山中峯太郎編『皇兵』は、昭和十五年(一九四〇年)、同盟出版社からの刊行。十一月二十三日に初版が発行されているが、わたしが入手したのは同年十二月二十八日発行の七十版だった。たったのひと月で七十版とは! よほど売れたにしても信じられない数字だ。
本書は昭和十二年(一九三七年)から昭和十四年(一九三九年)までの二年間における、中国大陸に動員された田中軍吉部隊の隊長(つまり軍吉本人)や隊員、銃後の家族らの文章をまとめた記録である。
巻頭、軍隊のお偉いさんによる序文×三本のあとに、山中峯太郎による「この本を編みて」という文がある。その冒頭に、峯太郎と田中軍吉は同じ連隊で任官し、その連隊の旗手として同じ軍機を捧持し、しかも同じ幼年学校の出身なのだと記されている。そういう関係だったのか、とナットク。
また軍吉が中尉になって「血の叫び」という小説を新聞に連載し、出版したものを(峯太郎に)送ってきた、という記述があった。おお、このくだりだけで本書を買った甲斐があったというものだ。
九州から大陸への上陸に始まり、正定城攻撃、南京攻略、漢口陥落と、支那事変(日中戦争)における田中隊の進撃が隊員たちによって次々と語られていく。田中軍吉は戦死者の遺族には丁寧な手紙を送っており、それに対する遺族の礼状なども収録され、涙を誘う。
軍吉は要所要所で筆を取っている。彼の「東都出征(隊長の応召)」で始まり、「初陣」「嗚呼古川部隊長」などを挟み、「別れの挨拶」が掉尾を飾る。
隊員たちの率直な語りは、最前線から見た戦争をリアルに描き出している。学のない兵もいたはずなのにかなり読みやすくなっているところをみると、編者たる山中峯太郎が筆を入れたのだろう。ひとつの文章は概ね一ページ弱からせいぜい数ページ単位なのだが、蓬莱辰巳軍曹の「九人の斥候兵(田家鎮弾薬補充)」は三十ページもあり、しかも実録小説として手に汗握る文章となっている。これなどは、ほとんど峯太郎の文章に違いない。
田中軍吉「末永伍長の戦死を報ず」という一文の中に、亡くなった末永良信伍長が火葬されるところが「東宝亀井三木組」によって撮影され、撮影に成功していれば映画『戦ふ兵隊』の一場面として使われるかもしれないというくだりが出てきた。映画データベースで調べたところ、確かに同題のドキュメンタリー映画が一九三九年に完成している。監督が亀井文夫、撮影が三木茂(ほか)なので、まずこれで間違いなかろう。しかしこの映画、厭戦的な内容だった(もしくは軍部の期待したような戦意高揚的な内容でなかった)ということで、上映禁止となったらしい。現在ではソフト化されているようなので、機会があれば観てみることにしよう。
版元の同盟出版社からは、山中峯太郎の著作が何冊も刊行されている。蔵書を調べたら峯太郎の軍事小説『豪快二等兵』(同盟出版社/一九四一年)を持っていた。他にも『狙日第五列』なんてスパイ小説が出ている。……欲しいなあ。
昭和十八年(つまり『皇兵』より後のこと)、中国の漢口にいた文化人の会「漢口会」が出来たのは、田中軍吉の主唱によるものだという。同会には東久邇宮稔彦、里見�ク、西條八十、片岡鉄平、大仏次郎、久米正雄などが出席していたらしい。田中軍吉としては、自分も『血の叫び』の作者である(つまり��作家�≠ナある)という自負があったがゆえに、「漢口会」を作ろうとしたのかもしれない。
……『近代日本奇想小説史』刊行記念イベントの時点で判明していたのは、ここまで。以下は、イベントの翌週のこと。
金曜日、神田の古書即売会にアサイチで突入した後、わたしは国会図書館へと向かった。『血の叫び』の初出を突き止めるためである。確実に判っているのは、雑誌ではなく新聞だということ。だが〈時事パンフレット〉の発行は、時事新報社だ。ならば、同社が発行していた新聞「時事新報」だった可能性が一番高いではないか。
