北欧ミステリの新女王登場!

久山葉子 youko KUYAMA


 こんなに引きこまれるミステリは久しぶりに読んだ! それが、本書を読みおわった直後の率直な感想だった。本作『海岸の女たち』(二〇〇九年、原題Kvinnorna på stranden)は著者トーヴェ・アルステルダール(Tove Alsterdal)のデビュー作。読んだきっかけは「あまりに素晴らしいのでぜひ読んでみて」というエージェントの強い勧めだった。
 タイトルのとおり、ある海岸から物語がスタートする。
 そこは、サーファー客でにぎわうスペインの観光地タリファ。夜にはジブラルタル海峡の向こうにモロッコのタンジェの明かりが見えるほどアフリカ大陸に近く、アフリカ人にとってはヨーロッパの玄関口的存在だ。そのため、大勢の不法移民が小さなボートで海峡を渡ってくる。その夜も、タリファの港に姿を現した女性がいた。脚に怪我をしているが、裸足のまま怯えながら歩いていく。
 この町に滞在しているのが、二十歳の若いスウェーデン人女性。とびきりハンサムなサーファーといい感じになり、海岸でゆきずりの情事を楽しむが、目が覚めたときには砂浜に一人残されていた。パスポートと現金がなくなっている。困惑してふらふらと水ぎわを歩いているうちに……。
 そしてニューヨークに住む主人公のアリーが登場する。チェコスロバキア生まれだが、幼いころに母親に連れられてアメリカにやってきた。今は最愛の夫パトリックと暮らし、ブロードウェイの舞台美術家として評価を得つつある。待望の妊娠をしたことに気づいたアリーだが、フリーランスのジャーナリストである夫は取材のためにパリに渡ったきり連絡がとれなくなっていた。自分は夫に捨てられたのだろうか? 正義感の強い夫は危険を顧みずに危ない取材をしていた可能性もある。心配するアリーの元へ、パリの消印のついた封筒が届く。そこには謎の写真の入ったディスクと夫の手帳が入っていた。夫の身に何かあったのだろうか。アリーは失踪した夫の足取りを追うためにパリへと旅立つのだった。
 この作品は日本を含めた十六ヵ国で翻訳され、特にフランスでは多くの読者を獲得し、二〇一四年のレ・ザンクル・ノワール賞、二〇一三年のル・バレ・ドール賞の候補にもなった。スウェーデンでは、大手タブロイド紙〈エクスプレッセン〉にこう評されたほどだ。“今年最高の推理小説。ごめんね、ラーシュ・ケプレル、でも実際そうなんだ”。イギリスではテレビドラマの制作が進んでいるところだ。

本作誕生のきっかけ

 スウェーデンで開催されているミステリ・フェスティバルで、著者から本作誕生のきっかけを伺う機会があった。
 小さな海辺の観光地タリファから始まる物語だが、アリーが真相を追ううちに物語は異国情緒漂うヨーロッパの都市や華やかなリゾート地までダイナミックに展開していく。一方で、スウェーデンミステリなのにスウェーデンはほとんど出てこない。そういう意味では異例の作品である。しかし、社会問題を深く掘り下げているという点では、これぞスウェーデンミステリといった作品である。本作で大きく扱われているのは、貧困から逃れるために危険を承知でヨーロッパへ渡ってくるアフリカからの不法移民の問題だ(この作品は二〇〇九年刊行で、二〇一一年以降シリア難民が増加する前の話である)。不法移民というと、お金を稼ぐために好きこのんでやってくるというイメージがあるかもしれないが、本作を読むうちに、ヨーロッパ社会の闇が受け皿となり不法移民を搾取しているという現実を知ることになる。
 実際のところ、そもそもヨーロッパにたどり着く前に、密航船が沈没して何百人もの人々が亡くなっている。前回の事故では百人死亡、今回の沈没では三百人というふうに。平和な国に暮らす人々の多くは、ざっくりした数字にまとめられたニュースをたびたび耳にするうちに感覚が麻痺していく。海に消えた人の命も、自分の大切な家族の命も、その重さは同じはずなのに。現実を直視させられた瞬間があるとすれば、二〇一五年にトルコの海岸に打ちあげられた三歳のクルド人の男の子の遺体の写真を見たときだろうか。戦争で故郷を失い、新天地を目指す中で命を落とした幼い子供の姿に、世界中が衝撃を受けた。
 かつてニュースのレポーターをしていた著者アルステルダールは、地中海で溺れて亡くなるアフリカ人のニュースを現地から報道していたが、その深刻さがスウェーデンの視聴者にきちんと伝わっているという実感がもてなかったそうだ。そのうちに、たった二分間のニュース報道ではなく、このことをもっとじっくり伝えたいと思うようになった。これほど大勢の人が地中海で命を落としているというのに、それが黒人だからというだけで、誰もさほど気に留めない。そんな不条理を知ってもらいたくて、人々の運命が交錯する海岸を舞台に小説を書きはじめたのだという。

