丸山先生は鍛金技法を駆使して、ボクサーやレスラーという闘う人間の像を作る。金属板を叩き延ばしているから、高さ一メートルを超える作品でもそれほど重くはない。といっても、軽々と持ち上げられるのは丸山先生だからだ。鍛金作家は作品づくりを通して自然と腕や肩周りが鍛えられている。「BOXER」は2013年作(銅/銀箔/漆/H 125×50×35cm)。「DIVER」は2014年作(銅/銀箔/色漆/H127×60×53cm)。
丸山先生は若い頃から〈人の物語〉をテーマに作品をつくってきた。『千夜一夜物語』をモチーフにした抽象的な作品もある。先生の作り出す人物はみな、鮮明で緻密な造形によって〈謎めいた存在感〉を放ちながら、形作られた現在に至るまでの豊かな〈物語〉をその身にまとう。
アメリカのギャラリーの個展会場で丸山先生の作品をじっと見ていた人が「物語を感じる」と言ってそれを購入した。結局、会期中に複数の作品が買われたという。
「このときはうれしかったですね。言葉の違いを越えて伝わるんだと感じました」
なぜ人は〈物語〉に惹かれるのか。
なぜ〈物語〉を聞き、語るのか。
なぜ鍛金や小説で――金属や言葉によって――〈物語〉を記述しようとするのか。
ぼくたちの思考や嗜好をつまびらかにすることは難しい。金鎚を振り、キーボードを叩くとき、確実なのはその行為だけで、なぜそんな行為をしているのか、しようと思ったかなんて、遠い過去の話だからだ。〈過去〉を探ることの大変さは、第21、22回で南部陽一郎さんの「卒論」を取材したときに改めて認識させられたことだった。
とはいえ明らかなこともある。人の遺伝子に「鍛金」「小説」「物語」といった言葉が書き込まれているわけではないだろうから、ぼくたちはかつてどこかでそういった言葉あるいは存在に出会ったのだ。
丸山先生のおじいさんは鍛冶職人だった。
先生は幼いころからおじいさんの工房で過ごしていて、そのころに感じた〈鉄の匂い〉は記憶に鮮やかに残っているという。実はぼくも祖父が家具職人で、小学生のときは工房にしょっちゅう出入りしていて、丸山先生の話は非常に納得できた。ぼくの場合は〈木の匂い〉で、今も木の匂いがするとあの頃を思い出す。
その後、丸山先生は地元湘南の高校を卒業して、工場建設の現場に入る。湾岸の化学コンビナートでプラントのパイプを溶接していたのだ。
「金属でなにかを作りたかったんです。そこに二年ほどいて、実際に工場施設を作るようになって、自分の作品が作りたくなりました。そのとき藝大にいた兄とも話して、アーティストになろうと、藝大に行くことにしたんです」
丸山先生は工芸科に入り、芸術学科と同じように絵画科や彫刻科で実習をするなかで彫刻に魅力を感じたこともあったが、最終的に初めの志望通り、鍛金を選択した。
「鍛金の〈距離感〉が自分に合っているんだと思います」
距離感の意味するところを訊ねると、先生はロダンを例に挙げた。
オーギュスト・ロダン(1840-1917)の作品の多くは、彼が粘土によって原型を作り、それを専門の鋳物師(いもじ)が青銅などで鋳造したものだ。サイズを拡大あるいは縮小して鋳造したものもある。
余談だが、鋳造作品は版画に似ていて、同じものを複数作ることができる。写真や映画とは複製できる点数が大きく異なるものの、複製芸術の一種と言える。ロダンの作品については、パリにある国立ロダン美術館が「ひとつの作品につき十二点までしか鋳造しない」などのルールを定めた上で、現在も鋳造されている。
さらに脱線すると、藝大の絵画棟の大石膏室には「サモトラケのニケ」などの巨大な石膏像が立ち並んでいる。世界中にそういう石膏像はあるのだが、藝大が持つ石膏像の多くはオリジナルの大理石像から型を取ったものらしい。石膏像というのは、直接オリジナルから型取りしたものもあれば、型取りした石膏像から型取りしたものもあり、さらにそれを型取りして――といった具合に、すべての複製が同等ではなく、オリジナルから離れていくにつれて、特に細部が曖昧になっていくという。だからなるべくオリジナルから型取りした石膏像のほうが良いわけだ。
さて、ロダン彫刻の特徴のひとつは荒々しい表面の凹凸だ。彼以前の彫刻作品では表面を滑らかにするのが当然だった。理想的な人体美を追求するためだ。ところがロダンの作品では彼の指や道具の跡もそのまま残っている。それは見る者にロダンという作家の存在を感じさせると共に、作品そのものにも――理想化されていない――現実感、生々しさを与えている。
「ロダンの彫刻のように手の痕跡が残っているのも良いですけど、鍛金の鎚跡はもっとドライなんですね。ハンマーを振り上げて金属を叩くストロークのように、作品と自分のあいだに〈距離〉があるんです」
