南部さんは1921年生まれ。ブレイクは(1757 - 1827)は十九世紀末から盛んに邦訳されている。南部さんがいた当時の一高の授業でもブレイクの詩は採り上げられたかもしれない。
 南部さんとブレイクの関わりについてのネット記事は見当たらなかったが、個々の情報は膨大にあり、彼らの生涯についての記事や、彼らの業績を分析した学術論文を読むだけで数日どころか数年はかかりそうなほどだ。
 二月になって入手した南部陽一郎『素粒子物理学の100年』(高等研選書8、2000年)によると、南部さんは戦争のため二年半で繰り上げ卒業してから一年間、工兵隊で訓練を受けている。工兵は戦闘や兵站の支援をする兵科で、現在の陸上自衛隊における施設科にあたる。
 その後南部さんは陸軍の研究所でレーダーの研究をすることになる。物資不足のためだろう、支給された軍服を着ていたために研究所の教授たちからは「南部中尉殿」と呼ばれていたという。この数年間のことだけで短編小説になりそうだが、今回は南部さんの卒業論文が主眼だ。ちなみにウィキペディアでは卒業年が1942年と1943年が混在しているが、これは現在の東大のサイトにあるように1942年が正しいようだ。
 戦後には――同じサイトによれば――1946年から東大物理学科の嘱託の助手になり、1949年には新設の大阪市立大学に、1952年プリンストン高等研究所の研究員として渡米した。
 1956年以降はシカゴ大学で研究し、1961年に南部さんは〈自発的対称性の破れ〉に関する最初の論文を書く。この研究がノーベル物理学賞に繋がる業績となる。
 ノーベル賞の公式サイトによれば、南部さんの受賞理由は“サブアトミック物理における〈自発的対称性の破れ〉のメカニズムの発見 ”for the discovery of the mechanism of spontaneous broken symmetry in subatomic physics"。ここでのサブアトミックsubatomicとは、原子(アトム)よりも下の、原子内の、素粒子レベルの、という意味だ。
 〈自発的対称性の破れ〉というのは――2016年のノーベル物理学賞受賞理由である「物質のトポロジカル相とトポロジカル相転移の理論的発見」などと比べると――幾分親しみやすい言葉かもしれない。日常的にも「左右対称」といった言葉は使う。数年前から左右非対称の髪型がアシンメトリーなヘアということで、アシメヘアなどと呼ばれている。つまり〈自発的対称性の破れ〉とは、自然とアシンメトリーになる、ということに他ならない。
 〈自発的対称性の破れ〉の例によく出されるのは物質が自然に磁気を帯びる〈自然磁化〉だ。
 どんな物質も、原子ひとつひとつが磁気の元になる磁気モーメントを持つ。磁石にNとSの向きがあるように、磁気モーメントにも向きがあるのだが、普通はそれらの向きがバラバラなので、物質は全体として磁気をもたない。こうした特別な方向がなく、どの方向も対等な状態を「すべての方向に対して対称的だ」という。
 ところが鉄やコバルトなどの強磁性体では、複数の原子のあいだに互いの磁気の向きを揃えようとする相互作用が働き、磁気モーメントが揃った領域〈磁区〉を形成する。揃ったほうがエネルギー的に安定するからだ。こうして〈磁区〉単位で磁気が生じることを〈自発磁化〉という。強い磁石に触れさせるなどのきっかけなしに、あたかも自発的に元々あった対称性が破れたかのような、〈自発的対称性の破れ〉の典型例だ。磁区の大きさは10^-4cmから1cmほど。二十世紀初頭に理論的に存在が予想され、1931年に存在が確認された。
 KEK(高エネルギー加速器研究機構)の解説記事では、鉛筆の削ったほうを下にして立てるという例が挙げられている。立っている鉛筆は三六〇度全方位に対して対称的だが、傾いた瞬間に対称性は破れ、方位がひとつ決まる。
 ワイン瓶の底やメキシカンハットは、頂点が盛り上がり、その周囲に凹んだ溝がある。この頂点にビー玉を置くことを考えよう。ビー玉はいずれ転げ落ちて、溝のどこか一点で静止する。これも〈自発的対称性の破れ〉で、初めにあった対称性が自然に破れて――この例では溝まわりの――特別な方向が定まる。
 このように〈自発的対称性の破れ〉という現象は自然界の様々なところで見られるが、南部さんは素粒子の微小な世界においてもこの現象が――具体的には〈カイラル対称性〉の破れが――起きることである方向性が定まり、さらに波が生じることを示したのだ。
 微小な世界においては波と粒子は同じものとして見なされる。つまりサブアトミックなレベルでなんらかの対称性が破れると、粒子が生まれるということだ。南部さんの理論は五十年以上前に提唱されたものだが、今でも重要な理論として研究されている。このあたりについては東大の国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構(Kavli IPMU)の記事に解説がある。
 以上のアイデアは質量の起源である〈ヒッグス機構〉においても本質的だ。簡略化した概要だけ書いておく。まず重力場や電磁場の一種である〈ヒッグス場〉を想定する。宇宙誕生時には特別な向きを持たなかった〈ヒッグス場〉だが、宇宙の温度が下がるにつれて〈内部対称性〉が破れることである種の方向性を持つようになる。方向性が定まることで生じた波は――波と粒子は同じものだから――〈ヒッグス粒子〉と呼ばれる。すると他の粒子は〈ヒッグス粒子〉にぶつかるために、動きにくくなる。この動きにくさこそが質量なのだ。こうして素粒子は質量を獲得する。以上が〈ヒッグス機構〉だ。その証拠となるべき、理論的に存在が予想されていた〈ヒッグス粒子〉が実際に発見されたのは2012年。翌年、提唱者のピーター・ヒッグスはノーベル物理学賞を受賞した。
 またウィキペディアには〈対称性(物理)〉という項も設けられている。
 空間は〈並進対称性〉や〈回転対称性〉という対称性を持つ。空間そのものは――どの方向に進んでも、あるいはどの方向に回転しても――まったく同じように広がっているということだ。時間方向の移動については〈時間並進対称性〉も持っている。時間によって物理法則は変わらない。
 以上三つの対称性から、それぞれ三つの保存則が導かれる。1915年、一般に連続的な対称性があれば何らかの量が保存されるという〈ネーターの定理〉が数学的に証明された。空間の対称性二つからは〈運動量保存則〉と〈角運動量保存則〉が、時間の対称性からは〈エネルギー保存則〉が得られるのだ。

