(H・G・ウェルズ『宇宙戦争』訳者あとがき[全文])
中村融 toru NAKAMURA
夜空に輝く赤い星――火星は古来から人々の想像力を刺激してきた。見る季節によって明るさや大きさをドラマチックに変えるうえに、その色あいが炎や血を連想させることから、東洋では燃える「火の星」、西洋では「戦いの星」となり、人々はその姿に凶事の前兆を読みとってきたのである。
そして19世紀末。この禍々しい星に新たなイメージが加わった。きっかけは、1篇の小説。地球人とはまったく異質な火星人が、圧倒的な科学力を駆使して、地球人を害虫のように蹂躙していく過程を克明に綴ったこの小説は、発表直後から大評判を呼び、無数の脚色や類似品を生みだして、「火星人=侵略者」というイメージを人々の頭に植えつけてしまったのだ。いうまでもなく、その問題の小説こそ本書『宇宙戦争』The War of the Worlds (1898)にほかならない。
ちなみに原題は「ふたつの世界の戦い」くらいの意味。作者H・G・ウェルズにとって「ふたつの世界」とは、地球と火星であると同時に、現在と未来でもあったわけだが、そのあたりの事情はおいおい述べるとして、ここではこの戦いが、国家や民族という規模を超えた文明規模の衝突であったことを確認しておきたい。
ウェルズの回想によれば、この小説の構想が芽生えたのは1895年の夏だったという。当時のウェルズは、科学伝奇物語(ロマンス)第1作「タイム・マシン」(1895)の成功で長い下積み生活からぬけだし、一躍時代の寵児となった新進作家だった。本書の舞台となるロンドン郊外のウォキングに居をかまえ、執筆にはげむいっぽう、気晴らしに当時流行の先端だった自転車に乗って、周辺各地を走りまわっていた。そんなある日、兄のフランクと散歩に出たところ、フランクがこんなことをいった――「ほかの惑星の生物が、いきなり空からやって来て、ここに根城を築きはじめたらどうなると思う」この言葉でウェルズの想像力に火がついたのだ。
というのも、すでに下地ができていたからだ。ウェルズの『宇宙戦争』は斬新な小説だったが、まったくの虚空からポンと出てきたものではない。簡単にいうならば、当時の読書界でブームだった「火星人ロマンス」「未来戦争」「災害小説」という3つのジャンルを巧みに総合したものだったのである。
まず「火星人ロマンス」だが、その成立の背後には「火星の運河説」の流行がある。1877年の夏に19世紀最大の火星最接近があり、絶好の観測機会が訪れた。イタリアの天文学者ジョヴァンニ・スキャパレリは、火星の表面を網目状に覆う筋模様を観測し、これを「カナリ(canali)」と呼んだ。
イタリア語でカナリといえば、「溝」や「水路」を意味する言葉だが、これがフランスの天文学者/作家のカミーユ・フラマリオンの著作を経て、「運河」を意味する英語の「キャナル(canal)」と誤訳されたために、火星には知的生物がいて、巨大な運河を築いているという説が生まれた。とりわけこの説を信奉したアメリカのアマチュア天文学者パーシヴァル・ローウェルは、精密な運河地図を発表し、「火星の運河説」の啓蒙に尽力した(現在では目の錯覚だったことが判明している)。おりしもスエズ運河をはじめとする巨大運河建設の時代。運河は科学技術のシンボルであり、もし火星全体を縦横に走るような運河網があるなら、火星には高度に発達した文明があるはずだと推測された。こうして火星人の存在が真剣にとり沙汰されるようになり、沙漠に大規模な火事を起こして、火星に信号を送ろうという提案まで大まじめでなされるようになった。
ローウェルの広めた火星の姿は、冷却と乾燥が進んで全土が沙漠化するなかで、極冠の雪解け水を引いた運河のほとりにだけ文明の拠点が残っているというものだった。つまり、火星は地球より小さいために早く冷却が進み、生命や文明が生まれるのも早いかわりに、滅びるのも早いというわけだ。いい換えれば、人々は滅びゆく火星に地球の未来を見ていたのである。
もちろん、文学者がこのイメージに触発されないわけがなく、多くの火星人ロマンスが生まれた。なかでも注目に値するのが、パーシー・グレッグの Across the Zodiac(1880)とクルト・ラスヴィッツの『両惑星物語』(1897)だ。前者には地球人の運んだ細菌が火星人に感染するというアイデアが見られ、後者には地球に植民地を築いた火星人が、地球の軍隊と戦うさまが描かれているからだ。とはいえ、どちらの場合も火星人は地球人とほとんど変わらぬ姿形と心理を有している。その点、火星人を徹底的に異質な存在として描きだしたウェルズは、非凡というほかない。
