〈週刊文春〉2001年傑作ミステリーベスト10第1位!
超人気警察小説シリーズ、圧巻の第3作!
下品なジョークを心の糧に
雨にも負けず風邪にも負けず
名物警部フロストは、今夜も大奮闘!
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フロストならどうする? 霞流一
フロスト警部シリーズの魅力について語るならば、それはひとえにフロスト自身の魅力にスポットを当てることになるだろう。
だが、そいつが実は難しい。フロストという男を解剖しようにも矛盾と屈折に満ちた骨格にからまれるばかりなのだ。どうしよう。こういう時はフロスト流に行くしかない。行き当たりばったりに、「俺の直感がそう言っている」と口走りながら。
不眠不休、現場百回、本当によく働く。
フロスト警部のことである。
勤務態度最低、事務処理能力無し、お下劣きわまりない悪口雑言。
フロスト警部のことである。
よく働くけど、お下劣な刑事、こんな相反する要素が奇跡的にも同居しているのがフロストという男のキャラクターである。ものすごく大雑把(おおざっぱ)に、極端な比喩を許してもらうとするならば、
「メグレ×ドーヴァー」
これがフロストの刑事像である。どんなに無茶苦茶なことを言っているかお解(わか)りいただけるだろうか? 両者ともミステリ史上に輝く名探偵(もっとも、後者は迷探偵である)。しかし、あまりにも違いすぎる。黄金バットと金粉ショーくらい違う。
かたやメグレといえば、パリ警視庁の名警部で骨惜しみしない足を使った捜査と、明敏な洞察力によって容疑者の心理の奥底に肉薄していく人間力(マンパワー)に満ちた男。当然、同僚からの信頼も厚く、また、数多くの事件を解決しており、シリーズ作品は百以上にものぼる。日本でもかつて全集が出たほどである。
他方、ドーヴァーといえば、史上最低の探偵という売り文句で、ジョイス・ポーター女史の手により誕生してしまった鬼っ子刑事。とにかく、労働意欲を欠き、捜査はいい加減で、その場の思い付きだけで行動し、加えて、性格も悪く、野卑な罵詈雑言やら下品な冗談を吐き散らして周囲を不快にさせている。当然、署内での評判は最悪である。
さて、メグレとドーヴァー、この両極端のキャラクターが二重人格ではなく一個の人間の中に離れがたく有機的に泰然とあぐらをかくようにしっかり存在しているのがフロスト警部なのである。不思議だ……。
デントン警察署の劣悪なる労働状況下でフロストはろくに睡眠も取らずに捜査にいそしんでいる。それも直感と、あまり役に立つとは思えない経験則に従って……。振り回される部下たちはたまったものじゃない。毎回、新任の刑事がフロストの下に付けられるが、今回も犠牲者が出て家庭崩壊の危機にまでさらされる。そして、フロストは絶えず下劣なジョーク、残虐な悪口などを連発しまくっているのだ。その中には、まるで、幼稚園児なみのシモネタも含まれることがしばしば。
こうした、無軌道でラディカルな言動に私は何度、笑わせられたか解らないほどである。ちなみに今回、編集部からいただいたゲラ刷りを読みつつ、笑った箇所に付箋を貼っていったのだが、あまりに多すぎて、束ねていたゲラが広がり、大阪のお笑い芸人がよく使うハリセンのような形になってしまった。
笑い、という点に限ってはドーヴァー警部が相当な成果を上げており、フロストは二代目ドーヴァー襲名シャンシャンかと一瞬だけ思わせるが、一方、捜査に対する労力の傾注度とその実績という点においては、途端にメグレ側にフロストの針は大きく振れてしまうのである。それでも、もちろん、言動の大部分はドーヴァー性を発揮し読者を爆笑の渦に巻き込みながらも、メグレばりに殺害現場に容疑者のもとに昼夜問わず足を運んで精力的に捜査に邁進(まいしん)するのだ。
想像して欲しい。ドーヴァー警部が昼夜問わず真摯(しんし)に捜査に励んでいる姿を。
想像して欲しい。メグレ警部が下品なシモネタジョークを連発したり、同僚の尻に指で「浣腸!」なんてしている姿を。
ちょっと想像できまい。しかし、本編のフロストは両者とも堂々と具現しているのだ。不思議だ。奇跡だ。そう、ここにミステリが存在するのである。
ドーヴァー×メグレ、この大雑把な方程式だけでは表現しきれない部分にミステリがあるわけだ。そのミステリこそ、フロストの造形である。
フロストそのものがミステリなのである。これが本シリーズの核。
話はちょっと飛ぶが(俺の直感がそう言っている)、最近、『ワイルダーならどうする?』(キャメロン・クロウ/キネマ旬報社)という映画関連の本が刊行された。お察しの通り、名匠・ビリー・ワイルダー監督についてのもの。インタビュー形式の構成になっており、数々の質問に監督が解答を披露し、長年、疑問に感じていたシーンから紗幕が落ちたような気分にさせてくれる名著である。シチュエーション・コメディの中でどうすればもっと笑いを引き出せるか? 異様な設定を相手に、ギャグやユーモアを引き出してくるその熟慮の過程や難問を突破したアイデアのきっかけなど舞台裏を明かしてくれるわけである。ある種、ハウダニットのミステリを読んだ感慨も湧いてくる。ワイルダーならどうする? ワイルダーがミステリだったわけだ。
すると、こうなる。
「フロストならどうする?」
これが本シリーズの「ミステリどころ」なのである。フーダニット、ハウダニットならぬ、「フロストダニット」とでも呼ばせてもらう(俺の直感がそう言っている)。