鎚跡とはハンマーによる打撃の痕跡であり、鍛金作品の大きな魅力だ。工場で作られた大量生産品のなかには機械で鎚跡をつけるものがあるが、ひとつずつ叩いていったようなものではなく、人間の作家による槌跡の複雑さには到底およばない。
鎚跡には――作者の意図などといった、センチメンタルで実証できないものではなく――作者の手の運動が刻印、〈記憶〉されている。ロダンの手の跡からは静的な力学が、丸山先生の鎚跡からは動的な力学が感じられるというのは、いささか分析的すぎるだろうか。
丸山先生はスーラの絵について話してくれた。
ジョルジュ・スーラ(1859-1891)(https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョルジュ・スーラ)はフランスの画家で、モネやルノワールの印象派から影響を受けて、新印象派を立ち上げた。印象派は多彩な色をカンヴァスに併置させる。スーラは、離れて見ると隣り合った複数の色が混ざり合ってひとつの色になる〈視覚混合〉という光学現象を追求し、点状の筆致をもちいて全体としては一枚の絵となる〈点描〉技法を確立した。彼の作品はネットなどに写真があるが、国立西洋美術館の常設展などで実物を見ることができる。
「作り手には自分が想像したものをdescribe(記述する)という目的があって、いろいろと探っていって、それが実現できる〈一点〉を見つけるわけです。スーラの点描にしても、ロダンの手の跡にしても、彼らが技法を探していった結果として、記述のための一点にたどり着いたんだと思います」
丸山先生のハンマーは動きの〈記憶〉を金属に閉じ込めて、まさに動こうとする〈物語〉を記述している。金属板を変形させて作られた様々な人物像は、動的な〈記憶〉をもって立っている。「WRESTLER」は2016年の作品(銅/銀箔/漆/H 140×75×35cm)。
そしてその向かい側に立つ鑑賞者も様々な〈記憶〉を持っている。ギャラリーは出入り自由だ。色々な人がやってくる。格闘技を習っているかもしれないし、金属を研究しているかもしれない。
遠くから見たときには漠然と感じられるだけだった実在感は、近づいて表面が見えてくると、無数の鎚跡による複雑な質感がもたらしていたものだったことに気づく(美術館などで作品に近づくのは、作品の物体ないし素材を見るために他ならない。彫刻にしろ絵画にしろ工芸にしろ、すべては物質の複合体であって、言語に還元しきれない素材感、存在感を持っている)。
ハンマーの動きの〈記憶〉は、作品に時間と空間を与え、ついには〈物語〉を生じさせる。その〈物語〉は鑑賞者の〈記憶〉と響き合って、さらに新しい〈物語〉をかたちづくる。物語は孤立していないのだ。
ある物語が記憶や他の物語とくらべてどれほど似ているか、あるいはどれだけ異なっているかに応じて、〈物語間距離〉とでも呼ぶべきものを想定できる。そして距離や方向のデータが集まれば、物語たちが構成する〈物語空間〉が浮かび上がる。距離や方向を測定し、世界の地図を作ることは、天文学や幾何学の基礎であり根幹だ。
記憶や物語はぼくたちが世界のどこにいるのかを指し示してくれる。
「物語をテーマにしているのは、そこから見えてくる自己のなかの何らかの気づきを明らかにしたいからです」
そう語る丸山先生は学生時代から三十年以上にわたって鍛金技法をもちいて作品を作り続けている。
「まだまだ極めているとは言えませんが、学生時代よりは上手くなって、そうですね、この作品ならこう作っていけばいいと判断できる領域が広がりましたね」
ある行為が〈技術〉として身についていれば、その行為を実際にしなくても、自分でどこまでできるかを予見できる。技術を習得するということは、実現可能な領域を広げることであると同時に、実現可能かどうかを予見できる領域を広げることでもある。
それはつまり技術から離れて、メタレベルから技術を考えることだと言える。
ぼくが小説を書こうと決めたのは物理学科にいた頃だった。そのあとなぜ藝大に行ったかというと、小説を芸術のひとつだと考え、より広い視点から小説を捉えるために他の芸術も学ぼうと思ったからだ。
というのは格好を付けた言い方だけれど、そんなに見当違いの思いつきではなかったと今では思う。言語芸術に関しても、ぼくや第20回で話を聞いた松永くんの指導教官だった松尾大(まつお・ひろし)教授がレトリック研究の第一人者で、様々な示唆が得られたのは僥倖だった。
丸山先生は鍛金技法を追求しながら、彫刻や絵画はもちろん、多くの芸術領域にもお詳しい。それは鍛金を〈距離〉をとって冷静に見るために必要なことなのだ。