となると、あとは連載された時期だ。切り抜きのひとつの裏に『秋の女性』という映画の紹介記事があった。映画データベースで調べると、昭和八年に我が国で公開されている。
では何月か。他の切抜きの裏には「果然!米国陸軍将校の書いた「日米予想戦」現る」という広告文が読めた。おお、ここにも未来架空戦記SFが! 途中で切れてしまっているが「L・M」そして「平」の文字が見える。ここまで判ればカンタンだ。L・M・リンバス作、平田晋策訳の「日米戦争記 鉄血日本軍の強襲」だな。これは「冨士」誌の昭和八年十二月号に掲載されたもの。
十二月だと通り過ぎてしまっているようだが、現在でもそうだけれど、月刊誌はおおむねその前月に発売されるのが慣習。とすると昭和八年十一月。連載が終わってすぐに単行本化されたと考えれば、筋が通る。
そこで「時事新報」の昭和八年十一月から遡って、十月、九月分のマイクロフィルムを借り出した(一度に三本まで借りられるのです)。フィルムのリールを機械にセッティングし、ぐーる、ぐーると回し始める。
読みはどんぴしゃ、大当たり。十一月一日号を二面まで進めたら、いきなり『血の叫び』のタイトルが目に飛び込んできたのである。途中の回だったが、リールを交換するのは手間なので、まずは十一月分を最後までチェック。それから十月分に遡って、掲載情報を全て確認した。その結果は以下の通り。
「時事新報」朝刊の昭和八年(一九三三年)十月二十八日から、十一月十六日まで、全十九回(十一月九日のみ休載)。基本的には第二面掲載だが、十一月三日のみ第七面掲載。十月二十七日の朝刊と夕刊に予告が載っている。但しこの夕刊がちょっとクセモノ。現在の「夕刊紙」と同じシステムらしく、二十七日の日付の夕刊は前日の二十六日に発売されているのだ。つまり夕刊の方が先、なのである。
予告の中に「尚ほ挿画の太田天橋画伯は陸軍歩兵上等兵で、現に陸軍省新聞雑誌つわ【以上一字ルビ:ママ】もの編輯部にあり、軍事画家、戦争画家として既に定評ある人である」という一文があった。とすると〈つはもの叢書〉版が出たのは、太田天橋の関係ゆえだったのかもしれない。これで少し「なぜ同時に?」という疑問が解けた。
最終回の十一月十六日分の末尾には、囲みで「「血の叫び」を本社から刊行」云々と発表されている。その文中、国民の反響が余りにも大きかったので単行本として発行することにした、と記されているが、もしかすると最初から単行本化が決まっていた可能性もある。なぜならば、その翌日の十七日は、もう「愈々発売」と広告が打たれているからだ。完結とほぼ同時に単行本を出すのだから、以前から準備をしておかねばなるまい。
それにそもそも、〈時事パンフレット〉版の奥付では、十一月十三日発行になっている。印刷日に至っては十一月九日だ。こういう日付は少し先に設定しておくのが慣例だから、連載を始める段階では、もう作っていたのではないか。邪推すると、これを売るための広告代わりに連載をしたのではなかろうか。
十九日夕刊(つまり十八日夕方発売)には、先に紹介した「「血の叫び」に補足して」が掲載。また半ばの貼り付け部分を確認すると、十一月五日掲載の第九回後半から六日掲載の第十回冒頭にある、春木という兵に関するエピソードが単行本では外されていた(六日分は貼り付けられていなかった)。
念のため、と「…補足して」以降も先に進んでいくと、驚くべき記載を発見した。十九日の朝刊に「改訂版」「血の叫び」という文字が躍っていたのだ。よくよく読むと「其の筋の注意に依り、一部分削除改訂中ですから二三日お待ち下さい。」とあるではないか!
「其の筋」というのは、もちろんお上のこと。この時代、出版物に検閲が入るのは当たり前のことだったのだ。
改めて国会図書館に収蔵されている〈時事パンフレット〉版と〈つはもの叢書〉版のデータをチェックして、愕然とする事実に気がついた。両者とも、請求番号が「特500-」で始まっているのだ。この番号は、「発禁本」だということを現わしているのである!
