というわけで、中央線で立川駅へ。南武線に乗り換えてひとつ目、西国立駅へ。そこから徒歩で十分ほどのところに、都立多摩図書館はあった。なんだ、国立国会図書館や、上野の国際子ども図書館よりも、よっぽどウチから近いじゃないか。
 わざわざ出かけてから「作業中のため該当書は貸し出せません」なんてことのないように、前もって確認はしてある。あっけないほどすんなりと長尾七郎『児童寓話 笑の話 尋常五年生』(昭和十年=一九三五年)を書庫から出してもらえる。……おお、やはり同じ表紙絵だ。
 ではさっそく、と読書コーナーに腰を据えて読み始めた。うむ、今回も注目の作品がいくつかあるぞ。
 「ラジオ版」は、ラジオ放送をテーマにした連作集。そのうち「三、学術講座」は、人間の体を国になぞらえた“人間国”見物記録。おでこ坂の下の二つの望遠鏡(つまり両眼)とか、ラジオの放送所(口)とか。
 「めい土通信」は、お静ちゃんのところへ、亡くなった親友のみね子さんから届いた手紙の内容、という設定。みね子さんは、すいすいと走る“花自動車”に乗ってあの世へ行ったという。これは路面電車全盛の時代に、花や電飾で飾られて市内を走った“花電車”からの発想でしょうな。葬式はお花で飾られるし。
 出迎えてくれたのはお祖父さんや妹のくに子、お友達のお春ちゃん。みな、先に亡くなった人たちらしい。
 めい土の町はとてもきれいで、知っている人とは行き来できるし、知らない人ともすぐに仲良くなれる。そしてみね子さんは、近頃では童謡ダンスの先生をしており、世界中の人たちが教わりに来るのだ。
 一番熱心なのは牛若丸さんだが、下手っぴいで「京の五條の橋の上」もうまくできないとか。その他の生徒は、万寿姫とか西郷隆盛とか乃木大将とかフランクリンなどなど。
 昔はめい土も真っ暗で鬼たちが威張っていたが、電気が輸入されたおかげで昼ばかりになった。夜が来ないので、寝ることもなくなった。
 見たいこと(現世のこと)は家の天井のガラス張りに何でも映るし、聞きたいことは柱のラジオが聴かせてくれる。
 先日はめい土の土長(市長みたいなものですかね)の閻魔さんが、家を新築した。モダーンな洋館で、その日はめい土はじまって以来のお祭り騒ぎとなった。
 閻魔さんはモーニング姿。巡査をしている鬼たちも、その日から制服制帽の洋服姿ということになった。ところが着慣れないものだから、後ろ前に着たり、上着を足にはいてみたり。
 人間たちが笑っても、鬼たちは笑うことを知らないので、しかめ面をしている。しかしそんな鬼たちがついに笑った。それは来年の話をした時だった……といったところ。
昔の空と今の空
「昔の空と今の空」(挿絵)
 「昔の空と今の空」は、天女が空を舞わなくなったのは飛行機や電波が現在の空を飛びまわっているからだ、というだけの話だが、イラストに描かれた“空の交通巡査”は、十分にSF画だ。
 掉尾を飾るのは「極東オリンピック大會」。おお、『尋常六年生』「大野球戦」と同傾向の作品だ。紀元一千五百年、極東蓬莱の島でオリンピック大会が開催された。
 選手陣は陸上競技が木曾義仲(八〇〇メートル)、荒木又右衛門(マラソン)、羽衣天女(走高跳)、岩見重太郎(三段跳)、武蔵坊弁慶(砲丸投)、源義経(十種競技)など。水泳が佐々木高綱(一〇〇メートル)、山田長政(一五〇〇メートル)、弟橘姫(投水)などで、監督が源頼朝。
 “投水”って競技はなんじゃらほい、と思って読んでいると、「飛び込み」のことでした。その選手の弟橘姫(おとたちばなひめ)というのは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の妃。夫に代わって海に身を投げて海神の怒りを解いたという伝説があるから、飛び込みなんですな。
 選手団は三保の松原から客船(?)大和丸に乗って出発。蓬莱で開会されたオリンピックは、どうやら国別対抗らしい。支那軍、オーストラリヤ軍、日本軍、満州国軍と入場。あとは西洋軍(詳細不明)、印度軍、フィリッピン軍などが登場するものの、何か国が参加しているかは不明。
 孔子率いる支那軍が、優勝旗を返還して、いよいよ競技スタート。四〇〇メートルの阿部貞任(あべのさだとう)、一位だったのに振り向いて一言二言喋っているうちに、二着になってしまう。これは“衣川の戦い”で、逃げる阿部貞任と追う源義家が和歌合戦をした故事を踏まえたもの。昭和初期には、五年生でもそういうことは常識だったのでしょうな。
 砲丸投げの弁慶は、怪力で投げた砲丸を(ぶつけて?)粉微塵にしてしまう。
 走高跳の天女は、地上を離れて大空高く見事に跳びゆく。ずっと飛べるはずだから、記録はどうなったんでしょうね?
 ……こんな具合で、優勝は大日本帝國。祝賀会が開かれ、祝杯、余興のダンス、世界から選ばれた合唱団の合唱、そして大会実況の映写で、物語は終わる。
 挿画は『尋常六年生』と同じ田村孝之介。
 というわけで、確認できたのは三、五、六年生の三冊。これらの作者が長尾七郎なので、シリーズ全体がそうだと思われるが、確認できず。残る学年については、いずれどこかで存在が判明したら、是非とも読みたいと思います。

