第1回 パスポートナンバーTK49494949の叫び
第2回 落下の山村
2017年5月24日
パキスタン・パスー
2017年5月24日
パキスタン・パスー
1.
「これまでに行った場所でいちばん良かったのはどこですか?」
世界一周旅行者のあいだで交わされる、ベタちゅうのベタな質問である。
ボリビアのウユニ塩湖、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路、アフリカ東南部のマラウイ湖、イエメンのシャハラ、ブラジルのレンソイス国立公園、モロッコのシャフシャウエン、ハンガリーのブダペスト、中国のラルンガルゴンパ、インドのレーなどなど答えは三者三様だが、パキスタンのフンザもよく挙げられる。
「フンザは『風の谷のナウシカ』のモデルになったって言われてる場所なんだ。両側に高い山が連なった深い谷で、斜面に町が広がっててさ。ナウシカがじっさいに暮らしているような砦もあって(映画『風の谷のナウシカ』では砦というか城だけれども)、近くの透明な小川じゃルビーの原石拾いもできるんだ。でもいちばんすごいのは、谷一面に杏子だとか桃の花が咲き乱れる春だね。だから旅人のあいだじゃ桃源郷とも言われてる。曲がりくねった山間の道を抜けて、一面の白い花が出迎えてくれたときの感動は、いまでも忘れられないな」
そんなことを約一〇年前、アルゼンチン・ブエノスアイレスの日本人宿で、とある日本人旅行者から聞き、いつか行ってみたいとずっと夢見ていた。
そして今回、ついに念願かなって足を運ぶことができたのだが、現実というのは時として無慈悲なものである。ぼくが行った五月はすでに桃の花は散り、周辺はすっかりみどりが生い茂っていたのだ。
だがそれでも、フンザが素晴らしい場所であることに変わりはなかった。
むしろ桃の花目当ての日本人観光客はおらず、また近年のパキスタンの治安悪化を受け、外国人旅行者もほとんどいなかったため、まるでフンザ全体を独り占めした気分で静穏な日々を過ごせた。
約一〇日にわたる滞在では宿の従業員や、高円寺の雑貨屋に絨毯を輸出しているという絨毯屋の店主など、地元のパキスタン人とも親しくなれた。そして、パキスタンとあまり仲が良くないためにアメリカ住まいであることをひた隠しにしながら旅行をするアメリカとブラジルの二重国籍の男性、チキンのぼくに向かってパキスタンがいかに安全かとうとうと説いてくるパキスタン来訪七度目だというオーストラリア人男性、とある理由のために毎日のように氷河に通い続ける幻想小説の登場人物じみた雰囲気を湛えた謎めくオーストリア人女性と(彼女のことはそのうちなにがしかのかたちで小説で描いてみたい)、風変わりな外国人旅行者との出会いもあり、いろいろの刺激をもらえた。
しかし今回は、さんざんフンザのことを紹介しておいてなんだが、そんな人気観光地よりもずっと鮮烈な印象を残すことになったパスーをお届けしたい。
そこはフンザから中国に戻る途中、セレンディピティーめいた偶然に導かれ長居することになった土地で、またとない厚遇をしてくれたパスーの人びとにはいまでも感謝の念でいっぱいなのである。
とまあ、はなからあれこれ褒めそやしてハードルを上げるのも困りものなので、ひとまず幕を開けることにしましょうか。
それでは(困りものと言ったそばからさっそく挑戦的にハードルを上げてみますが)笑いあり、涙ありのハート・ウォーミング・ストーリーのはじまり、はじまり。
2.
