避けがたい死が忍び寄っていくさまを淡々とした筆致で、
しかし同時に精細な描写によって物語る。

(ネヴィル・シュート『渚にて』訳者あとがき)

佐藤龍雄 tatsuo SATOH

 

 本書はネヴィル・シュート On the Beach(1957年初刊)の全訳であり、東京創元社の文庫創刊50周年を記念し新訳にて訳出したものです。翻訳のテキストには House of Stratus 版(2002年刊)On the Beach をもちいました。
 この小説は核兵器による第三次世界大戦が終息したあとの世界を背景とし、〈死の灰〉の最終到達地となるオーストラリア大陸を舞台として、そこで生きるさまざまな人々に避けがたい死が忍び寄っていくさまを淡々とした筆致で、しかし同時に精細な描写によって物語った近未来小説であり、終末テーマの一大傑作として世界的に読み継がれています。


 作者ネヴィル・シュート(本名Nevil Shute Norway)は1899年ロンドンのイーリング(当時はミドルセックス群所属の町)生まれのイギリス人で、本来は航空機設計の技術者でありまた同方面の事業家でもあり、英国の飛行機界に大きな足跡を残した人物ですが、同時にそうした人生経験や第一次世界大戦での従軍体験などをもとに冒険小説作家となり、母国イギリスでは「アガサ・クリスティ、ハモンド・イネスと並んで広汎な支持を得ている」(シュート作の長編小説『パイド・パイパー 自由への越境』の訳者池央耿氏による同書「あとがき」より)とさえいわれるほど大成しました。第二次大戦後オーストラリアに移住し、最大の代表作であり歴史的名作ともなったこの『渚にて』を発表したのち、1960年に60歳で世を去りました。
 わが国では本作品のみが突出して有名ですが、幸い前述の『パイド・パイパー』も創元推理文庫版にて現在も読まれています。第二次大戦を背景としたヒューマニズムと冒険心あふれるロード・ノベルの傑作ですので、本書によりこの作家に関心を持たれた読者は是非そちらも手にとってみていただきたいと思います。


 なお本書旧版の『渚にて 人類最後の日』は、当初〈文藝春秋〉1957年12月号に木下秀夫訳「人類の歴史を閉じる日」と題して要約が掲載され、翌1958年に文藝春秋新社より木下秀夫訳『渚にて 人間の歴史を閉じる日』として若干の省略が施された翻訳書が単行本として刊行されたのち、その翻訳の実質的担当者だった井上勇氏による初めての全訳が1965年に創元推理文庫(現・創元SF文庫)版として刊行されたという経緯をたどっています。他版としては、篠崎書林版『渚にて』(山路勝之訳・1976年刊)があります。
 またこの小説を原作とする映画には、本書「解説」において鏡明氏が採りあげているアメリカ映画『渚にて』(ON THE BEACH スタンリー・クレイマー監督、グレゴリー・ペック/エヴァ・ガードナー主演、1959年)、およびオーストラリア制作(正式には米豪合作)のテレビ映画『エンド・オブ・ザ・ワールド』(ON THE BEACH ラッセル・マルケイ監督、アーマンド・アサンテ/レイチェル・ウォード主演、2002年)の2作品が知られています。ちなみに後者のソフトウェア化商品には「完全版」と「短縮版」の2種があります。


 以下にネヴィル・シュート作の全長編小説を執筆年順に列記しておきます。


 Stephen Morris (1923) 刊行は1961
 Pilotage (1924) 刊行は1961
 Marazan (1926) 小説家としてのデビュー作
 So Disdained (1928) 米国版題名 The Mysterious Aviator
 Lonely Road (1932)
 Ruined City (1938) 米国版題名 Kindling
 What Happened to the Corbetts (1938) 米国版題名 Ordeal
 An Old Captivity (1940) 『操縦士』福島昌夫訳 高山書院 1941年
 Landfall: A Channel Story (1940)
 Pied Piper (1942) 『さすらいの旅路』池央耿訳 角川文庫 1971年(のちに改訳し『パイド・パイパー  自由への越境』として創元推理文庫より2002年再刊)
 Most Secret (1942) 刊行は1945
 Pastoral (1944)
 Vinland the Good (1946)
 The Chequer Board (1947)
 The Seafarers (1947) 刊行は2002
 No Highway (1948)
 A Town Like Alice (1950) 米国版題名 The Legacy 『アリスのような町』 小積光男訳 日本図書刊行会 2000年
 Round the Bend (1951)
 The Far Country (1952) 『遥かな国』末永時恵訳 新潮社 1956年
 In the Wet (1953)
 Requiem for a Wren (1955) 米国版題名 The Breaking Wave
 Beyond the Black Stump (1956)
 On the Beach (1957) 本書
 The Rainbow and the Rose (1958) 『失なわれた虹とバラと』大門一男訳 講談社 1968年
 Trustee from the Toolroom (1960)


 最後に、本書訳出に際しまして、旧版『渚にて 人類最後の日』(創元SF文庫)を参照し、訳文を参考にさせていただくとともに、ストーリーおよび文章を理解するうえでもたいへん助けられました。ここに記して、同書の訳者である故井上勇先生の英霊と訳業への表敬並びに謝辞とさせていただきます。なお本書巻頭に引用されているT・S・エリオットの詩は、本書の訳者佐藤が独自解釈により新たに訳したものであることを添記します(本書のタイトルはこの詩を由来の一端とすると同時に、「陸上勤務となって」「零落して」等を意味する慣用句 on the beach をも含意すると考えられます)。
 また、SF界の大先達鏡明さんにはご多忙のなかすばらしい解説をお寄せいただき、このうえなく感激しております。厚く御礼申しあげます。

(2009年4月26日)

佐藤龍雄(さとう・たつお)
1954年生まれ。英米文学翻訳家。主な訳書に、ワイリー&バーマー『地球最後の日』、ディック『あなたをつくります』『ドクター・ブラッドマネー』『最後から二番目の真実』など多数。