第1回 パスポートナンバーTK49494949の叫び
第2回 落下の山村


第3回 笑いを灯す人
2017年6月10日
キルギスタン・ビシュケク―ソンクル湖
 


1.
 夜半、キルギスタンの首都ビシュケクのサクラゲストハウスは大勢のバックパッカーであふれかえっていた。サクラゲストハウスはキルギス人と日本人の夫婦が経営するホステルで、庭先のテーブルでは、日本人旅行者からほかの国の旅行者まで一緒になって酒盛りをしている。
 いろいろの笑い声がこだまするなか、ぼくはひとりドミトリーのベッドでドストエフスキーの『賭博者』を読んでいた。いずれ書きたい小説の参考にと思って日本から持ってきたのだが、ドストエフスキー特有のまだるっこしい文体に加え、先行き不透明な旅路を思ってしまい、なかなか頭に入ってこない。
 キルギスタン、
 カザフスタン、
 ウズベキスタン、
 タジキスタン、
 この四カ国がいびつなひし形のようなかたちで並ぶ中央アジアは、ルート選びが非常に悩ましい。陸路だと一筆書きできれいにまわるのがむずかしく、満遍なくまわろうとしたらどこかで一度通ったルートを通ることになる。しかも、キルギスタンとウズベキスタンはあまり仲がよろしくなく、越境可能な国境もかぎられており、情勢によっては国境閉鎖もあるといういわくつき。
 加えて、ウズベキスタン・ビザは取得に手間がかかると聞いていたので、事前に日本で取得してから来たのだが、パキスタンで思いのほか長居してしまったため、あと数週間で入国期限が切れてしまう。
 優柔不断なぼくにとっては、拷問にも等しいルート選択。
 はてさて。

 気分転換に、タバコを吸いに屋上に出た。
 誰もいないだろうとたかをくくって、髪の毛ぼさぼさ、コンタクトレンズを外して黒縁メガネにサルエルパンツという完全オフモードの恰好で来たのだが、予想に反し、ひとつの人影があった。長いドレッドヘアをだんごに結った女の子が手すりにもたれかかり、水あめのようにつややかな目で夜空を見上げている。
「あなたも月を見にきたの?」
 いきなりマンガのヒロインみたいな科白を言ってくる彼女。
「いや、タバコを吸いに来たんだ」メガネの縁に指をそえながら、根がまじめなぼくはいかにもまじめに返す。「けど、たしかに月がきれいだね。満月か」
「そうなのよ、あたしも今夜が満月だなんて知らなくてびっくりしたわ」彼女はにっこり笑う。「良かったらここに座って、一緒に月を見ない?」
 言われるがまま屋上のへりに腰をかけ、タバコに火をつけた。頭上では月が光り輝き、真下にはビシュケクの夜景が広がっている。
 なんともロマンチックではあったが、就寝前のしどけない恰好で初対面を迎えたくなかったというのが正直なところ。さらにときめきムードをぶち壊すようにして、折よく近くのモスクからアザーンが流れ出す。
 いや、これもまた異国ならではのロマンチシズムか。
 というわけで、今回のヒロインの名はマリ。コートジボワール人とフランス人のハーフで、パリの大学院生。今日、友人と一緒にビシュケクに到着したそうで、これから二週間ほどキルギスタン東部のイシクル湖周辺をまわる予定だという。
 すこしのち、彼女の友達だというフランス人の男の子がやって来た。アーチュというスキンヘッドの長身の若者。彼もパリの大学院生で、かつては地元サッカークラブのユースチームに所属していたというサッカー小僧。なんだかハイボールの競り合いにとっても強そう、とつい思ってしまうほどのがたいの良さ。
「ホントはキルギスタンに来るつもりなんてなかったんだけど」アーチュが温和な口調で言う。「たまたま安い航空券を見つけて旅行することに決めたんだ」
 ふたりは去年、インド・ニューデリー郊外のインターン先で一緒になり、それ以来、たびたびこうして小旅行をしているそうだ。
「あなたは、ひとりで旅しててさみしくならない?」
 マリがふと訊いてくる。
 外国人旅行者によく訊かれる質問だ。
 日本人の長期旅行者はカップルや夫婦もいるが、仕事を辞めてひとりで旅していることが多い。かたや欧米などの旅行者は仕事を辞めずとも長期休暇を取れるため、カップル、夫婦、友人同士で気軽に来ている割合が高い。だから彼らからすれば、一人旅をする日本人はそうとう珍しく見えるのだろう。
「さみしいときももちろんあるけど、こうして誰かに会えるからそこまでさみしいってわけじゃないよ」
 旅の教本どおりの答えを述べ、これまでの旅路がどれだけ賑やかだったかあらましを伝える。
 そして、これを読んでいるあなたにも。
 前回の「パキスタン編」のあと、ぼくはパキスタン・中国の国境で元自衛隊の日本人の女の子とプログラマーの韓国人女性と知り合い、一緒に中国・カシュガルまで戻った。
 カシュガルでは、北京大学で留学中のイギリス人の男の子と、ロシア語堪能、英語堪能、中国語堪能、日本語堪能、加えて容姿端麗というウクライナ人と日本人のハーフであるパーフェクト女子も、パーティーに加わった。そしてキルギスタン行きのバスでは、日本で一年間英語教師をしていたというオーストラリア人男性とそのガールフレンドも一緒になって、みんなで国境越えをした。その後は、中央アジア最高峰レーニン・ピークのベースキャンプでハイキングをし、元自衛隊の日本人の女の子とともに、キルギスタン第二の都市オシュからここビシュケクに抜けた。そしてついさきほど、日本に帰国する彼女を見送ってきたところなのだ。
 こうして列挙してみると頭がこんがらがるほど数々の出会いがあったが、ページの都合上、贅沢にもばっさり割愛させていただきました。
「ずいぶん楽しそうだな」アーチュが破顔する。「ムネがバトンになって、人から人に受け渡されてるみたいだ」
 マリが思い出したように口を開く。「ねぇ、良かったら明日、あたしたちと一緒に乗馬トレッキング行かない? イシクル湖の近くにソンクル湖っていうちいさな湖があるんだけど、そこに二泊三日で馬に乗って行けるらしいのよ」
 瞬間、凍りつく。
 以前、メキシコやタイで乗馬をしたとき、たった数時間馬に乗っただけで歩けなくなるほどの筋肉痛に襲われた。あの苦行を三日間も続けるっていうのは、正直、しんどい。それになにより、パキスタン・パスーの氷河トレッキングで足を負傷して以来、旅の目標を「あんまり無茶をしないこと」から「マジで無茶をしないこと」に切り替えていたので、マジで無茶はしたくない。
 急に小心者になったぼくの舌は勝手に言葉を繰る。「いやー、行きたいのはやまやまなんだけど、ウズベキスタンのビザがもうすぐ切れちゃいそうなんだよねぇ」
「でもたったの三日だし、ウズベキスタンにはそのあといけばいいじゃない」と屈託のない笑みでマリ。
「うーん、けど乗馬はたいへんだし、三日も乗るなんてちょっと、いやもうけっこう辛そうだしなぁ……」
「そんなことないって、ぜったい楽しいから。あたしたちなんか乗馬初体験だけど、ぜんぜん怖くないし」
「うーんうんうん、まぁーそうだよね、ぜったい楽しいのはもう間違いないって分かってるんだけど、いやなんか、あのー、そういやうっすら風邪も引いてたんだっけ、かなぁ……? うぅん、ごほんごほん……」
 そんなやりとりを繰り返したあげく、明くる日の朝には三人して、ソンクル湖への起点の町コチュコル行きのバスに乗っていた。