その日、ぼくはフンザから中国に引き返すべく、早朝に宿をチェックアウトした。
パキスタンのなかでもここギルギット・バルティスタン州は特に人が良く、ヒッチハイクが簡単にできるとほかの旅行者から聞いていたのだが、バックパックを背負って沿道をひょこひょこ歩いていたら、驚くべきことにまだ親指を立てていないうちから勝手にトラックが停まってくれた。
「どこに行くんだ?」
「国境の町のスストです」
「それなら途中までだけど、乗せてってやるよ」
「ノーマネー、オッケー?」
「もちろんだよ。ほら、乗りな、乗りな!」
「マジすか、あざーっす!」
以上、ほとんど英語が通じなかったのでぼくの脳内補完である。
座席には運転手のほか二人の男性がすでに乗車しており、四人横一列ぎゅうぎゅう詰めで発進。
トラックが走るのは、中国新疆ウイグル自治区とパキスタンのギルギット・バルティスタン州を結ぶ舗装道路、カラコルム・ハイウェイ。
あたり一帯は深い渓谷で、道もくねくね曲がっており、ガードレールのない道路をすこしでも外れたら谷底に真っ逆さま。陽気な運転手がときおり、こちらを見ながら片言の英語で話しかけてくるので何度も肝を冷やすことに。さらにバックパックは荷台のまんなかに置いてあるだけなので、急カーブのたびに振り落とされるのではないかと冷や汗もの。 しばらく走ったあと、運転手たちは採石場にいくというので(まあ例によって英語があまり通じないのでぼくの推測ではあるが)、その近くのトンネル前の検問所で降ろしてもらった。ギルギット・バルティスタン州はパキスタンのなかでも比較的治安が良いことで知られているが、その他の国内地域と同様にこうした検問所がところどころ設けられているのだ。
すると今度は、検問所にいた銃を持った軍人までもが、通りかかる自動車にこの日本人を乗せていってくれないかとお願いしてくれた。
早くも二台目でススト行きの自動車がつかまり、なんなく乗車。
なんてこころ優しき人たち。
運転手はフンザに住まう宝石商で、これからスストに商談をしにいくらしい。道中は、パキスタンの歌謡曲をたくさん聴かせてもらった。
だがここで贅沢な悩みが発生。ヒッチハイクに時間がかかるかもしれないと思って念のため朝早くに出てきたのだが、とんとん拍子にことが運んだので、このままだとスストに午前中のうちに着いてしまう。
スストなんてなにもないところだしどうしようかな、そう思いながら窓外の山々を眺めていたとき、パスーと書かれた標識が目に飛び込んできた。以前、ほかの旅行者が良いところだと言っていた村だ。
ぼくは反射的に運転手に話しかけた。
「すみません、ここで降ろしてもらえませんか」
パスー村。
と、一口に言っても、幹線道路沿いに土レンガの民家や商店が広がっているだけで、とりたててなにがあるというわけでもない。ときたま往来を走る自動車やトラックがほとんどの物音を引き受けているぐらい静けさに満ちたところ。
明日の早朝スストに向かってそのまま国境越えすればいいので、今日はその中継地点としてここに泊まってみることに。
小さな村ゆえ宿泊施設の数も少なく、適当に幹線道路沿いにあった「パスー・イン」なるホテルに入ってみた。緑の草が生い茂った庭先は広く、点在するテーブルでは地元民らしき人たちがチャイを飲み交わし、談笑している。
ぼくのすがたを認めると、コーヒー色の大きなサングラスをかけた男性が椅子から立ち上がり、「アニョハセヨ」と挨拶してきた。
「いえ、あの、日本人なんですけど」
「あぁ、そうでしたか。ドウモコンニチハ」
サングラスに口ひげ、アニョハセヨとコンニチハを自在にあやつる白髪交じりの中年男性。なんともあやしげだなと思いつつ、オーナーはどこですかと尋ねた。すると彼はにこっと笑う。「わたしがオーナーですよ」
あやしげな男あらためあやしげなオーナーに続いて、ホテルのなかへ。