『血の叫び』は発禁本だった!
なんてことだ。
つまり『血の叫び』は刊行されてすぐに発禁になり、削除改訂を余儀なくされたのだ。「時事新報」二十二日朝刊には「血の叫び」「改訂版本日出来」という囲み広告の文字が。
これで少し謎が解け、少し謎が増えた。先に入手した〈時事パンフレット〉版で十ページ分切り取られていたのは、発禁になった関係らしいということで納得がいく。
「時事新報」の連載および必要ページをコピーして帰宅後、それぞれの文章を眺めながらじっくりと考えてみた。二十二日の広告はあくまで「改訂版」としか書かれておらず「削除」の文字がない。この改訂版というのは、ページを削除した状態のもの(つまりわたしが先に入手したもの)、という理解でいいのか。十九日の「一部分削除改訂中」「二三日」という文言と合致はする。それとももしかして、大急ぎで問題箇所を伏字にするなどした改訂版を新たに印刷したという意味なのだろうか。だとすると、もしかしたらまだ見ぬ「改訂版」があるかもしれない。横田氏にお尋ねしたところ、「それは改訂版が出た可能性があるねえ」とのこと。ううむ。
二冊目に入手した無削除版は、表紙に「商品見本」というハンコがある。これは編集部か、関係者の手元にあったものだったという可能性が高い。それゆえ、削除を免れたのだろう。
しかし、これに削除の指示が入ったということは、〈つはもの叢書〉版はどうだったのだろうか。
章立てでの比較は行っていたが、ここでようやく全面的な対照を行うことにした。その結果、〈時事パンフレット〉版→〈つはもの叢書〉版では、一部削除されている描写があることに気づいた。一番大きな削除部分は、〈時事パンフレット〉版のこのくだり。
彼れにはそれは何の関心も起こさせなかった。
ブルヂョアの為の戦、
プロレタリア搾取の為の戦、
あの勇み立ってゐるのは、プロだ、犠牲もプロだ、
ほくそ笑んでゐるのはブルヂョアだ。
これが、〈つはもの叢書〉版にはなかったのだ。「彼れ」というのは、主人公・立花光のこと。「プロ」というのは「プロフェッショナル」ではなく、前行に出てくる「プロレタリア」のこと。
なるほど、昭和五年の段階ならばともかく、満州事変が起きてしまっている昭和八年の段階では、現実の戦争について言っているようにも読めてしまうだろう。お上が反応するのも理解できる。
それ以外にも「馬鹿な、愛人を死にゝやつて」「屠牛の行列――彼はそう思つてゐた。」など、あちこちに削除部分が。それらはやはり、先に入手した〈時事パンフレット〉で切り取られたページ部分に収まっていた。
というわけで、奥付の日付が微妙に合わないのが気になるが、〈時事パンフレット〉版の削除指示を受けて、問題のある文章を削る形で改稿して出したのが〈つはもの叢書〉版だろうか――と考えたのだが、どうもしっくりこない。それだと、〈つはもの叢書〉版まで発禁本ナンバーになっている理由が説明されないのだ。
それで思い出したのは、国会図書館に『血の叫び』が複数収蔵されているということ。正確には〈つはもの叢書〉が一冊、〈時事パンフレット〉が三冊。これらをひとつひとつ確認すれば、少しは疑問が解決するかもしれない。
そこで、SF作家クラブのイベントで表参道まで出かけなければいけない日、早めに出かけてもう一度国会図書館に行くことにした。『血の叫び』はデジタル化されていたが、館内の端末でのみ閲覧が可能となっていたのだ。
その結果……ありました! 文章が改訂されているバージョンの〈時事パンフレット〉が、あったのです! その直しの結果、〈つはもの叢書〉版とほぼ同じ文章となっていた。奥付は、十二日発行という印刷を棒線で消して、手書きで二十五日と書かれていた。
〈つはもの叢書〉も閲覧したところ、内容的にはわたしのものと同じだったが、表紙に「削除」というスタンプが押されていた。こちらも本当に発禁になっていたのだ。陸軍省肝煎りの版元から出たのであっても、内容的にひっかかれば発禁を免れることはできなかった、ということか。
