第1回 パスポートナンバーTK49494949の叫び
2017年5月8日
中国・カシュガル―タシュクルガン
 


1.
「火、貸してくれないか?」
 深夜の成都(せいと)双流国際空港、ガラス張りの小さな喫煙所でタバコを吸っていると、長いうしろ髪をゴムで結った若者に話しかけられた。
 ライターをわたすと、彼は小さく会釈をしてタバコに火をつけ、煙を深々と吸い込んだ。「長いフライトのあとだと格別だな」まぶたの重たげな目を天井に向け、一呼吸おいたあとこちらを見てくる。「どこから来たんだい?」
「東京だよ」
「東京か。いつか行ってみたいと思ってるけど、まだ行けてないな」
「きみは?」
「今日はバンコクから。3ヶ月ぐらい東南アジアを周遊して、これから故郷の北京に帰るところなんだ」
「北京……。ぼくも行こう、行こうと思って、結局、行けてないね」
「東京とは近いし、いつだって来れるよ」ほのかな笑みを湛え、ぼくのバックパックに目を向けた。「もしかして、きみも世界一周をするところなのか? 東南アジアでも、世界一周中だっていう日本人に何人か会ったんだ」
「いや、今回は中央アジアあたりだけだよ。これから早朝の便でウルムチに向かうんだ」 「そっか。まぁ、おたがい大変だな。おれも早朝の便なんだ。どうやって時間をつぶしたらいいか分からなくてさ、とりあえず一服しに来たところなんだよ。どこの空港でも、まずは喫煙所探しからはじまることになる」
 彼は小さく笑ってタバコを灰皿に捨てると、「グッドラック」と手を差し伸べてきた。握手を交わし、喫煙所前に置いてあったバックパックをかついで、ひと気のない通路を歩いてゆく。
 ぼくもすこし遅れて喫煙所を出た。
 空港内はしんと静まりかえっていた。店々のシャッターが閉まり、ベンチでは大荷物の人びとがぼんやり座り、あるいは横たわっている。
 空いていたベンチに腰をおろした。時刻は深夜の四時前。チェックインカウンターが開くまであと4時間ぐらいある。
 バックパックをまくらがわりにして横になった。
 ベンチのひんやりとした感触がTシャツ越しにうっすら伝ってくる。幾重ものおぼろげなイメージがまぶたの裏に現れては、消えてゆく。かすかにこだまする誰かの足音が、これからはじまる旅の予感が、いつまでもぼくを眠りから遠ざける……。

 ……とまあ、ぼくもいちおう小説家なわけだし、すこし気取って小説風に書き出してみたが、これは紀行文でもあるので、よくよく考えてみればこんなに勿体つける必要もないかもしれない。
 なので、ここらでまずは礼儀として自己紹介からはじめましょうか。
 読者のみなさん、こんにちは、ないしはお久しぶりです、ないしはどうも初めまして。  粘土が趣味の著者、石川宗生です。
 この半分小説半分エッセイ形式の旅行記は主に、旅をする石川宗生、あまり旅をしない石川宗生、仕事をする石川宗生、なにもしない石川宗生、堕落する石川宗生など、そしてそれらの石川宗生を書く石川宗生や、それらの石川宗生を書く石川宗生を書く石川宗生……などなどで構成されています。
 さて、そんな感じでメタ的に今回の旅についても触れておくとしよう(と、言っているこのぼくは、それらの石川宗生を書く石川宗生であり、それらの石川宗生を書く石川宗生を書く石川宗生……でもある)。
 まず、旅行先は中央アジアとコーカサスと東欧(当初の予定はコーカサスまでだったけど)。
 期間は2017年5月―10月(当初の予定は三ヶ月程度だったけど)。
 おおまかにはシルクロードをたどるわけだが、ぼくにそんな高尚な意識があるはずもなく、まだ行ったことのないエリアだから足を運んでみようと思っただけ。そして決め手となったのが、成田から中国・カシュガルまでの片道航空券を約2万円という小躍りしたくなるような廉価で購入できたことである。
 ぼくの旅に出る理由なんてそんなものだ。小説の取材でもなければ、人気ブロガーとか中田英寿とかスナフキンとかになりたいからでもない。
 ただ、なんとなく。