簡素ながらなかなかきれいな白塗りの内装。なんでも二年前に改装したらしい。部屋を見せてもらうと、広々としたツインルームで、清潔なトイレからホットシャワーまで完備していた。気になる宿代は一泊一〇〇〇円ほど。一泊だけだし、それぐらいの値段なら問題なし。
レセプションに戻ってパスポートを渡すと、オーナーは宿泊者名簿にぼくの名前とパスポート番号を書き込みながら「イシカワさん、イシカワさん、イシカワさん」と暗記する受験生のように連呼しはじめた。
うぅむ、なんとも不気味な。
そう思って視線をそらしたとき、レセプションの壁に貼ってあった「パスー氷河トレッキング」という文字が目に飛び込んできた。
「氷河トレッキングって書いてあるんですけど」おそるおそる話しかける。「これって簡単に行ってこれるもんなんですか」
「もちろんですよ、イシカワさん。とっても簡単です」オーナーは顔を上げ、覚えたての”イシカワさん”をかみしめるようにゆっくりと言う。
「スニーカーしかないけど、大丈夫ですか? トレッキングの装備もなにも持ってないんですけど」
「もちろんです、へいきへいき」
「どのぐらい時間がかかるんですか?」
「行きと帰りでざっと三時間ぐらいですね」
「そんなに短いんですか」
「えぇ。イシカワさん、良かったらいまから行ってみますか」
「え、いまからですか」
「簡単ですから、大丈夫ですよ」
ガイド料も一〇〇〇円ぐらいだというので、それだったらまあいいかな、と即決。
食堂の椅子に腰かけてタバコを吸っていると、青いアウタージャケットを着た背の高い男性がやって来た。こんがりと日に焼けており、オーナーとおなじぐらい大きなサングラスをかけている。
「イシカワさん」オーナーが朗らかに言う。「彼がガイドですよ」
するとガイドは微笑んだつもりなのか、頬の筋肉をぴくぴく微動させる。
うぅむ、なんとも不気味な。
ひそかに震え上がりながら手短に挨拶を交わし、ホテル前の小さな商店で五〇〇ミリリットルのミネラルウォーターを購入して、出発。
しばらくは公道をひた歩く。
遠近感がおかしくなるほど青一色に晴れ渡った空と、両手にそびえたつ白い帽子をかぶった険しい山々。そのあいだを穏やかに流れる河川、それに沿って伸びるカラコルム・ハイウェイ。ミニマリズムの絵画のように単純な景観だが、一つひとつのスケールがとてつもなく巨大で、強い日差しもあいまって白昼夢を見ているような錯覚に陥る。
この錯覚をいっそう強めている原因のひとつが、ぼくのかたわらを歩くガイド。もとより物音の少ない土地なのに、彼がいっこうに口を開かないので静けさがよけい際立つ。この完璧なまでの静寂がおそろしく非現実的で、気まずい。
仕方なくこちらから質問をしてみた。
「おいくつですか?」
「四一」
「へぇ、ぜんぜん見えませんね。もっと若いかと思ってました」
「そう」
「……ガイドの仕事はけっこう長いんですか?」
「長いね」
「……」
「……」
黙っておれについて来い、と言わんばかりによけいなことを口にしない彼。氷河が近いせいもあってか、なんとはなしにクールガイという言葉が脳裏をちらつく。
ほどなくして、沿道にあった朽ちかけた木の扉を開けてなかに入った。
クールガイのあとに続いて、黄土色の未舗装の道に入っていく。誰かが所有する牧草地なのか、ヒツジかヤギの糞らしきものがところどころ落ちている。このあたりの植物は根性があり、道ばたに生えているとげとげの葉っぱがズボンを貫いて皮膚に刺さってくる。
しばらくすると道が消失し、先ほどの河川に流れ込む支流がすがたを現した。クールガイは支流に沿ってなおも歩を進める。
と、思ったら行く手を斜面がはばみ、川岸ぎりぎりを歩いていく。
と、思ったら川岸から離れ、今度は大きな岩から岩へぴょんぴょん。
