●テラフォーミングと擬似テラフォーミング

宮内 テラフォーミングについては、「フルスクラッチで書いてみよう」という密かな野望がありました。つまり、既存の知識やアイデアを使わずにゼロから調べて書いてみようと。とはいえ、当然ひとりの手に負えるものではなく……。最終的には、ちゃんとしたテラフォーミングを描いているSFを読んで、「答え合わせ」をしました。

 出発点はフルスクラッチでやって、既存の作品で調整していった、と。

宮内 ですから、通常のテラフォーミングものと比べると、奇妙なものになっていると思います。キム・スタンリー・ロビンスンの『レッド・マーズ』などを読むと、わたしが一所懸命、3日くらいかけて考えたものが、当然のように1行で済まされていたりなどして、愕然としました(笑)。でも、ちょっと嬉しくもあるんです。「やった、合ってた」って(笑)。

 この作品では、本格的なテラフォーミングと並行して、擬似テラフォーミングもやっていますよね。これが非常に上手い。

宮内 作中の擬似テラフォーミングがどういうものかと言いますと、自己修復する高分子ポリマーの泡をいっぱい並べて、それをよくある硬質のドームに替えようというものです。これが、かろうじて自分でも住んでみてもいいと思える構造でした。
 じつはこの発想のもとは、荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』の第2部なんです。あそこに出てくるラスボスが、ある危機に陥って、最初はエビやカニのようなプロテクターを身につけるのですが、うまくいかず、泡状のプロテクターを身につける。これに、妙な説得力をわたしは感じまして。「そうだ、泡だ!」と(笑)。

●作品に埋め込まれたイメージの断片

 この泡の景観や構造が、実は精神疾患的なイメージとうまくつながっているんですね。作品中に、擬似テラフォーミングのドームは人間の脳の外側の組織だ、というふうな描写がさらっと出てくるんですが、宮内さんはこういった演出が実に上手です。
 SF作家って、もっとメタファーが露骨というか、「こういう意味を読みとってくださいよ」的な書き方になることが多いと思うんです。あるいは、まるっきりイメージを連想させる言葉を使わないで「これはみんな現実のことだ」と書くか。わりとみんなどちらかなんです。でも、小説の面白さって、リアルなものを描きながらべつなイメージを重ね合わせるとか、物語を走らせながら違ったモチーフをかぶせていくとか、そういうところにあると思うんですね。
 たとえば、京極夏彦さんの『狂骨の夢』は、事件が起きる家の敷地の、ちょうど真ん中あたりに切り通しが走っていて、その両側に家が配置されているんです。それが、上から見ると人間の右脳と左脳のように見える、というようなことが文中にさらっと書いてある。それ自体は、ストーリーとはあまり関係ないんだけど、イメージがすごく響きあうんですね。そんな風に、さりげなくイメージを散りばめられるひとって、SF作家には少ないんじゃないかと思います。
そういった辺りの着想はどういうところから得ているのでしょう。

宮内 『エクソダス症候群』で泡状のドームを人間の蜘蛛膜に喩えているのは、実は上田早夕里さんの『火星ダーク・バラード』を意識しています。そちらでは火星の上を走る道を心臓の血管に喩えていたのですが、今回は精神医学がテーマなので、これはもう脳しかないと。

 そうか、なるほどね。
 僕が面白いと思ったのは、そういった、じわじわと印象に刷り込まれていくイメージの数々です。最初のほうで、主人公のカズキが火星に戻ってきて最初に移民局で会う老人。彼は重要なキャラクターではないんだけど、実は出身地が……とか、火星の移民局で、役人が手を置いている書物が……とかね。ひとつひとつの描写はさりげないんだけど、だからこそ上手だなあと。
 あと、果物がモチーフとしてよく出てくるのにも何か理由があるのでしょうか。最初の一文が、「柑橘系の安物のコロンが香った」ですよね。それで、最後に林檎の木を新しい敷地に植える、という話があって、途中でもドライアプリコットの話が出てきて……。どれもちょっとずつ印象的なんです。

宮内 まずは、舞台がテラフォーミング中の火星なので、豊穣の象徴である果物のイメージを入れたかったのです。もうひとつは、高村光太郎の「レモン哀歌」という詩がありまして、精神を病んでしまった妻の智恵子がレモンの匂いをかいだ瞬間にふっと正気に返る、という内容なのですが、これが非常に印象的だったので、作中でも少し触れました。そういう事情もあって、柑橘系の香りを描写として所々に入れています。もちろん、林檎は聖書のエデンからのイメージです。

 果物もそうですし、先ほどの、擬似テラフォーミングのドームと蜘蛛膜もそうなのですが、注意深く読むと色んなイメージが随所に埋め込まれているんですよね。もちろん宮内さん自身が意図して仕掛けているのだと思いますが、なかには作品自体が宮内さんの気づかぬところで生み出しているものもあるかもしれない。

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宮内 今だから明かしてしまうと、前作『ヨハネスブルグの天使たち』の最後に、「北東京の子供たち」という日本を舞台にした話があって、あれには小説の一ブロックごとに必ず"青"という色が出てくるんです。ただ、最後から二つ目か三つ目のブロックには、その“青”のイメージが出てこない。代わりに逆光で黒く溶けた鳥が出てくるんですね。その鳥に“青”のイメージを託して、「幸せの青い鳥は日本にあったんだよ」というオチであったと、そういう仕掛けをしていたんです。……が、読んでくれた方の一人でも気づいていればいいほうかもしれない(笑)。
 実はわたし自身、メタファーをさほど重視していないのです。作者が選ぶもろもろの素材が有機的に組み合わさって、結果としてメタファーとして機能すれば一番いいのではないかと思うのです。が、こういった仕掛けもないではないので、深読みをしてもらえることは、とても嬉しいです。

 宮内さんの場合は、イメージの断片みたいなものが浮いている感じですよね。それを、読んだひとそれぞれが、深く読んでいって、「こういうのを見つけたよ」と話しあったりすると面白いですね。

宮内 読み方は、ばらばらであればあるほど嬉しいです。情報インフラが発達した結果、どうしても一つの読み方、一つの解釈、言ってみれば一つの「正解」へ収束していく傾向があると思うのですが、作者としては、好きに読んでいただきたいのです。




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