 対称性は破れても破れなくても――波や粒子、保存則を生み出す――物理にとって非常に重要なものだと言える。
 思えば卒論とは、学生という方向性が定まっていない状態から、対称性が破れて、何らかの方向性へと進んでいくときに書くものだ。
 南部さんの卒業は1942年。そのとき南部さんは二十一歳だった。
 南部さんが育った福井の福井新聞公式サイトでは、ノーベル賞受賞時の特集記事を読むことができる。
 この記事にウィリアム・ブレイクは出てこないものの、南部さんと文学の関わりがいくつか書いてある。高校時代、南部さんはトルストイ『アンナ・カレーニナ』を読むために一ヶ月ほど学校を休んだという。「友達に代返を頼んでおけば大丈夫」と語っているが、丸々一月という意味ではなく、授業のいくつかを休んだということだと思われる。
 ここで教育制度について補足しておこう。今の小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年という「6・3・3・4」制は1947年に新しく始まったもので、南部さんはいわゆる〈旧制〉の「6・4・3・3」で進学した。福井市立進放小学校で6年、福井中学で4年、第一高等学校で3年を過ごし、東京帝国大学はそれまでは3年だったが半年繰り上げの二年半での卒業だった。旧制では特に中学と高校でさまざまな進み方があったようだ。
 戦後になって旧制高校の多くは新制大学に改組された。旧制一高は現在の東京大学教養学部(駒場キャンパス)と千葉大医学部薬学部に、旧制三高は現在の京都大学総合人間学部と岡山大学医学部に、といったぐあいに。
 さて、福井新聞の記事によると、一校生だった南部さんは、大学で文学と数学と物理のいずれを専攻するかで迷ったという。旧制一高でも、新制になってからの東大教養学部でも、学生は理科と文科に分かれて所属して、二年の夏に進学先を決定する。進学先については元の所属の文理に依らず選ぶことができる。元々旧制一高や新制東大に入る段階で文理を選んでいるわけで、文科から理系学部に、あるいは理科から文系学部に進学する人は少なく、一高の理科にいた南部さんも結局は物理を専攻した。人気の学科だと成績によって選抜されることなども含めて、旧制一高のときから東大の進学制度はあまり変わっていないらしい。
 一高生は1935年以降、全員が駒場寮に住んでいた。1947年以降は新制となるが、ぼくや第4回の松本博文さん第8回9回の小池龍之介くんがいたころも、駒場寮は基本的に専門課程に進む前の教養課程の学生が住む寮だった。南部さんもぼくたちもみんな寮で友人たちと語り合いつつ、専門やその先の将来の方向を決断していったのだ。自らの対称性を破るために。