とすると、〈つはもの叢書〉も最初は改訂されていない内容で発行され、発禁になったため改訂版(削除版)が出されており、国会図書館のものも、わたしのものも、その改訂版である――そう考えれば、すべてが解決する。
以上の調査結果を整理すると、こうなる。
(1)『血の叫び』は、テキスト的には�@新聞連載版、�A単行本版、�B単行本改訂版、の三バージョンがあること。
(2)『血の叫び』の単行本は、�@〈時事パンフレット〉版、�A〈時事パンフレット〉改訂版、�B〈つはもの叢書〉版、の少なくとも三バージョンがあること。
(3)改訂は発禁になったことによるもので、〈つはもの叢書〉版も別バージョンの存在する可能性が高く、それが確認されれば単行本は四バージョンとなること。
――年末に一冊の文庫本を買ったことから、ずいぶんと遠くまで来てしまった。だが、まだまだだ。今後も『血の叫び』が見つかるたびに、ひとつひとつ確認しなければいけないのだ。〈つはもの叢書〉別版の確認はもちろんのこと、未所持の〈時事パンフレット〉改訂版も欲しいから。……わたしはどこまで行けばいいのでしょうか、横田先生!
■ 北原尚彦(きたはら・なおひこ)
1962年東京都生まれ。青山学院大学理工学部物理学科卒。作家、評論家、翻訳家。日本推理作家協会、日本SF作家クラブ会員。横田順彌、長山靖生、牧眞司氏らを擁する日本古典SF研究会では会長をつとめる。〈本の雑誌〉ほかで古書関係の研究記事を長年にわたり執筆。主な著作に、短編集『首吊少女亭』 (出版芸術社)ほか、古本エッセイに『シャーロック・ホームズ万華鏡』 『古本買いまくり漫遊記』 (以上、本の雑誌社)、『新刊!古本文庫』 『奇天烈!古本漂流記』 (以上、ちくま文庫)など、またSF研究書に『SF万国博覧会』 (青弓社)がある。主な訳書に、ドイル『まだらの紐』『北極星号の船長』『クルンバーの謎』(共編・共訳、以上、創元推理文庫)、ミルン他『シャーロック・ホームズの栄冠』 (論創社)ほか多数。
●北原尚彦『SF奇書天外』の「はしがき」を読む。
SF小説の月刊ウェブマガジン|Webミステリーズ! 東京創元社
問題の『皇兵』口絵写真
巻頭、軍隊のお偉いさんによる序文×三本のあとに、山中峯太郎による「この本を編みて」という文がある。その冒頭に、峯太郎と田中軍吉は同じ連隊で任官し、その連隊の旗手として同じ軍機を捧持し、しかも同じ幼年学校の出身なのだと記されている。そういう関係だったのか、とナットク。
また軍吉が中尉になって「血の叫び」という小説を新聞に連載し、出版したものを(峯太郎に)送ってきた、という記述があった。おお、このくだりだけで本書を買った甲斐があったというものだ。
九州から大陸への上陸に始まり、正定城攻撃、南京攻略、漢口陥落と、支那事変(日中戦争)における田中隊の進撃が隊員たちによって次々と語られていく。田中軍吉は戦死者の遺族には丁寧な手紙を送っており、それに対する遺族の礼状なども収録され、涙を誘う。
軍吉は要所要所で筆を取っている。彼の「東都出征(隊長の応召)」で始まり、「初陣」「嗚呼古川部隊長」などを挟み、「別れの挨拶」が掉尾を飾る。
隊員たちの率直な語りは、最前線から見た戦争をリアルに描き出している。学のない兵もいたはずなのにかなり読みやすくなっているところをみると、編者たる山中峯太郎が筆を入れたのだろう。ひとつの文章は概ね一ページ弱からせいぜい数ページ単位なのだが、蓬莱辰巳軍曹の「九人の斥候兵(田家鎮弾薬補充)」は三十ページもあり、しかも実録小説として手に汗握る文章となっている。これなどは、ほとんど峯太郎の文章に違いない。