だが、そのウェルズの火星人は、じつは地球人の未来の姿でもあった。文筆家としては駆け出しだったころ、ウェルズは〈ペル・メル・ガゼット〉という雑誌の1893年11月9日号に "The Man of the Year Million" と題された科学エッセイを発表し、ダーウィン流進化論に基づいて、はるか未来における人類の姿を想像した(この記事については、作者自身が本書第2部第2章で触れている)。ウェルズによれば、脳が高度に発達し、手以外の器官が退化した人類は、頭ばかりが大きい蛸のような姿になるという。つまり、ウェルズにとって、火星人は未来の地球人にほかならなかったわけだ。ちなみに、ウェルズの描いた火星人の絵が公になっている(図版参照)。ラルフ・ストラウスというジャーナリストの求めに応じて、ウェルズが『宇宙戦争』の扉にスケッチしたものだそうだが、この絵を見れば、「火星人=未来の地球人」ということが納得できるのではないだろうか。
つぎに「未来戦争」だが、当時のイギリスでは英国本土が異国の侵略を受け、国土を蹂躙されるといった筋立ての小説が大流行していた。ブームの引き金になったのは、軍人ジョージ・T・チェスニー大佐の著した The Battle of Dorking(1871)。英国がプロシア軍に攻めこまれ、ロンドン周辺が荒廃するというだけの話だが、これが爆発的な人気を呼び、同工異曲の作品が雨後の筍(たけのこ)のようにあらわれたのだ。もちろん、背景にはヨーロッパ列強の覇権争いがあり、大英帝国の繁栄に翳りが見えてきたという亡国意識があった。しかも、1870年から71年にかけて起こった普仏戦争では、大国フランスがプロシア軍に敗北を喫し、ヴェルサイユ宮殿が占領されるという事態が起こっており、英国民の危機意識をいやがうえにも高めていた。異国に侵略されるという悪夢は、当時の英国民にとって切実なものだったのだ。こうした未来戦記のなかには、飛行機、潜水艦、X線銃といった未来兵器を登場させたものもあり、ウェルズの『宇宙戦争』もその系譜を引いていることはまちがいない。
この観点から見るなら、ウェルズが熱線、毒ガス、飛行機といった近代兵器を予告している点が特筆に値する。じっさい、本書が発表された当時の読者よりも、あとの時代の読者のほうが、その迫真の描写に慄然としたと思われる。とりわけ、毒ガス戦の恐怖を描いた部分は、第1次世界大戦後の読者に強い感銘をあたえたといわれている。いっぽう、現代のわれわれの目を惹くのは、レーザーを思わせる熱線と3本脚の戦闘機械だろう。後者はいまでいう筋力強化服(パワード・スーツ)を先どりしており、ウェルズの想像力には舌を巻くほかない。というのも、戦闘機械も多くの場面で「火星人」と呼ばれており、明らかに両者が同一視されているからだ。3本脚の戦闘機械は、いわゆるロボットではなく、火星人がまとうパワード・スーツなのである。
じつは『宇宙戦争』には、もう1種類のパワード・スーツが登場する。いうまでもなく、土木工事に従事する小型の作業機械だ。ウェルズ自身が明記するように、火星人は用途によってパワード・スーツを使い分けているのだ。これに対し縦穴の建設に使われる掘削機械は、自律型のロボットらしいが、これは当時の運河建設に使われた蒸気動力の掘削機械(通称ナヴィー)を自動化したものだからだろう。いずれにしろ、ウェルズは、虚弱化した肉体を機械で補う人間の姿をみごとに描きだした。その意味でも火星人は、未来の存在なのである。
つい話が脱線したが、当時の英国の「未来戦争」ものは、英国民の亡国意識に訴え、列強の侵略にそなえよと警鐘を鳴らすものだった。だが、ウェルズの意図がたんなる警世であったとは思えない。冒頭から明らかなように、火星人に侵略される英国は、ヨーロッパ列強に侵略される植民地になぞらえられている。ウェルズによれば、『宇宙戦争』の着想には、イギリス支配下で生じたタスマニア原住民の絶滅に関して兄のフランクと交わした会話がひと役買ったというが、『宇宙戦争』ではそうした運命が、イギリス本土に降りかかって来るのである。批評家のスティーヴン・D・アレータは、この背景にある心理を「反転した植民地化の不安」と呼んだが、ウェルズの批判はたんなる帝国主義批判にとどまらない。というのも、火星人と地球人との関係は、地球人と下等動物との関係に等しいと繰り返し強調されているからだ。つまり、ウェルズは人間という種(しゅ)そのものの驕りを批判していたのである。この意味でも本書は「ふたつの世界の戦い」を描いているといえるだろう。