2.
 コチュコルのトラベル・エージェンシーで乗馬トレッキングを申し込み、翌朝、出発地点となる山のふもとまでミニバンで移動。
 最悪の門出であった。
 土砂降りの雨が降り注ぎ、四方を囲む緑の山々はかすんでほとんど見えない。吐く息は白く、風は突き刺すように冷たい。そこらの民家が飼っているのか、数匹の雑種犬が興奮気味にあたりを駆けまわっていた。
 ぼくらはミニバンから降りるなり、手持ちの防寒着とレインコートを大わらわで着た。紳士の鑑たるアーチュは背負った自分のリュックサックに加え、マリのリュックサックも前側にかけている。その上からレインコートを着ているので、腹まわりが異様にふくれている。
「ムネ、それってサッカーのレインコートか?」サッカーに目がないアーチュが訊いてくる。
「そう、地元チームのだよ」
 ぼくがリュックサックから取り出したのは、サッカークラブ町田ゼルビアのレインコートであった(ちなみに町田ゼルビアも好きだが、本来はジェフユナイテッド千葉のにわかサポーターである。ウィン・バイ・オール!)。さらにそのときの服装は下がチノパンなら、上はTシャツの上にカーディガン、さらにカーディガンと苦し紛れの重ね着。
「そもそもムネの恰好は街歩きの恰好なんだよね」くすくす笑うマリ。「こんな大自然のなかでカーディガンって、コメディアンみたい」
 目指すソンクル湖は標高三〇〇〇メートルほど、しかも途中はそれよりも高い峰をふたつほど越えるのだという。夜半は一〇度をゆうに下回るらしく、考えるだけでそらおそろしい。
 強雨に打たれながら、今回のツアー・ガイドが自己紹介。おかめさんめいた笑みが印象的な彼は首都ビシュケクの大学に通う学生で、夏期休暇のあいだだけ故郷であるコチュコルに戻り、ガイドの仕事をしているのだという。
 ついで、運命共同体となる馬たちとご対面。
 お見合いみたいにじっくりしっぽり決めたいところだったが、強雨と寒さのせいで悠長に選んでいるいとまもなく、おのずとアーチュが白毛、マリが栗毛、ぼくが黒毛とおのおの近くの馬に。ガイドが一頭ずつ名前を教えてくれたのだが、ぼくは自分の黒毛の馬を「Android」と聞き間違えた。それから悪ノリがはじまり、マリの馬は「Nokia」に、アーチュの馬は「iPhone 6」に。ファイブでもセブンでもなく、シックスというセンスがなんとはなしに素晴らしい。
 なので、ぼくも負けじと我が愛馬を「Android 4.1」にアップデート。
 