最初のうちはのんきにデジタルカメラで周囲を撮影していたが、だんだん余裕がなくなってくる。
クールガイはすこしも歩調をゆるめず大またで進んでいく。ときおりこちらを振り返りはするのだが、あくまでそれはついてきているか否かの確認作業のようで、まったくと言っていいほど足を休めない。「ちょっと待って」と言いたいのだけど、彼はそれを言ういとますら与えず、瞬く間に距離を広げてしまう。
そうこうしているうちに、いつのまにかぼくらは土砂崩れのあとのような大小の岩石が一面を埋めつくす斜面を登っていた。
もはやちょっとしたロッククライミング、不安定な岩がつかんだ先からぼろぼろ落ちる。雪解け水と思しき小さな流れもあって、場所によってはその流れを飛び越えなければならない。
ぼくがいちいち立ち止まって、さて次はどの岩に足を置いたらいいんだろうと思案しているあいだにも、クールガイは、忍者は日本ではなくパキスタン発祥だったのではないかと疑ってしまうほどの敏捷さで登っていく。
そういえば彼が履いているのは、ぼくのスニーカーよりもずっとくたびれた運動靴じゃないか。それなのになぜ彼はあんなに速く進めるのだ、なぜ踏んでもいい石の区別が簡単につくのだ、なぜ止まってくれないのだ、ぼくがいったいなにをしたっていうんだ、なぜこんな辛い目に遭っているのだ、そもそも簡単に氷河に行けるんじゃなかったのか、簡単じゃ……。いろいろな思いがこみ上げてくるなか、スニーカーが冷たい雪解け水でぐっしょり濡れ、カーディガンは泥でよごれ、ズボンの膝小僧が粗い岩肌ですり切れる。
瞬間、ぼくのなかでなにかが弾ける。
カメラをリュックサックにしまい、目にかかってうざったかった長い前髪をゴムでつののように縛り、カーディガンを脱いで腰に巻く。
久しく忘れていたがむしゃらさ。
ここで苦労自慢。
約一〇年前には、四泊五日のベネズエラ・ロライマ山のトレッキングをカーディガンとサンダルの恰好で敢行し、底冷えする山頂の夜を手足やら頭やらにビニール袋をかぶせてどうにかやり過ごした。コロンビア・カルタヘナでは、豪雨で水没したジャングルの道をじゃぶじゃぶかき分けながら海を目指し、野犬の遠吠えが響く夜のジャングルをひどく心もとない十徳ナイフ片手に行進した。
人はどん底を経験すれば強くなるというが、そう、あのときに比べればだいぶマシ。
先をゆくクールガイの運動靴だけを視界の上側に留め、両手両足を使ってひたすらよじ登る。
滑って、転んで、それでも登って。
「ここで終わりだ」
とつぜん運動靴が話しかけてきた。
どうにかおなじ高さまで上がると、なだらかな丘の上に出た。湿っぽい黒ずんだ地面の上には、大小さまざまな白っぽい岩が散在している。
「あれが氷河だよ」
息を弾ませるぼくとは対照的に、クールガイがすずしい顔で言ってくる。彼の指さす先、斜面のずっと上のほうでは、両側にそびえる岩山のあいだをうっすら黒ずんだ、でこぼこしたかたまりが横一面に広がっている。なんていうか、降り積もって三日後の雪みたいな汚れ具合。
「いつもこんな色をしてるんですか?」
「あぁ、こんな感じさ。でもこれより先は、きみのスニーカーだと滑って危ないから登れない」
「だけど、あなたもおなじような靴を履いてるじゃないですか」
「おれは慣れてるからね」
そんなこと言われたら、もうなにも言えない。
「ちなみに、わたしたちが立っている場所もいちおう氷河の一部だよ」
足下の黒ずんだ地面を触ってみると、たしかに心持ちひんやり冷たい。目を凝らせば、上方の黒い氷河から流れてくる雪解け水が、ぼくらの立つ丘の下あたりまで伸びている。おりてみると、丘だと思っていた足場は実は巨大な氷のかたまりのようで、下側はくり抜かれたように空洞が広がり、雪解け水が流れ込んでいる。
なるほど、これはすごい。
