◆SF古書と生きる。ひそかに人気の古書探求コラム
今回、調べ物にあたってネットはほとんど役に立たなかった。
――本の世界には、足を使って調べるしかないことがまだまだあるのである。

北原尚彦 naohiko KITAHARA


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 ゴールデンウィークは、1994年以来毎年「SFセミナー」というイベントに参加している。古くからのSFファンの方には説明の要もないだろうが、1980年から続く由緒正しいイベントである。
 今年(2012年)の開催は、5月4日の金曜日。調べてみると、この日は高円寺の古書即売会と、神田の古書即売会の初日に当たっているではないか。というわけで仕方なく、セミナー前に古書即売会のハシゴする羽目になった。「クトゥルー神話の現在」という企画に出演するため、紹介する資料を抱えて大荷物だったにもかかわらず、である。
 わたしの家からだと、まずは近い方の高円寺から。開場時間直前に到着し、開くと同時に突入。ここでは『永井豪 幻の小説挿絵集』(プラネット出版/2001年)をゲット。こんな本、出ていたのも知りませんでした。筒井康隆『三丁目が戦争です』や平井和正『超革命的中学生集団』など、永井豪が小説に描いたイラストをまとめたもの。栗本薫『魔界水滸伝』も入っていたため、クトゥルー企画で使えるかも、と思ったのもある。
 高円寺の古書会館を見終わると、すぐに御茶ノ水へ移動。そして神田の古書即売会だ。
 会場をぐるっと回っていると、森英俊氏にばったりと遭遇。先日の「古本ゲリラ」にお越し頂いたこと、『忍術三四郎』関係の情報を頂いたことへのお礼を申し上げた(第23回参照)。
 すると森さん、「いま三省堂古書館の、××書店の一番目の棚に『銀座退屈男』という本が並んでいますけど、あれ実は『醗酵人間』以上のSF奇書なんですよ。結構な値段が付いていますが、レア度でも『醗酵人間』以上で、僕の知る限り持っている人は数人だけです。国会図書館にもありません」とおっしゃる。
 三省堂古書館というのは、すぐそこ、三省堂書店本店の四階にある古書コーナーのことだ。即売会を一通り見てから、そちらに行ってみようと考えた。しかし森さんの声は結構大きいので、周囲の人にも聞こえていたと思う。なので、誰かに先を越されたらどうしよう、と考え始めたら気もそぞろになってしまった。
 結局、会場を一回りしないうちに、預けてある手荷物もそのままに、わたしは三省堂本店へと駆け出した。エレベーターで三省堂古書館へと一気に上がる。××書店の棚は、一番手前にあった。その一番目の棚……これか? でもそこにあったのは『銀座快男児』だった。微妙にタイトルが違うぞ。値札を確認すると、確かに結構なお値段。間違えて買っていい額ではない。しかもビニールに封入されているため、中が見られない。
 仕方なく、レジへ持っていって「すみません、中身を確認したいので開けて頂けますか」と御願いする。こういう際、勝手に開けないのがマナーである。
 開けてもらい、ページをめくっていくが……どうもよく分からない。明朗小説の一種であることは確かだが、ぱらぱらと見た限りではとてもSFとは思えない。ホントにこれなのか。タイトル違うし。表紙も、コートを着た男性と花売りらしい少女が描かれているだけだし。
 そこで、またまた仕方なく、レジの店員さんに二番目のお願い。
「すみません。ちょっと確認してきますので、これ、預かっといて頂けますか? すぐ戻りますから」
 要するに、一時キープである。そして、古書会館の即売会場へと駆け戻る。比喩でなく、本当に走って。会場へ入ると、またまた場内を駆けずり回って、森さんの姿を探す。森さんにもう一度タイトルを確認するためだ。……いない。どうやら、もう買い物を終えて移動してしまったらしい。ついでに古書即売会の続きも見ていこうとしたが、こんな精神状態では全然本棚に集中できない。ざっと一回りして、結局ここでは何も買わずに出た。