 起動、Android 4.1!
 名馬ケータイ・シリーズは緑の丘陵地帯をゆく。
 経験上、海外での乗馬トレッキングでは乗り方に関する指導もなく、はなから手綱を任される場合が多い。好き勝手できるので楽しい反面、気性の荒い馬にあたるとえらい目に遭ったりもする。
 このときも道中、愛馬たちが言うことをきかず、何度も
立ち止まり、文字通り道草を食っていた。その都度、ガイドが馬の鼻面から伸びるロープを引っ張り、「チュッチュッ」という言葉とともに鞭を振るう。それでも駄目となると、互換性が高いのか低いのかよく分からないが、合コンの席替えみたいにたがいの馬をシャッフルし、相性を見極めながら歩を進めた。たとえばAndroidからiPnoneに鞍替えしたり、いややっぱりAndroidがいいなと戻してみたり、ついで騎手が機種としてNokiaを選択してみたり。

写真1_乗馬トレッキング.jpg  ふとうしろを振り向くと、スタート地点にいた一匹の雑種犬がぼくらのあとをついてきていた。
「彼も一緒に来るの?」とマリが訊く。
「そう、ずっと一緒だよ」と朗らかにガイド。「馬と友達なんだ」
「そういえば、ちょっぴりオオカミに似てるよね。もしかしたらこの子たち、オオカミの血が入ってたりする?」
「入ってないと思うけど、じっさい、このあたりはオオカミもたくさんいるんだ。だから夜はひとりでトイレに行かないほうがいいよ」
 ガイドは笑い声を上げるが、ぼくらは冗談なのか分からず顔を見合わせる。背筋が凍るような話だが、そんな話を聞かずともすでに、寒い。
 町田ゼルビアのレインコートは雨粒を素晴らしくよく弾いてくれるが、馬にまたがっているとどうしてもズボンが外側に突き出てしまうため、風雨に容赦なくさらされる。下半身は靴下までくまなく濡れそぼち、そこに冷たい強風が吹きつけ、全身が粟立つ。
 はじめこそたがいにカメラを向け合い、馬にまたがる自分たちを撮影していたが、ぼくら三人ともだんだんうつむきがちになって、口数も少なくなってゆく。
 途中、ガイドが知り合いの家なのか、小川の近くに停めてあったトレーラーハウスに入り、ナイロン製のズボンを穿いて戻ってきた。
「さぁ、行こう」
 満面の笑みでふたたび馬にまたがる彼。
 悪気なんてさらさらないことは分かっているのだけど、目の前で見せつけられると、とってもウラメシイ、いやウラヤマシイ。
 ややあってひとつ目の山越えがはじまり、馬はごつごつとした粗い山肌を一歩ずつ着実に登ってゆく。
 ものすごい馬力。
 ぼくのなかで馬というのは平野を疾駆する生きものだという認識があったが、どうやら馬は足場さえあればどこだって進めるようだ。まあ馬からしてみれば、人間も平野を二足歩行する生きものであり、まさか自分にまたがってくるとは夢にも思わなかったに違いない。
 などと想像している合間に、標高約三五〇〇メートルの峰に差し掛かった。
 雨が止み、厚い雲の切れ間から光の筋が差し込んでくる。眼下には愛馬ケータイ・シリーズが踏破した登山路が、緑の大地が壮大に広がっている。
 だが寒すぎて、感動はあまりない。
 足の指の感覚すらない。

