前回が合気道SFで、今回がゴルフSF。
世の中には、ほんとに色々なSFがあるものだなあ。
北原尚彦 naohiko KITAHARA
●これまでの北原尚彦「SF奇書天外REACT」を読む
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『SF奇書天外』では、二十世紀(終戦後)のSF奇書を扱った。年代ごとに分けたので、最後は当然ながら九〇年代。しかしこの「年代」というのがクセモノで、「世紀」の分け目と一年ズレてしまうのだ。要するに二〇〇〇年は二十一世紀最後の年でありながら、ゼロ年代最初の年になってしまうのだった。
それゆえ、『SF奇書天外』では二〇〇〇年刊行のSF奇書は扱わなかった。一方この『SF奇書天外REACT』は、なしくずし的に戦前アリ、二十一世紀アリと何でも来い状態。だから、かつては泣く泣く見送った「二〇〇〇年本」を、今度こそ紹介できるのだ。
そんな一冊が、J・マックロウ 『復刻版 21世紀のゴルフ』(福島敏太郎訳/旺文社/二〇〇〇年)である。『SF奇書天外』連載当時は、これに全く触れずにいることはどうしてもできなくて、「これが推理小説? 『淫神邪教事件』」の回で、話のマクラに使わせてもらった。単行本化の際には、編集K氏も「この本、すごく気になるなあ」と興味を示してくれていた。
のゴルフ』
見つけた際には、タイトルは気になったものの、さほど中身に期待はしていなかった。二十世紀社会においては『21世紀の…』というタイトルの本は、SFか何かしらの未来予測要素のあるものだった。たとえば西村京太郎 『21世紀
のブルース』 とか。 だがその古本市が開かれていたのは、もはや二十一世紀に入ってしまった二〇〇一年のこと。だから、『21世紀の…』というタイトルの「SFではない本」が、既に新刊書店にごろごろしていたのだ。
しかし念のため、と手に取って、開いてみて驚愕。これがしっかりSFだったのだ。しかも原作が書かれたのは一八九二年だという。H・G・ウェルズの時代じゃん!
邦訳刊行年を見てまたびっくり。見つけた時点の前の年に出ていたのに、新刊書店では全く気づいていなかったのだ。
版元は、文庫その他で割と熱心にSFを刊行してくれた旺文社。旺文社文庫の撤退と同時にSF出版からも徹底してしまった感もあったが、ひっそりとこんな本を出してくれていたのだ。
そう、正にひっそりとだった。わたしだけでなく大多数のSF関係者は、この本が出ていたことすら気づいていなかったのだ。実例として挙げさせて頂いてまことに恐縮だが、SF書誌研究家の星敬氏でさえ、ご存じなかったのだ。
入手したわたしは、あっという間に読み終わってしまった。ゲテモノかと思いきや、これが予想以上に面白かったのだ。
主人公アレキサンダー・ジョンソン・ギブソンは、ヴィクトリア朝の男性で、ゴルフ好き。一八九二年のある日、彼はごく普通にベッドについた。だが目覚めてみると、なぜかベッドではなく箱に入っていることに気が付いた。しかも、やたらと長い顎鬚が生えている。球形の風呂桶で溺れそうになった後、見つけた服に着替えていると、一人の男性が現われ、動き回っているギブソンを見て大いに驚く。そして現在は二〇〇〇年であることを教えてくれたのだ。
「二〇〇〇年は二十世紀最後の年だから、二十一世紀じゃないじゃん。看板に偽りあり!」と思ってしまうが、当時の人の認識では「ゼロゼロ年」が新世紀の始まりだったのだ。昔の人のことゆえ、ご寛容に願います。
その男性アダムズによると、彼が十年前に家を買い取った際、家に眠っている人間をそのままにしておくこと、定期的に医者に見せることが付随条件になっていたのだという。ギブソンは仮死状態にあったわけではなく、眠っていた間も身体は温かかったのだ。そしてギブソンの母が残した封筒には手紙が入っており、ギブソンが昏睡状態に陥って蘇生措置を行ったけれども目覚めなかった旨が記されていた。
