価値観の変容が進む状況を肯定的に捉えて描かれたヴァーリイのSFは、
それがさらに進んで価値観が止めどなく多様化しているいまも、
そしてこれからも、普遍的な――同時代性を感じさせる――物語として
読まれていくのだろう。
それがさらに進んで価値観が止めどなく多様化しているいまも、
そしてこれからも、普遍的な――同時代性を感じさせる――物語として
読まれていくのだろう。
山岸 真 makoto YAMAGISHI
この文章を書くためにこの作家の邦訳作品を多少まとめて読み返す前、正直いって不安があった。一世を風靡した作家を数十年後に読み返したら色褪せていたという話はありがちだし、まして、その作品に当時の自分をシンクロさせて読んでいた面があるならなおのこと。
けれど、それは杞憂だった。構築された作品世界とそれを語るスタイルという点で、ヴァーリイSFは、いまも変わらず、SF的にもっとも“濃い”作品群のひとつであり、この《八世界全短編》は、SFを堪能したい読者に超強力にお薦めの本である。
ジョン・ヴァーリイは一九四七年、テキサス州生まれ。七四年に本書収録の「ピクニック・オン・ニアサイド」で作家デビュー、たちまち高い評価と人気を獲得した。当時アメリカで出ていた年刊SF傑作選三つに、三年連続でヴァーリイの作品が収録され、しかも各傑作選に別々の作品が選ばれた年すらあったのは、その時期のめざましい活躍ぶりの一例だ。
七〇年代終盤から八〇年代中盤にかけて、ヴァーリイはトップクラスのアメリカSF作家の地位を確立する。これまでの主要SF賞の受賞歴は、ヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞のトリプルクラウン二作、ヒューゴー賞とローカス賞のダブルクラウン一作、このほかにローカス賞七作(うち短編集部門四作!)という華々しいものだ(日本の星雲賞も二回受賞)。
そのヴァーリイの七〇年代の作品を代表するのが、〈八世界〉と呼ばれる未来史シリーズ。本書『汝、コンピューターの夢 〈八世界〉全短編1』と、二〇一六年二月に同じく創元SF文庫から刊行予定の『さようなら、ロビンソン・クルーソー 〈八世界〉全短編2』は、シリーズの短編全十三作を発表順に並べた日本オリジナル短編集である。本邦初訳作品はないが、本書収録分の七編はすべてが新訳ないし改訳されている。
じつをいうと、「歴史の流れや展開よりも、主にストーリーの中の人物について多くを語りたい」と作者も昔のインタビューでいっていたように、〈八世界〉は年表を作って楽しむタイプの未来史ではない。けれど、全作がまとまったせっかくの機会なので(〈八世界〉のみの短編集は世界初)、まずはシリーズの大枠の設定を少しくわしく説明しておこう。
〈八世界〉の歴史は、二〇五〇年、異星人の地球侵略からはじまる。直径二十キロの物体が太平洋に降りたあと、地球上のあらゆる人造物が超越的な手段で破壊されていき、その後二年で百億人が餓死。地球は人類の手から奪われた。(侵略者は人類そのものには事実上まったくの無関心で、直接には人間をひとりも殺さず、地球外にいた人類への攻撃もなかった)
この経緯は、長編『へびつかい座ホットライン』(一九七七年刊)でごく短く語られ(いくつかの短編でもちらっと言及がある)、インベーダーが太陽系外の木星型惑星の出身らしいことや、その奇妙な目的もそこで示唆される。だが、SF的に思わず引きこまれるこうした設定は、シリーズの短編と直接には関係しない。
〈侵略〉の時点で、月(ルナ)には二、三千人が移住していた。この人々の苦闘によって人類は生き延び、地球を喪ったことを受けいれたまま、新たな社会と文明を築いていく。こうして太陽系各地で生きるようになった人々の姿を点描したのが、〈八世界〉シリーズである。本書収録作で年号の明記がないものは、〈侵略〉後の三百年代から四百年代の出来事であるようだ。
なお、シリーズの名称は、人類の居住地が、水星、金星、月、火星、タイタン、オベロン、トリトン、冥王星の八つの天体に築かれていることに由来する。ただし、その天体のいくつかは作中でじっさいに描かれることはなく、一方、土星の〈環〉や、太陽系内のさまざまな宙域を舞台とする作品もある。
では以下、本書収録の七編を順に見ていきたい。ヴァーリイの人気と評価を一気に沸騰させた、まさにその作品群である。
「ピクニック・オン・ニアサイド」"Picnic on Nearside"(初出〈F&SF〉一九七四年八月号)
