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マキューアンが出てきた
【マキューアンが出てきた】311の揺れたときに本棚の本がにょーんと出てきたのですが、なぜかマキューアンの『贖罪』とか、変態っぽい本(?)ばかり前に出てきていたので、なんだか気になってまだそのままにしてあります……。(桜庭撮影)

5月1日

「この戦争が終わる前に」と、ウォルターは言った――「カナダじゅうの男も女も子供も一人残らず戦争を感じるようになるだろう――メアリー、君も感じるようになるよ――骨身にこたえて感じることになるだろう。戦争のために血の涙を流すことになるのだ。笛吹きがきたのだよ――世界のすみずみまでその恐るべき拒むことのできない笛の音が渡るまで笛吹きは吹きつづけることだろう。死の舞踏が終わるまでには何年もかかるだろうよ――何年もだよ、メアリー。そしてその年月がたつうちに何百万もの胸が張り裂けることだろう」
「まあ、驚いた!」
 と、メアリーは言った。

――『アンの娘リラ』


 なんだかうそみたいだけど、もうGWだ。
 近所の土俵公園(なんとまだ土俵があるので、このままずっとあるのかもと思ってこっそりそう呼ぶようになった……)のベンチに座って、好物のポンジュースをかたむけながら、新緑を眩しく見上げてみたりしている。
 連休中の公園には、走り回る子供たちがあふれている。
 と、男の子を連れたお父さんの真面目な声が聞こえてきた。ふっと耳を澄ます。

父親「おまえもな、小4だろ。これから小5、小6とあっというまだからな。ちゃんと勉強しないといけないぞ。だから、まずはな……」

 ふんふん、とうなずきつつ、しかし息子の返事がいっこうに聞こえてこないので、顔を上げる。ワッ、びっくりした!! お父さんは右手と左手の人差し指で、けっこうな激しさで両の鼻をほじりながらお説教を続けていた。息子は聞き流していた。
 日が、ゆっくりと傾いてきた。土俵公園のベンチから立ちあがる。喫茶店によって、今日の分の原稿を読み直したりあれこれチェックをした。それから、またぷらっと店を出て、うちに帰った。
 4月の後半ぐらいからかな、とつぜん前と同じようにどこどこどこーっ……と本が読めるようになった。すると、書き始めた『GOSICK VIII』の原稿も、とたんに飛ぶように進みだした。
 どうも、やっぱり、書く→読む→書く→読むというサイクルが自分には大事だったみたいだ。とはいえ読書傾向は、戦争の本、にやけに偏ってる。いまの状況を、脳のどこかで“戦争状態”と変換しているのかもしれないし……。各出版社が、品切れになっていた関東大震災や三陸海岸の津波、原発問題についての本に重版をかけたり復刊したりして、微妙に関係ありそうな本(『地震がくるといいながら高層ビルを建てる日本』とか『身近なもので生き延びろ』『黒い雨』とか)が書店にダーッと並んでいるけれど、気になりつつ、どうしてもまだそれは手に取れないので……。代価行為なのかもしれない、とも思う。
 この日は、夜、寝転がって、小学生の時に読んだきりだった『赤毛のアン』シリーズの最終巻『アンの娘リラ』を開いた。2008年に100周年を迎えて、新潮文庫から新装版になっていたらしい。
 じつはアンシリーズは、どえらく長い大河小説でもある。ちいさな孤児としてプリンスエドワード島にやってきたアンに、家族ができて、友達ができて、初恋、進学、家族との別れ、就職、結婚、出産、また出産、なんと子供6人……と、島のあちこちに移転しつつ進んでいって、最終巻では、思春期を迎えた末娘リラを語り手に、第一次世界大戦に翻弄される市井の人々の姿を描いている。子供のころは、最終巻だけとつぜん戦争の話になっちゃって、そこはあまりピンときていなかったのだけど……。いま読むと、市井の人々の動揺や、助け合い、誇り高い行動と、恥ずべき隣人への糾弾、いろんなことが、いっそこわいほどのリアリティで、真っ黒な虫の大群みたいに頭の中にぐんぐんぐんぐん飛びこんでくる。
 前巻『虹の谷のアン』のエピローグで、まだ幼かったアンの子供たちが遊ぶ虹の谷で、ちいさな詩人たる次男ウォルターが見た“笛吹き”の幻。そのおそろしい音色がこの巻すべてに響き渡っていて、それぞれの大事な人たちがまたたくまに戦地に去ってしまう。むじゃきでわがままな子供だったはずのリラは、おそるべきスピードで大人に変わっていく。苦しみが少年少女たちの成長促進剤になったのだ。その姿を誇りに思いながらも、母のアンは、じっくりと時間をかけて大人になっていった、とてつもなくのどかだった、かつての自分の青春時代と比べて、心を痛める……。
 アンは語る。