 もっとメタメタになって舞台裏を明かしておくと、この旅行記では基本的に一国一編ずつ書き進めてゆくつもりだ(執筆の依頼は帰国後だったため、旅行中、申し訳程度に付けていた日記と記憶をたよりに筆を執るほかなく、ところどころ情報が不正確かもしれないが、その点どうかご容赦されたい)。
 さらに、ぼくの数ある特技のひとつであるイタコの口寄せを使い、ノストラダムスの霊を憑依させて大予言しておくと、この旅行記は全10回になる。
 たぶん、おそらく。
 連載の主な狙いとしては、旅先での体験談を面白いものも退屈なものもふくめディテール豊かにお届けしたいという至極まっとうなものから、旅の仕方やバックパッカーの生態を克明に描き、旅にまつわる神話めいた幻想を木っ端みじんに粉砕したいという多少ひねくれたものまである。
 ちょいと話はそれますが、耳を貸してくださいな。
 長期旅行(あるいは世界一周旅行)をしている、と人に言うと「すごいね」なんて返されることがあるのだが、おそらく旅人が本当の意味で「すごかった」のは沢木耕太郎さんの『深夜特急』の時代ぐらいまでだろう。
 いまのご時世、ガイドブックはもちろんインターネットもあるので旅先の情報は事前にいくらでも入手できるし、どこのルートもだいたいは先人が通った道なので、ただそれをなぞるだけでいい。言葉が分からなくともネットさえあれば全知全能のGoogle翻訳様がなんとかしてくれるし、日本語が恋しくなったら、日本人の旅人だってどこにでも、いくらでもいるから「やっほー、めっちゃんこさみしかったよーん、おろろんおろろん」なんて気さくに話しかければいい。それすら面倒なら、SkypeでもLINEでも使って日本にいる友人知人とビデオ通話してもいい。
 畢竟、現代の旅なんて日常の延長のようなものであって、現代の旅人の大半は「移動する道楽者」なのだ。そこには冒険も摩訶不思議さも神聖さも魔法も奇跡も種も仕掛けも格好良さも、ホントなんにもない。「備えあれば憂いなし」なることわざは確かにその通りかもしれないが、ほぼ裸一貫で旅に出ても、さきに述べた旅行先の情報もバッグパックも着替えも洗面用具もスマホも、すべて旅先で調達できるのでなんら問題はない(そういえば以前、スーパーのビニール袋にすべての私物を入れて旅をしていた日本人の噂を小耳に挟んだことがある)。
 身もふたもないことを言えば、必要なのは、パスポートと時間とお金だけ。
 ただそれゆえ、ぼくのような貧乏バックパッカーの場合は自由な反面、倹約しなければならないのでどうしても苦労が多くなる。
 今回も格安航空券だけあって、移動はなかなか難儀であった。成田空港を夜に出発して中国の成都空港で早朝まで待機、それからウルムチに飛び、そこで一時間ほど待機してカシュガルへ。およそ丸一日がかりの大移動。
 さきの気取った冒頭は、経由地である成都空港での一幕であった。
 そういうわけで、ひと通り説明もしたことだし、このあたりで冒頭の「旅をする石川宗生」にむりやりつなげてみよう。

 そりゃっ、連結!

 5月9日正午過ぎ、カシュガル空港到着。
 中国新疆ウイグル自治区、そのなかでもほぼ最西端に位置するここカシュガルは中国にあって中国の雰囲気はかぎりなく薄く、ウイグル族が人口の大半を占めるイスラム教圏というのが魅力のひとつ。
 空港から出ると、すでにしてそこらじゅうに異国情緒が漂っていた。人びとの顔は漢族とくらべ若干彫りが深く、肌は浅黒い。若者の服装はジーンズやシャツなど現代的だが、高齢の男性は刺繍帽をかぶり、長いあごひげを蓄え、妙齢の女性は色鮮やかなスカーフをかぶっている。空気はからっとしていて、そよぐ風は砂まじり、標高は1000メートル超と高いため日差しが強い。
 キター!
 と、思わず顔文字でも使って叫びたくなる高揚感を抑えながら、ひとまず市街地への交通機関探し。
 タクシーは割高だしどうしようかな、と空港のゲート前をうろうろしていたらなんなく市街地行きのシャトルバスを発見。見た目はふつうのミニバンだが、ケータイサイフみたいな機能が備わっており、地元民らしき人びとがスマホをピッとかざして乗車している。さすがは飛ぶ鳥を落とす勢いの中国、こんな辺境でもかなり最先端。
 シャトルバスは10人ほど乗り込んだところで出発。
 約15分後、エイティガール寺院前の広場で下車。
 カシュガル最大の見どころ、エイティガール寺院は中国最大のモスクで、荘厳にそびえたつ幾何学模様の門とミナレットが美しい。寺院前の広場にはメリーゴーランドやら小さな観覧車やらがあって、記念撮影用のラクダやウマまでいる。お土産物屋が軒を連ね、たくさんの家族連れやカップルでにぎわっている。いちおう日本外務省の危険情報でここカシュガルはレベル一に指定されているが(2017年5月時点)、眼前の光景はどことなくディズニーランドのよう。

