さて、オールタイム・ベストSF投票の上位にはあがってこないとはいえ、海の向こう側の作家や読者がロマンティックな時間SFを嫌っているわけではない。その証拠がケン・グリムウッドの『リプレイ』 (1986/新潮文庫)やオードリー・ニッフェネガーの『きみがぼくを見つけた日』 (2003/ランダムハウス講談社文庫)といったベストセラーだ。
 つまり、海の向こう側では、オールタイム・ベストに投票するようなコアなSF読者は“歴史の分岐”や“タイム・パラドックス”をテーマにした時間SFを好むのに対し、一般読者は“時を超えた恋”や“人生のやり直し”をテーマにしたSFを好むのだといえる。後者がハードSFよりはファンタシーに近いのも、コアな読者に軽視される原因かもしれない。しかし、世界の運命ではなく、個人の運命に焦点を絞った物語は、ひょっとして自分の身にもこういう事態が起きるかもしれないと思わせるところがあり、訴求力は非常に強いものがある。
 ともあれ、海の向こう側でもロマンティックな時間SFやファンタシーはそれなりの数が書かれている。すでに書名をあげた以外の作品を思いつくままあげてみよう。
 筆頭にあげるべきは、ロバート・ネイサンの名作「ジェニーの肖像」(1940/創元推理文庫同題書所収)だろう。貧乏画家と、数カ月の間をおいて会うたびに年齢をいくつも重ねている不思議な少女の恋物語だが、J・W・ダンの時間理論が背後にあることは指摘しておく。これは予知夢の研究を通して生まれたもので、非常に簡単にいえば、過去・現在・未来の事象は同時に起こるのだが、われわれの知覚が不完全なため、直線的に感じられるにすぎないという考え方だ。この理論は多くの作家に影響をあたえ、さまざまな時間SFの基礎となった。その好例が、バリントン・J・ベイリーの『時間衝突』(1973/創元SF文庫)である。
 つぎにあげるべきは、ジャック・フィニイの『ふりだしに戻る』 (1970/角川文庫)だろうか。現代人が1882年へ時間転移する物語で、図版を駆使して精緻に再現されたニューヨークの描写が読みどころ。主人公とともにべつの時代を歩き、そこで恋に落ちる気分を味わえる。続篇に『フロム・タイム・トゥ・タイム――時の旅人』 (1995/同前)があるが、こちらは1912年のニューヨークを描いている。
 フィニイにならって過去への転移を描いたのが、リチャード・マシスンの『ある日どこかで』(1975/創元推理文庫)。写真を見てひと目惚れした過去の女優に会うため、1971年から1896年に時をさかのぼる物語だ。
 ロバート・シルヴァーバーグの『時間線を遡って』(1969/創元SF文庫)になると、スケールがぐっと大きくなる。というのも、時間旅行のガイドをしている主人公が恋に落ちるのは、ビザンチン帝国に生きる何十代も前の祖母なのだから。当時としては大胆な性描写が話題を呼んだ作品である。
 ジェリー・ユルスマンの『エリアンダー・Mの犯罪』 (1984/文春文庫)は、歴史の改変を真正面からあつかうと同時に、ポルノグラフィックな恋愛物語にもなっているという変わり種。タイム・マシンの生みの親、H・G・ウェルズが登場する点も興味深い。
 ディーン・クーンツの『ライトニング』 (1988/同前)は、時の彼方から愛する少女の成長を見守るタイム・トラヴェラーの物語。といっても、ヒロインが危機また危機にさらされるアクション満載のジェットコースター・ストーリーになるところが作者らしい。
 こういう調子で書いていると切りがないので、これくらいにしておこう。いずれも探して読む価値はある本なので、ご興味の向きはぜひとも現物をお読みいただきたい。あなたの前に新しい世界が広がるはずである。

 最後になったが、ナイトとハーネスの作品を改訳ではなく「同一訳者による新訳」と記した点について補足しておきたい。
 このふたつの作品には、浅倉久志氏の旧訳があった。そこで見直しをお願いしたところ、編者が用意した原文テキストには加筆が見られると判明し、氏が自主的に一から新訳を起こしてくださったのだ。したがって、「同一訳者による新訳」という珍しいケースになったしだい。あらためて浅倉氏に感謝を捧げたい。
(2009年9月13日)

中村 融(なかむら・とおる)
1960年生まれ。中央大学卒業。SF・ファンタジイ翻訳家、研究家、アンソロジスト。主な訳書に、ウェルズ『宇宙戦争』『モロー博士の島』、ハワード《新訂版コナン・シリーズ》。主な編著に『影が行く』『地球の静止する日』、《奇想コレクション》シリーズ(河出書房新社)などがある。

●中村融「ふたつの世界の戦い――『宇宙戦争』をめぐって」(H・G・ウェルズ『宇宙戦争』訳者あとがき[全文])を読む。


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