ジャンルとしては、
ディストピアでサイバーパンクな
青春アクションSFといえばいいだろうか。
鍛治靖子 Yasuko KAJI
サチ・ロイドの『ダークネット・ダイヴ』をお届けする。ジャンルとしては、ディストピアでサイバーパンクな青春アクションSFといえばいいだろうか。
石油が枯渇し、世界じゅうがエネルギー危機に瀕した近未来。軍警察による弾圧・暴政・思想統制と、ディストピアにつきもののあらゆる要素がそろった徹底的な管理社会だ。生活は苦しいが、そこで暮らす人々は極小ガジェットを装着して、つねにネットに接続していられる。情報検索もできるし、通話機能もあるし、完全なヴァーチャル・リアリティの世界にとびこんでいくこともできる。そんな中、少年と少女が出会い、反発し惹かれあいながら、意図せずして大きな渦に巻きこまれていく――そんな物語である。
さて、というわけで、舞台は近未来のロンドンだ。前述したとおりの管理社会であるが、さらに政府は社会を二層に分断し、富める者と貧しい者を対立させてたがいを憎むようにしむけている。そのシステムをいっそう推し進めるのがID制度である。IDをもつ者は市民として保護されるが、それ以外の者は職につくこともできず切り捨てられる。そうした人々は陋街(ファヴェラ)と呼ばれるスラムに集まり、独自のささやかな発電施設をつくって暮らしている。なかでも気骨のある人々はアウトサイダーと名乗り、世界じゅうにネットワークを張って、よりよい世界をつくるべく活動している。政府はコサックと呼ばれる国際的な軍警察を使ってそうした動きを取り締まり、弾圧をくわえている。
いっぽうで市民もまた安穏としていられるわけではない。給料はあがらず、物資はとぼしく、電気は始終停まり、ごくわずかな人々をのぞいて生活もさほど楽ではない。また政府とコサックは徹底した管理をおこなっているため、わずかでも政府に逆らうと容赦なくIDが剥奪されてしまうのだ。
そんな市民の生活を特徴づけているのが家(ジーア)と網膜(RET)スキャンである。家(ジーア)は冒頭でも説明があるように、全世界で四十億の市民が使用している巨大ソーシャル・ネットワーク・ポータルだ。中国企業が所有しているための名称であるが、原書を見たとき、英文の中にまじる「家」という漢字がものすごく異質に感じられた。その家(ジーア)にアクセスするための機器がRETだ。右目の上にかぶさる薄いレンズで、どういう形状なのか具体的な描写はないが、ヘッドセットで装着するようになっているらしい。いまのスマホがいっそう進化したものといえばいいのだろうか、情報検索や通話はもちろん、VRゲームもプレイできる。少年たちはネットの中で、戦闘や格闘やレース・ゲームに興じている。市民はRETをつけているかぎり、つねに家(ジーア)につながっていられるのだ。
だが逆にいえば、ネットのポータルがひとつしかないのは、政府にとって管理が容易ということでもある。目をつけられたが最後、RETを通じて居場所も特定されるし、接続記録はすべて把握され、つねに監視を受けることになる。だからアウトサイダーたちは家(ジーア)にははいらない。独自の暗号化ネットシステムを築いて、それをドリームラインと呼んでいる。またアウトサイダーはRETも使わず、こめかみに直接埋めこんだインプラントによってネットに接続している。市民であれアウトサイダーであれ、本書の登場人物たちはそうやって、現実世界はもちろん、ネットの中のヴァーチャル・リアリティ世界においてもさまざまな体験をくりひろげていくのである。
以上が、ディストピアでサイバーパンクな背景の詳しい紹介であるが、さて、ここからが青春アクションSFだ。主人公はハンター・ナッシュという市民の少年。父親は一級技術者階級(ファースト・テク・クラス)に属し、市民の中でもごく少数の者だけに許される恵まれた暮らしを送っている。母親はいない。だがハンターは、ヴァーチャルにどっぷりつかった友人たちのあいだでいつも違和感を感じている。もっとリアルな感情、リアルな体験を求めている。アウトサイダーの少年少女はコサックから逃れるためもあり、身体を鍛え、現代のフリーランニングやパルクール、もしくはボルダリングのように、ビルの壁をのぼったり隣のビルの屋上へジャンプしたりする。ある日それを目撃したハンターは、自分もあんなふうにジャンプしてみたいと考える。そして、陋街(ファヴェラ)のはずれまで出向いたことをきっかけに、アウトサイダーの少女、ウーマと出会うのだ。ウーマは複雑な背景をもっていて、コサックに追われている。彼女を助けているうちにハンター自身も追われる身となり、ふたりして謎を解くためロンドンじゅうを駆けまわる。そうしながら、少しずつ相手の世界を知り、理解を深め、惹ひかれあっていく……
典型的なボーイ・ミーツ・ガール物語で、たぶん十代なかばと思われるふたりはじつに初々しい。だがそれだけに、状況の過酷さがいっそうひしひしと身に沁みて感じられる。みなさんも、彼らと一緒にはらはらどきどきしながら、ロンドンの町を突っ走ってほしい。
そのロンドンの町だ。通りの名、広場の名、建物の名、橋の名などがいろいろと出てくるが、有名なものも無名なものも、そのほとんどが現実のロンドンと合致する。町の様相はいろいろと変わっているかもしれないが、変わらずに残っているものも多いのだろう。