 山をくだると、なだらかな斜面の広がる緑の谷に出た。川のほとりではアロエのような太い葉があたり一面に自生し、川辺にはユルタが張られている。ガイドがここで休憩を取ろうというので、馬をおり、ユルタに案内してもらった。
 内部は手狭で、土で汚れた黒の絨毯が敷かれていた。壁際には折りたたまれた寝具、花柄の小さなチェスト、粗末なガスストーブと調理器具。日本では一時期、断捨離が流行っていたが、ここまで簡素をきわめた家もそうないだろう。
 ガイドが平然とユルタに入っていったのではじめは分からなかったが、あとで話を聞いてみれば、このユルタに住まう一家は、ぼくらが乗馬トレッキングを申し込んだトラベル・エージェンシーとはまったく関係がなく、今年初めてこの場所に来たそうで、ガイドとも初対面ということだった。
 それなのに、美しい色合いのスカーフを巻いた奥さんは、笑みを振りまきながらチャイやパンやビスケットでもてなしてくれた。その慣れた様子からは、こうしたホスピタリティが日常茶飯事であることが伝わってくる。
 ぼくらも、今朝コチュコルの市場で買ったバナナやサクランボやクッキーをお礼に差し出し、さっそく熱々のチャイで芯まで冷え切った身体を温めた。
「うまぁい!」
 三人してため息を漏らし、二杯、三杯とおかわりをもらう。
 ガイドが通訳するに、この一家は、冬は町に留まり、夏のあいだだけ放牧のためこうして山に出てくるのだという。現在、夫はその放牧に出かけているようで、ユルタには奥さんのほか、ナルトのリュックサックを背負ってぼくら三人を物珍しげにじっと見つめている子供がひとりいた。
 ちなみに、ナルトやワンピースやドラゴンボールは、スシ、ハラキリ、シンジ・カガワに比肩するぐらい世界中で知れわたっており、どこの国でも子供たちとの会話に困ったり、言葉が通じなかったりしたら、とりあえずこれらの単語を並べておけばそれなりに盛り上がる。このときも、マリがなぜか「どうやって螺旋丸を使うの」というナルトの科白を知っていたので、一緒になって子供からたくさん笑顔を引き出した。
 嗚呼、素晴らしきかなジャパニーズ・アニメーション。
 なごやかな雰囲気のなか、いろいろなお菓子を馳走になったけど、ぼくらがなにをおいてもこころ奪われたのは、パンやビスケット用に添えられたみっつのジャムであった。  アプリコット、琥珀のような淡い輝きを放つそのジャムは料理史のすべてが凝縮されているかのように濃厚で、とにかくうまい。
 ブルーベリー、黒曜石のような静謐で奥深い色合いを湛えるそのジャムは酸味と甘みが絶妙なハーモニーを奏で、とにかくうまい。
 いちご、ルビーのようなバラ色のきらめきが鏤められたそのジャムは甘くて甘くて甘くて、とにかくうまい。
 これら珠玉のジャムは煮込まずに生の果実を砕いて砂糖をまぶしたものなのだという。天然の素材にあふれたこの地域ならではの自家製ジャムというわけだ。
「こんなにおいしいジャムは初めて」とマリも恍惚としたため息を漏らす。どれがいちばん好きか「せいの」で指さすと、満場一致でいちごジャムとなった。
「ただ、ほかのジャムとの違いも、九九点と一〇〇点ぐらいほんのちょっとだけどな」とアーチュ。
 ガイドや奥さんが半ばあきれ顔で微笑むなか、ぼくら三人はほかのお菓子には目もくれず、ひたすらジャムをなめ続けた。
 この革命的なジャムの前では、パンとビスケットもソフトクリームのコーンさながら、ジャムを載せるための脇役に成り下がるほかなかった。
 
