地底の王国
『地底の王国』
 『地底の王国』は、三篇収録の中編集。表題作は、生物調査プロジェクトでサウジアラビア滞在中に湾岸戦争に遭遇した主人公の話。著者自身の実体験をベースにしているとのこと。
 主人公が宿舎にいると、白いものが壁の方から這って来たが、反対側の壁に吸い込まれるように消えてしまうのを目撃する。その次にそれが現われると、それは小さい女――自殺してしまった恋人・保子の姿となるが、やはり消える。
 そしてそのまた次には、かつてと同じ背丈(但し全裸)で保子は現われた。なぜ自殺をしたのか、喧嘩が原因だったのかなどと主人公と話し合う。
 その一方で、砂漠で死に掛けた話とか、公開処刑を目撃した話とかが展開される。異国での出来事と幻想とが交錯する、不思議なテイストの作品。あとがきによると、サウジアラビアの状況を日本人に知らせる意味で執筆したが、読者が飽きるといけないので「少しデタラメを入れてアヤをつけた。」のだという。それでどうして恋人の幽霊の話を混ぜ込むことになるのか。全く不思議な作者である。
 わたしの場合、タイトルからE・R・バローズの『地底の世界ペルシダー』みたいな話を勝手に予想してしまったために、肩透かしでしたが。
「かぼちゃ畑を掘ってごらん」は、視点となるキャラクターが章ごとに変わっていく物語。かな子は、同級生でいじめられっ子のつち子を助ける。以降、つち子と友だち付き合いするようになるが、かな子が優位だったはずの関係が、徐々に逆転していく。かな子はしが子と愛し合っており、しが子がつち子と対決したが、やはり負けてしまった。行き場所を失ったかな子は、しが子と共に飛び降り自殺する。つち子は、かな子の母・かな江を訪ね、彼女のもとで多くの時間を過す。かな江は、つち子を「つち子さん」と呼んだり、「かな子」と呼んだり、時には「パパ」と呼ぶようになった……。
 と紹介すると、なんだかサイコサスペンスのようだが、そこは杉山恵一だけに、一筋縄ではいかない。つち子の“父”が登場する「結び」の章は、意味するところを読み取るのが非常に難しい。
 また「結び」以降も作品は続くが、そこからは章が変わるごとに登場する人々が変わってしまう。ただそれらのキャラクターも“さみ夫”とか“くぬ江”など、前半のかな子たちと同じく「ひらがな二文字+漢字一文字」の名前ばかり。これは何を意味しているのか? ……色々と深読みしてみたが、正解は分からない。
「安穏経」「言語交響曲第二番」と銘打たれた、言語実験的な作品。基本的には時代ファンタジイのような感じなのだが――よく判らない。何せあまりに実験的文章が続くため、何が起こっているのかはっきりと理解するのは難しいのだ。とはいえ全く無意味な文章の羅列というわけではなく、よくよく読むとストーリーが浮かび上がってくる。話が入れ子状になって、視点となる登場人物が次々に移り変わっていく。最初は「尊体」の話だったのが、すぐに「土閉城の予震姫」の話となり、また「土閉城主筆無精」へと移る。城の主筆って何。新聞社の主筆なら判るけど。
 そしてまたまたすぐに「内親王」の話となり、「元・一大博士」の話に、それからその「女房」の話になる。ここで一大博士に話は戻る(入れ子状の物語は必ずしも一方通行ではなく、戻ることもあるのだ)。実験に失敗して黒焦げになった彼は、地獄に落ちる。話が内親王にまで戻ったかと思いきや、その駿馬「龍血馬」へと移る。この馬は前世では「赤兎」という美女だった。そして三人の怪物(?)のひとり「左団扇」に。
 よくよく読むと、有尾人やら、猛獣と交わって生まれたハイブリッドの軍勢が登場。自らはねた首が飛行したり、砂漠に「砂龍」という怪物(サンドウォーム?)が出現したり、と結構ファンタジイしている。
 ……こんな調子で五十ページほども続くので、読む側はかなりの体力を要求される。しかし書く側も、尋常ではない時間かかかったらしい。パートによって難解度がことなるのは、書いた時期の違いによるものかもしれない。ここで少し引用しておこうかとも思ったが、あまりにもタイヘンそうなので挫折。
 しばしば性交描写が出て来るのだが、エロを感じている余裕はこちらには到底ございませんでした。
 言語実験的なところは中村誠一の「幻の戦士・鈴唐毛の馬慣れ」のようであるし(あれほど判りにくくはないが)、入れ子状になって視点が変わっていくところはロン・グーラートの「金星のイエス人間」のようでもある。……例がどちらもマイナーですみません。

癩王抄
『癩王抄』
 送ってもらった二冊を読んだ、その後。SF大会で高槻氏が静岡SFを(特に杉山恵一を)紹介する企画が本決まりとなった。なんと、作者たる杉山氏が登場の予定。わたしもSF奇書研究家として、ゲスト出演することになった。その関係で、杉山氏からまたまた著作がどさっと送られてきた。『癩王抄』(風塵書房/一九八六年)、『喚問』(私家版/一九八七年)、『青絲編』(戸田書店/一九八四年)、『豚鷲の止まり木』(南アルプス研究会/一九八四年)、『尻』(南アルプス研究会/一九八五年)である。
『癩王抄』「詩編」と副題が付されているが、そんじょそこらの詩とは訳が違う。非常に前衛的だが根底にはひとつのストーリーが確固として流れている、「シュルレアリスム叙事詩」とでも呼ぶべき作品なのだ。主人公は、すべての存在、非存在を許さず、全てを滅ぼして完全な無とすることを目指す男。彼は様々な世界を彷徨い続ける。時には神官となって百年間精進し、時には狩人となって数字の森に分け入る。そして時には、六畳の下宿の住人となる……。
 異世界をうつろい続ける一方、通勤電車に揺られたり、場末の喫茶店に坐ったりする主人公。そのギャップが、異世界の異様さをコントラストする。
 前衛詩で物語を展開させる手法は「安穏経」と同じだが、こちらの方が断然読みやすく、ストーリーも頭に入って来やすい。放浪する主人公、漂う虚無感など、全体の雰囲気はムアコックと通じるところもある。