ここぞとばかりにシャッターを切り、丘の上に戻ってからも興奮そのまま周囲の山々や黒い氷河を撮りまくった。が、静かな氷河で、静かな男と一緒にいると、ぱしゃぱしゃシャッターを切っている自分がだんだんアホらしくなってくる。
すこしのち、クールガイがそこらの岩に座ってタバコに火をつけたので、ぼくもつられてタバコを一本吸った。氷河の感動は煙と化し、頭のなかは早くも帰り道への不安が立ちこめはじめる。
下山。
予想どおり、帰りは行きよりもはるかに過酷であった。両手で岩をつかみ、足を下の岩に慎重におろす。その繰り返しなのだが、へたな足場を選べば岩ごと滑り落ちる。二度、三度と岩を踏みはずし、いよいよ支流のほうに滑落しそうになる。
するとついにクールガイが「つかまれ」と手を差し伸べ、片手でひょいっとぼくの身体を持ち上げた。
なんて頼りがいのある大きなてのひら。
乙女だったらこの瞬間、十中八九恋に落ちているだろう。ギャップってずるい、ツンデレってずるい。
そんな気のゆるみが生んだ一瞬のすきであった。
なんでもないはずの岩がぐらりと傾き、左足が滑り落ちると岩と岩のあいだにはさまった。
激痛。
ものも言えず、その場にしゃがみ込む。
「大丈夫か?」
クールガイのクールな問いかけ。
ぼくはおもむろに立ち上がり、左足をそっと持ち上げる。
曲げる、動く。
やや痛むが、歩ける。
「大丈夫です。行きましょう」
クールガイの影響か、つとめてクールに振る舞うぼく。ふたたびクールガイのあとに続いて、クールに一歩ずつおりていく。
全身泥だらけになって、どうにかはじめの幹線道路に戻った。スマホで時刻を確認すると、トレッキング時間は三時間どころか二時間程度。
ここで、クールガイがさらりとこんなことを言う。
「こんなに速く上り下りしたやつはきみが初めてだよ」
いやいやいや、あなたがめっちゃ飛ばすから仕方なくただ必死についていっただけなんですけど。
と、一瞬どつきたくなったが、無事に帰ってこられたいまとなってはそのまっすぐさもそれはそれで愛らしく思えてしまう。肩の力が抜け、チップとともに「サンキュー・ベリー・マッチ」
3.
ホテルに生還。
靴も脱がずに憔悴しきった身体をベッドに横たえ、目をつむる。だが、睡魔は近づくどころかむしろ遠ざかってゆく。
なんだかおかしい。
身体の下のほうから得体の知れぬ疼きがこみ上げてくる。アドレナリンないしは緊張の糸が切れたせいか、疼きはたちまちすさまじい痛みに変わる。
床に足をおろしてみるが、立てない。
靴下を脱ぐと、さっき岩に打った左のくるぶしあたりがこんもり腫れ上がっていた。
不幸自慢。
ぼくはこれまでにも海外で何度か怪我や病気をしてきた。
下痢や高熱なんて当たり前、アメリカではバスケットボールをしていたときに足の骨にひびが入ったし、歯髄炎をわずらって鼻のあたりがお茶の水博士並みに腫れて抜歯した。グアテマラ・ケツァルテナンゴでは奇跡の二回目の歯髄炎をわずらって前歯の神経を抜いたし、つい数年前、スペイン・サンセバスチャンではビーチ・テニスをしていたときに足の小指の骨にひびが入り、片足を引きずりながらヨーロッパじゅうを旅するはめになった。
そこここの場所は痛みとともに思い出せる。
そういった経験が警鐘を鳴らしている。
これはなかなかどうしてけっこうかなり、まずい。
出発した早々日本にとんぼ返りか、なんて最悪の事態を思い描きながら片足飛びでようよう部屋を出て、オーナーを呼びに行く。
オーナーはぼくを一目見るなり「イシカワさん、どうしたんですか」と微笑んできた。が、事情を説明するやいなや、色の濃いサングラス越しでも分かるぐらい表情が曇る。
「これはいけませんねぇ、イシカワさん」
オーナーがうなっていると、ホテルの共同経営者だというマンチェスター・ユナイテッドのユニフォームを着たスキンヘッドのおじさんが近寄ってきて、どれ見せてみろと足をつんつん触ってくる。
