むくむくと古本ハンター魂が湧き上がってきてしまった。
北原尚彦 naohiko KITAHARA
●これまでの北原尚彦「SF奇書天外REACT」を読む
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二〇〇九年、『古本買いまくり漫遊記』 (本の雑誌社)という本を上梓した。日本のあちこち、世界のあちこちへ古本を買いに行く旅をした記録を、一冊にまとめたものだ。なにしろ本を買っているのがわたしなので、登場する古本の大半がSF関係かホームズ中心のミステリー関係。なので、SFファン&ミステリーファンの方々にも読んで頂けると嬉しい。
この本の編集作業の過程で、本の雑誌社の単行本担当編集氏(当時)が我が家を訪れた。SFファンダムに顔を出している方なら名前ぐらいは聞いたことがあるだろう人物、タカアキラ氏である。
作業を終え、何かの折にタカアキラ氏が言い出した。
「ところで北原さん。こんな内容の児童SF、読んだことありませんか?」
なんでも、ウェブ誌の「WEB本の雑誌」に「読者相談室」というコーナーがあって、昔読んだ子ども向けSFについて知りたい、という相談がそこに寄せられたのだそうだ。「宇宙から降り注いだ謎の光線のため、人間を含めて街全体がミクロ化してしまった。(人間にとっては)巨大な小動物に襲われたり、街を出ると砂漠になっていたり……」という話らしい。
生憎とわたしはそのようなジュヴナイルSFを読んだこともなかったし、聞いたこともなかった。しかし大雑把な年代と、版元は分かっていた。それならば調べられるかもしれない――と、石原藤夫氏による『SF図書解説総目録』 シリーズを引っ張り出した。そしてどうやらそれらしきタイトルの本を見つけ出すことができた。原周作『小さくなった町』(学習研究社/一九七七年)である。
しかし、ふとネットなどで調べてみると、この『小さくなった町』は案外と入手困難らしい。簡単に見当たる場合もあるものの、結構なプレミア価格が付いているではないか。
こうなると、もう自分を抑えられない。「知らなかったジュヴナイルSF」で「入手困難」となると、むくむくと古本ハンター魂が湧き上がってきてしまったのである。
ところが、古本屋や古本市ではとんと見かけない。ネットで見つかるのも相変わらず高値のものばかり。以降は「時々ネットでチェックする本」のリストに入れて、気が向くと検索をかけるようにしていた。要するに長期戦である。
そして二〇一二年一月のこと。忙しかったこともあり、年を越して以降しばらく新刊も古本も買いに行けずにいた。「新年になってから本が一冊も増えてない」最長記録を更新するほどだった。
そんな時はネットで古本漁りだ。「欲しい本リスト」のタイトルを片っ端から検索していく。……『小さくなった町』がヒットするが、どうせまた高値だろうと思いつつ、確認。すると、いつもの高値のやつ(ずっと売れ残ってる)以外に、ヨゴレ本ゆえに安値、というものが見つかったではないか。写真はなく「本体にシミあり」という記述のみ。どの程度汚れているのかは不明だが、値段は送料を含めても定価以下。これなら、最悪でも書影さえ撮影できれば納得がいく。とにかく古本を買いたいという心理もあったかもしれないが、ポチっと注文してしまう。
子どもの本だから、チョコアイスでも食べながら読んでいてこぼしてシミになったのかなあ……などと考えつつ、待つことしばし。ブツが届いた。さて状態は――とどきどきしながら包装を開けると、あれ、結構キレイじゃん。小口に、わずかに茶色いシミがあるだけ。経年を考えればこれぐらいの汚れは当然。カバーに関する記述はなかったが、ちゃんと付いていた。これはお買い得でしたよ。
というわけで、早速読んでみる。
舞台となるのは、和歌山県新宮市。紀伊半島の東側、海沿い南寄りにある町だ。中学校教諭の池原英二は、息子の伸夫(小四)と娘の理香(小二)とともに、大阪見物から鉄道で新宮へと帰って来た。
車中、新宮市郊外の天文台に勤務する、堀透博士と知り合う。知り合うきっかけになったのは、堀博士が表紙に『宇宙生物学』とある「小型の本」を読んでいたからだった。……ハヤカワ・ライブラリーから出た草下英明『SF宇宙生物学講座』 (一九六六年)のことかもしれませんな。
その晩、新宮市の人々は地震で目が覚めた。停電で、町中が真っ暗になっていた。地震が収まったので、人々は電灯が点かなくて暗いのを我慢して再び眠りについた……という辺り、ちょっと無理があるがまだ全てを明かすわけにはいかないので仕方ないか。まあ要するに、この時点で新宮市全体が住民もろともにミクロ化してしまっていたのである。
