◆SF古書と生きる。ひそかに人気の古書探求コラム
その中の一番欲しい本に限って入手が困難で、
わたしは所持していなかったのだ。

北原尚彦 naohiko KITAHARA

 

●これまでの北原尚彦「SF奇書天外REACT」を読む
第1回第2回第3回第4回第5回第6回第7回第8回第9回第10回第11回第12回第13回第14回第15回第16回第17回第18回

 

 

 わたしは日本SF作家クラブという団体に所属している。手続きの詳細は省くが、ここへ入会するには会員に推薦された上で、総会において承認されねばならない。
 二〇一一年春の総会のこと。議事は進行し、新入会員推薦の議題となった。この際の被推薦人のひとりの名前は「天瀬裕康」。その名前を聞いて、総会に出席していた会員たちはちょっと「?」という表情になった。しかし本名が「渡辺晋」であることが推薦人から述べられると、多くの会員(特に年配の会員)が「おお」と頷いた。この名前は、古くからSFファンダムにいる人々にとっては、馴染みのあるものだったのだ。詳細は後述するが、渡辺晋氏は古参のビッグネームファンなのである。
 同氏の入会は全会一致で承認。総会後に行なわれた徳間文芸賞の贈賞パーティには渡辺氏もいらしていたが、パーティ出席者がすごく多かったこともあり、わたしはご挨拶することはできなかった。
 それから半年後。高輪台にあるギャラリー・オキュルスにて、「渡辺温オマージュ展《アンドロギュノスの裔》」というものが行なわれた。これは創元推理文庫から渡辺温全集 『アンドロギュノスの裔』が刊行されたのを記念して、喜国雅彦氏をはじめ様々なアーティストたちが渡辺温作品にオマージュを捧げて作成した絵画などを展示したもの。こいつは是が非でも観に行かねばなるまい、と思っていたが、作品出展者のひとり本多正一氏から、二日目にはオープニングパーティが開かれるという情報を頂いていた。この日に行けば、本多氏や喜国氏にもお会いできるだろうから、どうせならこれに合わせて行こう、と考えた。
 以前にもオキュルスでのオープニングパーティに参加したことがあるわたしは、パーティが始まってからでは人混みで作品をじっくりと鑑賞し難くなってしまうことを覚えていたので、少し早めに行くことにした。作戦は成功、まだギャラリー内に人は少なく、時間をかけて作品を堪能することができた。
 その際、芳名帖に記帳していて気が付いた。自分の名前の少し上に、「天瀬裕康」と記名があったのだ。会場を見回すと、まだ人が少なかったおかげで、すぐに見つけることができた。これはいい機会だ――と、氏の作品鑑賞が終わったらしきタイミングで声をおかけし、ご挨拶させて頂いたのである。
 やがてパーティが始まり、渡辺温の作品の朗読が行なわれ……というのは、また別な話。
 そして後日、天瀬氏から突然、著書『闇よ、名乗れ』(近代文藝社/二〇一〇年)が届いた。知り合いになったから、とわざわざお送り下さったのである。まことに光栄なことだったが、実はわたし、同書は既に所持していたのである。そこで御礼の手紙を出した際に「ダブった本は欲しがる友人に回して有意義に活用します」と述べた上で、せっかく連絡を取り合うようになったのだからと、ちょっとお願いをしてみた。
停まれ、悪夢の明日"
『停まれ、悪夢の明日』
 そのお願いは、見事にかなうこととなった。天瀬氏には何冊か著書があるのだが、その中の一番欲しい本に限って入手が困難で、わたしは所持していなかったのだ。そしてもし天瀬氏のお手元に余部があったら一部譲って欲しい……ということだったのだ。
 そんな経緯で送られてきたのが『停まれ、悪夢の明日』(近代文藝社/一九八八年)。全部で三十二作を収録した、SFショートショート集である。その存在を知って以来、ずっと欲しくて探していただけに、実に嬉しかった。
 表題作は、二〇七三年に目覚めた男の物語。自分の置かれている状況がなかなか把握できないが、やがて脳味噌だけの状態となっていることが判明し……という話。
