――パルタージュ partage とはフランス語で「分割」「共有」「分有」の意。
小林秀雄は〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない〉と書いたが、想像力というようなものはなく、あるのはただ、個々の想像だけだとも思う。
それでもなお、想像力(を分有すること)をこの文章の目的に置いて、インタビューを含む取材を始めたい。予定しているインタビュイーはそれぞれの領域の最前線におられる方たちであり、そこはまさに想像と想像力の境界線なのだから。そしてこれまで同様、これからのSFの言葉もまた、その線の上に存在するに違いない。
第14回 気持ちいい線のゆくえ――主観のかたまりからすべてが生まれる【後編】
高島 雄哉 yuya TAKASHIMA(写真=著者/カット=村田蓮爾)
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イラストレーターの村田蓮爾さんは大阪生まれで、育ったのは奈良県の斑鳩(いかるが)だという。ぼくが高校二年の夏までいた山口県徳山市は市町村合併によって周南市となったが、斑鳩町は――もちろん激しい議論はあっただろうけれど――斑鳩町のまま残った。
あの土地でそのように育ったから作風がこうなって、といった議論はあまり好みではないが、ファンとしては単純に興味がある。情報が増えれば想像の余地も増える。
「うちのまわりは山ばっかりで、秘密基地つくったりしてましたね。その当時の子供たちがしていたような遊びをしてました。そのころは絵を描いてはいないです。机にじっとしていなくて。最近は一日中描いてますけどね。描き始めたのは中学か高校くらいでしょうか。電車とか車とか。キャラクターを描き始めたのは高校の終わりくらいですかね。クラスメイトに描いてるやつがいたんですよ。面白そうだなと思って自分でも描いたんですけど、初めは全然描けなくて」
村田さんが斑鳩育ちで、今は京都精華大学でイラストを教えられているという話から、ぼくは東京藝術大学に入った年に行った古美術研究旅行を思い出した。それは美術学部の全学科の一年生が行く旅行で、必修科目なのだ。確か八単位くらいだっただろうか。
十日ほどの旅行中は、奈良国立博物館そばの芸大附属の研修施設に宿泊した。そんなに大きな施設ではないから、学科ごとに季節をずらしておこなわれ、ぼくがいた芸術学科二十人は――薄いコートを着ていたことを覚えているから――秋の初めにそこに滞在したのだった。
奈良や京都の有名な文化財の他、公開されていない寺院の仏像や個人宅の屏風なども見学できて、もちろんどれも国宝級の作品で、かなり貴重な機会だと当時も思ったし今でもそう思っているのだけれど、芸術専攻といっても小説を書いていたぼくは真摯にそうした作品群に向き合えたとはお世辞にも言えなかった。
さて、芸術学科では旅行前に、見学する主要な作品を一人ひとつずつ調べて概要を発表する授業がある。そこでぼくは法隆寺所蔵の玉虫厨子(たまむしのずし)を担当することになった。
法隆寺は斑鳩町にある。世界最古の木造建築だ。法隆寺が世界遺産に登録されるとき、国連の委員会において――選ばれて当然ということだろう――ほとんど議論もなく承認されたと、その後に受講した建築史の授業で聞いた覚えがある。
玉虫厨子はかつて法隆寺金堂にあったが、今は境内の大宝蔵院という展示施設に置かれている。厨子というのは中に仏像や経典を納めておくもので、玉虫厨子は二層の仏塔のような形をしている(https://ja.wikipedia.org/wiki/玉虫厨子)。中にあったはずの仏像は千年近く前に盗まれたという。高さは二メートル超で、小さな寺院ないしは祠のようにも見える。二層のどちらにも四面に色漆で絵が描かれ――つまり計八枚の漆絵があって――特に、下層の左右二面に描かれた「捨身飼虎(しゃしんしこ)図」と「施身聞偈(せしんもんげ)図」については様々に研究されている。どちらも釈迦や釈迦の生まれ変わりが身を捨てて仏道に至る絵だ。
法隆寺の建立は六〇七年と伝えられ、玉虫厨子も同じ頃のものだと考えられている。村田さんが二十一世紀に描いたイラストとは少なくとも千三百年は隔たっている。
村田さんはイラストを〈気持ちいい線〉を探しながら描いていくのだという。「頭のなかに自分が狙っている〈気持ちいい線〉があって、それに手が追いついていかない」ときは「すごく気持ち悪い」そうだ。
