2015年7月4日、SF作家・宮内悠介さんの初長編『エクソダス症候群』の刊行を記念して、著者の宮内先生と、SF研究家・文芸評論家の牧眞司先生によるトークイベントが、紀伊國屋書店新宿本店で開催されました。お二方には、『エクソダス症候群』の刊行に至るまでの経緯や、作品の読みどころについて語っていただきました。
●六カ国を渡ったゲラ
牧 宮内さん初の長編となる『エクソダス症候群』ですが、一時はどうなることかと心配しました。出るのを楽しみに待っていたところ、宮内さんが中央アジアを旅行中だとご本人のTwitterで知って、びっくり。「本もまだ出ていないのに、宮内さん自身がエクソダスしてどうするんだ」(笑)。どうしてアジアに行かれたんですか?
宮内 目的は、つぎに予定している連載の取材です。前々から行ってみたかった土地でして、だから自分の楽しみもというのもあります。私はどうも、時折エクソダスしないと文章がよくならない病気にかかっているようで(笑)。ようやく『エクソダス症候群』がまとまる目処がたった頃に、担当編集者さんに「かくかくしかじかで、ゲラ作業は電子ベースでやらせてもらえませんか」とわがままを言って、行かせてもらった次第です。
ところが、出発までに最終稿がまとまらず、最終稿も海外からお送りするという事態に(笑)。
牧 最終的にゲラをすべて戻したのはいつごろだったんですか? そもそもメールのやりとりなど、通信事情は問題なかった?
宮内 国によってまちまちでしたので、要所要所でデータローミング(注:国外の通信会社のネットワークを利用すること)などもしながらゲラをやりとりしていました。
『エクソダス症候群』のゲラは、今回はなんと六カ国をわたりまして。東京から始まり、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、そしてトランジットで寄ったソウルで再校を戻しました。
牧 すごい。もう旅行中ずっとやっていた感じですね。
宮内さんは昔から、旅へ出る欲求がよく湧く性格だったのでしょうか。
宮内 最初に旅に出たのは、2001年です。大学を出たあと外国に行きたいと思って、アルバイトや麻雀でお金を貯め、南アジアやインド、アフガニスタン辺りを見て回りました。
牧 『エクソダス症候群』は実際にはない病ですが、その設定は宮内さんご自身の旅に出たい気持ちから生まれたものなんですか?
宮内 もちろん、わたし自身が旅が好きであることともつながっています。海外の危険地帯に赴いて人質になってしまったひとに、どうしても共感してしまう面もあったりしまして……。こうした心性について考えるうちに、自然と出てきたものでもあります。
架空の病にしたのは、一つには、宇宙時代のメンタルヘルスとは何かと問い立てしたことと、それから、現実にさまざまな疾患を抱えて苦しんでいるひとたちがいるなか、おかしなことを書くわけにはいかないと思ったからです。「エクソダス症候群」という病名は、タイトルとして格好良さげですし、これで行こうと。
牧 どちらかというと、いわゆる発展途上国とか、そういった国々に興味があるんですか?
宮内 こちらの常識が通用しない面が多くて楽しかったりですとか、あるいは、よりよい国作りのために皆が頑張っている現場ですので、なんとなく元気をもらえたりですとか。もうひとつには、わたしは少年時代をアメリカで過ごしたので、先進国に比べて途上国のほうをより知らない。だから見ておきたいというのがあるんです。
牧 いま、アメリカで育ったというお話が出ましたけど、『エクソダス症候群』の主人公も、火星で生まれて地球で育つじゃないですか。その辺りはご自分と重ね合わせている?