 チャイとジャムで心身ともにあったまり、再出発。
 山の天気は変わりやすいというが、さきの悪天候が嘘だったかのように空は澄みわたり、丘陵の緑があでやかに映えている。気温も上昇し、ぼくらはレインコートやジャケットを脱いで腰に巻いた。
 緑の尾根や、険しい斜面に沿ってゆるやかに伸びる小径を進み、のぼってはおりての繰り返し。さきほどとは打って変わって行程は楽になり、馬の歩むリズムがゆりかごみたいで、うつらうつらしてしまう。
 昼下がり、初日のユルタ・キャンプに到着。
 四つのユルタが並んでおり、ひとつはここに住まう家族用、ふたつは旅行者の寝室用、ひとつは食事用。裏手にはソーラーパネルがあり、夜にはこの電気で明かりをともすのだという。そういえば以前観た『明りを灯す人』というキルギスタン映画では、小さな村落の「明り屋さん」が風車による風力発電で村を明るくすることを夢見ていたので、こんな僻地のユルタにソーラーパネルが取りつけられているとは予想だにしていなかった。
 周辺ではヒツジやウシなどたくさんの家畜が放牧されており、ぼくらのあとをついてきた雑種犬(オオカミに似ていることから勝手に「ウルフ」と命名)があわれにも何頭ものウシに追いまわされていた。すこし離れたところでは、毛むくじゃらのヤクがそのドタバタ騒ぎを冷めた目つきで見つめている。
 お茶に招かれ、食事用のユルタに入った。なかは旅行者向けとあって、昼間の休憩で立ち寄ったユルタよりずっときれい。壁は刺繍の入ったラグなどで飾り付けがされている。  長テーブルにチャイとお菓子が用意され、ぼくらはまたもやいの一番にジャムに飛びついた。ここのジャムもいちご、アプリコット、ブルーベリーのラインアップで、やはり信じられないほどおいしい。
「このトレッキングのいちばんの思い出はジャムになるかもしれないね」とマリがつぶやき、アーチュとぼくも「異議なし」とそろってうなずく。
 締めくくりに、馬乳酒が登場。
 ここでマリとアーチュの顔色が見る間に変わる。
 面白いことに、ふたりはビシュケクのサクラゲストハウスで出会ったフランス人旅行者から、あまり味のよろしくない馬乳酒を飲んで死ぬほどお腹をくだしたというエピソードを聞いており、馬乳酒が出された場合に備えて、失礼にならない程度に断る練習をしてきたのだという。
 しかしいざ家族を目の前にすると、人の良い彼らはなにも言えず、素直にグラスを受け取ってしまう。
「すごくおいしいです」
「あぁ、とってもおいしいね」
 馬乳酒をきれいに飲み干し、朗笑するふたり。
 ぼくも意を決して飲んでみたが、たしかにあとあとのお腹の具合が気になるものの、味はケフィアに近く、想像していたほど悪くはない。
 なんだ、アーチュとマリも本音を言っていただけなのかと思ったが、あとでこっそり聞いてみたら、ふたりとも顔をしかめ、舌を突き出しながら「やっぱりダメだった」と告白してきた。日本人は本音と建前がべつというのは有名な話だが、少なくともこのフランス人ふたりはそれに近い感覚を持っている。
 
 ユルタ前の岩に腰かけ、口直しにミネラルウォーターを飲んでいると、キルギスタン人のガイドに続いて、ひとりの旅行者が馬に乗ってやってきた。
 もじゃもじゃ頭のイタリア人、ロベルト。
 コチュコルではなくべつの町からソンクル湖への乗馬トレッキングに申し込んだそうで、今日はここのユルタ・キャンプに宿泊予定。職業はプログラマーで、休暇を利用して頻繁に世界各国でトレッキングをしているのだという。
「途中でいきなり雨に降られちゃってね、いやホントまいったよ。もとから乗馬は得意じゃなかったから、ギャロップしたいけどできなくて、ずっと修行みたいに豪雨に打たれ続けるしかなくてさ。ああそういえば、前に旅行したモロッコでも似たようなことがあってね……」
 以下、割愛。
 ある意味、典型的なイタリア人で、沈黙さえあればイタリア語なまりの英語ですかさず旅先でのエピソードを差し込んでくる。
 日本にも訪れたことがあるらしく、ぼくが日本人だというと、富士山登山の思い出から街中で見かけたという女性用下着を売る自動販売機、そしてセブンイレブンの素晴らしさまで熱く語ってきた。
「セブンイレブンはお弁当から下着から文房具までなんでも売ってるんだから。ホントにすごいよ。なにか欲しくなったら、セブンイレブンに行けばぜんぶ解決するんだ! ぜひイタリアにも進出して欲しいな。あんなお店を考えつくなんて、やっぱりきみたち日本人はすごいよ」
「あのー、こんなこと言うのもなんだけど、セブンイレブンはアメリカ発祥のコンビニだよ」
「え、嘘だろ……。いや、ぼくは信じないよ。あとで町に戻ったらネットでチェックしてみるけど、それまでぜったいに信じないからね」
 死刑でも宣告されたかのように頭をかかえ、何度も首を振るロベルト。こういうのをふくめ、身ぶり手ぶりがいつも大げさで、イタリア人版チャップリンみたいで面白い。
 日が沈むと、あたりは深い闇につつまれ、一気に冷え込んできた。靴下のうえに靴下を履き、チノパンのうえにチノパンを穿いて、カーディガンのうえにカーディガンをはおって、さらにカーディガンを着るが、それでもやはり、寒い。
「これ、あたし着ないから、良かったらどう?」
 ぶるぶる震えていたら、マリがピンクのアウタージャケットを貸してくれた。こころ優しき彼女は、こちらが困っていると何も言わずとも、日焼け止めクリームやら歯磨き粉やらなんでも貸してくれる。「だからマリは、フランスでもみんなからママって言われてるんだよ」とアーチュも冗談半分に言っていた。
 食事用ユルタに入り、太陽光発電の明かりのもと、トマトソースベースの野菜炒めやヒツジ肉のスープ、デザートには発酵食品クルトで腹ごしらえ。
 夕食後には、旅行者四名とガイド二名でトランプに興じた。
 ガイドが提案したのは「シックス・カード」というキルギスタン版大富豪で(大富豪は「バッド・アス」という最も有名なものを筆頭に、世界各地で独自の名称とルールがあったりする)、ここキルギスタンでは八から一三の六枚しか使わない特殊なルールであった(たぶん、ぼくの記憶が正しければ)。
 ここでもロベルトは一座の主役。たびたび間違ったタイミングで「これであがりだ!」と威勢良くカードを出して周囲からいっせいに突っ込まれ、誰かが上がろうとすると「ちょっと待ってくれ。これはちょっとおかしい。なんでこのタイミングでこのカードをおけるんだ。ぼくにはさっぱり分からない。ちょっと説明してくれ」とまるで中身のないいちゃもんをつけ、笑いをかっさらった。
 昼間の乗馬のせいか笑いすぎたせいか睡魔に襲われ、早々に寝室用ユルタへ。賑やかなロベルトはべつのユルタに泊まり、ぼくら三人はガイドとともに川の字で寝た。
 消灯後、修学旅行で就寝前に好きな女の子の名前を言い合うようなテンションで、あてどなくいろんなことを語らった。
「ずっと前に、ネパールで日本人のマリっていう女の子に会ったんだ」あるとき、暗闇に響きわたったマリの、マリの話。「一緒だったのは一日だけだったんだけど、それから彼女もパリに一年間留学に来てね、あたしの家にも何度も遊びに来たのよ」
 日本とフランスの中間地点、ネパールで交錯するマリとマリの物語。
 なんだか小説の題材になりそうだな、とふと思う。
 旅する作家といえばアントニオ・タブッキやジョージ・オーウェル、最近ではデイヴィッド・ミッチェルあたりが有名だと思うが、ぼくも小説を書くようになって、旅の視点がすこし変わった。苦労をしたり危ない目に遭ったりしてもこのエピソードは使えそうだと考えるようになったし、興味深い人物に出会ったら小説に登場させたくなる。いまだってこの私小説めいた旅行記を通じて、あのときの記憶と現在の言葉が手を取り、花開いているわけで……。 
 あ、そういえば、そんな旅先でのエピソードや出会った人々がちらほら登場したりしなかったりする石川宗生の短編集『半分世界』が現在、東京創元社より絶賛発売中です。  ぜひ、ぜひ。