田中軍吉「末永伍長の戦死を報ず」という一文の中に、亡くなった末永良信伍長が火葬されるところが「東宝亀井三木組」によって撮影され、撮影に成功していれば映画『戦ふ兵隊』の一場面として使われるかもしれないというくだりが出てきた。映画データベースで調べたところ、確かに同題のドキュメンタリー映画が一九三九年に完成している。監督が亀井文夫、撮影が三木茂(ほか)なので、まずこれで間違いなかろう。しかしこの映画、厭戦的な内容だった(もしくは軍部の期待したような戦意高揚的な内容でなかった)ということで、上映禁止となったらしい。現在ではソフト化されているようなので、機会があれば観てみることにしよう。
版元の同盟出版社からは、山中峯太郎の著作が何冊も刊行されている。蔵書を調べたら峯太郎の軍事小説『豪快二等兵』(同盟出版社/一九四一年)を持っていた。他にも『狙日第五列』なんてスパイ小説が出ている。……欲しいなあ。
昭和十八年(つまり『皇兵』より後のこと)、中国の漢口にいた文化人の会「漢口会」が出来たのは、田中軍吉の主唱によるものだという。同会には東久邇宮稔彦、里見�ク、西條八十、片岡鉄平、大仏次郎、久米正雄などが出席していたらしい。田中軍吉としては、自分も『血の叫び』の作者である(つまり��作家�≠ナある)という自負があったがゆえに、「漢口会」を作ろうとしたのかもしれない。
……『近代日本奇想小説史』刊行記念イベントの時点で判明していたのは、ここまで。以下は、イベントの翌週のこと。
金曜日、神田の古書即売会にアサイチで突入した後、わたしは国会図書館へと向かった。『血の叫び』の初出を突き止めるためである。確実に判っているのは、雑誌ではなく新聞だということ。だが〈時事パンフレット〉の発行は、時事新報社だ。ならば、同社が発行していた新聞「時事新報」だった可能性が一番高いではないか。
となると、あとは連載された時期だ。切り抜きのひとつの裏に『秋の女性』という映画の紹介記事があった。映画データベースで調べると、昭和八年に我が国で公開されている。
では何月か。他の切抜きの裏には「果然!米国陸軍将校の書いた「日米予想戦」現る」という広告文が読めた。おお、ここにも未来架空戦記SFが! 途中で切れてしまっているが「L・M」そして「平」の文字が見える。ここまで判ればカンタンだ。L・M・リンバス作、平田晋策訳の「日米戦争記 鉄血日本軍の強襲」だな。これは「冨士」誌の昭和八年十二月号に掲載されたもの。
十二月だと通り過ぎてしまっているようだが、現在でもそうだけれど、月刊誌はおおむねその前月に発売されるのが慣習。とすると昭和八年十一月。連載が終わってすぐに単行本化されたと考えれば、筋が通る。
そこで「時事新報」の昭和八年十一月から遡って、十月、九月分のマイクロフィルムを借り出した(一度に三本まで借りられるのです)。フィルムのリールを機械にセッティングし、ぐーる、ぐーると回し始める。
読みはどんぴしゃ、大当たり。十一月一日号を二面まで進めたら、いきなり『血の叫び』のタイトルが目に飛び込んできたのである。途中の回だったが、リールを交換するのは手間なので、まずは十一月分を最後までチェック。それから十月分に遡って、掲載情報を全て確認した。その結果は以下の通り。
「時事新報」朝刊の昭和八年(一九三三年)十月二十八日から、十一月十六日まで、全十九回(十一月九日のみ休載)。基本的には第二面掲載だが、十一月三日のみ第七面掲載。十月二十七日の朝刊と夕刊に予告が載っている。但しこの夕刊がちょっとクセモノ。現在の「夕刊紙」と同じシステムらしく、二十七日の日付の夕刊は前日の二十六日に発売されているのだ。つまり夕刊の方が先、なのである。
予告の中に「尚ほ挿画の太田天橋画伯は陸軍歩兵上等兵で、現に陸軍省新聞雑誌つわ【以上一字ルビ:ママ】もの編輯部にあり、軍事画家、戦争画家として既に定評ある人である」という一文があった。とすると〈つはもの叢書〉版が出たのは、太田天橋の関係ゆえだったのかもしれない。これで少し「なぜ同時に?」という疑問が解けた。