喚問
『喚問』
 「言語交響曲」と副題の付された『喚問』も、『癩王抄』と同じ「シュルレアリスム叙事詩」に分類される。そして本作の手法を更に突き詰めたのが「言語交響曲二番」たる「安穏経」だったのである(読む順番が逆になってしまいました)。
『喚問』は、召喚され裁判にかけられている男が語り手&主人公。彼は罪を犯したと自ら主張しているが、判決は無罪。そこで主人公は怒り、絶望し、さらに論を展開させる……。しかし非常に前衛的なので、彼が何をやったのかなど、その主張はよく分からない。またその基本的設定ゆえ、SF味は『癩王抄』に軍配が上がる。但し「安穏経」より読みやすいところは共通している。
豚鷲の止り木
『豚鷲の止り木』
 『癩王抄』『喚問』は、ほぼ文庫サイズの小型本。そのハード的側面からも(わたしは文庫コレクターなのです)、内容的にも、わたしはこの二冊が特に気に入りました。
『豚鷲の止り木』は、とある会社の部長を務める鈴木一郎の物語。日常を送りつつも、何かが起こる予兆を感じる鈴木一郎。部下のS課長の息子が母親(つまりSの妻)を殺してしまう事件が発生したり、鈴木一郎の妻が突然出て行ってしまったりと、段々と日常のレールから外れていく。挙句の果てには、旧友である××省のMへ金品の贈与をしたこと(つまり贈賄)を認めるよう、身に覚えがないのに社長から因果を含められてしまうのだ。
 秘書のXという女性が、アクビをした際に何かグニャグニャしたモノが口から広がることに気づいた鈴木一郎は、仕事の後に彼女と会う。やがて鈴木一郎は彼女がXなのか妻なのか分からなくなる。最終的に彼女は服と一緒に肉を脱ぎ捨て、ガイコツになってしまうのだ(という具合に、このXが最も非現実的存在である。)
青絲編
『青絲編』
 しかし今度は、会長付きの特別調査役に任命される。そして会長直々に、神に会って神意を聞いて来いと命ぜられ、伊勢神宮へと向かう。やがて「数日後に神になる」という老人に会い、その瞬間を待つ人々と共に共同生活を始める……。
『太田河原慶一郎氏の一日』と同じような設定の作品ではあるが、方向性 は微妙に違うようだ。

 『青絲編』『尻』は詩集。SF的なイメージのものもアリ。後者収録の「詩論」は、作者の持つ「五次元世界」観を論じている。

青絲編
『尻』
 杉山恵一の作品は、いずれも最初からSFというジャンルを目指して書かれたものではない。しかし奔放なイマジネーションがほとばしり、いつの間にかSFの領域にまで入り込んでしまったのだろう。
 実際、どれも起承転結などどこ吹く風ぞ、という構成のものばかり。もしかしたら、思いつくがままに書いていたのではないだろうか。
 非常に読者を選ぶ作品ばかりなので万人にはお勧めしないが、想像力のたがを外すとどうなるか知りたいという方は、読んでみて頂きたい。わたしが一番の気に入りを選ぶとすると『癩王抄』なのだが、やはり代表作は『閑ヶ丘物語』ということになるだろう。静岡の作家が、(異世界の)静岡を舞台にしたSFを、静岡の出版社から出したのだから、地方のSF奇書としての条件も全て備えている訳だし。

 先述の通り、二〇一一年九月の静岡SF大会「ドンブラコンL」では、杉山恵一作品を紹介する企画が行われる。SF奇書好きの諸兄は、是非ご参加下さい。
 またSF大会サイトのブログにおける、SF評論賞チームによる連載「静岡SF大全」の中でも、杉山恵一作品が高槻真樹氏及び宮野由梨香氏によって紹介されている。なかなか評価の難しい作品ばかりゆえ、判断や論評もわたしのものと全く異なっている面もあるので、併せてご覧頂きたい。http://blog.sf50.jp/?p=915及びhttp://blog.sf50.jp/?p=930である。
 〔「静岡SF大全」第十七回では、わたしも特別に「芙蓉峰」(村井弦斎)について書かせて頂いているので、ついでにお読み頂ければ幸いです。http://blog.sf50.jp/?p=761
(2011年8月5日)

北原尚彦(きたはら・なおひこ)
1962年東京都生まれ。青山学院大学理工学部物理学科卒。作家、評論家、翻訳家。日本推理作家協会、日本SF作家クラブ会員。横田順彌、長山靖生、牧眞司氏らを擁する日本古典SF研究会では会長をつとめる。〈本の雑誌〉ほかで古書関係の研究記事を長年にわたり執筆。主な著作に、短編集『首吊少女亭』 (出版芸術社)ほか、古本エッセイに『シャーロック・ホームズ万華鏡』 『古本買いまくり漫遊記』 (以上、本の雑誌社)、『新刊!古本文庫』 『奇天烈!古本漂流記』 (以上、ちくま文庫)など、またSF研究書に『SF万国博覧会』 (青弓社)がある。主な訳書に、ドイル『まだらの紐』『北極星号の船長』『クルンバーの謎』(共編・共訳、以上、創元推理文庫)、ミルン他『シャーロック・ホームズの栄冠』 (論創社)ほか多数。

北原尚彦『SF奇書天外』の「はしがき」を読む。


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