写真1_エイティガール寺院前の広場.jpg  みんな大好きトゥーン・タウンにでもいるようなルンルン気分でそこらをすこし歩きまわったあと、インターネットで目星をつけておいた、パミール・ユース・ホステルを探した。
 現代の旅人ともなると、オフラインでもGPS機能だけで使用できる地図アプリを見ながら目的地に向かうのが定石なのだが、ぼくのポンコツスマホは現在位置をまるで認識せず、反復運動みたいに行ったり来たりしながらどうにか到着。
 エイティガール寺院裏の路地に建つ雑居ビル。1階はおいしそうなにおいが漂う中央アジア版バーベキューのシャシリク屋さん、2階が金細工のお店で、3階のさびついた鉄扉の向こうにホステルはあった。
 ロビーでは中国人らしき20代ぐらいのメガネ男子と、これまたメガネをかけた中国美人が、欧米の刑事ドラマを食い入るように観ていた。クッションがいくつも置かれた赤い絨毯の上では大型の雑種犬が横になり、10匹ぐらいの子犬がお乳にたかっている。
なにこの牧歌的な風景。
 キツネにつままれた気分で立ちつくしていると、「あなた、日本人でしょ?」とメガネの中国美人が挨拶も抜きに話しかけてきた。なんで分かったのと訊き返すと、「こんなの履いてるの日本人しかいないもの」とぼくの草履を指さして微笑む。
「服装も」男の子がぼくを上から下まで眺めながら続けた。「黒のチノパンに芥子色のカーディガン。長い髪の毛といい、どう見たって中国人じゃないな」
 あぁなるほど。
 いや、それよりも、ニーハオ。

 さて、男の子の名前はアイコ。女の子はツィツィ。アイコはホステルの従業員で、ツィツィはここの長期宿泊者なのだという。
 さっそくアイコにドミトリーに案内してもらった。
 ドミトリーとは共同寝室のことで、男女混合と男女別の二種類があり、二段ベッドが四つか五つ並んだ八人部屋や10人部屋が主流。シングル・ルームは値段が張るため、お金のない長期旅行者はだいたいこういうところに泊まることになる。
 ここのドミトリーは男性専用の八人部屋の場合、1泊約800円。ひと気ないものの、いくつかのベッドのシーツは乱れ、床には口の開いたバックパックが無造作に置かれている。
 ぼくは空いていた下段ベッドの前にバックパックを下ろし、シーツの上にカーディガンや充電器のコンセントを置いて、後続の宿泊客に取られないようこれがぼくのベッドだということを示しておいた。
 ちなみに、さきの「旅をする石川宗生」の風貌に関するアイコのコメントを補足しておくと、移動中はいつも背中に大きな黒のバックパックを背負い、お腹のほうに小ぶりの黄色いリュックサックをかけている。つまりはサンドイッチのような恰好で、この場合バックパックとリュックサックがパンに、ぼくがレタスなりハムなりツナなりに相当する。
 バックパックには主に洋服や洗面用具などの生活用品を、お腹側のリュックサックにはノートパソコンのほか、イヤホンやウェットティッシュや本など頻繁に使うものを入れている。
 貴重品はマネーベルトという洋服の下で腰に巻く薄いウェストポーチに入れており、シャワー時以外は肌身離さずつけている。その中身を具体的にいうと、パスポート、国際キャッシュカード1枚(現代ではどこの町にもたいていATMがあり、簡単に現地通貨を引き下ろせる)、クレジットカード1枚(航空券や宿の予約をはじめネット上での購入に必須だし、国際キャッシュカードの予備にもなる。クレジットカードはもう1枚あるが、リスク分散のためこちらは財布に入れてある)、予備の現金300USドル(リスク分散のためリュックサック、バックパックにも別途少額を忍ばせてある)など。つまりは未来の強盗犯に朗報、移動中のぼくを襲えばもれなくこれらすべてを入手できるわけだ。
 そして町なかに繰り出す際は、防犯のためベッドの脚などにロックワイヤーでバックパックをくくりつけ、小さなリュックサックだけを背負うのである。