 三省堂へと戻りながら、森さんの携帯電話の番号を知っていることを思い出した。掛けてみる……が、出ない。電源を切っているらしい。
 さて、遂に決断をしなければいけなくなってしまった。あの本を、買うべきか否か。SFセミナーで出演する企画の打ち合わせ時間も迫っており、これ以上引き伸ばせない。
 散々悩んだ挙句――えいや、で買う決断をした。もしあれが森さんの言っていた通りの本だとしたら、買い逃すわけにはいかない。
 三省堂古書館へ戻り、レジで購入する。……あーあ、買っちゃったよ。
 そしてSFセミナー会場へ急いで移動。幸い出演企画は好評だったが、それはさておき。SFセミナーは昼企画とは別に合宿企画があるのだが、合宿用の別会場に移動した際、古書仲間の日下三蔵氏と彩古氏に『銀座快男児』の話をした。お二人とも知らないというので、現物をお見せする。しかし二人とも中身を確認して「これ、SFには見えませんねえ」とおっしゃる。うわあ、どうしよう。
 合宿企画は日付をまたいで続くのだけれど、わたしは最近体力が続かないので、終電で帰宅することにしている。帰宅してまずパソコンを立ち上げ、森さんにEメールで「こんな本を買ってしまいましたが、あってますか?」と問い合わせようとした。すると、先に森さんからメールが届いているではないか。慌てて開くと、本のタイトルを間違えていた云々とある。そう、わたしが買ったもので、正解だったのである! いやはや、この時はホントにホッとしましたよ。
銀座快男児
『銀座快男児』
 というわけで、晴れて紹介しよう。織田竜之『銀座快男児』(ゆたか書店/1958年)である。
 最初に舞台となるのは、銀座。「銀の角笛」というバーに、黄風先生なる人物がやってくる。……この名前、なぜかわたしの記憶の琴線に触れたのだが、そのまま読み進める。
 この黄風先生、「天下の発明王」だという。……うんうん、いい調子だ。どんな超科学が出て来るのか。
 彼が過去に発明したのは、「淫可剤」なる薬剤だった。その名前からしてバイアグラみたいなものを想像したが、「一粒のめば、女一人が必ず引っかかって来るという妙薬だ」というから、どちらかというと人工フェロモン剤のようなものらしい。
 そんな黄風先生が今回持って来たのは「悪芽水」という薬だった。これはなんと、普通の善良な人間を悪人にしてしまうという世にも恐ろしいシロモノだったのである。……とはいえ、どちらかというとショッカーとか死ね死ね団とかが使いそうですな。
 バーにたむろしている男たちは、どうもゴロツキらしい。彼らに対して黄風先生は「最大の新兵器」で「科学の神髄」である“黄風閃”がお前たちを狙っているぞ、と脅すけれども、実際には使用されないので詳細は不明。残念。
 そこに、ゴロツキたちのボスでありバー「銀の角笛」の主人である“銀座の角次郎”が登場。彼は略して“銀角”と呼ばれる。――うん? 銀角? それは『西遊記』に出て来る、孫悟空たちと敵対する悪役妖怪の名前ではないか。
 銀角は、安酒場で飲んでいる三人組で「悪芽水」の実験を行なう。その三人とは、河童みたいな河岸童太、太った大男の白井八郎、そして猿みたいな赤い顔の古山孫太郎だった。……間違いない。この三人は沙悟浄、猪八戒、孫悟空のもじりだ。よくよく考えてみれば「黄風先生」からしてそうだった。『西遊記』に登場する妖仙に「黄風大王」というのがいるのだ(聞き覚えがあったのはそのためだった)。そう、つまり本作は『西遊記』のパロディでもあったのだ。こりゃあますます価値アリだ。
 酒に薬を盛られた三人組は本当に悪人になって大暴れし、結局は銀角の手下になってしまう。安酒場の名前は“太竺”となっていたが、後で出て来ると“天竺”だった。「太」は「天」の誤植だったらしい。そして天竺と言えば、『西遊記』で一行が経典を取りに行く目的地だ。