ひぃぃ。
「どうも良くないねぇ」
顔を見合わせる共同経営者たち。
するとなにか不穏な気配を感じ取ったのか、庭先でチャイを楽しんでいた人たちから向かいの商店の軒先で油を売っていた地元民まで集まりだし、現地語のワハン語で憲章でも決めんばかりの大会議が開かれた。
いったいどのような決断がくだされるのか、こわごわ待っていると、「イシカワさん」とオーナーが一同を代表して口を開いた。「この村には病院もないし、きちんとした手当てを受けるにはとなり町まで行かないといけません。でも、そうするにはすこし時間が遅いです。そこで、どうでしょう。この村にはシャーマンがいるので、彼に見てもらうというのは」
「シャーマン? シャーマンがここに、パスーに?」
「そうです、彼ならきっと上手に治療してくれますよ」
シャーマンというのはペルーのイキトスだとかメキシコのオアハカだとか、中南米の辺境にいるイメージしかなかった。それがまさかパキスタンの奥地にもいるとは。
地理のみならず文化的にも奥深い、パスー。
さっそくオーナーがケータイで連絡を取り、彼のお兄さんだという愛想の良い垂れ目の男性がバイクに乗ってやって来た。彼がそのシャーマンのもとまで連れていってくれるという。
ぼくを後部座席に乗せた救急車代わりのKAWASAKIバイクは、入り組んだ村の小径を走った。
河原の石を積み上げたという背の低い石垣が連なり、鮮やかな民族衣装をまとった女性が水の入ったポリタンクを運んでいる。このあたりはイスラム教のなかでもイスマイリ派というという宗派が主流らしく、モスクとはどことなく趣の異なった小ぶりの礼拝堂もあった。民家の軒先で座って話し込んでいた男性らが好奇のまなざしをこちらに向けてくる。学校帰りと思しき子供たちが「ハロー、ハウ・アー・ユー?」と無邪気に手を振ってきたので、痛みを堪え精一杯の笑顔で「アイム・ファイン、サンキュー!」と大人の対応。
バイクはゆるやかな坂道をくだり、川のほうへ徐行運転で進んでいった。数分後、バイクが停まったのは、こぎれいな白塗りの一軒家の前であった。
「彼がシャーマンだよ」
お兄さんの指さす先には、畑仕事をしているくわを持ったおじさんしかいない。
はて、と首をかしげながらお兄さんをもう一度見るが、彼はすべて知ったふうにこっくりうなずく。「そう、彼だ」
シャーマンというからには、ひたいに大きな葉っぱでも巻いた仰々しいまじない師を想像していたが、パスーのシャーマンは人の良さそうな農家のおじさん。
オーナーのお兄さんはぼくをバイクの後部座席に残し、シャーマンおじさんを呼びに行った。シャーマンおじさんは英語を話せないようで、お兄さんがワハン語で怪我の具合について説明してくれる。
おじさんはにっこり微笑み、ぼくの前でしゃがむと、二本の指で患部を触診しはじめた。畑仕事による無骨な手からは想像できないほど繊細なタッチ。ときおり、ぼくの反応を確かめるように顔を見上げてくる。目が合って、にっと笑う。
それからオーナーのお兄さんにワハン語でなにか言う。「大丈夫だということだよ」お兄さんが通訳してくれる。「骨には異常がないから、数日もすれば良くなるってさ」
そしてシャーマンおじさんは、道ばたに生えていたなんの変哲もない緑の草を引っこ抜いた。「これを熱湯で一煮立ちさせて、患部にあてるんだ」ふたたびお兄さん。「そうすれば治るそうだよ」
つまりおじさんは、シャーマンというよりも民間療法士みたいな人なのだろうか。いやしかし、そうだとしても……「ホントにそれだけで良いんですか?」
「彼がそう言うんだから間違いないさ」
「だって、それ、そこらへんによく生えてる雑草ですよね」
「大丈夫、大丈夫」
言葉に合わせてこっくりこっくりうなずくお兄さん。
ホントに、ホントに大丈夫なんでしょうね?