 さて、『笑の話』の巻末を開いてみると、そこには創元社の児童書の広告が載っており、『美しいお話』『お話讀本』と、短篇集らしきタイトルが見られるではないか。
 そのうちの一冊、小谷良徳編・画の『お話讀本 尋常二年A』(昭和六年=一九三一年)が多摩図書館に所蔵されていることが判っていたので、これも『笑の国』と一緒に出してもらうことにした。ちなみにこのシリーズも基本的には学年別なのだけれども、一年と二年だけは二分冊になっている(活字が大きいためか?)。それゆえ『…A』『…B』があるのだ。よって、全部で八冊。
 作者が文章と絵の両方を書いているが、小谷良徳(一九〇八~二〇〇四)は洋画家なので、それも道理。
 目次を開いてみると「しろうさぎ」「こぶとり」「うしわか」「ものぐさ太郎」「はごろも」……。明らかに、日本の昔話(お伽話)集だ。念のため中をぱらぱらと確認すると、やはり誰でも知っているお話ばかり。これならあえて一冊まるごと読む必要もあるまい、と巻末の奥付&広告を確認。こちらは全巻を小谷良徳が作者であることが分かった。また、ここに重要なデータがあることに気づいた。『美しいお話』シリーズの収録内容が、一覧になっていたのだ。本体は『お話讀本』なのだから、これはあくまで広告なのだ。
 一年生の「キイロイ トリ」「ダイリサマ」などに始まり、五年生の「殿様のお茶碗」(小川未明)、六年生の「母を尋ねて三千里」(アミーチス)などなど……。いずれも、一般的な「童話」もしくはいわゆる「名作」と呼ばれる類のものばかりだ。さすがに��美しい話�≠ナ、SFはなさそうだ。
 その『美しいお話』シリーズは、『尋常一学年』『尋常二学年』が上野の国際子ども図書館に収蔵していることが判明。急いで行って読んでこようかと思ったが、調べたら閉架になっている上に現在は現地へ行っても読むことができない扱いになっている。これは残念……と思いつつ、ハタと気づいてデジタルアーカイヴの一覧を見てみると、おお、そちらに入っているおかげで、かえって自宅で読むことができるではありませんか!
 ツノ書きも含めた正式タイトルは『児童修身 美しいお話 尋常一学年』『児童修身 美しいお話 尋常二学年』。どちらも昭和五年刊で、尾関岩二編。グリムやアンデルセンなど、ファンタジイに分類し得る話も入っているが、基本的には童話集だった。
 尾関岩二(一八九六~一九八〇)は、大正・昭和期の児童文学者。著書に『こどものお釈迦さま』(興教書院/昭和九年=一九三四年)などがある。
 広告によると一・二学年が尾関岩二編、三学年以上が長尾七郎となっている。
 更に更に、国際子ども図書館には創元社刊行の尾関岩二『お話のなる樹』(昭和二年=一九二七年)が収蔵されていた。これもデジタルアーカイヴで読んでみると、『美しいお話』と同傾向の童話集だった。「小さくなる平六」が、身体がどんどん小さくなっていくマシスン『縮みゆく人間』と同じようなテーマではありました。
 本書が、どうやら創元社の子ども向け「お話集」としては最初らしい。表題作「お話のなる樹」ほか数篇は『美しいお話』に再録されているので、本書の評判が良かったために、幾つもシリーズが続くことになったのかもしれない。
 というわけで、創元社初期の児童向けお話集を判明している限りまとめてみると以下の通り。

 『お話のなる樹』(尾関岩二/昭和二年)
 『美しいお話』全六巻(尾関岩二・長尾七郎/昭和五年)
 『お話讀本』全八巻(小谷良徳/昭和六年)
 『笑の話』全六巻?(長尾七郎/昭和九~十年)

 このうち、はっきり“SF”と言える作品が入っていることまで判明しているのは、『笑の話』『お話讀本』については一冊以外の収録作が判っていないが、おそらくはお伽話集だろう。よって、取りあえず現段階では「創元社最初のSFは『笑の話』(の収録作)である」と結論付けて差し支えなかろう。