 そんなバックパッカーの基本原則に従って「旅をする石川宗生」はロックワイヤーでベッドの脚にバックパックをくくりつけ、リュックサックを背負ってロビーに戻った。アイコとツィツィはその場に突っ立ったまま、いまだテレビに夢中になっている。刑事ドラマはどうやら解決編に入っているようでふたりの目は真剣そのもの。
 邪魔するようで申し訳ないなと思いつつ、アイコに次の目的地であるパキスタンまでの行き方を訊いてみた。あらかじめネットで情報を調べ、おおかた把握していたが、念のため確認しておきたかったのだ。
 だが、アイコは淡々と言い放つ。
「つい数日前にルールが変わって、個人旅行だと、パキスタンどころかタシュクルガンにも行けなくなったんだよ」
 んん?
 ……いや、英語を使うのも久しぶりだし、きっと聞き間違いだろう。
 半ば祈るような気持ちでもう一度尋ねてみるが、「残念だけど、無理なんだ」とアイコはきっぱり言う。「行きたいなら、政府から許可証を取得するか、個人ツアーを組んでガイドを雇わないといけないんだよ。じっさいに昨日、シンガポール人の旅行者がきみとおなじようにタシュクルガンに行こうとして、検問所で追い返されて戻ってきたんだ」
 テレビに映る事件の真相を知った主人公さながら、絶句。
 要約すると、パキスタンに向かうには、ここカシュガルから南へ五時間ほど進んだ町タシュクルガンへバスか乗り合いタクシーで行き、そこからさらにパキスタン・ススト行きのバスに乗り換えなければならないのだが、いったいぜんたいどういうわけかタシュクルガンに向かうにはツアー・ガイドを雇うか、中国政府から許可証を取得する必要があるという。
 しかし個人ツアーは数万円の費用がかかるので、貧乏バックパッカーにとっては絶対に無理とは言わずとも、まあ無理。また、正式に許可証を取得するにしても何日かかるか分からないし、それ以前に取得できるのかも定かではない。そんな不確定要素だらけの許可証のために、旅の出発点であるカシュガルで何日も浪費したくない。
 元々、中国―パキスタンの国境は規則がころころ変わることで有名であった。
 つい数年前までは国境でパキスタン・ビザを取得できたらしいが、現在、旅行者は国籍問わず自国でしか取得できないことになっている。そのためぼくも事前に日本のパキスタン大使館でビザを取得してから来たのだが、まさか国境前のタシュクルガン行きでつまずくことになるだなんて思いもしなかった。ってか、そもそも数日前に規則が変わるってどんだけ運がないのよ……。
 テレビに映る、追い詰められた真犯人さながらうつろな目でぶるぶる震えるぼくを見て、アイコがすまなそうに続ける。「さっき話したシンガポール人がいまここの姉妹店のホステルに泊まってるから、詳しいことは彼に訊いてみればいいよ。ぼくも19時に仕事が終わるから、そのあとで良かったら一緒に行ってあげるよ」
 メガネの奥にきらりと光るつぶらな瞳。
 不意の優しさにこころ打たれ、刑事の主人公に同情の言葉をかけられた犯人さながら、なんだかぼくまでやってもいない犯行を自供したくなる。

2.
 約束の一九時まで町ぶら。ついでに、パキスタン行きの情報を集めるべくトラベル・エージェンシー探し。
 カシュガルの市街地は人民東路を境に、北側がウイグル族、南側が漢族居住区と分かれている。
 南側は典型的な中国の近代都市で、電器店やブランドショップのならぶ通りから巨大なショッピングモールまであり、一角には高さ一〇メートルはあろうかという毛沢東の銅像がそびえたっている。
 かたやウイグル人の住まう北側の地区は土色の建物がところ狭しと軒を連ねており、洋服店やレストランの看板はにょろにょろとしたウイグル語が目立つ。小径に入れば、昔ながらのこぢんまりとした商店があり、小さな市では色とりどりの香辛料や青果が売られていた。
 まずは、さきに言及したエイティガール寺院へ。
 正直に言うと、礼拝所自体はあまりこころ惹かれなかったが、周囲に広がる静謐とした庭園が素敵で、緑の木々に囲まれた小径を歩いているだけで心地よい。まわりでは地元民が談笑し、カップルらしき男女が散歩している。
 ベンチに腰かけていた老人と目が合うと、彼は左胸に右手をあて、にこっと会釈してきた。その動作は文字通りこころからの謝辞のようで、なんだか胸キュン。
 ややあって礼拝の時間になり、地元民がぞろぞろ集まってくる。この時間帯、観光客は立ち入り禁止なので外に出てみると、寺院前の広場にはデモやテロが起こった場合に備えてか、銃を携帯した軍人がたくさん集まっていた。
 職人通りへ。
 大勢の人が行き交う賑やかな小径では大釜でナンが焼かれ、香ばしいかおりが漂っている。花のような文様の入った円盤形のナンは、壁に飾りたくなるほど美しい。

