強い人には戦略がある
「無用の用」という言い回しがある。

 宋の人であかぎれ止めの薬をうまく作る者がいて、〔その薬を手につけて〕絹わたを水で晒すのを代々の家業としていたのです。ところが、一人の旅人がそれを聞いて薬の作り方を百金で買いたいといってきたので、親族を集めて相談をしました。「われわれは代々絹わたを晒す仕事をしてきたが、ただの五、六金が得られただけだ。ところが、たちまちにこの技術が百金に売れるのだから、これを譲ることにしたい。」旅人はその作り方を教えられると、それを呉王のもとで説明し〔て水上戦に利用することをすすめ〕ました。
 やがて越の国との戦争がおこったので呉王はこの男を将軍にとりたてて、冬の最中に越の軍隊と水上戦をまじえて越軍を大いにうち破った。〔越軍の方はあかぎれに悩まされてじゅうぶんな活動ができなかったからです。呉王は功績をたたえて〕国土を分割してこの男を大名にとりたてました。(岩波文庫版 「荘子 内篇」より)

 この荘子の一文は無用の用を説いたものである。なにも戦争で稼ぐ武器商人を持ち上げるためではない。無用だと思っていたものが、何かの折にたいそう役に立つことがある。視点や考え方の違いで結果が違ってくる。そういった趣旨である。

 囲碁でも視点や考え方(戦略)の違いで勝率が変わることがある。

 布石からしてそうなのだが、特に中盤に差し掛かると、囲うのか、それとも相手の腹中に侵入するのかの選択を迫られる局面がある。そんなときに形勢判断は必須で、勝っているのか負けているのか、そしてそれは何目か。囲って勝てるのか、打ちこまないと勝てないのか、それならば腹中に手はあるのか、死活やコウの手段を考える。

 それらには全て読みが介在するが、発想とか視点とかが重要になる。ここに打てば、相手はどう打ってくるのか、そして自分は次にどう打つのか。石がアタリになったら単純に逃げるというのでは、どうしようもない。逃げるのか、捨てるのかの判断も大切だ。

 それはどんな戦略をもって勝負しているのかということで、戦略がないのは論外だが、戦略のぶつかりあいが、囲碁というゲームの本質とも言える。一見何の意味もなさそうな手が、実はあとで効いてくることもある。強い人の考え(戦略)は深い。
(2018年2月23日)



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