小説とはなにか。SFとはなにか。新しいSFの言葉とはなにか。これらの問いに答えるためには、多くの言語空間を行き来しつつ、同時に言語と〈距離〉をとらなければならない。言語から離れた超空間に立たなければならないのだ。
どのような空間で、どのような幾何学で見るかによって、図形はその姿を変える。幾何学における〈空間〉のなかには〈距離〉構造を持たないものだってある。
とはいえ、どんなに不可解な超空間内でも、そこはぼくたちの記憶や物語と完全に切り離されたところではない。そして〈匂いの記憶〉は身体的なデータとして、物語は始まる前、自らの原点を思い出させてくれる。
自分が、そして別の誰かが、どこから来てどこに行くのか。無数の〈物語〉が立ち上がり、世界全体が明らかになる。
(次回は8月上旬の予定です。アーティストになることについて、芸術を教えることについて、丸山先生のアトリエでうかがってきます。)
丸山智巳(まるやま・ともみ/東京藝術大学美術学部工芸科准教授)
1964年神奈川県生まれ。1990年藤野賞。1992年東京藝術大学卒(卒業制作買い上げ)。1994年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程鍛金専攻修了。2007年淡水翁賞。研究分野は「金属素材に於ける具象表現研究」「金工伝統技法研究とその新しい可能性と表現」。個展として2009年にTOMOMI MARUYAMA SCULPYURE Mobilia Gallery/Boston、2015年に丸山智巳展「Story」galerieH/東京ほか。展覧会は1997年に創立110周年記念 東京藝術大学所蔵名品展、2003年から2007年にかけてニューヨーク・シカゴ・フロリダにてSOFA exhibition、2011年に北京にて国際金属工芸展最優秀賞、2015年にボストンにてSNAG conferences、2016年に東京銀座LIXIL galleryにてLiving Thingsなど。ブログはhttp://tomomimaruyama.blogspot.jp。
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丸山先生は若い頃から〈人の物語〉をテーマに作品をつくってきた。『千夜一夜物語』をモチーフにした抽象的な作品もある。先生の作り出す人物はみな、鮮明で緻密な造形によって〈謎めいた存在感〉を放ちながら、形作られた現在に至るまでの豊かな〈物語〉をその身にまとう。
アメリカのギャラリーの個展会場で丸山先生の作品をじっと見ていた人が「物語を感じる」と言ってそれを購入した。結局、会期中に複数の作品が買われたという。
「このときはうれしかったですね。言葉の違いを越えて伝わるんだと感じました」
なぜ人は〈物語〉に惹かれるのか。
なぜ〈物語〉を聞き、語るのか。
なぜ鍛金や小説で――金属や言葉によって――〈物語〉を記述しようとするのか。
ぼくたちの思考や嗜好をつまびらかにすることは難しい。金鎚を振り、キーボードを叩くとき、確実なのはその行為だけで、なぜそんな行為をしているのか、しようと思ったかなんて、遠い過去の話だからだ。〈過去〉を探ることの大変さは、第21、22回で南部陽一郎さんの「卒論」を取材したときに改めて認識させられたことだった。
とはいえ明らかなこともある。人の遺伝子に「鍛金」「小説」「物語」といった言葉が書き込まれているわけではないだろうから、ぼくたちはかつてどこかでそういった言葉あるいは存在に出会ったのだ。
丸山先生のおじいさんは鍛冶職人だった。
先生は幼いころからおじいさんの工房で過ごしていて、そのころに感じた〈鉄の匂い〉は記憶に鮮やかに残っているという。実はぼくも祖父が家具職人で、小学生のときは工房にしょっちゅう出入りしていて、丸山先生の話は非常に納得できた。ぼくの場合は〈木の匂い〉で、今も木の匂いがするとあの頃を思い出す。
その後、丸山先生は地元湘南の高校を卒業して、工場建設の現場に入る。湾岸の化学コンビナートでプラントのパイプを溶接していたのだ。
「金属でなにかを作りたかったんです。そこに二年ほどいて、実際に工場施設を作るようになって、自分の作品が作りたくなりました。そのとき藝大にいた兄とも話して、アーティストになろうと、藝大に行くことにしたんです」
丸山先生は工芸科に入り、芸術学科と同じように絵画科や彫刻科で実習をするなかで彫刻に魅力を感じたこともあったが、最終的に初めの志望通り、鍛金を選択した。
「鍛金の〈距離感〉が自分に合っているんだと思います」