アダムズがギブソンの髭に瓶から出したブラシを走らせると、髭がなくなった。これは現代の電気シェーバーのようだが、髭を取り除くだけでなく成長を抑える作用もあるので、脱毛クリームのようでもある。
髪の毛の長さを調節するブラシも出てくるが、これは現代の電動バリカンのようだ。
アダムズの指輪は時計になっているのだが「6.34」という数字が表示されていたというので、これこそ現代のデジタル時計そのものだ。
ドアは自動で開くし、照明は天井全体から電気の白色光が照らしている。後者は説明が微妙だが、太陽エネルギーを利用しているようだ。
食事は、テーブルの上に自動的に現われるようになっている。
廊下の壁に掛かっていたのは、絵画ではなくカラー写真だった(十九世紀には白黒写真しか存在しませんでした)。
室内のガラス板には、遠方で上演されている芝居が映る。電波ではなくケーブルとミラーの反射によるものとシステムが説明されているが、これはもう現代のテレビジョンそのもの。
……といった具合に未来社会が描写されるうちに、ギブソンとアダムズはお互いにゴルフ好きであることを知り、意気投合。翌日、コースでプレーすることになった。
プレーの場所はセントアンドルーズ。ずいぶんと遠くだが、地下を走る管状トンネル鉄道のおかげで、グレートブリテン島の端から端まで三十分で行ける時代になっていた。
改札からエレベーターになっている部屋で降下すると、そこは長い部屋。ギブソンがいつまで待てばいいのだろうと思っていると、エレベーターで新たな客がやって来る。ふと気づくと、表示が「エディンバラ」となっている。つまりその部屋が列車であり、知らぬまにスコットランドまで移動していたのである!
セントアンドルーズに到着し、いよいよ未来のゴルフがスタートする。キャディーは機械仕掛けになっており、自動的にプレーヤーを追いかけ、ゴルフクラブを運んでくれる。
ギブソンがスイングすると、着ていたジャケットが自動的に「フォアー」と叫び、ミスショットしてしまう(「フォアー」というのは、飛んだボールに注意するよう呼びかける言葉)。
ゴルフクラブも未来的なものとなっており、ダイヤルが付いていて打数や飛距離を記録してくれるものや、二面のフェースがついていてバンカーから脱出し易くなっている九番アイアンなど、様々だ。後には、グリップの後ろの数字で転がる距離を調節できるパター、なんてのも出てきます。
先述のミラー・システムによって、リアルタイムでゴルフの試合を遠方で観戦することもできる。
プレーが終了し、未来描写がまたゴルフ以外のものへと戻る。人工降雨によって雨を降らせたり止ませたりすることができるとか、大西洋横断海底鉄道によってロンドンからニューヨークまで二時間三十二分で行くことができるようになったとか。
またアダムズの妹が登場し、女性が男性と同じような服装をしていることや、女性が働くようになっていることが明かされる(ヴィクトリア朝英国において、女性が働くのは基本的に下層階級だけだったのだ)。アダムズの妹は、下院議員をしていた。女性が働いてくれるおかげで、男性はゴルフ三昧していられる、というわけ。
静止画ではなく動画の人物像まで飾られていたり、本土から島へ行くのはアトラクションのようなウォーターシューターだったり。
挙句の果てには、未来社会では戦争の代わりにゴルフの対抗戦が行われているのだった。
一応念のために言っておくと、「全部主人公の夢でした」というオチではありませんので、ご安心を。
なかなか正確に未来予測をしていて驚かせられる部分もあれば、奇想天外な微笑ましい部分(特にゴルフ関係)もあり、実に楽しませてくれる。「SF」という用語すらない「科学ロマンス」の時代に、既にこんなSF奇書があったということが分かり、わたしとしては非常に嬉しい。
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