SF古書と生きる。ひそかに人気の古書探求コラム
自動車がないと人々の生活はどうなる?『車のない街』

北原尚彦 naohiko KITAHARA

 

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●北原尚彦「SF奇書天外REACT」の連載記事を読む。
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 書誌が好きです。本を読むのが好きなのは当たり前だが、様々な作者やジャンルについての本をリストにした書誌を読むのは、すごく好きなのであります。
 古本系SF者として、これまでに最もページを開き、最も参考とさせて頂いた書誌は、やはり石原藤夫氏による『SF図書解説総目録』シリーズ。最初に手にしたのは二十歳になる直前、まだ大学生だった時分。まだ見ぬSF図書がこんなにあるのか、とくらくらするほどの衝撃を受けた。
 若い頃はやはり王道の本、誰もが欲しがる本にばかり目が行った。講談社の〈サイエンス・フィクション・シリーズ〉とか、誠文堂新光社の〈怪奇小説叢書/アメージング・ストーリーズ〉とか。しかしだんだんと本に関する知識が身についてくると、マイナーな本にも興味が出て来る。だからわたしは、仕事の調査で使う以外にも、時々『SF図書解説総目録』を開いては読み返すことにしている。
 そうすると、前は気にせずに読み落としていた本が、急に気になってきたりするのだ。今はありがたいことに、インターネット全盛の時代。そういった本を片っ端から検索すると、何十冊かに一冊は売っているのが見つかることがあるのだ(売っていてもとても手の届かないお値段の場合もありますが)。
 最近、そのような過程を経て手に入れたのが、土岐雄三『車のない街』(鷹書房/一九七五年)。『SF図書解説総目録』でその存在を知り、ネット上の「日本の古本屋」サイトを検索してみたら、帯付きの本が送料を含めても当時の定価以下、という嬉しいお値段で見つかったのだ。「少汚」とあったが、届いたものを確認したら裏表紙がちょっと汚れていただけ。表紙や背表紙が無事なら、許容範囲。それよりも帯が切れずに残っていたことの方がありがたい。売っていたのは遥か遠く、福岡の古本屋。ああ素晴らしきかなネット社会。