最終回の十一月十六日分の末尾には、囲みで「「血の叫び」を本社から刊行」云々と発表されている。その文中、国民の反響が余りにも大きかったので単行本として発行することにした、と記されているが、もしかすると最初から単行本化が決まっていた可能性もある。なぜならば、その翌日の十七日は、もう「愈々発売」と広告が打たれているからだ。完結とほぼ同時に単行本を出すのだから、以前から準備をしておかねばなるまい。
それにそもそも、〈時事パンフレット〉版の奥付では、十一月十三日発行になっている。印刷日に至っては十一月九日だ。こういう日付は少し先に設定しておくのが慣例だから、連載を始める段階では、もう作っていたのではないか。邪推すると、これを売るための広告代わりに連載をしたのではなかろうか。
十九日夕刊(つまり十八日夕方発売)には、先に紹介した「「血の叫び」に補足して」が掲載。また半ばの貼り付け部分を確認すると、十一月五日掲載の第九回後半から六日掲載の第十回冒頭にある、春木という兵に関するエピソードが単行本では外されていた(六日分は貼り付けられていなかった)。
念のため、と「…補足して」以降も先に進んでいくと、驚くべき記載を発見した。十九日の朝刊に「改訂版」「血の叫び」という文字が躍っていたのだ。よくよく読むと「其の筋の注意に依り、一部分削除改訂中ですから二三日お待ち下さい。」とあるではないか!
「其の筋」というのは、もちろんお上のこと。この時代、出版物に検閲が入るのは当たり前のことだったのだ。
改めて国会図書館に収蔵されている〈時事パンフレット〉版と〈つはもの叢書〉版のデータをチェックして、愕然とする事実に気がついた。両者とも、請求番号が「特500-」で始まっているのだ。この番号は、「発禁本」だということを現わしているのである!
『血の叫び』は発禁本だった!
なんてことだ。
つまり『血の叫び』は刊行されてすぐに発禁になり、削除改訂を余儀なくされたのだ。「時事新報」二十二日朝刊には「血の叫び」「改訂版本日出来」という囲み広告の文字が。
これで少し謎が解け、少し謎が増えた。先に入手した〈時事パンフレット〉版で十ページ分切り取られていたのは、発禁になった関係らしいということで納得がいく。
「時事新報」の連載および必要ページをコピーして帰宅後、それぞれの文章を眺めながらじっくりと考えてみた。二十二日の広告はあくまで「改訂版」としか書かれておらず「削除」の文字がない。この改訂版というのは、ページを削除した状態のもの(つまりわたしが先に入手したもの)、という理解でいいのか。十九日の「一部分削除改訂中」「二三日」という文言と合致はする。それとももしかして、大急ぎで問題箇所を伏字にするなどした改訂版を新たに印刷したという意味なのだろうか。だとすると、もしかしたらまだ見ぬ「改訂版」があるかもしれない。横田氏にお尋ねしたところ、「それは改訂版が出た可能性があるねえ」とのこと。ううむ。
二冊目に入手した無削除版は、表紙に「商品見本」というハンコがある。これは編集部か、関係者の手元にあったものだったという可能性が高い。それゆえ、削除を免れたのだろう。
しかし、これに削除の指示が入ったということは、〈つはもの叢書〉版はどうだったのだろうか。
章立てでの比較は行っていたが、ここでようやく全面的な対照を行うことにした。その結果、〈時事パンフレット〉版→〈つはもの叢書〉版では、一部削除されている描写があることに気づいた。一番大きな削除部分は、〈時事パンフレット〉版のこのくだり。
彼れにはそれは何の関心も起こさせなかった。
ブルヂョアの為の戦、
プロレタリア搾取の為の戦、
あの勇み立ってゐるのは、プロだ、犠牲もプロだ、
ほくそ笑んでゐるのはブルヂョアだ。