後半で重要なポイントとなるいくつかの場所について。巨大カラオケハウス、ドラゴン・パレスはさすがに実在の建物ではないが、ウーマたちが待ち合わせをするチャーリー・チャップリン像はほんとうにレスター・スクエアに立っている。また〈渡し守の椅子〉も現実に存在する。RETはないだろうけれど、お手もとのスマホかパソコンに“Ferryman’s Seat”と入力して、画像検索をかけてみてほしい。バンクサイド、サザーク・ブリッジの近く、リアル・グリークというギリシャ料理店の側壁に設置された、歴史的遺物の画像が見られるだろう。ときたま、その“椅子”にすわって記念撮影をしている観光客の写真がまじっているのはご愛嬌だ。〈プロスペクト・オブ・ウィットビー〉というパブも実在する。歴史的にも本文中で語られるとおりの古いものであるらしい。
などなど、地図をひらいてふたりの足跡をたどってみるのも、おもしろいかもしれない。
本書の邦題は『ダークネット・ダイヴ』である。現実のインターネットにおいても、「ダークネット」や「ダークウェブ」という言葉を聞くことがあるだろう。「ダークネット」の基本的な意味は、「インターネット上で特定のホストが割り当てられていないアドレス」すなわち「使われていないネット空間」であったが、いまでは「ダークウェブ」と混同され、「特別なソフトウェアを使わなければアクセスできないサイト群」を意味することもあるようだ。後者はとりわけ、犯罪に使用されることが多い。
本書の「ダークネット」は、そのどちらでもありどちらでもなく、RETでははいることのできない、家(ジーア)以外のすべてのネット空間を意味している。そしてアウトサイダーたちは、そのダークネットの奥深くに、システムを解読しなければ接続できないドリームラインを隠しているのだ。
キャラクターたちがダイヴするダークネットはヴァーチャル映画のようで、表層はごく当たり前の建物だが、奥深くまでにもぐっていくと必ず川があらわれる。それをいえば本書には、最初から最後まで川のイメージがあふれている。ほとんどの出来事がテムズを中心に、テムズのそばでくりひろげられていることに加え、ロンドン市内の地下を流れる数々の川、ハリーの独白にあらわれる世界じゅうの川、時空を超えた古代の川。それらすべてがテムズにつながっている。このように、幾本もの川が世界を網の目のようにとりまいているイメージは、ドリームラインを通じて全世界にはりめぐらされたアウトサイダーのネットワークを、それとなく示しているのかもしれない。
ではここで、作者サチ・ロイドについて紹介しよう。 彼女はイギリスの作家で、一九六七年マンチェスターに生まれた。だが育ったのはウェールズのアングルシー島。自然の中で、海のそばで、子供時代をすごした。その後、大学進学のためマンチェスターにもどるものの、すぐに中退し、それからは華やかだがやや浮ついた職業を転々とする。その中身といえば、下手な(と自分で語っている)マンガを描いたり、バンド・メンバーとしてアメリカ・ツアーに参加したり(ドラッグはやっていないとの自己申告)、広告代理店でインタラクティヴメディアのチームを率いたり、映画会社を共同設立したり。そして最終的には、ニューハム・シックス・フォーム・カレッジ、メディア学科の学科長に就任してしまう(シックス・フォーム・カレッジとは、高校と予備校をあわせもったような性質の、大学受験の準備をするための学校だ)。いまは学科長の地位はおりているが、なおも教師はつづけていて、ミドルティーンの若者たちを相手にクリエイティヴで活気あふれる授業をおこなっているという。
作家としては、そうやって若い学生たちと接しながら、二〇〇八年に処女作The Carbon Diaries 2015を上梓。地球温暖化による災害を経て炭素排出に厳しい制限がかけられた世界で、みずからの居場所を求めてバンドを結成する少女たちの姿を描いたこの作品は、高く評価されて話題となり、コスタ賞児童文学部門で最終候補にまであがっている。以後も数は少ないながら、児童文学というよりは若者むけの近未来SF作品をつぎつぎと発表している。本書『ダークネット・ダイヴ』は彼女の第三作にあたり、ガーディアン賞にノミネートされた(ガーディアン賞は、イギリス又は英語圏の著者によりイギリスで発表された優れた児童文学作品に与えられる賞)。
最後に、サチ・ロイドの作品リストをあげておこう。
The Carbon Diaries 2015(二〇〇八)
The Carbon Diaries 2017(二〇一〇)
Momentum(二〇一一) *本書
Quantum Drop(二〇一三)
It’s the End of the World as We Know It(二〇一五)
■ 鍛治 靖子(かじ・やすこ)
東京女子大学文理学部心理学科卒、翻訳家。主な訳書に、G・ウィロー・ウィルソン『無限の書』、ハル・クレメント『20億の針』、ロビン・ホブ『騎士の息子』『帝王の陰謀』『真実の帰還』、ロイス・マクマスター・ビジョルド『スピリット・リング』『チャリオンの影』『影の棲む城』ほか多数。