地球被占領紀元(オキュペーション・オブ・アース)二一四年の月(ルナ)が舞台。主人公の家庭のひとコマを描いた冒頭の場面だけでも、長寿や自在な若返りの実現、家族像の変化、〈変身〉(後述)や身体改造の一般化等々、この時代に関する情報が矢継ぎ早に繰りだされる。それを“現代”の読者に“説明”するのではなく、この未来世界を日常として生きている作中人物の視点・感覚で語っていくのが、デビュー時点から確立されていたヴァーリイのスタイル。この時代のモラルや価値観、性行為に関する意識も、同様にさりげなく提示されていく。
作者自身はこれを、“電話をかける場面を書くときに、いちいち機械や回線の説明をしないようなもの”という風にたとえている。SFではありふれたことのようでいて(むろん、いちいち説明するタイプのSFもあるわけですが)、これほどスマートかつスムーズにやってのけられる作家はなかなかいない。発表当時のSFファンは、このスタイルを初期ロバート・A・ハインラインの未来史短編を連想させると賞讃し、ヴァーリイも(作品内容は異なるが)お手本はハインラインといっている。
そして、主人公たちにとっては日常茶飯事なので冒頭場面では説明がないまま使われていくのが、〈変身〉という言葉。これはクローンを利用した手軽な性転換で、しかもそれを一生に何度も繰りかえすのが当たり前になっている。〈八世界〉シリーズのもっとも特徴的で、インパクトの大きな設定だろう。作者は当時のフェミニズムの隆盛の影響を語っているが、現在のSFでもあまり類例がない設定ではなかろうか。
……という調子で、月のセントラル・コンピューター(CC)や“菜園”の話をしていては、キリがない。あとは、本作が冒頭にあるとおりの成長物語で、それを“老い”と絡めて、青春小説とは違った苦みを感じさせることに触れておきたい。
「逆行の夏」"Retrograde Summer"(初出〈F&SF〉一九七五年二月号)
*ネビュラ賞ノヴェレット部門第三席、ローカス賞ノヴェレット部門第四席
一九六〇年代以降、無人探査機による観測や天文学上の発見によって新たな太陽系像・宇宙像が生まれていたが、それをうまくSFに取りこんで作品化した作家は、ラリイ・ニーヴンなどを例外として七〇年代前半まではあまりいなかった。
読者としてニーヴンのSFに魅了されたヴァーリイは、自分でも新たな太陽系像のSF化に手をつける。そして、水星はつねに同じ面を太陽にむけているのではないという当時の新しい情報を、〈逆行の夏〉や水銀洞という鮮烈なイメージとして小説化してみせたのが本作である。その光景に、〈変身〉やクローンが生みだす新たな家族・親子の姿の物語が重なっていく。新時代のサイエンス・フィクション作家として注目を一身に集めたのも、当然だろう。
「ブラックホール通過」"The Black Hole Passes"(初出〈F&SF〉一九七五年六月号)
冥王星軌道のはるか外側の虚空が舞台の、絶望的に孤独な極限状況のサバイバルSF。〈八世界〉の最重要SF設定のひとつ、へびつかい座ホットラインが作中に初登場。〈侵略〉から百数十年後に発見された、この外宇宙からの謎の通信ビームによって、人類は数々の驚異的なテクノロジーを手にし、それが〈八世界〉の根幹を支えていくことになる。ただし、性転換や記憶移植などは、ホットライン発見以前から人類も研究を進めていたものだ。
本作に登場するもうひとつの重要な題材がブラックホール。当時の“新しい宇宙像”を代表するこの用語は一九六〇年代後半に作られたものだが、七〇年代にSFの題材として急速に普及し、ここでもその先頭に立ったのはニーヴンだった。〈八世界〉では、ホットラインから得たテクノロジーで量子ブラックホールを動力源として利用することが可能になり、ホールハンターという魅惑的な職業が生まれたりもしている。
「鉢の底」"In the Bowl"(初出〈F&SF〉一九七五年十二月号)
*ネビュラ賞ノヴェレット部門第二席
金星を舞台にした“新たな太陽系SF”。一九六〇年代までのSFで描かれる金星は、厚い雲の下にジャングルや海洋が広がるというのが定番のイメージだったが、本作は当時の最新観測データに基づいてそれを一新している。金星社会やそこでの生活の説得力ある描写、プレ・サイバーパンク的な感触のある“医療工学”、奇妙な歳の差コンビのトラベローグなど読みどころは多いが、タイトルに象徴される異様で忘れがたい景観がつねにそれを取り巻いている。
「カンザスの幽霊」"The Phantom of Kansas"(初出〈ギャラクシイ〉一九七六年二月号)新訳
*ヒューゴー賞ノヴェレット部門候補、ローカス賞ノヴェレット部門第四席