温厚に微笑むシャーマンおじさんが見送るなか、いっさいの疑問を胸の奥底にしまいつつ、ホテルに帰還。
さっそくオーナーらが緑の草を一煮立ちさせ、患部にあててくれた。かぎ覚えがあると思ったら、日本の薬局でも売っている市販の湿布に似たにおいがする。足に伝ってくる感触も、なまあたたかいながらもどこかすうっとしている。
オーナーが包帯を巻いてくれているあいだ、野次馬はまたもやふくれあがっていった。 気づけば、スマホで一部始終を撮影しているおじさんまでいる。
どこぞの馬の骨だと思って顔を見たら、なんと共同経営者のスキンヘッドのおじさんであった。いったいそれをどうするつもりですか、YouTubeにでもあげるつもりですかと訊いてみたら、それどころかぼくさえ良ければ地元のSNSニュースに掲載したいのだという。
「わたしはパスーのNPO団体みたいなものに属していてね、絶好のアピールになるからこうして撮影させてもらっているんだ。パスーはとても小さい村だし、世間にはあまり知られていないから、わたしたちがふだんこういう活動をしていることも認知されていない。予算もないから、救急道具とかも不足してるんだ。だからこういったことをきっかけに、すこしでも多くの人に知ってもらって、もし可能であれば寄付というかたちで救急道具とかを送ってほしいんだよ」
なるほど。
ならば不肖、石川宗生、せめてものお力になりましょう、このご恩けっして忘れません、わたくしとて筆耕家の端くれ、いまはまだよちよち歩きのひよっこですが研鑽に研鑽を重ね、かならずやいつの日かなんらかのメディア媒体でパスーNPO団体のことを書いてみせましょう。
そして早くも、この旅行記で書けた。
やったね。
世紀の治療ショーが終了。
共同経営者ふたりの肩を借りて、手負いの日本人観光客は部屋に戻った。ベッドに横になり、旅のお供として日本から持ってきた映画『落下の王国』のDVDをノートパソコンでくさくさ観る。
「イシカワさん、ごはん持ってきましたよ」
夜半、オーナーが夕食を持ってきた。
すこし話はそれるが、このオーナーの手料理は本当においしかった。彼は約二年前から故郷であるここパスーでホテルを経営するようになったが、かつては二〇年間ほどパキスタン各地で外国人の観光客を相手にガイドをしていたらしい。料理もそのとき外国人旅行者に振る舞うために覚えたのだという。
とりわけ赤唐辛子のピリッとした辛さとトマトの酸味がきいたチキンカライが絶妙で、ぼくはこれをおかずにナンを三枚もぺろりとたいらげた。
そのおいしさゆえに滞在中、面と向かって「パキスタンで一番おいしい料理ですよ」と褒めたたえたこともある。本心を述べたつもりだったが、オーナーは「そう言ってもらえて光栄ですが、イシカワさん、あなたパキスタン全土をまわったことないじゃないですか」とまじめに返してきた。
クールガイしかり、初対面のオーナーはあやしさ満載だったので、その印象はもうずっと右肩上がり。もしかしたら人って、ある程度の期間付き合うならマイナス・スタートぐらいがちょうど良いのかもしれない。
そんなことを思いながら手料理をもぐもぐ食べ終え、ベッドで安静にしていると、オーナーが食器をさげにやって来た。
ついで、またそこらで摘んできたと思しきひと煮立ちさせたハーブを患部にあて、包帯を巻いてくれる。「さぁ、イシカワさん、これで大丈夫です。また明日、朝ごはんを持ってきますから、今日のところはしっかりやすんでください」
就寝。
朝になれば、約束通りオーナーがまたやって来る。「イシカワさん、ごはん持ってきましたよ」昼にもやって来る。「イシカワさん、ごはん持ってきましたよ」夜にも。「イシカワさん、ごはん持ってきましたよ」