 三人組が銀の角笛の地下室へ連れて来られ、そこに現われた女たちが踊りながら唄う歌は「水簾洞」がどうしたこうした、という歌詞だった。水簾洞と言えば、孫悟空が三蔵法師の弟子となる前に住んでいた場所の名前だ。
 そして舞台は移り、六郷川の東京側。六郷川というのは多摩川下流だから、大田区蒲田の近くだ。そこに表向きは葬儀用具を扱う会社があり、そこの親分は金山角太郎と言った。人呼んで“シスター坊やの金角”。地方芝居の女形の息子で、オネエ言葉を使うためにシスター坊やと呼ばれるのだ。彼は銀角とは犬猿の仲で、銀角が「悪芽水」を手に入れたことを知り、黄風先生の身柄を奪おうと目論む。――これで金角銀角が揃った。原典ではライバルではなく兄弟なのだけど。ちなみに金角の部下として「トラ」というキャラクターが登場するが、これは『西遊記』における金角の部下「巴山虎」のことかもしれない。
 その頃、銀の角笛から裸のまま逃げ出した、法子という女性がいた。ルビがないので確実ではないものの「のりこ」と読むのだろう。そして後に、彼女の名字が「三蔵(みくら)」と判明する。つまり彼女は三蔵法子。そう、彼女こそ三蔵法師の役どころだったのだ。おお、女性バージョンの三蔵法師って! 日本テレビのドラマで夏目雅子が三蔵法師を演じるようになったのが一九七八年からだから、それより二十年も前だよ!
 法子は、カン吉という少年と、菩提仙吉という画家に助けられる。――うーん、菩提仙吉は孫悟空に筋斗雲の乗り方などの仙術を仙人“須菩提祖師”が元ネタかなあ。カン吉は「浅草の観音堂の下に捨てられていた孤児」なので、カン吉、カン坊と呼ばれるのだが、観音様は『西遊記』でも重要キャラだ。法子は何かの真相を知ろうとしているらしく、そのためにひとり伊豆方面へ向かう。
 一方、孫太郎ら三人組は、さらわれた黄風先生を探すうちに、金角一味に捕えられてしまう。そして砂浜に首の下まで埋められ、あわや満ち潮とともに溺死……というところを助けてやったのが法子。三人組は男装していた彼女が女性だとは知らず、子分にしてくれと迫る。法子はそれを承諾し、かくして三蔵法師が孫悟空・猪八戒・沙悟浄を連れて旅をする、という構図が完成するのだ(途中で女性だということはバレるんですけどね)。
 ちなみに、ずっと「悪芽水」の影響下にあった三人組だが、埋められている間に元に戻ることができた。これは、フグに当たったら首から下を砂に埋めると毒が抜ける、という迷信を踏襲したのだろう。
 法子は三人組を従え、小舟に乗って海上に出ると、洞窟のある岩(島?)へと渡った。その洞窟の奥に、東海乙姫という大ギャングの女首領の隠れ家があるのだ。――これは『西遊記』における東海竜王か、その娘が原典だろう。日テレのドラマでは東海竜王の娘の名前を「乙姫」としているが、またしても本書がその先駆ということになる。
 この東海乙姫は、金角一味と手を組んでいた。三人組はまたまた危機に陥るが、やはり三蔵法子のおかげで助けられる。そして法子が何を調べているのかも明らかとなる。
 法子の父・三蔵善蔵は有名な原子力研究者だった。特に平和利用のための研究をしており、原子爆弾がたちまち効力を失ってしまうような、強力な対抗兵器の設計図を完成させていたという。善蔵は行方不明になった後、死体が大島の三原山で見つかったという知らせがあった。法子は、この事件の背後にある陰謀を暴こうとしていたのだ。
 やがて法子の昔なじみの「為朝小父さん」も登場するが、これはさすがに『西遊記』由来ではなく、源為朝(2012年の大河ドラマ『平清盛』にも出演)が元ネタだろう。
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