その頃、大阪国際空港から新宮空港へ向かっていた小型飛行機が、新宮空港のみならず新宮の町そのものを見つけられずに、やむを得ず白浜空港へ着陸するという出来事が起こっていた。……しかし実際には、和歌山県には南紀白浜空港しか存在しません。
また新宮市へ入ろうとしていたトラック運転手が、途中で道路が途切れて、その先は人家どころか草も木もない月世界のような荒れ地となっているのを発見した。町全体が縮んでしまったために、地面の下も(ある程度の深さまで)一緒に縮んだ。それゆえ、それまで町があった場所はその下の地面がむき出しになり、荒地になった、ということらしい。
そして翌朝。新宮市周辺の人々は町の外が荒れ地になっていることに気づいた。やがて、(外部からの)ラジオのニュースでは「新宮市が消えてしまった」との報道が始まる。市民は慌てて外部と連絡を取ろうとするが、うまくいかない。電話が通じないのはミクロ化に際して電話線が切れたから。新宮市側から無線を送れないのは、機械類が小さくなってしまったために出力も小さくなってしまったから。
池原英二は、堀博士を訪ねようと、子どもたちを連れて天文台を目指す。その途中、夕やけの大空を背景にして��ものすごく巨大な人間�≠ェ出現する。巨大ではあったが、服装などからしてひとりは小学四、五年生くらいの男の子と、小学一年生くらいの女の子だった。伸夫は、その男の子に見覚えがあった。クラスメイトだったけれども熊野川の向こうの鵜殿小学校に転校してしまった沢村君だったのだ。沢村君は、足元の新宮市の町に気づく様子もない。
このシーンは、表紙にも描かれている。巨大な(実際は普通サイズの)少年と少女が、足元の小さな町に気づかずに立っている、という構図。大きさの対比ゆえに子どもたちを見上げる形となっているため、女の子のパンツが見えてます。「人魚の海」(『原色の想像力』所収)の作者で巨人女フェチである笛地静恵氏が思いっきり萌えそうな絵だなあ。
沢村君の存在や、彼が「いったい、新宮の町はどこへいったのだろう」などと言ったことから、新宮市の人々はようやく自らの置かれた境遇を把握した。
市役所の公会堂で、市長を中心とする会議が開かれた。そこでパルサー研究の世界的な権威である堀博士が、自説を展開する。彼によると、白鳥座のすぐ東側にベーター三八九というパルサーがあり、規則正しい周期で強い光線を出している。これが「まだ人類の世界では見たことのないような、ふしぎなレーザー光線」なのだという。そして前夜の観測によると、この光線が地球を照らした時刻と、人々がミクロ化した地震の発生した時刻がぴったり一致していたのだ。
この光線はそのままでは害はないが、真空中に長く置かれた鏡で反射されると、「おそろしい作用をもつ光線」(=ミクロ化光線)に変わるのではないか、という仮説を、堀博士は立てた。そして月面にアポロ11号が残したレーザー光線反射鏡が反射したパルサー光線が、新宮市だけを照らしたというのだ。
結局はこの推測が正しかった(らしい)のだが、さすがに大人の目で見るとこの理由付けには苦笑いしてしまう。もうちょっと、何か考えられなかったものかなあ。……まあ、本作は町ごとミクロ化した人々にどのような災難が降りかかるか、それをどうサバイバルしていくか、というところを描くのが主眼と思われるので、ミクロ化の原因にはさほど重きを置かれていないのだろう。
また、その光線はパルサーのN極から発されたものだったが、同じ星のS極から発する光が十三か月後にほぼ同じ場所を照らすことが判明。これまでの観測データを総合した結果、この光線は前夜の光線と全く逆の性質があると推測された。しかしこれを逃すと、次にS極の光線が地球を照らすのは一億八千万年後になってしまう。よって、是が非でもこれを浴びなければならない。そのためにも、ミクロ化した状態で十三か月間を生き抜かなければならないのだ。……うーん、ストーリー展開の骨格を作るためのご都合主義と申しますか、なんと申しますか。
ミクロ化の一週間後、牛乳配達の青年が怪物にさらわれた。その怪物とは、実はハエトリグモだった。詳細は略すが、結局、青年は死んで見つかる。これ以外にも、巨大(に見える)生物との戦いは、たびたび描かれます。
果たして新宮市の人々はミクロサイズでの十三か月間を耐え抜き、普通サイズに戻ることができるのか……。
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