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 物理についてのエピソードも記事内にあった。南部さんがあるとき熱力学の単位を落としたのだが「寮が午前零時に消灯した後も〈ろう勉〉し」て頑張ったという。〈ろう勉〉とはろうそくで勉強することのようで、〈ろう勉〉中の南部さんの写真が同じ記事内に貼ってある。ぼくも電気を止められた駒場寮で図らずも〈ろう勉〉をしたことがあった。学年的にもちょうど熱力学を勉強していたはずだ。と同時にぼくも在寮中は授業を休みつつ、ドストエフスキーを端から読んでいたことも思い出した。
 さて、文学と数学と物理で迷っていた南部さんが物理を専攻することを決めたのは「東大進学を控えた一高3年生のとき」だった。そのころ湯川秀樹が理論的に存在を予言したパイ中間子が実際に観測されたことが報じられたのだ。湯川がノーベル賞を受賞するのは1949年だから、その十年ほど前のことだ。「物理でなら日本人でも世界に打って出られる、と知ったのが大きかった。理論の内容は全く分かりませんでしたけどね」と、当時を語っている。
 冒頭で駒場寮に触れたときにはただの紹介程度のつもりだったのだが、今回の文章にとってかなり重要な場所だったようだ。南部さんは一高時代を「人生で最も楽しかった」と語っている。
 今回ネットを中心に南部さんの発言やエッセイを見ていったが、すべて物理が中心になっている。特に一高を出てからの記述には、文学や映画の話はまったく出てこない。
 もしも南部さんによるブレイクの卒論があるとすれば、そこには南部さんのなかの文学と物理の対称性が書かれているはずだ。もしかすると、南部さんが物理を選び取る、〈自発的対称性の破れ〉のその瞬間の思考が書かれているかもしれない。
 謎はまだ残されている。そもそも1942年の段階で卒論はあったのか。あったとして南部さんは本当にブレイクで書いたのか、それともまったく別の内容だったのか。
 そろそろネットから現実に取材の場を移して、さらなる真実を探していこう。
(後編に続きます。次回は5月8日の予定です。)

(2017年3月1日)



■ 高島 雄哉(たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。徳山市(現・周南市)育ち。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)。同作は〈ミステリーズ!〉vol.66に掲載され、短編1編のみの電子書籍としても販売されている。2016年『ゼーガペインADP』SF考証、『ガンダム THE ORIGIN IV』設定協力。twitterアカウントは @7u7a_TAKASHIMA 。



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