ヨレヨレのコートとぼろ雑巾(ぞうきん)を絞ったような茶色いマフラーがトレードマークのフロスト警部。彼に降りかかる数々のトラブル。複数の事件が同時進行的に描かれるモジュラー形式が本シリーズの特徴であるが、今回もその趣向が巧みに生かされている。いずれの事件も直接的に間接的に、何らかの形でフロストに関わるようにストーリーが紡ぎだされていく。「俺の直感がそう言っている」と口走りながら行き当たりばったりの捜査を突き進めては壁にぶちあたり、仮説を撤回する行程が幾度も繰り返される。しかも、これが一つの事件だけではなく、複数にまたがり行なわれているのだから目まぐるしい。本格推理小説の黄金時代の名作に『毒入りチョコレート事件』(アントニイ・バークリー/創元推理文庫)、『三人の名探偵のための事件』(レオ・ブルース/新樹社)など、また現代では『キドリントンから消えた娘』(コリン・デクスター/ハヤカワ・ミステリ文庫)といった多重解決ものがあるが、本編はそれらをギャグめいたタッチで彷彿(ほうふつ)とさせてくれる。フロストは多重解決の名手なのであった。それも艱難辛苦(かんなんしんく)の頭脳プレイの成果というより、フロストのキャラクターが為せる業(わざ)である。全身探偵、とでもいおうか。いや、全身ミステリか、ともあれ、やはりフロストその人が生けるミステリであることは間違いない(俺の直感がそう言っている)。
それにしても、直感的捜査と失敗の繰り返しについては、実はフロストは確信犯なのではという気がしている(俺の直感がそう言っている)。またしても、話が飛ぶが日本の実在の刑事、昭和の名刑事と謳(うた)われた平塚八兵衛氏は、昭和四十三年に起きた「三億円強奪事件」の捜査に途中から参加したのだが、極秘の有力な手掛かりを某新聞にリークしたことがあったらしい。こんな事は後にも先にも一度きりだった。結果、その記事はスクープとなり列島に衝撃が走ったが、それがきっかけで新たな証人が登場し、問題の手掛かりが指す重要容疑者がシロであることが判明してしまった。その捜査の線が潰れたわけだ。しかし、後に、平塚八兵衛は事を明らかにするためにわざとリークし失敗の汚辱を飲んだ、という説が噂された。今ではもう霧の中であるが……。
フロストは転んでも只(ただ)では起きない。それどころか、「只ではない」ことを得るために転んでみる。そう、平塚八兵衛の取った行動と重なるようにも思えるのだ。フロストの場合、それの連続技で、転んで転んで転んで「只ではない」ことを貯蓄しながら、やがて、いつのまにか解決へと到達している。
「フロストならどうする?」
まぎれもない探偵の物語であり、まぎれもないミステリのプロットである。
今回の場合は、特にハードな状況がフロストを包囲する。折も折、流行性感冒が町を席巻し、署の刑事たちのあらかたが欠勤している。そこに、まるで天が残虐な悪戯(いたずら)を仕掛けたかのように、次々と凄惨、不可解、珍奇なる数々の事件が町じゅうに同時発生するのである。風邪を引かないのはフロストがバカだからか、それは別として、数少ない同僚らと予想不可能の捜査を展開していくのだ。フロストならどうする? 事件はどうなる? 天敵のマレット署長のフロストへの追撃もよりシビアになっていく。この災いの包囲網をフロストはどう突破するか? ミステリが深まっていく。
おまけに、ラストでは、スタント無しでフロストが危険なアクション・シーンを披露してくれる。お楽しみに。
さて、本シリーズの前二作『クリスマスのフロスト』『フロスト日和』は、いずれも何らかの年間ミステリ・ベスト10で1位に輝いている。だけど、私は、密度とケレンと厚さも含めて、本作品の方が面白かったとだけ感想を述べておく。そう、最高傑作ということ、今のところ(俺の直感がそう言っている)。
《ジャック・フロスト警部シリーズ作品リスト》
●長編
1 Frost at Christmas 1984 『クリスマスのフロスト』創元推理文庫
2 A Touch of Frost 1987 『フロスト日和』創元推理文庫
3 Night Frost 1992 『夜のフロスト』創元推理文庫
4 Hard Frost 1995 『フロスト気質(かたぎ)』創元推理文庫
5 Winter Frost 1999 『冬のフロスト』創元推理文庫
6 A Killing Frost 2008 『フロスト始末』創元推理文庫近刊
●短編
1 Just the Fax(マイク・リプリー編のアンソロジー Fresh Blood II 1997 に収録)「ファックスで失礼」(〈ミステリマガジン〉98年6月号/〈ミステリーズ!〉vol.82)
2 Early Morning Frost(Daily Mail, 2001/12/22,24,26)「夜明けのフロスト」(〈ジャーロ〉2005年冬号/『夜明けのフロスト』光文社文庫)
【編集部付記】R・D・ウィングフィールドは2007年7月31日に逝去しました。享年79。
【Webミステリーズ!編集部付記】本稿は創元推理文庫『夜のフロスト』解説の転載です。
(2017年6月6日)
【2009年3月以前の「本の話題」はこちらからご覧ください】
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