「イシカワさん、ごはん持ってきましたよ」
「イシカワさん、ごはん持ってきましたよ」
オーナーがごはんを持ってくるたび、患部の腫れは着実に引いていく。「イシカワさん、ごはん持ってきましたよ」がおまじないの呪文ではないかと錯覚するほどに。
かくて三日も経たないうちにふたたび大地に足をおろせるようになったぼくは、ホテルの庭先でチャイを楽しむ地元民たちの前で、ちょっとしたパフォーマンスとばかりにてくてく歩いてみせる。するとさも学芸会で我が子の晴れすがたでも目の当たりにしたように、満面の笑みで良かったねと言ってくれる皆々様。
「サンキュー、サンキュー」
村を散策すれば、地元SNSニュースに載ったせいか、足を怪我した日本人がいると誰かが触れまわったのか、いろんな村人が家に招いて、チャイや自家製ヨーグルトをごちそうしてくれる。日本のことを尋ね、パキスタンのことを教えてくれる。わたしには日本人の言語学者の知り合いがいてね、彼はこの地域の言語研究のために何度もわたしの家にも遊びにきてるんだよ、彼のイメージもあって日本人は大好きなんだ、などと微笑みながら話してくれる。わたしたちはこれで日本のことを知っているんだと、わざわざケーブルテレビのNHKまで見せてくれる。
「サンキュー、サンキュー」
パスー・インで一緒になった、たがいを「やよいふん」「みさとふん」と呼び合うふたりの仲良し日本人女子。オーナーからぼくが足を怪我したことを聞かされ、もう大丈夫なんですかとさんざん心配してくれる。
「サンキュー、サンキュー」
さきはバイクにのせられて走った未舗装路を今度はひとり堅実な足どりでたどり、シャーマンおじさんの家にうかがった。彼はまたもや畑をくわで耕しているところだった。あなたの腕をすこしでも疑って申し訳ありませんでした、お世話になったお礼になにかさせてください、左足を指さし、パキスタン・ルピー紙幣を見せ、そうしたニュアンスをなんとか身ぶり手ぶりで伝えてみるが、シャーマンおじさんは笑って首を振るばかり。
だからぼくはせめて繰り返す。
「サンキュー、サンキュー」
予定が狂いに狂って、一週間近く滞在することになったパスー。なごり惜しいが、いずれ旅立ちのときは来る。
次の日の早朝、オーナーがタクシーを呼んでくれた。
いつか旅先でお世話になる人がいるかもしれないと思って、そのときのお礼のために日本から持参していた四本の扇子をオーナーにプレゼントする。「これはお兄さんに、あとこれは共同経営者のあの人にあげてください。渡しそびれてしまったので、シャーマンのおじさんにも」
オーナーはお礼なんて要らないよと言うが、ぼくはなかば強引にその手につかませる。旅の序盤で扇子をぜんぶあげることになるとは想像もしなかったけど、まったくもって悔いはなし。
「イシカワさん、また来てくださいね」オーナーが微笑みかける。「日本人の旅行者には桃の花が咲く三月や四月が人気ですが、実はこのあたりは紅葉の季節、一〇月や一一月ごろもとてもきれいなんです。きっとイシカワさんも気に入ると思いますよ」
いつかまた紅葉の季節に戻ってくることを約束し、握手。
国境の町スストに向けて走り出すタクシー。
サイドミラーに映る、だんだんと遠ざかっていくパスーという標識を眺めていると、ぼくの口からはすっかりくせになってしまった言葉がこぼれ落ちる。
「サンキュー、サンキュー。サンキュー・ベリー・マッチ」
(つづく)
■ 石川宗生(いしかわ・むねお)
1984年千葉県生まれ。米大学卒業後、イベント営業、世界一周旅行、スペイン語留学などを経て現在はフリーの翻訳家として活躍中。「吉田同名」で第7回創元SF短編賞を受賞。2018年、同作を収録した短編集『半分世界』で単行本デビュー。