――パルタージュ partage とはフランス語で「分割」「共有」「分有」の意。
 小林秀雄は〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない〉と書いたが、想像力というようなものはなく、あるのはただ、個々の想像だけだとも思う。
 それでもなお、想像力(を分有すること)をこの文章の目的に置いて、インタビューを含む取材を始めたい。予定しているインタビュイーはそれぞれの領域の最前線におられる方たちであり、そこはまさに想像と想像力の境界線なのだから。そしてこれまで同様、これからのSFの言葉もまた、その線の上に存在するに違いない。


『想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして』
第23回 金属で記述する物語――東京藝術大学鍛金研究室より【前編】

高島 雄哉 
yuya TAKASHIMA(カット=meta-a)

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 最近とみに観光客でにぎわう上野公園をぬけて、東京藝術大学をたずねた。上野キャンパスは道路をへだてて、北が音楽学部(通称「音校(おんこう)」)、南が美術学部(通称「美校(びこう)」)だ。
 美校入口には大学附属の美術館があるが、取材当日は展覧会の会期外で閉館していた。行き交うのは学生たちだけだ。
 美校のキャンパスの中央には小さな木立と芝生があり、木々のあいだには平櫛田中(ひらぐし・でんちゅう)の「岡倉天心像」やロダンの「バルザック像」が置かれている。どちらも青銅の鋳造作品で、天心像はほぼ等身大、バルザック像は三メートル近くある。
 緑の空間を取り囲むように各学科の研究棟が並ぶ。一番新しいのは2004年完成の総合工房棟で、四階建ての近代的なシンプルな建築が横長に延びている。ここには工芸科・建築学科・デザイン科の講義室やアトリエに加えて、コンピュータ室や野外ホールがある。  総合工房棟に沿って歩くと、切ったばかりの木の香りがあたりに広がっている。一階の木工室では教官と学生が作業中だ。建物のなかに入ると、今度はテンポよく金属を叩く音が響いている。
 今回は、現代アートを発表し続けるアーティストであり東京藝術大学美術学部工芸科の准教授として学生たちを指導している丸山智巳先生にインタビューをお願いした。ぼくは藝大在学中に夏休みの工芸実習でお世話になった。
 「芸」という漢字は常用漢字表で「藝」の新字体ということになっていて、藝大も工芸科や芸術学科の表記では「芸」を慣例的に使っている。ただ「芸」には、「藝」のもつ「アート」のような意味はなく、「草を刈る」「ヘンルーダ(書物の防虫に用いる香草)」という意味しかない。元々「芸」はウンと音読みする、「藝」とは別系統の漢字なのだ。たとえば平城京にあった日本最古の公開図書館の名は「芸亭(うんてい) 」という。
 ということを踏まえたうえで、今回は視認性の観点から東京藝術大学(藝大)以外には芸の字を使う。藝術より芸術のほうが読みやすいはずだ。

