物語の基点となるのは、昭和40年。だが、本書の刊行は昭和20年2月。終戦の半年前だ。「序」の日付は昭和19年10月20日なので、脱稿も昭和19年と考えてよいだろう。とにかく、昭和40年と言えば、執筆時点の二十年も未来のことなのだ。
昭和40年から「二た昔前の昭和○○年」頃を振り返る形で、物語は始まる。この昭和○○年が、第二次世界大戦及び大東亜戦争の最後の年なのだという。��十年ひと昔�≠ニいうから、ふた昔なら二十年。つまり昭和20年ということになる。作者は終戦の時期をぴたりと予測していたのだ……但し日本側が勝利するものとして。
その○○年、日本は戦争においてどんどん不利な状況に陥っていた。本土まで、空襲を受けている。このままでは、負けるしかない。
9月中旬、○○研究所の水田博士は、時局が切迫して仕事場に泊まりきりだったが、半年振りに自宅へ帰ってきた。こんな状況なのに、博士はどこかのほほんとして子供と遊んだりしている。
だが10時頃、水田博士の様子がおかしくなり、そわそわと外に出て行ったりしている。やがて10時12分、地鳴りのような音が南方から響いてきたのである。
そして翌日、全日本国民が驚愕し、かつ驚喜した。伊豆沖に来襲した敵の大機動部隊の全艦艇が一艘残らず沈んだと大本営発表があったのだ。
更に一週間後、ルーズヴェルトとチャーチルがアメリカの某地で会談中、米英の有力者たちとともに謎の爆死を遂げたという。どうやら高空からの正確無比な爆撃らしく、アメリカの重要人物が次々と同様に爆死した。
アメリカの士気は地に落ち、日本に有利な形で戦争が終わり、大東亜共栄圏が完成したのである。
……この辺、もうちょっと詳しく書いて欲しいところなんだけどなあ。日本が共に戦ったドイツやイタリアの運命については、全く触れられていないし。
日本に勝利をもたらした兵器が何だったのか、誰が発明したのかは、絶対的に秘密が守られた。そして十年後(ということは昭和30年)、発明の功労者は原動機を専門とする水田博士、電波の山田博士、精密機械の稲田博士だということだけが明かされた。
三博士は一躍有名人となり、あちこちに引っ張り出される。とある青少年雑誌主催の座談会では、青少年から質問を受ける形で、敵をぴったりと狙えたのは正確な照準装置があるからだけでなく、敵の動きを予想することができたから、と語られる。どうやら、用いられた発明のひとつは、天気予報のように近未来を予報する装置らしいのだ。……しかし、その詳細はやはり語られない。
この質疑のやり取りや、後日、水田博士のもとを訪れる発明家志望の少年や大人と語るうちに、少しずつ事実が明かされていく。発明した装置は、悪用されたり敵の手に渡ったりしないように、現物を残していないという。……ううむ、それはちょっと無理があるのでは。政府及び軍部が、そんなことは絶対に許さないだろう。
続いて、水田一家の家系について、祖父の代から語られる。水田博士の祖父・芳太郎は、山梨の松田村に文明開化をもたらし、養蚕器具や織物機械を発明した人物だが、途中から飛行器械にとり憑かれてしまった。ヘリコプターのような垂直離着陸機を考案するが、航空力学には素人だったため完成させることはできなかった。
二代目の桂太郎氏も道楽で、持ち歩ける背負い式の小型グライダーを考えたが、やはりうまくいかない。
水田博士は、その三代目だった……というのが、タイトルの由来。山田博士、稲田博士もやはり技術者として三代目だった。
松田村では、村出身の名士である水田博士を迎えて祝賀会を開きたいと申し出てきた。水田博士は、家族だけでなく山田博士と稲田博士も連れて行く、ということになった。
三人の博士は、鉄道でもなく自動車でもなく、ヘリコプターと携帯用グライダーに乗って現われた。それは水田博士の祖父と父が、夢見たけれども完成させられなかった発明品だった……。
――と、なるべくSFなところを抽出したけれども、基本的には「科学とはこうあるべし」「現状打破のために科学をこう用いるべし」という啓蒙的小説なので、あまりSFっぽくない精神論的な話が延々と続いたりする。
しかもなまじ科学的たらんとするために、空想的な部分は避けようとしたのか、肝心の兵器が実際にどんなものだったのかがきちんと語られず、読んでいてもどかしいったらありゃしない。
