――パルタージュ partage とはフランス語で「分割」「共有」「分有」の意。
小林秀雄は〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない〉と書いたが、想像力というようなものはなく、あるのはただ、個々の想像だけだとも思う。
それでもなお、想像力(を分有すること)をこの文章の目的に置いて、インタビューを含む取材を始めたい。予定しているインタビュイーはそれぞれの領域の最前線におられる方たちであり、そこはまさに想像と想像力の境界線なのだから。そしてこれまで同様、これからのSFの言葉もまた、その線の上に存在するに違いない。
第3回 十五年ぶりの夜――東京大学 宇宙物理理論研究室より
高島 雄哉 yuya TAKASHIMA(写真撮影=著者/カット=meta-a)
●これまでの高島雄哉「想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして」を読む 【第1回】 【第2回】
何かが見つからないとき、原因はいくつかある。〈忘却〉や〈隠蔽〉によるのであれば、いずれ有限の手続きの先に見つかる可能性は高いはずだ。探し物はかつて確かにあったのだし、探している誰かはそれが存在することを知っており、その手でどこかに置いたのだから。
また、見つからないこと自体が法則となることもある。
外部から何のエネルギーも受け取らずに動く永久機関を第一種永久機関と呼ぶが、長年の探求の末に不在であると結論づけられて、エネルギー保存則(熱力学第一法則)が確立された。また第二種永久機関は熱をすべて仕事に変えることができるとされているものだが、こちらも製作に成功した人はおらず、その失敗の積み重ねこそが不在の「証明」となって、エントロピー増大則(熱力学第二法則)として定式化されたのだった。むしろ宇宙の原初からこの二つの物理法則こそが厳然とあって、〈永久機関〉の存在を禁止し続けているのだと言ってもいいだろう。
見つからないどころか不在が証明されることもある。アーベル ‐ ルフィニの定理によれば五次以上の代数方程式には解の公式が存在しないし、フェルマーの最終定理によれば3以上の自然数 n について x^n+y^n=z^n となる自然数(x,y,z)の組は存在しない。また重力によって互いに引き合う二つの物体の運動は厳密に解析することができるけれど、もう一つ物体を加えた三体問題以上になると――数値計算で近似解は求められても――積分を使って求められるような一般解は存在しない。
SFの想像力が、物理学や数学の想像力に追い越されているかもしれない――という状況があるとして(ぼくの勘違いかもしれませんが先に進めさせていただいて)、一人で寺や植物園で考え込んでいても仕方がない。
ぼくが何をしようと――第1回で述べたように――SFが滅ぶはずもなく、宇宙が崩壊するわけでもない、ここはひとつ開き直って、物理学者に様々なことをうかがいに行くことにした。想像力を分有 partage できれば、という淡い期待を抱きながら。
久しぶりの東京大学の本郷キャンパスには新しい建物が増えていた。工事中のところも多い。安田講堂の裏にある理学部新一号館が見えてきて、緊張と郷愁がないまぜになった不思議な気分になる。ぼくがいた頃は十二階建ての西棟だけだったが、今では隣に十階建ての中央棟が増設されており、その中にはノーベル賞受賞者である小柴昌俊東大名誉教授の名前を冠した小柴ホールもある。ぼくは軽く身だしなみを整えてから、懐かしの――様々な講義を受け、遅くまで残って実験やゼミをした――西棟に入り、九階にある須藤靖教授の研究室のドアをたたいた(実際に教わった恩師のことを須藤教授や須藤さんとは書きにくいので、以下では先生という呼称を使わせていただきます。詳しいプロフィールは文末に)。
須藤先生は宇宙物理学の研究者で、ぼくが四年生のときのゼミの指導教官だった。そのときは J.A.Peacock の Cosmological Physics を学生六人で読んだ。Peacock も先生と同じ宇宙物理学者で、その本は相対性理論や量子力学、統計力学など多くの物理学の基礎を復習しながら宇宙論を学んでいく内容だったと思う。
さて、先生は授業でもゼミでも、物理学はもちろんのこと、科学に関する多様なお話をされていて、まるで十五年前の続きを伺っているような感覚になっていった。
ちなみに手土産は東大教授だからこそ召し上がったことがないだろうと思い、生協で売っている東大ゴーフルを選んだ。インタビュー直前まで先生の著作を読んだりカメラやICレコーダーの準備をしていたりして、よく買いに行く近所の和菓子屋に立ち寄れなかったことは内緒だ。見えないものを見ようとする宇宙物理学者にはお見通しだっただろうけれど。
先生はアイザック・アシモフの最初期の短編「夜来たる」“Nightfall” を高く評価されている。舞台は六つの太陽を持つ惑星で、それゆえ長い昼が続いているのだが、二〇四九年ぶりの皆既日食のおかげでついに「夜」が訪れる。惑星の住人たちは夜空に現れた星々の存在を初めて知ることになり、それまでの世界観が大きく覆される。そして「自分たちは何も知らなかった」ことを思い知らされる。実は我々も同じこと、と先生は語る。知っているつもりになっているだけで、その背後に控えている世界の本質に気づいてすらいないこともあるはずだ。