――こう書くと思いだされるのが、1897年に発表されたブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』だ。同書もまたイギリスが辺境からの勢力に侵略される物語であり、『宇宙戦争』と同じように、病原菌の感染恐怖を主要な霊感源としていた。それよりなにより、どちらも敵の正体は吸血鬼なのだ。ウェルズの描いた火星人も人間の生き血をすする吸血鬼だったのである。一部の批評家は、ここに資本家と労働者、あるいは本国と植民地といった図式を重ねあわせるが、その妥当性はさておき、『宇宙戦争』と『吸血鬼ドラキュラ』が同じコインの裏表であることはまちがいない。SFやホラーというジャンルの枠組みにとらわれているとなかなか気づかない点なので、あえて強調しておきたい。では話をもどして――
つぎに「災害小説」だが、1890年代のイギリスでは、批評家のパトリック・パリンダーが「テムズ・ヴァレーの大災害」と名づけたタイプの小説が隆盛を見ていた。すなわち、風光明媚なテムズ川領域の田園地帯が大災害に見舞われ、崩壊がロンドンにおよぶという筋立ての小説である。この背景には、おそらく都市化の進展による田園の破壊という事態、さらには鉄道の発達によるテムズ川領域の郊外化という状況がある。後者について補足すれば、鉄道網が整備されたことで、テムズ川は商業用幹線通路としての役割から解放され、都会の住民が憩うレジャーの場と化したのだ。こうして美しい田園と、煤煙と騒音につつまれた都会の対比が鋭く意識されるようになり、都市化の進展に脅威を感じた人々が、それを想像の裡(うち)で逆転させるようになった。つまり、ロンドンは罪と悪徳の象徴であり、滅ぶべき存在となったのである。
この種の小説の淵源をたどれば、ダニエル・デフォーの『疫病流行記』(1722)に行き着くわけだが、ブームの嚆矢は自然主義者リチャード・ジェフリーズが発表した After London(1885)だといわれている。ウェルズのライヴァル的存在だった科学ロマンス作家ロバート・バーには「ロンドン市の運命の日」(1894)という作品があるし、グラント・アレンにはそのものずばり「テムズ・ヴァレイの大災害」(1897)という作品がある。ウェルズ自身の「タイム・マシン」もこの系列にはいるといえるだろう。こうした「災害小説」の頂点に君臨したのが、『宇宙戦争』だったのであり、この系譜はジョン・ウィンダムの『トリフィド時代』(1951)、J・G・バラードの『沈んだ世界』(1962)、ブライアン・オールディスの『グレイベアド』(1964)などに引き継がれていくのである。
さて、ここまでは『宇宙戦争』が生まれてきた背景について見てきたが、この辺で『宇宙戦争』そのものに目を転じよう。
すでに記したように、ウェルズが本書の執筆を思いたったは1895年の夏だが、火星の生物にはもっと前から関心をいだいていたらしい。科学師範学校(いまのロンドン大学理学部)在学中の1885年には火星人の心理と生理を空想したそうだし、1888年にはある討論会で「火星には生物がいた」という説の支持にまわったという。1894年には「火星上に怪光が目撃された」という内容の記事を科学誌〈ネイチャー〉8月2日号で読んで、大いに想像力をかきたてられたようだ(ちなみに、この記事については本書第1部第1章に言及がある)。そこへ兄フランクの言葉が引き金になって、ロンドン近郊が火星人に侵略されるという物語が生まれたわけだが、執筆は難航をきわめ、1895年の秋から2度の中断をはさんで1897年の12月までつづいた。そのため、あとから書きはじめられた『透明人間』(1897)が、『モロー博士の島』(1896)につづく科学ロマンス第3作として、先に世に出る運びとなった。
こうして難産の末に生まれた『宇宙戦争』は、まず雑誌連載の形で発表された。イギリスでは〈ピアスンズ〉、アメリカでは〈コスモポリタン〉の1897年4月号から12月号にかけて同時連載されたのだ。単行本化は翌1898年。イギリスではハイネマン社、アメリカではハーパーズ社から刊行された。