写真2_ナン屋さん.jpg 銅細工店では、大人の背丈ほどもある水差しからチャイ用の茶碗まで銅細工がずらりと並び、職人たちがトンカントンカン金槌を振るっている。これにどこからともなく流れてくる民族楽器の調べが混ざり合って、異色の即興演奏に様変わり。その音色に鼓膜を打たれているだけで、心も身体もトンカントンカン異色のリズムで揺れ動く。
 道行く地元民に白い目で見られながら、旧市街へ。
 面白いことに、カシュガルには「オールド・タウン」と「オールド・オールド・タウン」なるふたつの旧市街が存在する。
「オールド・タウン」は中国政府の息がかかった観光地で、建物はおおよそがここ数十年のあいだに改装・修復されたものらしく、こぎれいなお土産物屋やカフェが並び、中国人観光客のグループがそこらじゅうで写真撮影をしていた。フード・スタンドのひしめく一角には、シャシリク屋からヤギの頭がかざられたヤギ料理屋、そしてダチョウの卵にウズラだとかニワトリだとかいろいろな卵を混ぜ合わせて焼く、カシュガル名物のスタミナ料理屋もあった。
 だが大通りから一本外れると庶民的な風景が広がり、肉屋の店先には皮をそがれたヒツジがぶら下がり、少年たちがサッカーをしていた。小さな広場で遊んでいた子供たちにはなぜかやたらと「高い、高い」を要求されたので、精根尽き果てるまでかわりばんこに「高い、高い、もうすんごい高い!」。
 かつてない腰痛にさいなまれながらとある角を曲がると、年端もいかない少年が道ばたでヤギの血を抜いていた。
 血に染まったナイフを片手に持ち、もう一方の手でヤギの首元あたりを地面に押さえつけている。首から流れ出る鮮血は、すぐそばの排水溝へ流れゆく。血の量からしてナイフを入れてからある程度時間が経過しているのだろうが、ヤギは力なく口を開け、小刻みに痙攣していた。親御さんがいないこと、その慣れた手つきから顧みるに、この行為は少年にとってなんでもない日常の一幕なのだろう。
 ほんの数秒、足を止めてしまったが、凝視するのははばかられたので見ていない振りをして素通り。
 そんな新旧の風景が入り乱れる「オールド・タウン」とは対照的に、「オールド・オールド・タウン」は一時代前の土レンガ造りの建物が大半であった。いちおう観光客向けの伝統的な陶器屋やお菓子屋もあるものの、区画全体は時の流れに置き去りにされたように風化しており、半壊した民家もあれば、完全に崩壊した家の跡地も残っている。この区画のすぐとなりには観覧車のある緑豊かな公園が広がっており、「オールド・オールド・タウン」の荒廃ぶりがなおのこと際立っている。

写真3_オールド・オールド・タウン(2).jpg 小径はくねくねと入り組んでおり、角をいくつか折れただけで、自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。
 文学的に言うと、その方角の消失は、そのときのぼくの心情のメタファーでもあった。  果たしてぼくはパキスタンに行けるのか。
行けないとしたら、次はいずこへ?
 カシュガルは見どころいっぱいであったが、なにを見ようと頭のなかは不安でいっぱいで、どうにもこころの底から楽しめない。

 パミール・ユース・ホステルへの帰りしな、やっとこトラベル・エージェンシーを見つけたので飛び込んだ。
 スーツすがたの若い男性に事情を話すと、「そんな話は聞いたことないな」とぼくを安心させるように破顔一笑し、バス会社に電話して状況を確認してくれた。
 それによると、現在のところタシュクルガンへの個人旅行が禁止されたという情報は出ていないし、タシュクルガン行きのバスも通常通り運行しているのでそれに乗ればいいとのこと。
「とりあえずよけいなことは考えないで、バスに飛び乗ってみればいいよ。ダメならダメで、また引き返してくればいい。そのときは、わたしがガイドでもなんでも安価で手配してあげるから」
 なんて度量の大きな提言。
 去りぎわ、左胸に右手をあてながら、せめてものお礼にコーヒーでもおごりますと申し出たが、彼はかぶりを振った。「これも仕事の一環だからね、気にすることないよ。それよりも、いまはカシュガルにいるんだから、カシュガルをめいっぱい楽しんで欲しい。またなにか困ったことがあったら、ここに電話しなさい」
 小さく笑って、名刺を渡してくる若き紳士。
 その優しさに胸キュンキュン、またもやありもしない罪状を告白しそうになる。