玉虫厨子の絵師たち――研究によれば二つの図像は異なる手によるものだという――と村田さんのあいだには画材も技法も千三百年分の違いがあって、絵についての考え方も大きく違うだろう。漆で仏画を描いた絵師たちは、おそらく仏教を信仰していただろうから、村田さんがおっしゃる意味での〈気持ちいい線〉を目指していたとは限らない。ただ、時代も環境も大きく異なるものの、絵師たちと村田さんは共にその世代の第一線で絵を描いているという点で、まったく変わるところがない。それに、世界のどこかに〈線を引く〉という行為は、人間にとって極めて基本的で、つまりは普遍的であるはずだ。
ぼくたちは幼い頃、誰に教えられることもなく地面に様々な線を引いた。何度も線を描きながら、〈気持ちいい線〉を探していたようにも思う。前回紹介したグレッグ・イーガンの学術論文でテーマとなっていた、正しい値に〈漸近〉していく計算法のように、徐々に自らの理想の線に近づいていくのだ。
千三百年前の絵師たちも、仏具の製作における制約があったにしろ、あるいはあったからこそ、目指すべき理想的な〈線〉を目指していたのではないだろうか。
今回のインタビュー中、ぼくは最近購入したiPad Proをレコーダー兼メモに使っていて、村田さんが興味を示された。村田さんはデジタルツールで絵を描かれているが、それは移動中にも仕事を進められるといった利便性があるからであって、特にデジタルツールに関心があるわけではないという。なのでiPad Proも気にはなっていたが触ったことはないとのことで、どうぞ使ってみてくださいとお渡しすると、すぐにタッチパネル上に絵を描かれ始めた。
「ああ、これは気持ちいいですね。うん。気持ちいい」
ということで、これは村田蓮爾さんが初めてiPad ProとApple Pencilを使って描かれた記念すべきイラストとサインだ。以下のリンク先では村田さんの筆致を映像で見ることができるので、ぜひ堪能していただきたい((※動画ファイルはYouTube内、東京創元社チャンネルに置かせていただきます))。
一月の同人イベントの会場は寒く、そのとき村田さんはコートを着たままだった。その証拠がカットの右端にある線で、これはコートの袖口が画面に触れたときのものだ。村田さんは初めて使うソフトだったが、数十秒でサインまで描き上げられた。
ちなみに月刊コミック誌『快楽天』(ワニマガジン社)の2016年4月号の村田さんの連載「futuregraph」において、このときのことに言及されていて後日購入したというコメントがあり、ファンの一人としては素朴にうれしいのだった。
さて、村田さんは今回のインタビュー中、〈気持ちいい〉〈気持ち悪い〉という言葉を何度もおっしゃった。
気持ちいいか気持ち悪いかという判断は徹底して主観的なものだ。村田さんは言う。
「自分の中で絵を構成するのは主観ですから。〈主観のかたまり〉ですよ。ひとが見て気持ちいいかというよりは、自分が見て気持ちいいかどうか。それをひとが見ても気持ちいいというなら尚良しですけどね」
村田さんは非常に主観的に、かつ合理的に思考しているのだ。だからこそ、村田さんが〈主観のかたまり〉から描き出すイラストは、村田さん個人の主観を越境して、見る側に届く。
見る側の受け取り方について、村田さんはどのくらい想像するのか尋ねてみると、またも驚くような返答をされた。
「まったく想像しないです。いくら想像しても答えなんてないから」
村田さんが描く〈気持ちいい線〉のような、明快な言葉だ。
村田さんの想像はいつも〈気持ちいい線〉を確実な仕方で追い求めているのだ。見る側がどのように受け取るかなんて、いくら想像しても、結局それは自分の主観が作り出す想像にすぎないし、答えなんて出るはずがない。あやふやな予想があったところで線は引けない。
とはいえ、村田さんはすべての〈想像〉を放棄しているわけではない。
村田さんはイラスト中のすべての要素を何も参考にせずに、〈想像〉しながら描くのだった。その際、これまで多くの鞄や椅子や服をデザインしてきたことが〈想像〉の基盤になっている。ではキャラクターはどのように描くのだろうか。
村田さんは壁に貼ったポスターの女の子を例に、とても詳しく教えてくださった。
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