距離感の意味するところを訊ねると、先生はロダンを例に挙げた。
オーギュスト・ロダン(1840-1917)の作品の多くは、彼が粘土によって原型を作り、それを専門の鋳物師(いもじ)が青銅などで鋳造したものだ。サイズを拡大あるいは縮小して鋳造したものもある。
余談だが、鋳造作品は版画に似ていて、同じものを複数作ることができる。写真や映画とは複製できる点数が大きく異なるものの、複製芸術の一種と言える。ロダンの作品については、パリにある国立ロダン美術館が「ひとつの作品につき十二点までしか鋳造しない」などのルールを定めた上で、現在も鋳造されている。
さらに脱線すると、藝大の絵画棟の大石膏室には「サモトラケのニケ」などの巨大な石膏像が立ち並んでいる。世界中にそういう石膏像はあるのだが、藝大が持つ石膏像の多くはオリジナルの大理石像から型を取ったものらしい。石膏像というのは、直接オリジナルから型取りしたものもあれば、型取りした石膏像から型取りしたものもあり、さらにそれを型取りして――といった具合に、すべての複製が同等ではなく、オリジナルから離れていくにつれて、特に細部が曖昧になっていくという。だからなるべくオリジナルから型取りした石膏像のほうが良いわけだ。
さて、ロダン彫刻の特徴のひとつは荒々しい表面の凹凸だ。彼以前の彫刻作品では表面を滑らかにするのが当然だった。理想的な人体美を追求するためだ。ところがロダンの作品では彼の指や道具の跡もそのまま残っている。それは見る者にロダンという作家の存在を感じさせると共に、作品そのものにも――理想化されていない――現実感、生々しさを与えている。
「ロダンの彫刻のように手の痕跡が残っているのも良いですけど、鍛金の鎚跡はもっとドライなんですね。ハンマーを振り上げて金属を叩くストロークのように、作品と自分のあいだに〈距離〉があるんです」
鎚跡とはハンマーによる打撃の痕跡であり、鍛金作品の大きな魅力だ。工場で作られた大量生産品のなかには機械で鎚跡をつけるものがあるが、ひとつずつ叩いていったようなものではなく、人間の作家による槌跡の複雑さには到底およばない。
鎚跡には――作者の意図などといった、センチメンタルで実証できないものではなく――作者の手の運動が刻印、〈記憶〉されている。ロダンの手の跡からは静的な力学が、丸山先生の鎚跡からは動的な力学が感じられるというのは、いささか分析的すぎるだろうか。
丸山先生はスーラの絵について話してくれた。
ジョルジュ・スーラ(1859-1891)(https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョルジュ・スーラ)はフランスの画家で、モネやルノワールの印象派から影響を受けて、新印象派を立ち上げた。印象派は多彩な色をカンヴァスに併置させる。スーラは、離れて見ると隣り合った複数の色が混ざり合ってひとつの色になる〈視覚混合〉という光学現象を追求し、点状の筆致をもちいて全体としては一枚の絵となる〈点描〉技法を確立した。彼の作品はネットなどに写真があるが、国立西洋美術館の常設展などで実物を見ることができる。
「作り手には自分が想像したものをdescribe(記述する)という目的があって、いろいろと探っていって、それが実現できる〈一点〉を見つけるわけです。スーラの点描にしても、ロダンの手の跡にしても、彼らが技法を探していった結果として、記述のための一点にたどり着いたんだと思います」
丸山先生のハンマーは動きの〈記憶〉を金属に閉じ込めて、まさに動こうとする〈物語〉を記述している。金属板を変形させて作られた様々な人物像は、動的な〈記憶〉をもって立っている。「WRESTLER」は2016年の作品(銅/銀箔/漆/H 140×75×35cm)。
そしてその向かい側に立つ鑑賞者も様々な〈記憶〉を持っている。ギャラリーは出入り自由だ。色々な人がやってくる。格闘技を習っているかもしれないし、金属を研究しているかもしれない。
遠くから見たときには漠然と感じられるだけだった実在感は、近づいて表面が見えてくると、無数の鎚跡による複雑な質感がもたらしていたものだったことに気づく(美術館などで作品に近づくのは、作品の物体ないし素材を見るために他ならない。彫刻にしろ絵画にしろ工芸にしろ、すべては物質の複合体であって、言語に還元しきれない素材感、存在感を持っている)。
ハンマーの動きの〈記憶〉は、作品に時間と空間を与え、ついには〈物語〉を生じさせる。その〈物語〉は鑑賞者の〈記憶〉と響き合って、さらに新しい〈物語〉をかたちづくる。物語は孤立していないのだ。