 19時、アイコに連れられオールド・タウン・ホステルへ。
 古めかしい白うるし塗りの二階建てで、姉妹店であるパミール・ユース・ホステルよりも歴史が長い。広々とした吹き抜けの各所に置かれた長椅子や絨毯では、大勢の外国人旅行者がくつろいでいた。
 アイコが紹介してくれたシンガポール人はたくましい体つきのモヒカン頭の若者で、長椅子のひとつに腰かけ、パソコンでなにやら作業をしていた。事情を尋ねると、やはりタシュクルガンに行こうとして、途中の検問所で追い返されたとのこと。
 さっきトラベル・エージェンシーで聞いた情報を繰り返すが、「悪いけど、おれにもよく分からないな」と目を細める。「詳しいことは、レセプションにいるスキンヘッドの従業員に訊いてみればいいよ。彼ならいろんなことを知ってるから」
 このヒント集めのたらいまわし感、なんだか昼間アイコたちが観ていた刑事ドラマのような様相を呈してきた。
 めげずにレセプションへ。
 シンガポール人の彼が言っていた従業員は、青々とした頭のそり跡が愛らしい、どことなくアニメの一休さんを彷彿とさせる小柄な若者だった。日本のアニメから日本語を学んだらしく、ぼくが英語で質問しても流暢な日本語で返してくる。
「たしかにタシュクルガンには個人ガイドを手配するか、グループツアーじゃないと行けないね」
 ここでさらっと新情報。「え、グループツアーでも行けるんですか?」
「もちろん。カシュガルとタシュクルガンの往復ツアーだけど、その気になれば、そのままタシュクルガンに残ることも可能だと思う。ただグループツアーの場合は、参加者を集めないといけないけどね」
「……ちなみにトラベル・エージェンシーの人は、個人で行くことも可能だって言っていましたけど」
「それは無理だと思う。問題なのは、カシュガルとタシュクルガンのあいだにあるカラクリ湖なんだ。カラクリ湖の近くに軍事施設があって、その関係でいまは外国人の個人旅行が禁止されてるんだよ」
 はぁ、誰が真実を言っているのかさっぱり分からん。刑事ドラマのお次は『消しゴム』とか『競売ナンバー49の叫び』とか『燃え尽きた地図』とか、ある種の疑似ミステリでも読んでいるような気分になってきた。
「……ねぇ、もしかしてきみはパキスタン・ビザを持ってるの?」眉間にしわを寄せるぼくに向かって、一休さんが続ける。
「えぇ、まぁ、ありますけど」
「それなら個人でもタシュクルガンに行けるよ」たおやかな笑みを浮かべる彼。「パキスタン・ビザは、カラクリ湖には行かないという証明みたいなものだから、それさえ提示すればタシュクルガンに個人旅行でも行けるんだ。つまり、さっきのシンガポール人の彼は、パキスタン・ビザがないから追い返されたんだよ」
 えぇと、AがBで、BがCで……。
とんちを言われたみたいで頭がパンク寸前。
「……でも、おかしくないですか? パキスタン・ビザがカラクリ湖に行かない証拠になるっていうけど、それはどうしてです? カラクリ湖はカシュガルとタシュクルガンの途中にあるわけだし、そこに留まることもできるわけじゃないですか。それって、どういう理屈なんです?」
 一休さんは首をかしげる。「きみの言うことも分かるけど、しょせんお役所仕事っていうか、規則ってそういうものなんじゃないかな……? どっちみちたしかなのは、パキスタン・ビザを持ってるかぎり、きみは個人でもタシュクルガンに行けるってことだよ」
 うーん、なるほど。
 いくら追求しても埒があかないし、とりあえずは一休さんのありがたいお言葉を信じることにして、行くだけ行ってみることにしますか。
 まぁ、なんとかなるだろ。

 カシュガルの日の入りは遅い。この季節は、21時ごろになってようやく日が傾いてくる。
 パミール・ユース・ホステルのテラスでみかん色に染まった街並みを眺めていると、宿泊客が三々五々に戻ってきた。さきのオールド・タウン・ホステルとは違い、ここの宿泊客はぼくをのぞいて全員が中国人であった。
いちばん仲良くなったのは、中国国内を半年ほど旅しているというモリくん。中国語の本名はまったく違うらしいのだが、日本人に言ってもぜんぜん覚えてもらえないため、モリと名乗っているらしい。
 じっさい日本の80年代のアイドルみたいな目鼻立ちをしており、ぼくが日本人みたいだと言うと、「ほかの観光地でも、いろんな日本人に日本語で話しかけられたよ」と笑いかけてきた。「そのおかげで日本人の女の子ともいっぱい知り合えたし、ある意味、この顔に生まれて良かったと思ってるけどね」
 話を聞けば、奇遇にもモリくんはすでにタシュクルガン行きの許可証を取得しており、明日にも一緒に行こうとさそってくれる。さらにはほかにも許可証を取得している中国人旅行者がいるようで、モリくんの呼びかけによって、瞬く間にタシュクルガン行きのメンバーが集まった。
 ひとりはドォタンという愛想の良い若者で、英語がほとんど通じないため素性は不明だが、絶え間ない笑顔からとにかく良いやつだということだけは伝わってくる。
 もうひとりはスーヤちゃんという童顔のかわいらしい女の子で、以前、ここのホステルで知り合った日本人の旅人に恋心を抱いているというエピソードを披露してくれた。その想いの強さはただ聞いているだけで胸がキュンキュンキュンしてしまうほどで、しかし裏を返せば非常に残念なことに、恋愛面においてぼくがつけいる隙はまったくない。
かくてさまざまな想いが交錯するなか、アイドル顔のモリくんをリーダーに据えた旅行グループ「チーム・タシュクルガン」が結成。
各メンバーと相談した結果、4人でシェアすればバスと値段がさほど変わらないため、乗り合いタクシーでタシュクルガンに向かうことに。不安要素が多かったので、中国人旅行者と一緒に行けるのはなんとも頼もしいかぎりである。

