8月某日

「私、最後におじさんに聞いたの。『今、一番したいことってなんですか』って」
 おじさんはこう言ったわ。
「わたしが今いちばんしたいのは、晴れた日曜の朝、自分が所有している小さな庭に立って、植木に水撒きをすることです」って。
 その光景は僕の脳裏に、リアルな映像としてすっと映った。ホースを持って、三本の指で幸せそうに水撒きをする布団敷きのおじさん。
 ぼくは、こぶしでテーブルを強く叩いた。

――「告白」


でも、僕の考えでは、食べ物はおいしいか、おいしくないか、おもしろいか、おもしろくないかのどっちかです。

――『英国一家、日本を食べる』

 新宿から京王線に飛び乗って、調布へ。
 今日は『赤×ピンク』の映画撮影を見学しに、角川大映スタジオに顔を出す日だ。調布駅でK子女史と落ち合い、ばたばたとスタジオへ。角川の井上社長も合流。
 オクタゴンのセットで女優さんたちがキャットファイト中だった。観客役のエキストラさんたちが大声で盛りあげてる。
 監督と脚本家さんともご挨拶。あとで原作者のコメントを撮影できますか、と聞かれてうなずいた後、

わたし 「あれ、顔大丈夫だっけ(化粧してるっけ)」
K子女史「きれいですよ(天井のライトをやけに熱心に見上げながら)」
わたし 「……」

 という会話があった。
 帰りにご飯を食べて、いま書いてる作品のプロモーションとかの打ち合わせ。
 タクシーの中でシドニー・シェルダン『ゲームの達人』の話題になって、

わたし 「で、おばあさんが言うんですよ。『人生はゲームだ。人はゲームの達人にならなければいけない!』って」
K子女史「ギャーッ」
わたし 「!? なに?」
K子女史「いや、いまライトが顔半分に当たって、決め台詞の瞬間、すごく怖い顔で……」

 ということがあった(なんなんだ……)。
 帰宅して、犬の散歩をして、お風呂に入って、出てきて本を開いた。椰月美智子さんの短編集『未来の息子』。同じ著者の『るり姉』が評判いいと聞いて手に取ったけど、どうもピンときてなくて、「評判とか関係ない! 自分にとってのこの著者のいちばんはべつの本だったはず……くそ、油断した!」と鼻をきかせて探して、たぶんこれだぞ、とカンで選んだのだ。
 表題作は、エンタメとしてとてもよくまとまってる。ふん、ふん……と読んでて、最後に入ってる「告白」が……! 気味悪くて、百�闕Dきなのかなというか、片岡義男がヤバイときみたいなというか、なんとも言えない不気味さで……。友達と温泉旅行に行った彼女の“告白”を聞いているうちに、なんかとんでもない話になってくる……で、最後までよくわからない……でも聞き手の男性にも正体不明のなにかが伝染しちゃう……。やっぱりコレだった! と、満足して、閉じた。いてもたってもいられず、K島氏にシャンプーとコレとあと一冊、なんだったかな、『イワナの夏』かな、さいきん面白かった本についてメールして、まだ時間があるので『英国一家、日本を食べる』という、英国のフードジャーナリストが「異国としての日本」を家族と長期旅行して、懐石料理から、新宿思い出横丁の焼きそば、北海道のカニ、大阪のお好み焼き、博多のラーメンまで、あらゆる日本食に触れてカルチャーショックを受けるという翻訳エッセイを読んで、返事がくる前にいつのまにか気絶した。というか寝た。

(2013年9月)

桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『荒野』『製鉄天使』『ばらばら死体の夜』『傷痕』、エッセイ集『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記』『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』『お好みの本、入荷しました 桜庭一樹読書日記』『本に埋もれて暮らしたい 桜庭一樹読書日記』『本のおかわりもう一冊 桜庭一樹読書日記』など多数。


ミステリ小説、SF小説|東京創元社