにマジック界から事実上の締め出しをくらい、ついには遠い地の巡業サーカスの舞台でパフォーマンス中に命を落としました。
そのときの出し物がブレットキャッチ。アシスタント役に選ばれた観客が撃った弾を、マジシャンが口でキャッチするという危険なマジックです。テリーの死は単なる事故だったのか、あるいは仕組まれた殺人だったのか? 殺人だったとしたら、犯人は誰なのか? その謎は、今もなお解きあかされていません。
ジェークが主演を務める映画は、テリーの死の謎をのぞけば評判になる要素は皆無という、低予算のインディーズ映画です。それでも、もし主演俳優が撮影中に――しかもブレットキャッチの場面でテリー・アレクサンダー同様――命を落としたら、大ヒットまちがいなし。ジェークは、そんな殺人計画があるような気がして不安でたまらず、イーライに助けを求めにやってきたのです。マジックのアドバイザーとして撮影現場で働くことを引き受けたイーライですが、部外者の目から見ても、そこには無視できない不穏な空気がただよっています。
そうしたなかで、イーライとジェークはハイスクールの同窓会に出席します。イーライはその会場で、かつて熱をあげていた学園祭の女王、トリッシュに再会するのですが、なんと彼女は当時から“避けるべき人間”でしかなかったクラスメイトのディランと結婚していました。しかも、そのディランが同窓会の翌朝、死体で発見されるのです。そして、それを機に次々と不可解な出来事が起こりはじめます。
事件の担当は、イーライの前妻であるデアドレ・サットン‐ハットン地方検事補と、その夫のフレッド・ハットン殺人課刑事。イーライは高所恐怖症に苦しみながらも、マジシャンならではの発想と勘と知恵を駆使して、トリッシュのために事件の真相を追い、ジェークを護るべく動きだすのですが……。
今回はマジックにくわえ、洒落た映画の話が盛りだくさん。著者のジョン・ガスパードが低予算長編映画の制作者でもあるため、撮影現場の描写などはかなりリアルです。
そして、ハリー・ライムと名乗る謎の老人も登場します。ハリー・ライムといえば、映画〈第三の男〉でオーソン・ウェルズが演じた人物です。本作のミスター・ライム曰く、映画のなかのハリー・ライムは“魅惑的だが不道徳な男”。彼のテーマ曲は某ビール会社のCMに使われていて、JR恵比寿駅でも電車の発着時に流されているのでご存じの方も多いのではないでしょうか。まわりの人間を映画の登場人物にたとえて呼び、名画の台詞を口にする謎の老人、ミスター・ライム。その映画は〈カサブランカ〉〈深夜の告白〉〈第三の男〉……と、名作ばかり。彼の映画絡みの謎めいた言葉に、映画好きのイーライが見事に応えてくれます。
このミスター・ライムも含め、今回も味わい深い人物がおおぜい登場します。なかでもイーライのおじさんであるハリーをはじめとする老齢のマジシャンたちは、ほんとうに魅力的です。それに、超能力者のフラニー。ひと癖もふた癖もある彼らの言動に、思わずにやりとせずにはいられません。エードリアンズの奥のテーブルを囲んで軽口を叩きあうミネアポリス・ミスティックス(別名、器用な変わり者クラブ)の面々が――そして、ご馳走のテーブルの前に立つ小柄なフラニーが――次に何を言ってくれるのか楽しみでたまりません。
そして、もちろんマジック。イーライがミスター・ライムを前に披露するマジックも含め、パフォーマンス・シーンがあざやかに描かれています。奇をてらった派手な演出はいっさいなし。その品格あるパフォーマンスが、見えるようです。
そうした楽しい要素にくわえ、本作では全編をとおしてイーライが高所恐怖症と必死で闘っていて、それが物語の軸になっています。高所に対する恐怖は、多かれ少なかれほとんどの人間が持っているものですが、それが高じると生活に支障をきたすほどにもなるようです。イーライの高所恐怖症は、高いところに立つと柵を乗りこえて飛びおりてしまいそうになるというのですから深刻です。どうやらこれは高所恐怖症に強迫性障害があわさった症状のよう。その恐怖は、たいへんなものにちがいありません。
影響を受けた作家を三人教えてくださいという質問に、ローレンス・ブロックとディック・フランシスとロバート・ベンチリーの名をあげている著者ジョン・ガスパード。
なかでもローレンス・ブロックの泥棒バーニィ・シリーズは、本シリーズに大きな影響を与えているそうです。そして、ディック・フランシスの競馬シリーズに登場する完璧でない主人公たちをヒントに、イーライ・マークスが誕生したとか。ユーモア作家のロバート・ベンチリーについては名文家と称え、そのあとに同じくユーモア作家のマックス・シュルマン、ピーター・デ・ヴリーズ、ジェームズ・サーバーの名もあげています。
低予算映画の制作に関する本をのぞけば、ジョン・ガスパードの著書はこのシリーズのみで、現在五作目となるThe Linking Rings(仮題)を執筆中とのこと。既に刊行になっている作品は次のとおりです。
The Ambitious Card(二〇一三年八月)『マジシャンは騙りを破る』(二〇一五年十二月 東京創元社)
The Bullet Catch(二〇一四年十一月)本書『秘密だらけの危険なトリック』
The Miser's Dream(二〇一五年十月)
The Invisible Assistant(二〇一六年九月) 短編
精力的に本シリーズを書きつづけるジョン・ガスパード。すてきな登場人物の今後が楽しみです。
本書の訳出にあたっては、多くの方々にご助力をいただきました。最後にこの場をお借りして、心よりお礼を申しあげたいと思います。
二〇一七年一月
(2017年2月20日)
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