多くの名士を招待しアメリカ大陸を東西に横断する夢の特急トランスコンチネンタル号に、ロード警部補は警護の密命をうけて乗り込んでいました。プール車まで付いた豪奢(ごうしゃ)な特急列車が出発した夜、そのプールの底に銀行頭取の死体が沈んでいるのが見つかってしまいます。調査をすすめるロードに、招待客の心理学者たちが次々に心理学的な分析をはじめて……。
表題作の原書入手から訳書刊行にいたる経緯について鮎川自身が語る文章からは、英米黄金時代の本格ミステリを少しでも紹介したいという並々ならぬ熱意が感じられます。国書刊行会《世界探偵小説全集》で花開いた黄金時代再評価以降の世代からすると、鮎川が「海外にはすぐれた未知の本格作家、本格長編はまだまだいくらもあるからである」と締め括(くく)る言葉にはたいへん重みがあります。ただ肝心の作品が傑作かと言われると迫力に欠けるのは悩ましいところで、謎の解決よりは、心理学者たちの学派の違いによる分析手法のバリエーションの面白さのほうにキングの本領が発揮されているでしょうか。
バンコランとジェフ・マールは観劇のためロンドンを訪れ、元ロンドン警視庁の重鎮サー・ジョンと旧交を温めていました。ところがクラブのラウンジで不気味な絞首台の模型を見つけたのを契機に、奇怪な事件に巻き込まれてしまいます。観劇を終えた三人のもとに一台の自動車が突っ込んできますが、なんとか追いついたその自動車の運転手は喉を掻き切られており、あきらかにずっと前から死んでいて……。
絞首台をはじめとした不気味で鮮烈なヴィジュアル・イメージと、衝撃的な幕の下ろし方も含めた演出の巧(うま)さは流石(さすが)というほかありません。トリックの面白さを期待する話ではなく、怪奇小説にミステリ的な味付けがされたものだと思って読むのがよいのかなとは思いますが、不可解な状況にはそれなりの必然性が与えられていて勘所(かんどころ)はしっかり押さえられています。バンコランものの長篇ではあと『四つの兇器』が従来の訳で残っていますので、こちらも新訳版になることを期待しています。
言わずと知れた国産探偵小説のマスターピースですが、手軽に新刊入手できる文庫版があるいま、高価な単行本で復刊される肝(きも)はふたつあります。ひとつめは既存の版が初刊の単行本を底本としていたのに対し、今回の復刊では初出の《新青年》連載版をもとにしていること。ふたつめは、長年に亘って調査研究を続けてきた山口雄也(かつや)による小栗の手稿と照合した校訂がなされ、また脚注が補われていることです。後者は小栗が法水麟太郎(のりみずりんたろう)の衒学(げんがく)趣味の出典としたであろう文献などが細かく記されていて、これまでの版で読んできた方にとっては驚きの内容のはず。既存の版をお持ちの方の副読本としてもぜひおすすめしておきたい一冊です。
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■■大川正人(おおかわ・まさひと)
ミステリ研究家。1975年静岡県生まれ。東京工業大学大学院修了。共著書に『本格ミステリ・フラッシュバック』がある。
(2018年3月8日)
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