これが、〈つはもの叢書〉版にはなかったのだ。「彼れ」というのは、主人公・立花光のこと。「プロ」というのは「プロフェッショナル」ではなく、前行に出てくる「プロレタリア」のこと。
なるほど、昭和五年の段階ならばともかく、満州事変が起きてしまっている昭和八年の段階では、現実の戦争について言っているようにも読めてしまうだろう。お上が反応するのも理解できる。
それ以外にも「馬鹿な、愛人を死にゝやつて」「屠牛の行列――彼はそう思つてゐた。」など、あちこちに削除部分が。それらはやはり、先に入手した〈時事パンフレット〉で切り取られたページ部分に収まっていた。
というわけで、奥付の日付が微妙に合わないのが気になるが、〈時事パンフレット〉版の削除指示を受けて、問題のある文章を削る形で改稿して出したのが〈つはもの叢書〉版だろうか――と考えたのだが、どうもしっくりこない。それだと、〈つはもの叢書〉版まで発禁本ナンバーになっている理由が説明されないのだ。
それで思い出したのは、国会図書館に『血の叫び』が複数収蔵されているということ。正確には〈つはもの叢書〉が一冊、〈時事パンフレット〉が三冊。これらをひとつひとつ確認すれば、少しは疑問が解決するかもしれない。
そこで、SF作家クラブのイベントで表参道まで出かけなければいけない日、早めに出かけてもう一度国会図書館に行くことにした。『血の叫び』はデジタル化されていたが、館内の端末でのみ閲覧が可能となっていたのだ。
その結果……ありました! 文章が改訂されているバージョンの〈時事パンフレット〉が、あったのです! その直しの結果、〈つはもの叢書〉版とほぼ同じ文章となっていた。奥付は、十二日発行という印刷を棒線で消して、手書きで二十五日と書かれていた。
『時事新報』
とすると、〈つはもの叢書〉も最初は改訂されていない内容で発行され、発禁になったため改訂版(削除版)が出されており、国会図書館のものも、わたしのものも、その改訂版である――そう考えれば、すべてが解決する。
以上の調査結果を整理すると、こうなる。
(1)『血の叫び』は、テキスト的には�@新聞連載版、�A単行本版、�B単行本改訂版、の三バージョンがあること。
(2)『血の叫び』の単行本は、�@〈時事パンフレット〉版、�A〈時事パンフレット〉改訂版、�B〈つはもの叢書〉版、の少なくとも三バージョンがあること。
(3)改訂は発禁になったことによるもので、〈つはもの叢書〉版も別バージョンの存在する可能性が高く、それが確認されれば単行本は四バージョンとなること。
――年末に一冊の文庫本を買ったことから、ずいぶんと遠くまで来てしまった。だが、まだまだだ。今後も『血の叫び』が見つかるたびに、ひとつひとつ確認しなければいけないのだ。〈つはもの叢書〉別版の確認はもちろんのこと、未所持の〈時事パンフレット〉改訂版も欲しいから。……わたしはどこまで行けばいいのでしょうか、横田先生!
(2011年2月7日)
■ 北原尚彦(きたはら・なおひこ)
1962年東京都生まれ。青山学院大学理工学部物理学科卒。作家、評論家、翻訳家。日本推理作家協会、日本SF作家クラブ会員。横田順彌、長山靖生、牧眞司氏らを擁する日本古典SF研究会では会長をつとめる。〈本の雑誌〉ほかで古書関係の研究記事を長年にわたり執筆。主な著作に、短編集『首吊少女亭』 (出版芸術社)ほか、古本エッセイに『シャーロック・ホームズ万華鏡』 『古本買いまくり漫遊記』 (以上、本の雑誌社)、『新刊!古本文庫』 『奇天烈!古本漂流記』 (以上、ちくま文庫)など、またSF研究書に『SF万国博覧会』 (青弓社)がある。主な訳書に、ドイル『まだらの紐』『北極星号の船長』『クルンバーの謎』(共編・共訳、以上、創元推理文庫)、ミルン他『シャーロック・ホームズの栄冠』 (論創社)ほか多数。
●北原尚彦『SF奇書天外』の「はしがき」を読む。
SF小説の月刊ウェブマガジン|Webミステリーズ! 東京創元社