 ぼくがいた芸術学科は美術史や美学を研究するところで、およそ芸術にかかわるありとあらゆる事象を扱う。「藝」についても初年度の講義で聞いたと思う。他の美術学部の学科――絵画科・彫刻科・工芸科・デザイン科・建築科・先端芸術表現科――は作品制作に多くの時間を割く。そのためこの六学科は――芸術学科、略して「芸学(げいがく)」に対して――「実技」と言われる。
 といって芸術学科がまったく実技をしないわけではない。美術史も美学も、個々の作品に向き合うことが重要だ。そして作品は作られたものだから、その制作技法を知ることによって作品に近づくことができる――そうした考えから、芸術学科の学生は一年と二年次に絵画科や彫刻科に半年ほど通い、実技の学生といっしょに制作実習をする。
 ぼくのときは入学式の翌日くらいに絵画科での版画実習が始まって、つづいて油絵実習では木枠に布を張ってカンヴァスを作るところから絵を描くまでを実際に行った。美術学部附属の写真センターでの実習では、一眼レフのフィルムカメラで撮影し、暗室での現像のしかたを学ぶ。彫刻科では木彫(もくちょう)と石彫(せきちょう)それから粘土の素焼きであるテラコッタがあり、ぼくはまったく未経験だった石彫を選んだ。
 特に石彫は設備がないとなかなか制作できないし実際面白い体験ではあったけれど、石彫作品のことがわかるようになったかというと、それは甚だ疑わしい。ある石彫作品のことを理解したければ、類作との比較や用いられた技法や素材の分析あるいは文化史的なアプローチをしたほうが余程効率的であるようにも思う。
 しかし自分で下手くそなりに石に鑿(のみ)を当て、石頭(せっとう)と呼ばれる重めのハンマーを使って石を少しずつ削っていった記憶は確かに今も残っていて、石の固さあるいは柔らかさをいくらかはわかったかもしれない。
 各学科での実習中に、美術館でその分野の著名な作品を見ると、自分のできなさもあって、その作品の技巧のすごさばかりが目についてしまったりもした。ただ実習が終わってしばらく経つと冷静に距離がとれたのか、作品の技術力以外に、作家ごとの技術の方向性の違いがほの見えるようになった。むろん審美眼に完成などなく、精緻な洞察を常にし続けなければならないのだけれど。
 これら正規の課程として定められているもの以外に、希望者むけの短期実習もある。夏休みに開設される工芸実習では、〈木工〉〈陶芸〉〈鍛金〉を二週間ずつ経験していく。日用品を作れるという工芸の特長もあって、卒業まで何度も受講する学生もいる。
 今回インタビューした丸山智巳先生には、そのうちの〈鍛金〉実習で初めてお会いしたのだった。
 〈工芸〉は道具としての実用性と、作品としての芸術性のふたつを併せ持つ。藝大の工芸科には六つの専攻がある。彫金・鍛金・鋳金・漆芸・陶芸・染織だ。大学院になると木工とガラスが加わる。
 実用性と芸術性は必ずしも明確に区分できるものではないが、道具の機能をもつという点で、工芸品は単なる美術品よりも広義の芸術と言ってもいい。広義であるということは芸術性に特化した工芸もあるわけで、工芸出身の作家であっても道具と作品のどちらに重点をおくかは異なる。
 丸山先生は東京藝術大学美術学部工芸科で鍛金を学び、同大学院をへて藝大教員となり、今は工芸科の鍛金専攻の准教授だ。
 作品はすべて〈鍛金〉技法を用いて制作される。下の写真「RIDER」は2015年の作品(銅/銀箔/漆/H 108×70×175cm)だ。

photo_1_maruyama.jpg photo_2_rider.jpg  今回お話をうかがった藝大構内の先生のアトリエでは、今秋開催される藝大130周年の記念イベントのために風炉を作っておられた。風炉とは茶道具のひとつで、半球状の本体内に灰と炭を入れて火をおこし、そのうえに釜をかけて湯を沸かすための道具だ。
 幸運にも制作過程の最初期である〈マケット〉制作の段階で、アイデアをどのように考えていくのかをうかがうことができた。マケットmaquetteとはフランス語で模型のこと。模型だから実際に作られる作品よりも小さい。先生はアイデアを練るとき、スケッチをすることもあるが、最近は粘土をつけたり削ったりしながら形を探ってマケットを作り上げていくという。形がある程度見えてきたら、金属板で作品を作り始める。