 では、単行本の一部ではなく、一冊まるまるSFである本の最初は、何だろうか。戦時中の昭和十七年(一九四二年)にジョージ・ガモフ『不思議の国のトムキンス』が出ているが、これはSF仕立ての科学解説書なので例外扱いとすると、もっと時代が下って戦後、テオフィル・ゴーチェ『換魂綺譚―アヴァタール―』(一九四八年)ということになるだろう。
 これはフランスの幻想作家による“精神交換”テーマの小説だ。「アヴァタール」というのは昨今流行の「アバター」と同じことで“化身”といった意味。ちなみに創元SF文庫からは、ボール・アンダースンの『アーヴァタール』も出ております。
 主人公は、オクターヴ・ド・サヴィユという青年。彼はとある美女に一目惚れしてしまった。しかしその女性は人妻だった。ポーランド人のオラーフ・ラビンスキー伯爵の奥方、プラスコヴィ・ラビンスカ伯爵夫人だったのだ。しかも伯爵夫妻は相思相愛のおしどり夫婦。とても入り込む余地はない。
 叶わぬ恋の病に、生きる気力を失ってどんどん弱っていくオクターヴ。そうとは知らぬ周囲の人間は医者たちに見せたが、インド帰りのバルタザール・シェルボノー博士だけが真実を看破した。シェルボノー博士はかねてより精神と肉体とを分離、さらに再結合させる研究をしており、科学と呪術を組み合わせることによって、それを可能としていた。
 シェルボノー博士はオクターヴの望みを叶えるため、オクターヴと伯爵の精神を入れ換えた。伯爵の肉体を手に入れたオクターヴは、伯爵邸へと向かった。果たして、その結果やいかに……。
 作中、精神の交換を行うのにメスメリズムなどが用いられているので、科学ロマンスだと言っても過言ではないだろう(一八五六年に発表されたので、まだサイエンス・フィクションという言葉はありませんでした)。
 訳者の林憲一郎(一九一三~二〇〇三)は、フランス文学者。著作に『フランス童話』(広島図書・銀の鈴文庫/一九五〇年)など。ネット上の訃報によると京都大学の名誉教授にまでなっていたようだ。
 本作は、その後『ゴーチエ幻想作品集』(創土社/一九七七年)で「化身」のタイトルでも翻訳されている(小柳保義訳)。そちらの訳は更にゴーチェの作品集『変化(へんげ)』(小柳保義訳/現代教養文庫/一九九三年)で、改題されて表題作となった。ちなみに現代教養文庫には、他にも『魔眼』『吸血鬼の恋』とゴーチェ作品が収録されている。
換魂綺譚
『換魂綺譚』
 現代教養文庫は、版元の社会思想社が倒産したために絶版となってしまったが、一部が文元社から〈教養ワイドコレクション〉としてオンデマンド復刊されている。ゴーチェは幸いにも三冊ともこの〈教養ワイドコレクション〉にラインナップされているため、現在でも入手は可能だ(オンデマンドゆえ、ちょっとお高いですが)。
 『換魂綺譚』は、創元社の〈百花文庫〉という叢書の一冊。“文庫”という名ではあるが、文庫判ではなく、四六判ソフトカバーの単行本である。ゴーチェの「ェ」は創元版では小さいが、ここで言及したその他の版では大きい「エ」で表記されている。
 そんなわけで、創元社まで遡ってのSFのルーツは、『笑の話』『換魂綺譚』にあり、ということになる。
 ――いつも以上に書誌にこだわって調査魔になってしまったが、ご容赦を。それだけ、『東京創元社 文庫解説総目録』の及ぼした影響が大きかったということなのです。今回は現物を確認できなかったものもあったので、引き続き調査は継続したいと思う。……いざとなったら、大阪の創元社に連絡を取ってみるかなあ。
(2011年1月6日)

北原尚彦(きたはら・なおひこ)
1962年東京都生まれ。青山学院大学理工学部物理学科卒。作家、評論家、翻訳家。日本推理作家協会、日本SF作家クラブ会員。横田順彌、長山靖生、牧眞司氏らを擁する日本古典SF研究会では会長をつとめる。〈本の雑誌〉ほかで古書関係の研究記事を長年にわたり執筆。主な著作に、短編集『首吊少女亭』 (出版芸術社)ほか、古本エッセイに『シャーロック・ホームズ万華鏡』 『古本買いまくり漫遊記』 (以上、本の雑誌社)、『新刊!古本文庫』 『奇天烈!古本漂流記』 (以上、ちくま文庫)など、またSF研究書に『SF万国博覧会』 (青弓社)がある。主な訳書に、ドイル『まだらの紐』『北極星号の船長』『クルンバーの謎』(共編・共訳、以上、創元推理文庫)、ミルン他『シャーロック・ホームズの栄冠』 (論創社)ほか多数。

北原尚彦『SF奇書天外』の「はしがき」を読む。


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