ある物語が記憶や他の物語とくらべてどれほど似ているか、あるいはどれだけ異なっているかに応じて、〈物語間距離〉とでも呼ぶべきものを想定できる。そして距離や方向のデータが集まれば、物語たちが構成する〈物語空間〉が浮かび上がる。距離や方向を測定し、世界の地図を作ることは、天文学や幾何学の基礎であり根幹だ。
記憶や物語はぼくたちが世界のどこにいるのかを指し示してくれる。
「物語をテーマにしているのは、そこから見えてくる自己のなかの何らかの気づきを明らかにしたいからです」
そう語る丸山先生は学生時代から三十年以上にわたって鍛金技法をもちいて作品を作り続けている。
「まだまだ極めているとは言えませんが、学生時代よりは上手くなって、そうですね、この作品ならこう作っていけばいいと判断できる領域が広がりましたね」
ある行為が〈技術〉として身についていれば、その行為を実際にしなくても、自分でどこまでできるかを予見できる。技術を習得するということは、実現可能な領域を広げることであると同時に、実現可能かどうかを予見できる領域を広げることでもある。
それはつまり技術から離れて、メタレベルから技術を考えることだと言える。
ぼくが小説を書こうと決めたのは物理学科にいた頃だった。そのあとなぜ藝大に行ったかというと、小説を芸術のひとつだと考え、より広い視点から小説を捉えるために他の芸術も学ぼうと思ったからだ。
というのは格好を付けた言い方だけれど、そんなに見当違いの思いつきではなかったと今では思う。言語芸術に関しても、ぼくや第20回で話を聞いた松永くんの指導教官だった松尾大(まつお・ひろし)教授がレトリック研究の第一人者で、様々な示唆が得られたのは僥倖だった。
丸山先生は鍛金技法を追求しながら、彫刻や絵画はもちろん、多くの芸術領域にもお詳しい。それは鍛金を〈距離〉をとって冷静に見るために必要なことなのだ。
小説とはなにか。SFとはなにか。新しいSFの言葉とはなにか。これらの問いに答えるためには、多くの言語空間を行き来しつつ、同時に言語と〈距離〉をとらなければならない。言語から離れた超空間に立たなければならないのだ。
どのような空間で、どのような幾何学で見るかによって、図形はその姿を変える。幾何学における〈空間〉のなかには〈距離〉構造を持たないものだってある。
とはいえ、どんなに不可解な超空間内でも、そこはぼくたちの記憶や物語と完全に切り離されたところではない。そして〈匂いの記憶〉は身体的なデータとして、物語は始まる前、自らの原点を思い出させてくれる。
自分が、そして別の誰かが、どこから来てどこに行くのか。無数の〈物語〉が立ち上がり、世界全体が明らかになる。
(次回は8月上旬の予定です。アーティストになることについて、芸術を教えることについて、丸山先生のアトリエでうかがってきます。)
丸山智巳(まるやま・ともみ/東京藝術大学美術学部工芸科准教授)
1964年神奈川県生まれ。1990年藤野賞。1992年東京藝術大学卒(卒業制作買い上げ)。1994年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程鍛金専攻修了。2007年淡水翁賞。研究分野は「金属素材に於ける具象表現研究」「金工伝統技法研究とその新しい可能性と表現」。個展として2009年にTOMOMI MARUYAMA SCULPYURE Mobilia Gallery/Boston、2015年に丸山智巳展「Story」galerieH/東京ほか。展覧会は1997年に創立110周年記念 東京藝術大学所蔵名品展、2003年から2007年にかけてニューヨーク・シカゴ・フロリダにてSOFA exhibition、2011年に北京にて国際金属工芸展最優秀賞、2015年にボストンにてSNAG conferences、2016年に東京銀座LIXIL galleryにてLiving Thingsなど。ブログはhttp://tomomimaruyama.blogspot.jp。
(2017年7月7日)
■ 高島 雄哉(たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。徳山市(現・周南市)育ち。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)。同作は〈ミステリーズ!〉vol.66に掲載され、短編1編のみの電子書籍としても販売されている。2016年『ゼーガペインADP』SF考証、『ガンダム THE ORIGIN IV』設定協力。twitterアカウントは @7u7a_TAKASHIMA 。ミステリ、SF、ファンタジー、ホラーのWebマガジン|Webミステリーズ!