車のない街
『車のない街』
 本作はタイトル通り、自動車がなくなった社会を描いたSFで、毎回主人公が変わる連作短篇集の形となっている。帯の惹句は「If…この世から自動車がなくなったら?」「悲劇!!!――日本革新党の病的な公害追放政策がにっぽん国をてんやわんやの修羅場に――。「コントの巨匠」が挑戦した無車苦茶のSFコント集」とある。��無車苦茶�≠ヘ、「車が無い」と「無茶苦茶」に引っ掛けたダジャレです、念のため。
 では、ストーリーを順に紹介しよう。第一話は「十二月二十七日」。ルポライターの伊崎庄平は、銀座のバーのホステスに言い寄られ、彼女と一夜を共にできると思って大枚のこづかいを与えるが、見事にすっぽかされる。その翌日、昭和四十九年(一九七四年)十二月二十七日。環境庁では、自動車排ガス規制問題に関する会議が開催されていた――。これ以降、日本は自動車の走行を規制する方向に向かっていく、というプロローグ的なエピソードなのだが、ここではまだ方向性がよく見えないし、その部分と伊崎庄平に関する話とがうまく噛み合っていない。もっと両者を密接にして、分かりやすくすれば良かったのに。
 第二話は「百里行く」。国民の健康と環境保護を旗印にした野党の革新党が政権を取ったことにより、規制が強化され、自動車数は激減した。残るは、公用車ぐらい。そんな中、遠藤は妻から自動車を購入するためにと金を渡された。しかし今や、自動車を買うことなど不可能だった――。と、いよいよ自動車がなくなる社会が始まるんだけど……ううーん。これは最後まで引きずるのですが「自動車をそこまで規制して、物流はどうするの?」「パトカーも駄目なの?」といった疑問が解消されない。何かもうひとつ別な要素を導入して、その無理を通すようにすべきだったのでは。  第三話は「デートの思い出」。自動車がなくなり、人力車が復活。商社の運転手だった千葉も、人力車夫に鞍替え。昔は妻とドライヴしてデートをしたものだったが、また二人で行ってみようということになる。但し今回は、妻を乗せた人力車を夫が曳くという形で――。これはしみじみとして、なかなかいい話。
 第四話は「もと自動車」。もとレーサーの富岡順造は、ボケかけている老人で、孫夫婦と暮らしている。ある時、動かないけれどもお金を払えば運転席に乗って運転気分を味わえる自動車があることを知る――。その自動車は、歩行者天国ならぬ自動車天国(昔の自動車が並べてある)から運ばれて来たものだが、この��自動車天国�≠ニいう逆転の発想はちょっと面白い。
 第五話は「へら」。多田裕吉は、今や引っ張りだことなった��馬�≠フブローカーをしている。今回手に入れた牡牝ペアは牝が年上だったことから、多田夫妻が姉さん女房であることへと話は移る――。この辺りになると、SFである必然性はあまりないかもしれません。
 第六話は「おわいやさん」。バキュームカーもなくなったので、汲み取り便所の糞尿を回収するのは肥桶を担いだ人間、つまりおわいやさんに戻ったわけですね。
 第七話は「血の池」。時間は少し遡り、まだ自動車があった時代から話は始まる。芦川欣也は、都内の高速道路近くのマンションに住んでいたが、妻から求められて郊外へと引っ越した。すると妻は近所の細君たちに影響を受けて自動車反対運動に参加する。そして自動車はなくなり、芦川欣也は大変な通勤を余儀なくされる。ある日、彼は大怪我をする。ところが今や、救急車の出動も厳しく規制されていた――。救急車や消防車までなくなった、というのも物流問題と一緒で、ただなくなりましただけでなく、なんらかの代替策を提示して欲しかった。
 第八話は「まいカーちゃん」。偏執的に自動車を愛する水島陽太郎と、彼の縁談にまつわる話。最後にどんでん返しこそあるものの、これもSF設定でなくても書ける話だなあ。
 第九話は「立ちん坊」。荷物を運ぶのはトラックではなく人力の大八車となっていたが、坂道で往生する大八車を後ろから押してやる商売が復活。ある時、巡査の江森がタダで押してやったところ――という話。これは実際に明治・大正期にあった風物を踏まえて書かれており、うまい着眼だ。
 第十話は「住もうテル」。自動車がなくなり、モーテルもなくなった。しかし「ムーラン」というモーテルは、どういう訳だか残っているという。八重子は夫にさそわれ、そこまで歩いて行ってみることとなった。だが、そのモーテルは大昔、八重子が結婚前に別な男と関係を持ったモーテルだった――。自動車がなくなればモーテルがどうなるかをスペキュレイトした話。
 第十一話は「再選」。自動車全廃の見直しが、政府部内から出始めていた。それに反対するのが、保守系野党の役目。市議選に保守派から立候補する大野広兵衛は、選挙運動のために自分の足で歩き回らねばならなかった。しかし高齢の広兵衛は足が遅い。そのため運動員が取った作戦とは――。選挙カーもなくなってますからね。で、ネタが男女関係に向かうあたりは、いかにもこの作者らしい。
 第十二話が「遺産」。脳溢血で倒れた老爺が、死に掛けていた。彼はかつて、一世一代の思いで自動車を買ったら、半年後に自動車が廃止になるという憂き目にあっていた。死の床で、老爺は「じ、じ、じ、自動車……」などと言っている。そして遂に死去。彼の自動車は、納屋の傍で野ざらしになっていた――。彼の棺桶を運ぶのも人力です。霊柩車がありませんから。
 そして最後が「終章」。これまでの話はすべて第一話の伊崎庄平の夢でした……ってオチだったらどうしよう、と思ったが、違ってました。ああ、良かった。



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