3.
 一度やってみたかったメタ的な宣伝も終えたところで、二日目。
 朝食後、ロベルトとはガイドも旅程もべつなので、ぼくら三人が先に馬を進めた。
 昨日から続く快晴。ぽかぽか陽気で、上着はリュックサックのなか。思いのほか筋肉痛はなく、乗馬もまったく苦にならない。
 こころに余裕が生まれて初めて見えてくるものがある。
 そのひとつが景観の素晴らしさ。
 視界いっぱいに広がる緑と青の原色。うねる波のようにどこまでも連なる山々。はるか遠方で、雨が降っている様子がありありと見て取れる。

写真2_素晴らしい景観.jpg パキスタンのフンザやインドのレーなど、美しい景色はさんざん見てきたつもりだったが、キルギスタンにはそれを軽く凌駕する最上級の景色がそこここにちりばめられている。いっとき行動をともにしたとある旅行者の言葉を借りれば、もはや美しさを通り越し「バカげて」さえいる。
 ふたつめは雑種犬「ウルフ」による余興。
 ぼくらのあとをつかず離れずの距離で追ってくる彼は、出し抜けに野山に駆けだすことがある。見れば、斜面には巣穴らしき穴ぼこが点在しており、そこからプレーリードッグのようなかわいい動物がひょこっと上半身をのぞかせている。
「マーモットだよ」とガイドが教えてくれた。「ほら、聞こえるだろ? 彼らが出す警戒音だ。近くに敵がいることをたがいに教え合っているんだよ」
 耳をすますと、たしかにすきま風のような甲高い音が鳴り響いている。
 警戒心を強めたマーモットたちは、「ウルフ」が近づくやいなや瞬く間に巣穴に潜り込んでしまう。しかし「ウルフ」もめげない。何度も野山を駆けては、長い舌をべろんと垂らし、へろへろになってぼくらのもとに戻ってくる。結局、狩りは一度も成功しなかったが、それでもへこたれずに追いかけ続けるさまがとても愛おしい。
 みっつめは愛馬ケータイ・シリーズのこと。
 がっちりとした胴体に比べ、足は意外にも細長いのだが、小川も平気で突き進むし、勾配のきつい山道もこともなげにのぼりおりする。
 そしてすきあらば道草を食い、糞を垂れる。そのバリバリと草をほおばる様は、まさにエネルギー補給という言葉がふさわしい。
 放屁もすさまじい。真後ろを歩いていると、ときおり強烈な屁が放たれるため、ぼくらは「先に行かせて」と冗談交じりにたがいを追い抜いたりした。
 アーチュにいたっては、ぼくの真後ろにいたときAndroid 4.1が見事にかました糞が靴にかかってしまい、「くそっ!」と半笑いで叫んでいた。ベタな冗談であったが、不意を突かれみんなして笑う。
 二日目ともなるとぼくらの乗馬技術もかなり上達し、「チュッチュッ」というガイドの掛け声を真似し、手綱で自在に舵を切り、かかとで横腹を叩いてギャロップするコツも覚えた。
 ただ、アーチュとマリは楽しんでいたが、ぼくはというとギャロップが苦手であった。ギャロップするとおしりが鞍に打ちつけられてすごく痛いし、かといって中腰の姿勢になると足がずれ落ちそうで非常に怖い。
 しかしこれがまたトリッキーなのだが、ケータイ・シリーズは常として行動をともにしたいらしく、一頭がギャロップをはじめるとほかの馬もいっせいに駆け出す。手綱を引けばいちおう止まってくれるが、その合間にもみんながどんどん先に進んでしまうので、やはりギャロップせざるを得ない。
「ひょえぇぇぇ」