宮内 わたし自身も4歳でアメリカに渡りましたので、それと重ねています。わたしが一番好きな小説の書き出しに、J・G・バラード『コカイン・ナイト』の「私の仕事は国境を越えることだ」という一文があります。こういう、境界を越えていくひとに、どうしても感情移入してしまいます。文化を越えていくひと、あるいは文化同士がぶつかる場所、そういったものが好きで。その点で、中央アジアは騎馬文化があって、やがてイスラム圏になって、かと思えば共産圏になり、ソ連崩壊後は民主化したりしなかったり……と、住民たちは大変だったでしょうが、とても面白い土地なんです。
牧 小説はイマジネーションに拠る部分が大きいから、現地に行かなくても、資料だけで書けてしまう部分があるじゃないですか。SFの開祖と呼ばれるジュール・ヴェルヌだって、本から色んな知識やイマジネーションを広げて、最初の本『気球に乗って五週間』を書いた。
一方で、やはり現地に行かないと描ききれないリアリティもあると思います。宮内さんも、今回、実際に現地に行ったからこそ得られた体験がありましたか?
宮内 もちろんあります。もっとも、「人間は経験がすべてだ」とか、「色んな仕事や経験をし、色んな国を見てきて書かねばならぬ」だなんて言われたら、「わたしは想像力で頑張るぞ」と真っ向から戦いたくなりますが(笑)。それでも、現地に行けばそこにはかならず自分の想像力を超えるものがありますし、あと、逆説的ですが、現地に行くことによって逆に視野を狭める効果があります。
牧 視野を狭める、とは?
宮内 10年前にアフガニスタンに行ったとき、タリバンの構成員と思われる人物と話す機会がありました。その時、彼は「昔は芥子畑だった土地を俺たちが頑張って小麦畑に変えたのに、アメリカが来たらまた芥子畑になってしまう」と言っていて。そういう話を聞くと、無意識にどうしても肩入れをしてしまうわけです。これは、アフガニスタンに行くことによって、視野が広がっているのではなく狭まっているのだと思うんですね。資料を集めていくと、どんどん視野が広がって、物事を相対化できるようになるのですが、現地でものごとを見聞きすると、それらが身近なものとして感じられ、そして思い込みが生まれます。この視野の狭まりや思い込みといったものは、小説を書く上でとても大切であると思うのです。今回現地に足を運んだのは、そういった思い込みを得るためという理由もあります。
牧 中央アジアでは様々なものを見てきたと思いますが、とくに印象に残った出来事や光景は?
宮内 まっさきに思い出すのは、カザフスタンの、だだっ広くて何もない風景です。夜行列車に乗って何十時間。外はひたすら平原ばかりが続き、家ひとつ見当たらない。今回、わたしは海外へ行って初めて退屈だと思いました(笑)。
それで列車にこりまして、帰りはバスに乗りました。その道中、突然目の前がホワイトアウトしまして。何かと思ったら、バスを避けようとしたと思しき車が、道の脇に横転している。すぐにバスが止まり、乗客の男たちがいっせいに水だの道具だのをもって駆け下りていきました。そして、えいやと車をひっくり返してドアをこじ開け、運転手が生きていることを確認し、水を飲ませると「やれやれ」とばかりにバスに戻ってきた。その迷いのなさがあまりに感動的だったので、写メを撮ろうとしました。しかしカザフスタンにはスマートフォンが普及しているというのに、誰ひとり携帯を構えていないのです。なんだか、とても反省してしまいました。この救出劇が妙に印象に残っています。
牧 宮内さんは小説も面白いけど、紀行文を書いても面白そうですね。開高健さんや小松左京さんのような行動派の作家もいらっしゃいますし。
宮内 時々、旅の過程をTwitterにつぶやいていたんですが、自分でも「これはもしや自分の小説より面白いのでは」と思いました(笑)。
牧 取材旅行から思わぬ副産物が生まれるかもしれないですね。
作品の話に入りますが、作中の火星は、アメリカ開拓時代のようなイメージで作られていますよね。時代も星も違うのに、どこか前時代を思わせる。この舞台は、意識して設定されたんですか?