 宵闇が立ちこめはじめたころ、テラス席には「チーム・タシュクルガン」に加え10名ほどの宿泊客が集結し、各自が持ち寄ったお酒やつまみで自然と大宴会がはじまった。
 ぼくが唯一の外国人ということで、みんながビールやらつまみやらタバコやらを惜しげもなく振る舞ってくれる。中国語しか話せない人もスマホの翻訳機能で英語に翻訳し、これまでに訪れた旅行先や旅先での出来事、そして出身地から家族構成まで、今後家族ぐるみの付き合いをするつもりなのかと思ってしまうほどつぶさに教えてくれた。
 興味深いことに、彼らのほとんどは仕事を辞め、国内外を長期旅行している20代の若者だった。日本人の長期旅行者も大半は仕事を辞めてから旅に出るのが相場と決まっているが、そういった波が中国人のあいだでも押し寄せているのかもしれない。
 いろんなことを語らったが、とりわけ盛り上がった話題は、そう、日本のAV女優についてである。男性諸君の知識は膨大であり、日本でもおよそ知られていないようなAV女優の名前まで引き合いに出し、一人ひとりていねいに画像つきで解説してくれた。
 ことに中国で絶大な人気を誇るのは、言わずとしれたセクシーアイドル蒼井そら。
 中国語読みは「ツァンジンコン」らしく、酩酊の果てに、なぜかみんなしてアメリカ合衆国の応援「ユー・エス・エー!」のリズムで唱え叫ぶことになった。
「ツァン・ジン・コン!」
「ツァン・ジン・コン!」
「ツァン・ジン・コン!」
 カシュガルの夜空に響きわたる蒼井そらの名。
 道行く人びとはさぞかし首をかしげたことだろう。
 そのさなか、数少ない女性陣はあきれてスマホをいじりだす。こういう光景は日本も中国もさほど変わりない。
 宴もたけなわになると、誰かがスマホで中国のポップソングをかけだし、ゆったりムードが流れ出す。矢継ぎ早に会話の内容も急転換して、日本と中国の関係や政治、新疆ウイグル自治区における中国政府の介入など、いたってまじめな話がはじまった。その語り口はけっこうさばさばしており、現政権の批判も平然とするし、過去は過去と割り切っているふしもある。
 個人的に興味があったので、中国によるチベット侵攻についても突っ込んで尋ねてみたが、かつてグルメ・レポーターをしていたという男性は「あれはやり過ぎだよな」とあっさり答えてくれた。「じっさいおれたちの生活は豊かになってるし、その点にかんしては文句ないんだけど、政府もやり方にはもっと慎重さを期す必要があると思うよ」
 だが無論、こういったホステルに泊まるぐらいの若者だから、もとよりリベラルな思想の人びとがたまたま集まっている可能性もある。
 現に、あとでモリくんとふたりきりになったとき、彼もこっそり言ってきた。「いまだってマオを崇拝してる人たちは五万といるんだよ。考え方は人それぞれだけど、ぼくから言わせればちょっとクレイジーだよね」
 思いがけず、中国の表と裏を垣間見た一夜であった。

3.
「ムネ、起きろ! ムネ!」
 目の前に、シブがき隊のメンバーみたいな二枚目が。
 と、思ったら、ああ、モリくんか。
 時刻は朝の7時過ぎ、着の身着のままバックパックをかついで、モリくんに続いてホステルを出た。
 乗り合い専用のタクシー乗り場に向かうのかと思いきや、スーヤちゃんとドォタンが電話でタクシーを呼んだそうで、道ばたにはすでに1台の乗用車が停まっていた。スーヤちゃんやドォタンは朝方まで飲んでいたらしく、いまにもぶっ倒れそうな千鳥足でバックパックをトランクに積んでいる。
 寝ぼけまなこの「チーム・タシュクルガン」を乗せたタクシーが走るのは、中国新疆ウイグル自治区とパキスタンのギルギット・バルティスタン州を結ぶ舗装道路、カラコルム・ハイウェイ。
 市街地を出て30分と経たないうちに、さっそく検問所に差しかかった。タクシーを降り、軍人のいる窓口で、はじめにモリくんら3人が証明書らしきものを、つづいてぼくがパスポートを提示する。
 緊張の一瞬。
 だが案の定というべきか、許可証のことを訊かれた。「パキスタンに行く予定です」とパキスタン・ビザを見せるが、英語があまり通じないのか「許可証は?」と何度も強い語気で訊き返される。
 うぉい、やっぱダメじゃん!
 慌てふためいていると、モリくんがすかさず引き返してきて、中国語でなにやら助け船を出してくれた。軍人らは顔を見合わせ、手短に言葉を交わすと、行っていいとパスポートを突き返してくる。
 検問所から十分に離れたところで、モリくんが小声で言う。「大丈夫だよ。なにかあったらぼくが助けてあげるから」
 キュンキュンキュンキュン。
 今回の「中国編」を通じて大きくなっていった胸の高鳴りが、スーヤちゃんとかではなくこともあろうかモリくんに対して最高潮に。
 事実、その先でも検問所がいくつかあったが、そのたびにモリくんが付き添い、強面の軍人に対して堂々と、この日本人はパキスタンに行くのだと説明してくれた。マジでありがたし。モリくんが日本に来たときには中国に帰りたくなくなるほどの竜宮城的な酒池肉林を用意しよう、とひそかに誓う。
 途中、休憩所にてお茶で煮たという薄茶色のゆで卵を食しつつ、1、2時間ほど走ると、だんだん緑が少なくなり、くすんだ色合いの山間に入っていった。遊牧民の伝統的な移動式住居ユルタがちらほら出現し、そこここでヤギやヒツジが放牧されている。
 荒涼とした山々を背景に、とつじょ透きとおった広大な湖がすがたを現した。

