――パルタージュpartageとはフランス語で「分割」「共有」「分有」の意。
 小林秀雄は〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない〉と書いたが、想像力というようなものはなく、あるのはただ、個々の想像だけだとも思う。
 それでもなお、想像力(を分有すること)をこの文章の目的に置いて、インタビューを含む取材を始めたい。予定しているインタビュイーはそれぞれの領域の最前線におられる方たちであり、そこはまさに想像と想像力の境界線なのだから。そしてこれまで同様、これからのSFの言葉もまた、その線の上に存在するに違いない。


『想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして』
第2回 赤毛のアンはなぜ幾何学が苦手か――小石川植物園より

高島 雄哉 
yuya TAKASHIMA(写真撮影=著者/カット=meta-a)

●これまでの高島雄哉「想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして」を読む 【第1回

 アンの日々の行動が魅力的だったことばかりが印象に残っていて、最近きちんと読むまで特に意識していなかったのだけれど、『赤毛のアン』の主人公アン・シャーリーはとても勤勉で、学校の成績が良い。プリンスエドワード島ではライバルのギルバートと常に学年一位を争い、カナダ本土の大学への奨学生にも選ばれている。
 その彼女が唯一苦手な科目が幾何学で、教師には嫌味を言われるし、進学のときにも彼女の障壁となる。作者であるモンゴメリは、作劇上の都合で一科目だけ苦手にしたのだろうか。そうだとしても、どうして幾何学なのだろう。幾何学といえば数学のなかでも想像力を駆使する分野のような気がするけれど、とにかくアンは次のように言う。

“I'm sure I'll never be able to make head or tail of it. There is no scope for imagination in it at all.” (私には絶対一生理解できない。想像の余地がないんだから)


 アンは自分の部屋から見える桜の木を“雪の女王”、近所の池を“きらめきの湖”と名付けるなど、いつも何かを想像している。彼女自身もこの想像の余地 scope for imagination を大切なものと考えており、かなり頻繁にこの言葉を使う。上の台詞はその一例というわけだ。
 つまりはアンの口癖みたいなものなのだが、だからといって幾何学が苦手な言い訳として適当に使っているわけではない。むしろ彼女にとって譲れない核心に幾何学は抵触しているのだ。もちろん彼女の考える幾何学が、ということだけれど。
 ここでぼくも言い訳めいたことを書いておくと、アンのシリーズは本編が九冊、スピンオフの短篇集が二冊あって、ぼくは本編の第一巻『グリーンゲイブルズのアン』しか読んでいないので、それ以降のことを知らない。
 ただアンはかなり意思が強く、彼女の赤毛をからかったギルバートに五年間ずっとツンケンした態度を取り続けるほどだから、幾何学についてもよほどのきっかけがない限りは意見を変えたりしないはずだ。
 一体どうしてアンは幾何学を想像の余地のないものだと思ったのだろうか。あるいはモンゴメリ自身がそう思っていたのかもしれない。アンにはモンゴメリの少女時代が濃厚に投影されているのだから。
 上の台詞を口にしたときのアンは地元の学校に通っている。そこは教室が一つだけの、どうやら小学校と中学校が混ざったようなところなので――きちんと調べれば当時の教育の様子もわかるだろうが――アンが苦手にしている幾何学はいわゆる初等幾何だと思われる。図形の長さや面積を求める問題や、定規とコンパスを使って条件を満たす図形を描く作図問題、そして二つの角度が等しいことを論証するような証明問題などを、二十一世紀の今も世界中の子供たちが解いている。アンの舞台は十九世紀末のカナダだが、数学教育は今と大して違わないらしい(のですが、定かではありません)。

 今年はアルベルト・アインシュタインが一般相対性理論を完成させて百年になる(特殊相対論は一九〇五年、一般相対論は一九一五年です)。そして一般相対論と言えば、曲がった空間の幾何学――リーマン幾何学だ。
 十九世紀の偉大なる数学者カール・フリードリヒ・ガウスが「曲面上の幾何学」の研究を始め、弟子のベルンハルト・リーマンがそれをn次元に〈拡張〉して、リーマン幾何学を作り上げた。アインシュタインは友人の数学者に教えられ、二十世紀初頭の物理学者の多くが知らなかった新しい幾何学を自らの理論に取り入れたのだった。
 物理学が万物の理論を目指す以上、最先端の数学を用いるのは当然のことだろう。特に幾何学は、古来より〈土地を測る〉ための数学であり、世界の成り立ちを記述する数学なのだから。
 アイザック・ニュートンが一六八七年に著した『プリンキピア』には力学の様々な定理が示されているが、彼は定理を証明する際、彼のもう一つの大きな業績である微分積分を使わず、ユークリッド幾何学を用いている。ユークリッド――すなわち紀元前三世紀プトレマイオス朝の都アレクサンドリアの数学者エウクレイデス――の『原論』は史上最も読まれた数学書だが、長いあいだ論証の模範とされており、十七世紀の哲学者スピノザも『エチカ』『原論』に似せて書いている。ニュートン力学はユークリッド空間内での運動を記述する理論なのだし、彼が説明にユークリッド幾何学を選んだのは当然だったのだろう。
 そしてニュートンと言えば林檎の木だ。
 apple.jpg ちなみに隣にはメンデルの葡萄が、藤棚ならぬ葡萄棚で、こちらも元気にツルを伸ばしていた。メンデルと言えばエンドウ豆を使って遺伝の法則を発見したことで有名だが、葡萄でも同様の研究をしていたのだという。ニュートンの林檎は航空便で羽田空港に届けられたが、メンデルの葡萄はそのちょうど半世紀前の一九一四年にシベリア鉄道でチェコから運ばれた。それが今ここに二つ並んでいる風景には、どうしたって歴史を感じてしまう。

(2015年5月8日)



■ 高島 雄哉(たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。徳山市(現・周南市)育ち。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)。同作は〈ミステリーズ!〉vol.66に掲載され、短編1編のみの電子書籍としても販売されている。



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