 そしてふいと訪れる静寂。
 馬の足音、遠くからかすかに聞こえてくる鳥の鳴き声。日本の日常ではなかなか味わえない、かぎりなく無音に近い静けさ。
 ガイドがキルギスタンの民謡をしめやかに歌いだし、ぼくらは「ブラボー」と拍手する。
 たがいの人生を気まぐれに語り、またギャロップ。
「ひょえぇぇぇ」

 ふたつめの峠を越え、しばらく進むと、丘と丘のあいだにソンクル湖がうっすら見えてきた。
 ぼくらはその手前のユルタで昼食をいただき、ガイド、愛馬ケータイ・シリーズ、「ウルフ」とお別れ。あとは三人で湖畔を散歩し、今日の宿泊先となるユルタ・キャンプを目指す。
 ソンクル湖はうわさに違わぬ美しさであった。
 遠方には墨絵のような青い山々、空を流れる白雲が反射された、透きとおった湖面が左右に広がっている。岸辺に近寄ると、たくさんの小魚が泳いでいた。水に手をつけてみるとひんやり冷たい。湖畔には小さな黄色い花が一面に咲き誇っており、天界でも歩いているような気持ちになってくる。

写真3_ソンクル湖.jpg だがそんな楽園ムードもつかの間。
 遠い。
 いくら歩けど、目指すユルタがいっこうに見えてこない。見えてきたかと思いきや、それはまたべつのユルタで、しかもそのべつのユルタすらいくら歩けどたどり着けない。乗馬にすっかり慣れてしまったぼくらは足取り重く、たびたび岸辺で休憩を取った。「もう馬なしの生活なんて考えられないな」アーチュも冗談交じりに言う。
 すると、遠くからジープがやってきて、ぼくらの前で止まった。運転手は今日泊まるユルタ・キャンプのご主人だそうで、「きみたちがあんまりにも遅いから迎えにきたよ」と笑いかけてくる。
 もう飛び跳ねるようにして乗り込んだ。

 湖畔のユルタ・キャンプ。
 数十ものユルタが建ちならび、大勢の旅行者で賑わっていた。それもそのはず、ソンクル湖は一泊二日のジープ・ツアーで来ることも可能で、乗馬トレッキングよりむしろそっちのほうが一般的なのだ。
 乗馬で一足先に到着していたロベルトと再会し、四人でふたたび湖畔へ。
 ぼくらは靴下を脱いで、足先だけ水に浸した。そのなかでひとり、ロベルトだけはどういうわけか足をつけようとしない。やらないのかと訊くと、彼はためらいがちに口を開いた。
「近頃は環境問題が懸念されてるし、こんなにきれいな湖を二日も洗ってないぼくの足で汚染したくないんだよ」
 ロベルト会心のジョークであった。
 ソンクル湖はだいたいどこの湖畔もおなじなので、あとはユルタに戻って油を売りに売った。
 このとき悩まされたのがトイレ問題である。
 昨日のキャンプもそうだったが、トイレはユルタからすこし離れたところにあるひとり用の仮設トイレしかなかった。見た目は日本の公園とかによくある縦長の公衆便所のようで、内部は地面に掘られた穴に用を足す仕組みになっていた。以前、ガイドがトイレに行くときはオオカミに気をつけたほうがいいと冗談めかして忠告してきたが、真に注意すべきはトイレ自体にあった。
 すこし近寄っただけでも、くさい。
 マリいわく「コツはぜったいに鼻で息をしないこと」だったが、ちょっとした気のゆるみか、はたまた罪深い好奇心が無意識に働いたのか、ぼくはほんのコンマ一秒だけ鼻で呼吸してしまった。
 悶絶。
 吐瀉。
 嗚咽。
 涙目になってみんなのもとに戻り、今しがた起きたことを話すと、一同は笑いの渦につつまれた。「おれたちだけじゃなく、ほかの旅行者もおなじトイレ使ってるからな、あそこはもう地獄の入り口だよ」とアーチュ。
 最終的にぼくらが導き出した結論は、トイレを使わず外で用を足すことだった。周辺には木はおろかひざの高さに届く草すら生えておらず、隠れる場所もないのだが、しかし同時に大地はほぼ無尽蔵に広がっているため、うんと遠くに離れれば、そこがおのずと誰の目も届かぬプライベート・トイレになるわけだ。
 つまり、遠方でじっとしている豆粒大の人影を見つけたら、それはきっとトイレ中だということ。
 かくて使用する人が減った仮設トイレであったが、これを見やりながら「なんだかとっても芸術的じゃないか」とロベルトが何気なしにつぶやいた。
 たしかに。
 平野にぽつんとたたずむ水色のトイレは、マルセル・デュシャンだとかの前衛芸術作品にも通ずるものがあった。けっして来ることのない誰かを待っているかのようなわびしさを湛えていながら、視覚的にはどんなに美しく見えても、その水面下では人間の汚穢のいっさいをため込んでいるという二面性を併せ持っているのだ。
 ぼくらは火が付いたようにこぞってカメラのシャッターを切った。ほかの旅行者も何事かと思ったのかぞろぞろ近寄ってきては、おなじようにカメラやスマホを取り出し、撮影をはじめた。
 いまになってソンクル湖の写真を見返してみると、じつに三分の一がこのトイレの写真である。

