不倶戴天の二大組織の相剋が、結局は両者あいまって人類の生命の永遠の大流に寄与してゆく

沼沢洽治 koji NUMASAWA


 著者ヴァン・ヴォークトについては、本文庫中の『宇宙船ビーグル号の冒険』巻末に、厚木淳氏の要を得た一文が書目とともに掲載されているので、米国SF界の大御所の一人という以外になにも付言しない(編集部注・一九九九年の第二十三版より巻末解説を中村融氏によるものに変更)。『ビーグル号』でSFの「スペース・オペラ」的魅力を満喫させてくれるヴォークトのおそらく最大の力作が《武器店》二部作であり、本書はその時代範囲からいって、第一部にあたる。ただし第二部『武器製造業者』とは、登場人物が共通である以外、直接に事件の連続性はないので、本書はこれだけで完結している。まとめて読まぬと気がすまない読者にご安心願うため、ひとこと申し上げておく。
 第一部と言ったけれども、執筆年代からみると、実は『武器製造業者』(一九四七年刊)のほうが先であり、一九五一年に刊行された本書はあとになっている。憶測であるが、おそらく前者が大好評だったため、せっかくの雄大な構想を生かして本書を書いたのであろう。全編を通じての主人公ロバート・ヘドロックは、地球でただひとりの不老不死人であるから、その点まことに便利である。同じ構想を続けて、もう一、二作書いてもらいたいとわたしなどは思うのだが、二作品だけで止まっているらしい。
 『イシャーの武器店』があとに書かれたということは、たとえば本書では直接登場しない「能力人」が、一、二度その名だけを見せていることにも示される。「能力人」とは、一種の予言能力を持つ超人で、「一を聞いて十を知る」という言葉が文字どおりあてはまり、ごくわずかなデータがあれば、未来をだいたい確実に予測できるのである。この「能力人」は武器店側の一員として、『武器製造業者』の中で大きな役割をはたすことになるが、あとから書かれた本書では、もう読者にはおなじみの存在として、なにも説明されない。奇異に思われた方のために、ここで注釈しておこう。

 人間には史詩(エピック)の本能があり、リアリズムに縛られていきづまった現代小説においては、その本能の解放をSFに求めると言っては言い過ぎになるだろうか? 不老不死の人間、太陽系の創世、不倶戴天の二大組織の相剋が、結局は両者あいまって人類の生命の永遠の大流に寄与してゆく――こういった《武器店》二部作の設定は、そのまま遠くさかのぼって、言葉を初めて知った人類の心の中に芽生えたエピックの本能に、すべて格好の題材を提供していたものではなかったか。
 SFの傑作に数えられる宇宙エピック的作品の中には、このヴォークトの二部作のほかに、同じ作者の『非(ナル)Aの世界』『非(ナル)Aの傀儡(かいらい)』二部作、さらにアシモフの《銀河帝国の興亡》三部作、ジェイムズ・ブリッシュの『宇宙零年』に始まる《宇宙都市》三部作(一九六二年の『星屑のかなたへ』を入れると四部作)などが挙げられる。いずれも壮大なスケール、巨視的な宇宙観を骨組みとした逸品で、再読三読しても飽きないものがあるが、こういう作品を手にし、しばしせせこましい現代(どんな時代においても、〈現代〉とはつねに憂き世である)を離れて、久遠の未来に夢をはせるわれわれは、実は太古の祖先がたき火をかこんでうち興じた、物を語り物を聞く喜びそのままを味わっているのではあるまいか? ホメロス、ヴィルギリウス、ミルトンなどなど、かつては時代を代表する大詩人たちが、人々のこの本能にこたえていた。芸術そのものが分業化してしまった現代では、この欲求に応じてくれるのは、SFの良きクラフツマンのみであろう。

 SFの専門分野という点からすると、一ファンにすぎないわたしにはよく判らないが、時間旅行、不死人、ケイル・クラークに示される超能力、未来社会などなど、SFの基本要素がみごとに配置されている。小説技巧から見れば、『宇宙船ビーグル号の冒険』で示されたダブル・プロット、つまり主筋と副筋の組み合わせのあざやかさが、ここでも存分に発揮されている。一九五一年から数千年の未来へ投げこまれてしまった新聞記者マカリスターの運命を扱う章間の部分も効果的で、エピローグなど非常に美しい。イシャー家対武器店の対立抗争を主筋とすれば、ルーシーとケイルのカップル、マカリスター、それに不死人ヘドロックがそれぞれ副筋をあやなしているのだが、なんといってもこの二部作の主人公であるヘドロックの巨大な存在が諸所に圧倒的な影を投げかけている。第二部『武器製造業者』を待つこともなく、目の鋭い読者なら、ヘドロックが武器店の歴史に対しどんな地位を占める人物なのか。この謎はすぐとけるであろう。ある個所にそのヒントが与えられている。本書のほうを先に読む人のために、ヴォークトが意識していたずらを仕掛けたのかもしれない。私事ながら記しておくと、わたしの好きな個所は、ケイルが〈幸運通り〉に行き、〈ペニー(一セント)・パレス〉という賭博場で、持ち前の能力に物をいわせてたちまち大金をもうけるところで、未来の話ながらなかなかリアリティがあり、ユーモアもあって楽しい。

 なお、第二部ではヘドロックがイネルダ女帝の廷臣として宮殿におり、最初から縦横に活躍する……とだけ書いて宣伝に代えさせていただく。
(一九六六年六月)


■ 沼沢洽治(ぬまさわ・こうじ)
1932年東京生まれ。東京大学文学部英文学科卒。主な訳書に、ヴァン・ヴォークト『宇宙船ビーグル号の冒険』『イシャーの武器店』『非Aの傀儡』、ベスター『分解された男』、クラーク『地球幼年期の終わり』ほか。2007年没。



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