単行本化に際してウェルズは、雑誌ヴァージョンに大幅に書き足した。具体的にちがいを述べれば、雑誌ヴァージョンが全22章から成っているのに対し、単行本ヴァージョンは第1部17章、第2部10章の全27章から成っている。書き足しは第2部に集中しており、第2部第7章「パトニー・ヒルの男」にいたっては、完全な新稿である(この邦訳版では〈ピアスンズ〉初出時に付されたウォーウィック・ゴーブルのイラストを厳選して復刻しているが、第2部のイラストがすくないのは、そういう事情による)。
じつはこの部分は、ウェルズを理解するうえでたいへんに重要な部分である。というのも、のちにウェルズが展開することになった優生学の思想が萌芽的に語られているからだ。この点については、本文庫『モロー博士の島』の訳者あとがきで触れたので参照していただきたいが、優生学が人種の改良を標榜し、亡国意識の高まりのなかで大きな力をふるったことだけは指摘しておこう。語り手がウェルズの「現在」なら、砲兵は「未来」であり、宗教にとらわれている副牧師は「過去」であるといってもいい。あるいは、虚弱な享楽主義者の副牧師は「タイム・マシン」に登場するエロイに相当し、頑強な生存主義者の砲兵はモーロックに相当するといえるかもしれない。
また話が脱線したが、ウェルズは1924年にアンウィン社から全28巻におよぶ著作集(通称アトランティック版)が刊行されたさい、本書の全篇に細かく改訂をほどこした。現在ではこれが決定版とされており、翻訳の底本にはこのヴァージョンを使用した。
このほかのヴァージョンとしては、単行本が出る前にアメリカの新聞2紙に海賊版が連載されたことが知られている。ひとつはニューヨークの〈イヴニング・ジャーナル〉1897年12月5日号から翌年1月7日号にかけて連載されたもの。もうひとつはボストンの〈ポスト〉1898年1月9日号から2月3日号にかけて連載されたものである。海賊版というのは、どちらもウェルズの了解をとらずに舞台をアメリカに変え、文章を大幅に改竄したものだからだ。ちなみに題名も『火星からの戦士――宇宙戦争』Fighters from Mars: The War of the Worlds と変えられていた。
ある意味でこの海賊版は、のちの脚色版を予告するものだった。というのも、原作刊行から40年後の1938年10月30日、若きオーソン・ウェルズ率いるマーキュリー劇団が、舞台をアメリカ東部に変えたヴァージョンをCBSのラジオ番組〈マーキュリー・シアター・オン・ジ・エア〉の第17回として放送したからだ。そのドキュメンタリー・タッチは、じっさいに火星人が侵略してきたと人々に信じこませるほど真に迫ったもので、全米に一大パニックが起きた。あまり知られていないが、同様の事件は南米でも起きている。ひとつは1944年にチリで起きたパニック、もうひとつは1949年にエクアドルで起きたパニックである。後者ではすくなくとも15名の死者が出たという。
つぎに特筆すべき脚色は、ジョージ・パル製作のパラマウント映画「宇宙戦争」(1953)だろう。やはり舞台をアメリカに移したうえで、火星人や戦闘機械のデザインを大胆に変更し、まったく新しいイメージを作りあげた。この後も繰り返しTV化、音楽化、コミック化がなされたが、従来のイメージを一新させるにはいたらなかった。が、今年2005年にはスティーヴン・スピルバーグ監督の映画として、また新たに生まれ変わろうとしている。原作刊行から1世紀以上たったいま、どのような『宇宙戦争』が描かれるのか、公開が楽しみである。
翻訳にあたっては、前記アトランティック版がおさめられた A Critical Edition of The War of the Worlds with Introduction and Notes by David Y. Hughes and Harry M. Geduld(1993, Indiana University Press)を底本として使用した。同書には詳しい註が付されており、付録ともども、翻訳やこのあとがきの執筆にさいして、大いに助けられた。また本文庫には井上勇氏による訳業がすでにあり、今回の新訳にあたって、訳文を大いに参照させていただいた。記して感謝する。
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