宮内 ローテクノロジーな素材が好きなのです。今回、取材用にデジカメを買ったのですが、なかなか操作が覚えられない。もしかして自分はテクノロジーが嫌いなんじゃないかと思うことさえあります。……一応、元プログラマーなのですけどね。
牧 作品中に、プログラミングの話も出てきますよね。情報技術の新しい考え方を組み込みながらも、舞台設定は意外とローテク。
ミステリ、SF、ファンタジー|東京創元社
●六カ国を渡ったゲラ
牧 宮内さん初の長編となる『エクソダス症候群』ですが、一時はどうなることかと心配しました。出るのを楽しみに待っていたところ、宮内さんが中央アジアを旅行中だとご本人のTwitterで知って、びっくり。「本もまだ出ていないのに、宮内さん自身がエクソダスしてどうするんだ」(笑)。どうしてアジアに行かれたんですか?
宮内 目的は、つぎに予定している連載の取材です。前々から行ってみたかった土地でして、だから自分の楽しみもというのもあります。私はどうも、時折エクソダスしないと文章がよくならない病気にかかっているようで(笑)。ようやく『エクソダス症候群』がまとまる目処がたった頃に、担当編集者さんに「かくかくしかじかで、ゲラ作業は電子ベースでやらせてもらえませんか」とわがままを言って、行かせてもらった次第です。
ところが、出発までに最終稿がまとまらず、最終稿も海外からお送りするという事態に(笑)。
牧 最終的にゲラをすべて戻したのはいつごろだったんですか? そもそもメールのやりとりなど、通信事情は問題なかった?
宮内 国によってまちまちでしたので、要所要所でデータローミング(注:国外の通信会社のネットワークを利用すること)などもしながらゲラをやりとりしていました。
『エクソダス症候群』のゲラは、今回はなんと六カ国をわたりまして。東京から始まり、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、そしてトランジットで寄ったソウルで再校を戻しました。
牧 すごい。もう旅行中ずっとやっていた感じですね。
宮内さんは昔から、旅へ出る欲求がよく湧く性格だったのでしょうか。
宮内 最初に旅に出たのは、2001年です。大学を出たあと外国に行きたいと思って、アルバイトや麻雀でお金を貯め、南アジアやインド、アフガニスタン辺りを見て回りました。
牧 『エクソダス症候群』は実際にはない病ですが、その設定は宮内さんご自身の旅に出たい気持ちから生まれたものなんですか?
宮内 もちろん、わたし自身が旅が好きであることともつながっています。海外の危険地帯に赴いて人質になってしまったひとに、どうしても共感してしまう面もあったりしまして……。こうした心性について考えるうちに、自然と出てきたものでもあります。
架空の病にしたのは、一つには、宇宙時代のメンタルヘルスとは何かと問い立てしたことと、それから、現実にさまざまな疾患を抱えて苦しんでいるひとたちがいるなか、おかしなことを書くわけにはいかないと思ったからです。「エクソダス症候群」という病名は、タイトルとして格好良さげですし、これで行こうと。
牧 どちらかというと、いわゆる発展途上国とか、そういった国々に興味があるんですか?
宮内 こちらの常識が通用しない面が多くて楽しかったりですとか、あるいは、よりよい国作りのために皆が頑張っている現場ですので、なんとなく元気をもらえたりですとか。もうひとつには、わたしは少年時代をアメリカで過ごしたので、先進国に比べて途上国のほうをより知らない。だから見ておきたいというのがあるんです。
牧 いま、アメリカで育ったというお話が出ましたけど、『エクソダス症候群』の主人公も、火星で生まれて地球で育つじゃないですか。その辺りはご自分と重ね合わせている?
宮内 わたし自身も4歳でアメリカに渡りましたので、それと重ねています。わたしが一番好きな小説の書き出しに、J・G・バラード『コカイン・ナイト』の「私の仕事は国境を越えることだ」という一文があります。こういう、境界を越えていくひとに、どうしても感情移入してしまいます。文化を越えていくひと、あるいは文化同士がぶつかる場所、そういったものが好きで。その点で、中央アジアは騎馬文化があって、やがてイスラム圏になって、かと思えば共産圏になり、ソ連崩壊後は民主化したりしなかったり……と、住民たちは大変だったでしょうが、とても面白い土地なんです。
牧 小説はイマジネーションに拠る部分が大きいから、現地に行かなくても、資料だけで書けてしまう部分があるじゃないですか。SFの開祖と呼ばれるジュール・ヴェルヌだって、本から色んな知識やイマジネーションを広げて、最初の本『気球に乗って五週間』を書いた。
一方で、やはり現地に行かないと描ききれないリアリティもあると思います。宮内さんも、今回、実際に現地に行ったからこそ得られた体験がありましたか?