 「航時艇〈回刻〉」は、太平洋戦争中に日本を勝利に導くべくタイムマシンの開発が進められるが……という話。
 「不老不死館の怪」は、二四八五年に開催された「全宇宙科学技術博覧会」での出来事が描かれているが、これは一九八五年の国際科学技術博覧会(つくば万博)にインスパイアされたものだろう。
 最後の「そうとも気違いになったのさ」は、ショートショートより長い短篇。昭和六十二年の世界から歴史の異なる“光文六十二年”の世界に迷い込んだ男の話。
 SFショートショート集ということで、読む前のわたしは“星新一的”なモノを勝手に想像していた。しかし読んでみると、どうも違う感触の作品が多い。大半がもう少しスペキュレイティヴ・フィクション的というか、哲学的というか。いわゆる“起承転結”のあるようなショートショート、オチのあるようなショートショートばかりではなかったのだ。例えば「だれかいないか」は、文明が崩壊した後の世界が舞台だが、「おーい、だれかいないか!」と叫んで歩き回る男が描かれるばかりで、その後何か起きるわけでもなく、文明崩壊の理由が明かされるわけでもないのである。
 収録作の大半は、「中国新聞」夕刊のショートショート欄に掲載されたもの。その次に多いのは、医師会関係の出版物に掲載されたもの。そしてSF同人誌に発表した作品も。「金牛宮幻想」は、大瀧啓裕が主催していた広島SF同好会の同人誌「アルデバラン」掲載作品を改稿したものなのである。
 前書きでは、読書遍歴が語られている。「宝石」誌が創刊されてからは本格的な謎解きよりも空想的な変格物を好んだとか、元々社の「最新科学小説全集」を読んだとか、「SFマガジン」が創刊された時は感激に震えながら読んだとか。
 天瀬裕康=渡辺晋は一九三一年、広島生まれ。原爆によって軽度ながら被爆したこともあり、ヒロシマや太平洋戦争をテーマにしたり要素に取り入れたりした作品も後に多数書いている。内科医としての仕事をしながら、草創期のSFファンダムで活動した。
空想不死術入門"
「空想不死術入門」
 「宇宙塵」は初期からの同人で、同誌に何篇か作品を発表。主宰していた「イマジニア」をはじめ、「ベム」「ミュータンツ」「パラノイア」など、今や歴史的なものとなったSFファンジンにも執筆。一九六九年には、日本SFファンダムの発展に寄与した人物に贈られる“日本SFファンダム賞”を受賞している。
 “渡辺晋”の名前がSFファンの間で最もよく知られているのは、「SFマガジン」に連載された科学エッセイ「空想不死術入門」によってであろう。連載期間は一九七一年三月号から翌七二年九月号までだが、七一年六月号・九月号・十二月号、七二年五月号・六月号は休載しているため、全部で十四回。これは多数のSF作品に言及しつつ、どうすれば長生きしたり死を避けたりできるかを科学的に追求するもので、医学的知識のある作者ならではの内容となっている。「サイボーグ」「人口冬眠」「医学から見た時間旅行」「ミュータント」「進化」などをテーマとし、各回の冒頭ではSF作品や学術書からの一節を引用し、本文へと至る形式となっていた。第十章「ミュータントの背景」では、ジャック・ウィリアムスン『超人間製造者』が引用されている。
 一九六二年生まれのわたしはまだ八歳とか九歳だから、リアルタイムでこの時期の「SFマガジン」を購読していないが、SFファンとなってから古本屋で買い集めた辺りだ。  ちなみに連載第一回掲載の七一年三月号は、“新人競作”として横田順彌「友よ、明日を……」、梶尾真治「美亜へ贈る真珠」が掲載されている……と言えば、時代性をお分かり頂けるだろうか。(正確を期すると、掲載時には横田順「弥」の表記。)横田氏は更に同号に「日本SF英雄群像 第二次大戦前のヒーローたち」も書いており、小説と古本エッセイによる同時「SFマガジン」デビューを果たしている。
 また最終回の載っている七二年九月号の「てれぽーと」欄には、後述するの『錬金術師の夢』の広告が。

SF小説のウェブマガジン|Webミステリーズ! 東京創元社