この作品は、世界を知るという意味を考えさせてくれると同時に、太陽系外惑星の存在についてのSF側からの〈予言〉でもある。須藤先生によれば、いまや五〇〇個近い複数惑星系が報告されており、七重惑星系、六重惑星系もそれぞれ二つ検出されているそうだ。
ここで先生はスティーブン・ワインバーグ教授の言葉を引用された。ワインバーグ教授は一九七九年にワインバーグ゠サラム理論でノーベル物理学賞を受賞した素粒子物理学者だ。
This is often the way it is in physics - our mistake is not that we take our theories too seriously, but that we do not take them seriously enough.(これは物理学ではよくあることだ。――我々〔物理学者〕の間違いは自分の理論を信じ過ぎることではなく、充分に信じないことなのだ)――The First Three Minutesより引用
物理学者は理論から導き出した結果を――物理学や数学からではなく――自らの「常識」に照らして否定してしまうことがあるという。「夜」が来なければ、その常識が変わることは難しいのかもしれない。
先生は宇宙物理学の例を挙げる。光が決して外へ出て来られないブラックホールや、通常は決して目に見えない原子核が半径十キロメートルもの大きさになった中性子星などは、まず数学的な方程式の解として発見されたものの、研究者たちですらそれらが実在することはあり得ないと考えていた。しかし数十年後にそれらは実際に観測されたのである。このように数学的に存在が予言されたものは――特に宇宙に関しては――時間さえかければ実際に発見されてきたのだ。
「このようにその存在が物理法則と矛盾しない限り、数学的に導かれたものは実在するようだ。さらに言えば、仮にそれが我々の宇宙に実在しないことがわかったとすれば、それはたまたま我々の宇宙にないだけで、別の宇宙には実在しているはずだと考えることすら可能である。物理法則で禁止されないものは必ずどこかに実在すると考えるべきだ」
と須藤先生はおっしゃった。それは物理学の信念ないしは〈宗教〉なのだ。
ワインバーグ教授と須藤先生の言葉はSFを書く上でも非常に重要だろう。ぼくはSFを書くとき(ぼくだけではないと思いますが)自分で思いついて自分で棄却するということを繰り返す。それくらいは是非したほうがいいとワインバーグ教授も言いそうだけど、中には書いてみれば面白くなったものだってあったかもしれない。
そして、この文章を書き進める上でも、以上のことは本質的だろう。回を重ねても新しいガジェットが見つからないとすれば、それはぼくが出会った言葉を不用意に見限ってしまっているからなのかもしれないのだ。
アシモフといえば「夜来たる」の〈多重星〉や有名な〈ロボット工学三原則〉の他に、〈銀河帝国〉が挙げられる。
ぼくはこの〈銀河帝国〉もしくは〈銀河連邦〉というガジェットが大好きで、『スタートレック』シリーズは繰り返し見ているし、『銀河英雄伝説』や『星界』シリーズは熟読しているのだった。帝国や連邦は物理的な構造物とは異なるけれど、銀河規模のそれらは人間が作り得る最大の存在だ。
子供の頃は銀河帝国の可能性を疑いもしなかったし、今でも作品として楽しんでいるものの、最近はそんなに巨大な政体を維持するほどのモチベーションがそもそも人間にあるのだろうかと考えたりして、充分に信じないでいるような気もする。ワームホールのネットワークでもあればいいのかもしれないが、そのためにはワームホールを通行可能な大きさに拡張しなければならない。しかしそのためには――嘘を一つ成立させるために多くの嘘をつくときのように――さらなるSF的補強が必要になって、人間的な意味付けどころか物理的な実現性からも銀河帝国の存在を疑ってしまっていたのだった。
しかし〈タイムマシン〉同様、〈銀河帝国〉の成立を禁止する物理法則などないだろう。ましてやその銀河帝国の存在確率や歴史を考えることが禁じられるはずもない。SFには物理学以上の自由度がある。
ぼくは須藤先生に、系外惑星すなわち太陽系外の惑星を研究対象として選んだ理由を尋ねた。
宇宙に限定しても研究候補は無数にあるはずで、どうしてその一つに可能性を感じたのか――それは新しいSFの言葉を探しているぼくが今回最も聞きたいことだった。
二〇〇一年、先生は宇宙論の共同研究者であるプリンストン大学のエド・ターナー教授を東大に招いた。物理学教室で一時間ほどの講演をお願いすると、ターナー教授は系外惑星のことを話したいと言い出した。てっきり彼が宇宙論の話をするとばかり思っていた須藤先生には予想外のことだった。しかしその講演を聞いているうちに「頭のなかに具体的なイメージが湧いてきて、即座にその研究の魅力にとりつかれてしまった」そうだ。
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