ううむ、ものすごーく面白かったかというと……はっきり言って微妙。横田さん、ほんとに交換して良かったんですか? まあ、『醗酵人間』だってすごく面白い小説かというと、やはり微妙なんですが。
日本を勝利に導いた兵器はどんなものだったかというと、これはひとつの物ではなかった。まず、敵の動きを読んだのは、一種の「予想装置」。どんぴしゃりの位置に爆弾を落としたのは「精密照準装置」。そして肝心の「爆弾」(?)についてだが、これがよく分からない。原爆(もしくは核兵器)が出てくるということで読んだけれども、原爆なのかどうか、はっきりしない。大機動部隊を全て沈めたのだから、かなりの威力を持ったものであることは確かなのだが。
とはいえ、新兵器によって日本が勝利する小説が終戦間近に書かれていたこと、そして超入手困難であることを勘案すれば、貴重な古書であることに違いはない。
作者の富塚清(1893~1988)は、明治生まれで大正・昭和に活躍した機械工学者。東京帝大、明治大学などで教授も務めた。我が国における航空エンジン研究を切り拓いた人物。簡単に言えば「日本のエンジンの偉い人」である。著書は『航空原動機』(工政会出版部/1933年)、『生活の科学化』(東和出版社/1941年)、『動力物語』
『科学技術の書』
航空科学者の千葉博士は、降霊機を発明したという上野博士を尋ねる。人間の生存は、必ず宇宙のエーテルの歪みとなって残るものであり、因果の関係で繋がりあっているため、過去に向かって辿っていくことができる。ある種の波動を与えて起こる反射を受けて、因果を解析して再現する……というシステムによる機械だった。
因果の解析なので、未来のことも分かるという。このくだりを読んで、わたしは「あっ」と思った。『三代の科学』で用いられる予報装置は、この原理によるものだったのだ。ただしここでは「(未来が)あまりはっきり判りすぎますと、処世上一般には面白くない事になる」ということで、当分は過去再現機の方だけ世に出す、というのだった。
千葉博士は土木事業家の宮本武之輔、陸軍軍人の山崎(保代)中将、海軍軍人の山本五十六を呼び出してもらい、現代(戦時中)の世の中について語り合う。
続いて水戸黄門と共に、切符を買うのにも一苦労な駅へ行ったり、房総の農家を訪ねて買出しの状況を視察したりする。
日本が窮状にあることを知った水戸黄門があの世で声をかけた偉人たちが、次々にやって来る。楠正成、廣瀬(武夫)中佐、宮本武蔵、吉田松陰、福澤諭吉、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通、時宗、日蓮、行基、空海、二宮尊徳、貝原益軒、伊能忠敬、荒木又衛門、正宗……。
水戸黄門とともに、誰を呼ぶか相談していた千葉博士が「机龍之介は?」と尋ねるけれども黄門様は知らない、というくだりが笑える。机龍之介は中里介山の『大菩薩峠』
偉人たちに色々と大暴れして欲しいところなのに、彼らに先生になってもらって色々と教えてもらおう、ということで終わってしまうのは、ちょっと残念。
趣旨としては、日本の現状に一石を投じ、科学技術をかく用いるべし、という主張を全面に押し出したものであり、エンタテインメントとして書かれたものではない。とはいえ、降霊機がはっきりと出て来ること、その効果として過去の偉人たちが登場するというところでは、『三代の科学』よりも奇想性は高いかもしれない。
『日本科学の底力』
また『面白くて為になる科学童話 まき割り』(世界文化協会/1946年)は、あくまで科学啓蒙のための科学童話であってSFではないが、『十五少年漂流記』
富塚清の著書は多く、その全てをチェックし切れていない。他にもSF系作品、奇想系作品を収録した本がないか、網羅的な調査は今後の課題としたいと思う。
(2012年4月5日)
■ 北原尚彦(きたはら・なおひこ)
1962年東京都生まれ。青山学院大学理工学部物理学科卒。作家、評論家、翻訳家。日本推理作家協会、日本SF作家クラブ会員。横田順彌、長山靖生、牧眞司氏らを擁する日本古典SF研究会では会長をつとめる。〈本の雑誌〉ほかで古書関係の研究記事を長年にわたり執筆。主な著作に、短編集『首吊少女亭』
●北原尚彦『SF奇書天外』の「はしがき」を読む。
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