宮内 もちろんあります。もっとも、「人間は経験がすべてだ」とか、「色んな仕事や経験をし、色んな国を見てきて書かねばならぬ」だなんて言われたら、「わたしは想像力で頑張るぞ」と真っ向から戦いたくなりますが(笑)。それでも、現地に行けばそこにはかならず自分の想像力を超えるものがありますし、あと、逆説的ですが、現地に行くことによって逆に視野を狭める効果があります。
牧 視野を狭める、とは?
宮内 10年前にアフガニスタンに行ったとき、タリバンの構成員と思われる人物と話す機会がありました。その時、彼は「昔は芥子畑だった土地を俺たちが頑張って小麦畑に変えたのに、アメリカが来たらまた芥子畑になってしまう」と言っていて。そういう話を聞くと、無意識にどうしても肩入れをしてしまうわけです。これは、アフガニスタンに行くことによって、視野が広がっているのではなく狭まっているのだと思うんですね。資料を集めていくと、どんどん視野が広がって、物事を相対化できるようになるのですが、現地でものごとを見聞きすると、それらが身近なものとして感じられ、そして思い込みが生まれます。この視野の狭まりや思い込みといったものは、小説を書く上でとても大切であると思うのです。今回現地に足を運んだのは、そういった思い込みを得るためという理由もあります。
牧 中央アジアでは様々なものを見てきたと思いますが、とくに印象に残った出来事や光景は?
宮内 まっさきに思い出すのは、カザフスタンの、だだっ広くて何もない風景です。夜行列車に乗って何十時間。外はひたすら平原ばかりが続き、家ひとつ見当たらない。今回、わたしは海外へ行って初めて退屈だと思いました(笑)。
それで列車にこりまして、帰りはバスに乗りました。その道中、突然目の前がホワイトアウトしまして。何かと思ったら、バスを避けようとしたと思しき車が、道の脇に横転している。すぐにバスが止まり、乗客の男たちがいっせいに水だの道具だのをもって駆け下りていきました。そして、えいやと車をひっくり返してドアをこじ開け、運転手が生きていることを確認し、水を飲ませると「やれやれ」とばかりにバスに戻ってきた。その迷いのなさがあまりに感動的だったので、写メを撮ろうとしました。しかしカザフスタンにはスマートフォンが普及しているというのに、誰ひとり携帯を構えていないのです。なんだか、とても反省してしまいました。この救出劇が妙に印象に残っています。
牧 宮内さんは小説も面白いけど、紀行文を書いても面白そうですね。開高健さんや小松左京さんのような行動派の作家もいらっしゃいますし。
宮内 時々、旅の過程をTwitterにつぶやいていたんですが、自分でも「これはもしや自分の小説より面白いのでは」と思いました(笑)。
牧 取材旅行から思わぬ副産物が生まれるかもしれないですね。
作品の話に入りますが、作中の火星は、アメリカ開拓時代のようなイメージで作られていますよね。時代も星も違うのに、どこか前時代を思わせる。この舞台は、意識して設定されたんですか?
宮内 ローテクノロジーな素材が好きなのです。今回、取材用にデジカメを買ったのですが、なかなか操作が覚えられない。もしかして自分はテクノロジーが嫌いなんじゃないかと思うことさえあります。……一応、元プログラマーなのですけどね。
牧 作品中に、プログラミングの話も出てきますよね。情報技術の新しい考え方を組み込みながらも、舞台設定は意外とローテク。
ミステリ、SF、ファンタジー|東京創元社