photo_3_maquette.jpg  〈鍛金〉とは金属を金鎚で叩くことで変形させる技法だ。巨大な作品などは複数の金属板を用いることもあるが、基本的にはたった一枚の金属板から様々な形状を作り出す。
 十数年前の夏休みを思い出しながら、一般的な〈鍛金〉作品制作の工程を見ていこう。  実習初日は教官と何を作るかを相談して決めていく。実習に来るのは鍛金以外の学生だから、あまり複雑なものは避けるようにアドバイスされる。平らな金属板を半球状にするだけでも大変なのだ。
 形と大きさが決まると、それに合った金属板が渡される。加工のしやすさから銅板が選ばれることが多い。叩いていくときの目印となる円をいくつか、油性ペンのコンパスで銅板に描いたら、いよいよ銅板を叩くことになる。
 そのままでは硬すぎるから、まずは銅板を柔らかくするために火床(ひどこ)に置いて、ガスバーナーで全面が赤くなるまで焼き鈍(なま)す。赤いのは表面にできる酸化皮膜、酸化銅(Ⅰ)Cu2Oだ。
 熱い金属板を金鋏で挟んで、まずは水がためられた小さなプラスチック製のタンクに入れて冷やす。それから隣の大きなタンクまで持っていく。そちらのタンクのなかは薄い硫酸(希硫酸)だ。銅板が熱いまま硫酸と触れると水素ガスが発生する。ガスバーナーで引火する危険があるため、必ず冷やしてから硫酸タンクに漬けるのだ。
 銅は硫酸に溶けないが、酸化銅は溶ける。それゆえ硫酸タンクのなかの水溶液は銅イオンの美しい青色をたたえている。酸化皮膜は手でかるくこすっただけで硫酸に溶けて、元のきれいな銅板が現れる。使っているのは希硫酸だから、直接触れてもせいぜい軽い日焼けをしたときのようにぴりぴりとするだけだ。銅板と手を流水で洗って工房に戻る。
 ただ慣れないうちはこの硫酸がいつのまにか服に飛び散っていて、そのときは気づかないのだけれど、洗濯してみるとぽっかりと穴が開いていたりするのだった。
 焼き鈍して柔らかくなった金属板を木をくりぬいた臼(うす)に乗せて――自分は背の低い椅子に座り――撞木槌(しゅもくづち)という鐘を突く撞木に似た木鎚で叩き、大まかな曲面をつけていく。
 十五分ほどすると叩く音が高くなってきて、銅板はほとんど変形しなくなる。金属の硬化を手と耳で感じとるのだ。
 硬くなったら再び焼き鈍し、今度は細かい曲面を作っていく。そのための道具が〈当て金(あてがね)〉だ。当て金とは数キロほどの太い金属棒で、一端または両端が釘の頭を丸くならしたような凸曲面になっている。磨き上げられたこの曲面を〈鏡(かがみ)〉という。もう一端が尖っているものは木台に直接突き刺し、両端とも丸くなっているものは使わないほうを木台の穴に差し込んで、固定する。実習では長さ三十センチ前後の当て金を使うが、鍛金専攻の工房にはさまざまな形状の当て金が百本以上もあり、一メートル以上もあるものもあって、大きな作品など用途によって使い分ける。

photo_4_ategane.jpg  当て金の〈鏡〉の直径は、どれもだいたい五センチに満たない。そこに金属板の変形させたい部分を当てる。曲面のうえに平面を置くから、ただ一点でのみ接しているわけだ。利き手とは逆の手で金属板をしっかりと支え、利き手で持った金鎚をその一点めがけて振り下ろす。
 金鎚の頭部の叩く面も〈鏡〉という。金属板をはさんで――当て金の〈鏡〉と金鎚の〈鏡〉――二枚の鏡を正確に正面から叩き合わせるのだ。
 打撃の瞬間、力が加わって変形するのは直径一センチほど。その跡を鎚跡(つちあと)、鎚目(つちめ)という。金属だから金偏の鎚だ。
 鎚で叩いた範囲だけが押し込まれて、当て金の鏡の曲面にそって変形する。鎚跡をどんどん付けていって、望みの形を出していく。これが〈絞り(しぼり)〉という工程だ。焼き鈍しと絞りを繰り返して、一枚の金属板を望みの形に近づけていく。夏休みの実習では二週間のほとんどがこの作業に費やされることになる。
 複雑な曲面をもつ作品の場合、部分ごとに作って溶接するが、丸山先生のような熟練の技があれば、大抵のものは一枚の金属板を曲げていって作り出すことができる。そしてそれが可能であればこそ、金属板を自由に溶接することもできる。むろん実習に参加している学生たちでは初めの一枚をなんとか絞っていくだけで精一杯だ。
 初めは金鎚の角があたって金属板の表面に深い凹みができたりもするのだが、次第に金属板をはさんで当て金の鏡と金鎚の鏡が正面から当たるようになり、変形した金属板の表面には美しい槌目(つちめ)が現れる。
 最後に希望者は〈硫化仕上げ(りゅうかしあげ)〉をする。硫黄を含んだ入浴剤の溶液中に作品を浸すのだ。硫化銅(Ⅱ)CuSは黒色で、浸している時間が長いほど反応が進んで、深い黒を呈色する。

photo_5_surface.jpg

(2017年7月7日)



■ 高島 雄哉(たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。徳山市(現・周南市)育ち。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)。同作は〈ミステリーズ!〉vol.66に掲載され、短編1編のみの電子書籍としても販売されている。2016年『ゼーガペインADP』SF考証、『ガンダム THE ORIGIN IV』設定協力。twitterアカウントは @7u7a_TAKASHIMA 。





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