写真4_湖.jpg 旅あるあるのひとつ。
 テレビやガイドブックで見慣れた有名な観光名所よりも、道中の名もなき景観のほうが感動したりする。
 この湖がまさに好例で、ぼくらはタクシーを停めてもらい、ここぞとばかりにシャッターを切りまくった。
 かたや名所として知られるカラクリ湖は、湖畔に草木がまばらに生え、ユルタが建っているぐらいで、さきの壮麗な湖を見たあとでは目を引くものもあまりない。ぼくらは4人とも惰性的に写真撮影してそそくさとタクシーに戻った。
 それにしても、オールド・タウン・ホステルの一休さんはカラクリ湖あたりに厳重な警戒が敷かれているようなことを言っていたのに、ここにかぎっては軍人がひとりもいない。
 いったいどうなってんの。

これが本格ミステリ小説だったら炎上必至だが、最後までなんだかよく分からないまま13時ごろ、平穏無事にタシュクルガン到着。
 タシュクルガンはいわば中国の最果て、標高はすでに3000メートルを超えており、日中でも風が吹いたり日が陰ったりするとかなり肌寒い。町の規模は小さく、中心地の建物もうらぶれており、「灰色の町」といった印象を受ける。だがその一方で、近年は開発が著しいらしく、郊外には建設中の高級ホテルやレストランも散見された。
 お腹ぺこぺこのぼくら四人は、ユースホステルにチェックインしたあと、近くの中華料理屋で打ち上げめいたお食事会を開いた。白米のほか、空心菜やら豚肉の炒めものやら大皿をいくつか注文し、箸でつっつくという中国式。会話も弾み、こころも弾み、「チーム・タシュクルガン」というより「ファミリー・タシュクルガン」みたいでとても楽しい。
 そんな一体感が芽生えてきたところたいへん残念だが、ここで「ファミリー・タシュクルガン」は早くも解散。
モリくんはこのままチベット自治区へ入り、スーヤちゃんは2、3週間ほどタシュクルガン近辺でぶらぶら、ドォタンは数日したらカシュガルに戻る予定だという。よくあるバンドの解散理由にも似た、文字通りの「方向性の違い」によるお別れだ。
 昨晩は夜遅くまで騒いでいたので、この日はホステルのコモンルームにあったビリヤードですこし遊んだり、併設のバーで軽く飲んだりしただけで、みなすぐにベッドに入ってしまった。
 そして明くる日の朝、モリくんがパキスタン・ススト行きのバス停(中国側の国境検問所でもある)まで見送りに来てくれた。
「いつか日本に行くから、きみもまた中国に来いよな」
 やわらかな微笑とともに手を差し伸べてくるモリくん。
 かたい握手を交わしながら、ふと思ってしまう。
 そういえば、自分が旅をしていると実感するのはいつもこういう別れのときだったな。「また会おう」という日本だったら現実的な言葉も、異国ではひどくたよりなく感じてしまう。旅はそんな儚い約束の連続で、果たせた約束より、いまだ果たせぬ約束ばかりが増えゆく。
 でも、中国と日本は近いし、モリくんとはいずれまた、きっと。

 一切合財の想いを乗せて、バスは標高約4700メートルの世界一高い国境を目指す。  ふつうであれば高山病に戦々恐々とするところだが、これまでの道中ですでにひとつ、ふたつ大きな山場を越えた気になっていたので、物理的な4700メートルなんて余裕しゃくしゃく。
 そんな気持ちでのらりくらりしていたら、その日の晩にはパキスタン・スストの宿であえなく高山病にかかり、ベッドに沈み込んだのであった。

(つづく) 

■ 石川宗生(いしかわ・むねお)
1984年千葉県生まれ。米大学卒業後、イベント営業、世界一周旅行、スペイン語留学などを経て現在はフリーの翻訳家として活躍中。「吉田同名」で第7回創元SF短編賞を受賞。2018年、同作を収録した短編集『半分世界』で単行本デビュー。