「あのグリン・ゲイブルズの時代から何百年もたったような気がするわ」
「あの時代は全然別の世界よ。戦争という間隙のおかげで人生は二分されたわけね。この先どんなことが待っているのかわからないけれど――でも、過去とはまるっきり違うでしょうよ。わたしたちのように半生をもとの世界で送った者が新しい世界になじめるかしらと思うわ」

 このアンの畏れと、ミス・オリバー(先生)の、

「お気づきになりましたかしら、戦争前に書かれたものもみな、今からかけはなれたものに思えるじゃありませんか? まるで大昔のイリアッドの時代のものを呼んでいるような気がしますわ。このワーズワースの詩ですわ――最上級の生徒たちの入試問題に出たんですよ――わたし、ざっと目を通したのですけれど。行間に漂う古典的なのどかさと安らぎと美は別の惑星に属するものであり、現在のこの動乱の世界にとっては宵の明星のように関係のないものに思えますわ」

 言葉は、40歳のころに第一次世界大戦を体験したはずの著者モンゴメリ自身のおそろしい実感にも思える。
 一方で、末娘リラと、ついに出征することになった兄ウォルター――家族の中でもとくべつ仲良しの若い二人は、思い出の立ちこめる虹の谷で、ひっそりと、不安とともに確かな希望の薫る、こんな会話を交わしていた。

「あたしたち――もととおなじようには――幸福になれないわ」
「そう、もととおなじようにはね。この戦争に関係した者はだれももととおなじふうな幸福にはなれないだろうよ。しかし、よりよい幸福だと思うね、リラちゃん――僕らがかちえた幸福だもの。戦争前の僕らは非常に幸福だったね。炉辺荘のような家があり、うちの父さんや母さんのような両親があれば幸福にならないわけにはいかないではないか? しかし、あの幸福は人生と愛情の賜物であって、真に僕らのものではなかったのだ。僕らが自分の義務として自分の力でかちえた幸福は人生には奪い去ることはできない。(略)」


 自分の義務として自分でかちえた幸福、というところで、目線が止まって、そのままずっと考えていた。幸福ってなんだろう。与えられた幸福、そしてかちえた幸福……。しかし不幸だってそうだ。
 昔、読んだときは「オチが面白いなー。大河小説のラストがあえてこの一言だなんて……」と思ったぐらいなんだけど、いまはなぜか、モンゴメリの体験した嵐が、本を持った自分の周りで時を超えて吹き荒れて、さまざまなものの粒が膚に直接、降ってくるようだった。そして、この体験を描きながら、あくまでも“娯楽小説”の枠内にきちんと立っていることの、その決死のバランス、著者の放出した気力体力に畏れを感じた。
 そして、わたしは作中人物ではなく、読者だから……不遜なことに、結末を知ってる……。この中に一人、死んでしまう人がいると、神のように卑小に未来を知ったまま、シリーズの中でも高い人気を誇るはずの、ウォルター少年の勇敢で詩的でいまでは失われた言葉と、その後の行動を噛みしめながら……。夜が明けてきたので、布団にもぐって寝た。
(2011年6月)


桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『荒野』『ファミリーポートレイト』『製鉄天使』『道徳という名の少年』『伏-贋作・里見八犬伝-』『ばらばら死体の夜』、エッセイ集『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記』『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』『お好みの本、入荷しました 桜庭一樹読書日記』『本に埋もれて暮らしたい 桜庭一樹読書日記』など多数。


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