著者トーヴェ・アルステルダールについて

 新人の作品とは思えないほどの完成度を誇る本作だが、それもそのはず、アルステルダールは映画や演劇のシナリオライターとして二十五年の経験をもつかたわら、リザ・マークルンドの編集者も務めてきた。マークルンドは大ヒット作『爆殺魔』(講談社文庫)や『ノーベルの遺志』(創元推理文庫)が三十ヵ国以上で翻訳されている、スウェーデンの元祖ミステリの女王である。そのマークルンドとはジャーナリズムを専攻していた学生時代からの親友で、彼女の原稿を誰よりも先に読み、アドバイスを与えてきたのがアルステルダールだった。マークルンドの作品を読むと、献辞に必ず彼女の名が挙がっている。
 トーヴェ・アルステルダールの作品には確固たるテーマがあり、一作で完結するという潔さがある。そこには、書き手の自信がはっきりと表れている。「わたしにとってはキャラクターよりも、物語が生まれる場所が重要なの」と断言するアルステルダールは、今までシリーズものを書こうと思ったことはないそうだ。本作以降も着々とノンシリーズの作品を発表し続け、着実に評価を得ている。ファン待望の二作目I tystnaden begravd静寂の中で埋められて、二〇一二年刊)は、受賞を逃したがスウェーデン推理小説アカデミーの最優秀ミステリ賞の候補になり、二〇一四年には三作目Låt mig ta din handあなたの手をとらせて)で見事最優秀ミステリ賞に輝いた。二〇一六年には四作目のVänd diginte om振りかえらないで)も刊行され、人気ミステリ作家としての地位を確立している。
 二作目I tystnaden begravd は、インターナショナルな本作とはうって変わって、北極圏ラップランドの小さな村キヴィカンガスが舞台だ。トルネ川を隔てた向こうはフィンランド。失業率の高かった三〇年代初期には、このあたりから多くの若者が共産主義の理想に燃えてソ連へと亡命したという。ストックホルムに住む主人公のカタリーナは、施設に入った母親の家を片付けているうちに、母親の故郷キヴィカンガスの実家を破格の値段で買いたいという不動産屋からの手紙を発見する。小さな村では、ある老人が殺されたばかりだった。かつて彗星のように現れた天才スキーヤーで、五十二年のオスロ・オリンピックでは期待の星だったが、なぜかオリンピック会場に現れることなく、スウェーデンじゅうの顰蹙をかう。それ以来、この村で何かに怯えるようにひっそりと暮らしてきた男だった……。
 アルステルダールの作品は、謎を追いかける旅と同時進行で主人公が自分のルーツを探る旅をするのが特徴だ。本作の主人公アリーも、理想とはほど遠い生い立ちから逃避しながら生きてきたが、妊娠し、親になる心構えができたとき、自分の過去と向き合いはじめた。二作目の主人公も父親や祖父を知らずに育ったが、キヴィカンガスに赴いて自分のルーツを調べはじめる。ラップランドの川の流域というのは実はアルステルダールの母親の出身地で、この作品はアルステルダール自身のルーツをたどる旅にもなったという。スウェーデンでは今、自分の祖先について調べたり家系図を作ったりするのがちょっとした流行になっているが、自らのルーツというのは魅力的なミステリなのかもしれない。そこに潜むドラマを、見事な展開とともに物語へと仕上げていくアルステルダールの作品をこれからも愛読していきたいと思う。
 最後に、本作を翻訳するにあたり多大なお力添えをいただいた編集の桑野崇さんをはじめ、東京創元社の皆さまに心よりお礼を申し上げます。

 二〇一七年三月