 ほかに目を奪われたものといえば、宿泊先ユルタの若奥さん。
 彼女はもともと首都ビシュケク出身で、ソンクル湖に旅行者として訪れた際にここの主人と出会い、求婚され、嫁いだのだという。現在はめでたく妊娠中なのだが、これがまためっぽう美人で、終始ぼくとアーチュの注目の的に。
 そんなきれいな若奥さんの夕食に舌鼓を打ち、宿泊用ユルタへ。今晩はロベルトもぼくら三人と一緒に川の字で寝ることに。
 するとロベルトが掛け布団のしたで、もぞもぞと不穏な動きを見せる。
「なにしてるんだよ」とアーチュ。
「ぼくはいつもベストポジションを見つけないと眠れないんだけど」と真剣な面持ちでロベルト。「なんかおかしいんだよ。布団のしたに穴が空いてるような気がして……、あれ、なにか生きものでもいるのかな」
「そんなわけないだろ」
「ちょっとなに言ってんのかよくわかんないんですけど」
「いやだ、この人のとなりで寝たくない」
 消灯後も、いも虫のようにもぞもぞを続けるロベルトに笑い、呆れ、疲れ、就寝。
 五時、日の出を見るために早起きをした。
 凍てつく寒さのなか、山々の向こうから白みがかった光があふれだし、暗闇に沈んでいた平野やトイレやユルタに輪郭と色彩を与えてゆく。

写真4_トイレと朝日.jpg 美しい。
 トイレが。  いや朝日が。
「こんなの見つけたんだけど」
 とつぜん背後から声がする。振り返ると、桃色のブラジャーを指先でつまんだロベルトが立ちつくしていた。
「それ、どうしたの?」笑いをこらえながらマリ。
「たぶんここの奥さんの洗濯物だと思うんだけど、ついさっきそこらの犬がくわえてぼくのところに持ってきたんだよ」
 あぁ、この人はきっとこういう星のしたに生まれたんだな、とふと思った。

 雨降りの午前中。
 はじめにロベルトが去り、やがてぼくら三人のもとにも迎えのジープがやってきた。車窓に広がる霧がかったソンクル湖を見やりながら、マリが破顔する。
「いろいろあったけど、いちばん思い出に残ったのは……、やっぱりジャムとロベルトだよね」
「異議なし!」
 結局のところ、ぼくはそれからも約一週間にわたり、マリとアーチュと一緒にイシクル湖周辺をまわった。ダイジェストで振り返れば、訪れるたびに景色が変わるという伝説のあるフェアリーテイル・バレーに行き、ユルタ職人の工場を見学した。アルティンアラシャンなる山を登り、秘湯で旅の疲れを癒やして、まさかの二度目の乗馬トレッキングまで敢行したが、いつでも、どこでも、ぼくらは変わらず探し続けていた。
 あの甘くておいしいジャムを。
 そしてあのイタリア人版チャップリンを!

【次回更新は8月の予定です】 


■ 石川宗生(いしかわ・むねお)
1984年千葉県生まれ。米大学卒業後、イベント営業、世界一周旅行、スペイン語留学などを経て現在はフリーの翻訳家として活躍中。「吉田同名」で第7回創元SF短編賞を受賞。2018年、同作を収録した短編集『半分世界』で単行本デビュー。