〈侵略〉後三四二年の月が舞台で、「ピクニック・オン・ニアサイド」の主人公が再登場する、サスペンス・ミステリ風味の作品。
ブラックホール同様、一九七〇年代にSFの題材として急速に浸透したのがクローン人間。〈八世界〉では、クローンと記憶移植のコンボが、一種の不死を実現している。だがその不死は、事故や殺人で死んでも、何度でも生き返れることも意味していて……。アイデンティティを揺るがせ、人間の定義を変容させていく行為が日常化した〈八世界〉は、サイバーパンクやグレッグ・イーガン作品などの先駆に位置づけられるだろう。
本作では、地球の自然環境を他天体の地下に再現した“ディズニーランド”も初登場。楽しい驚きが日常として存在する世界という点で、ディズニーランドは〈八世界〉自体に当てはまる形容でもある。
「汝、コンピューターの夢」"Overdrawn at the Memory Bank"(初出〈ギャラクシイ〉一九七六年五月号)新訳
一九八〇年代初頭にヴァーチャル・リアリティという用語が誕生する以前に、“仮想現実”を扱ったSFのひとつ。本作の仮想現実は、精神世界の投影というフィリップ・K・ディック的な色合いが強いが、記憶・人格のコピーの扱いかたでは、人間のデジタル化というサイバーパンク以降と通ずる視線が、「カンザスの幽霊」よりも前面に出てきている。
一九八三年にアメリカでラウル・ジュリア主演でテレビ映画化された。
「歌えや踊れ」"Gotta Sing, Gotta Dance"(初出〈ギャラクシイ〉一九七六年七月号)新訳
*ヒューゴー賞ノヴェレット部門候補、ローカス賞ノヴェレット部門第三席
土星の衛星ヤヌスが舞台。本作で焦点の当たる共生者(シンブ)(人間と閉鎖生態系を形成する植物)というアイデアは、昔のSFによく出てきた“酸素供給のために植物を積んだ宇宙船”の最小版、というのが発想源だという。ともにへびつかい座ホットラインからの産物である“共生宇宙服”と、「逆行の夏」などに出てくる“体内に埋めこまれた力場発生機が形成する宇宙服”とは、宇宙空間と人間の肌が膜ひとつを隔てて接するという点で、〈八世界〉を代表する好一対のアイデアといえる。
作者はのちにシンブについて語るとき、一九六九年のウッドストック・フェスティバルで感じた共同・協調(cooperation)感を引き合いに出している。本作が音楽SFであるのは、当然なのかもしれない。またこれは、動き(踊り・セックス)をモチーフにしたSFであり、脳SFであり、非電脳・仮想現実SFでもある。
以上、SFとしての側面を中心に見てきたが、どの作品にも共通しているのは、科学やテクノロジーの最前線を魅力的なイメージとして取りこんで、そこに生まれる日常や新しい人間像を徹底して描いていること。つまり、どまん中のSFであり、そうした作品は、取りこんだ題材とともに一時的に古びることはありえても、結局は普遍的な面白さを見出されて読み継がれていく。本書の七編も、ここでは発表当時の評価やSF史的位置づけを強調した書きかたになってしまったが、いずれもいま読んで面白いSFであることはいうまでもない。
同様のことが、小説としての魅力についてもいえる。ヴァーリイ作品のその側面については、従来、一九六〇年代から七〇年代にかけての価値観の変化を背景とした同時代性であるとか、作品の底に流れるやさしさやモラトリアム感覚(およびその裏側にある諦観や絶望)といったかたちで語られてきた。
では、それがいまでは四十年前の単なる古めかしい話になってしまっているかというと、まったくそうではない。本書に先行してハヤカワ文庫SFで刊行された『逆行の夏 ジョン・ヴァーリイ傑作選』の感想をネットで見ていると、さまざまな年代の読者が各自それぞれに物語に意味を読みこんで、それぞれに感じとるものがあるようすがうかがえる。
価値観の変容が進む状況を肯定的に捉えて描かれたヴァーリイのSFは、それがさらに進んで価値観が止めどなく多様化しているいまも、そしてこれからも、普遍的な――同時代性を感じさせる――物語として読まれていくのだろう。
(2015年10月5日)
■ 山岸真(やまぎし・まこと)
1962年新潟県生まれ。埼玉大学教養学部卒。SF翻訳家、研究家。主な訳書に『宇宙消失』『万物理論』をはじめとするグレッグ・イーガンの全作品、マイクル・コーニイ『ハローサマー、グッドバイ』、編著に『80年代SF傑作選』(小川隆と共編)、『90年代SF傑作選』、『20世紀SF1~6』、(中村融と共編)など。資料調査や丁寧なリスト作成でも定評がある。ミステリ、SF、ファンタジー、ホラーの月刊Webマガジン|Webミステリーズ!