4月某日

 満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた。
――『わが悲しき娼婦たちの思い出』


 今この原稿を書いてゐて、三月二十九日の「ノラや」の日が近いことを思ふ。ノラは三月二十九日に出て行つたのだから、三月三十日の朝だつたかもしれない、目がさめて、昨夜ノラが帰つて来なかつたと思つた途端、全然予期しなかった嗚咽がこみ上げ、忽ち自分の意識しない号泣となり、涙は滂沱として流れ出して枕を濡らした。
 今となつて思ふに、その時ノラは死んだのだらう。遠隔交感(テレパシイ)の現象を信ずるも信じないもない。ノラが私の枕辺にお別れに来た事に間違ひない。
 当時の私はまたせ七十歳に成るか、成らずであつたが、その間の数十年来、こんな体験をしたことがない。

――「ノラや」

 この朝、鏡を見たら「へのへのもへじ」みたいな顔になっていた。
 思わず、鏡を三度見する。
 やっぱりへのへのもへじがいた。
 そうか、極度に緊張すると、こういう顔になるのか……。
 昨夜は眠れないまま、今日、対談する相手の映画監督の作品に出てきた『わが悲しき娼婦たちの思い出』を読んでいた。川端康成の『眠れる美女』に触発されて書かれた、ガルシア=マルケス77歳のときの問題作……。じつは未読で、危険な愛のお話だと思っていたけれど、明け方ごろの読後の感想は「内田百��『ノラや』の隣に置こう」だった。それと団鬼六の『愛人犬アリス』のあいだにはさもう。老境の愛……いや、やっぱり“危険な愛”の話にはちがいないか。三冊とも。
 夕方までぼけっとしてて、出かける。あれっ、40分も早く着いてしまった。渋谷BUNKAMURAの地下。
 今日は〈婦人公論〉誌上でのキム・ギドク監督との対談の日だ。もともと先月、アニメ映画『伏』の監督、脚本家、キャラデザ、スタッフさんたちとの打ち上げででろでろになるまで飲んでて、午前五時ぐらいにでろでろで映画の話になって、文春S藤女史に「あれっ、もしかしてギドク監督お好きですか? ちょうど新作『嘆きのピエタ』の日本公開があって、配給会社の人が、推薦コメント書く人を探してて……」「好きですよっ」というやりとりがあって、その後いろいろあって、対談になったのだ。
 めちゃくちゃ緊張したあまり、なぜかパン屋に入って食パンとマフィンを山のように買ってしまった。いったいなにやってんだ。
 対談は(主にむこうのおかげで)スムーズに進んだ。司会者さんが「……と、このように、監督の作品のストーカーのような桜庭さんですが」と言っても、自分含め誰も(編集さんも通訳さんも配給会社さんもル・シネマのスタッフさんも……)違和感がなく、それがそのまま通訳されても(スットッカ、と聞こえた……)監督も普通にうなずいていた。“危険な愛”の狂信的な観客に慣れてるのかな……?
 わたしが思うギドク作品の存在意義は、まだ言葉のない領域にポッカリと浮いているものだ。たとえば、サディズムは、サド侯爵が書いて、そういう名前を持って、嗜好、文化として認識されるようになった。マゾならマゾッホ(毛皮を着たヴィーナス!)。性における変態行為は社会から認識されているけれど、じつは愛にだって、人生にだって、ノーマルと変態があると思う。でもそれにはまだ名前が付けられていない。わたしは愛や人生の変態行為を勝手に“ギドク”と呼んでいる。尊敬と、畏怖と、限りない共感をこめてだ。ギドクはわたしの心の闇のスーパースターなのだ!
 ……というようなことを、ご本人に言えないので壁に向かって蚊の鳴くような声でボソボソ話した。
 いろいろなお話があって、最後のほうでふと、「あなたは生い立ちの苦しみが自分と似ていて、それでそんなに熱心に観てくれるのではないか?」と言われたときに、わたしはきっとその通りだろうと思った。
 そして自分を哀れにも感じた。
 韓国の作品には“情(ジョン)”と“恨(ハン)”が出てきて、情は深く関わってしまった相手と、良くても悪くても縁ができてしまって離れられないこと、恨は深い恨みと悲しみのあまり相手と繋がってしまうこと、だと、思う。たぶんその二つが作品の中に強くあって、わたしは、でも、情はわかるけど、恨はわかっていないかも……日本人にはない感覚なのかも……とまた蚊の鳴くような声で言うと「いや、あなたは、恨もよくわかってらっしゃると思いますよ」と返事があった。
 写真撮影のあいまに、司会者のライターさんが「ねぇねぇ」とささやいた。「桜庭さんは恨を理解している自信がないって言ってたけど、監督の作品へのその執念、こだわり、愛着、それこそが“恨”じゃないですか?」と言われて「……あれっ?」と自分の顔を指さした。ライターさんが頷いている。わからないといってる本人がじつはそれって、すげぇホラーだ……(ゾーッとした。わたし霊感ないのって言いはる幽霊みたい……)。
 帰り、付き添ってくれてた文春S藤女史と、渋谷で巨大パフェを食べながら、女学生二人みたいにあれこれ映画の話をした。ここまで強くこだわる監督というと、S藤女史の場合は「やっぱりケン・ローチですねぇ」とのこと。おおっ。
 帰り、電車に乗ったら、さっきまで天才と話していた、と思ってドッと涙が出てきた。
 そのときふいに、自分のサイン会のとき、過去に二度、目の前に立って、黙って涙を流した女の人がいたのを、思いだした。
 あまりにも好きなもの、心の奥を握りしめてきた創作物は、自分自身の人生といつのまにか分かちがたく結びついてしまって、もはや切り離しては考えられなくなる。わたしは創作物の持つ強大で異常で危険な力を思った。
 そして、どんなに尊敬しているか、どんなに、強すぎてすでに悲しみになってしまった共鳴を抱え続けて生きているか、誰にもぜったいにぜったいにぜったいにわたしの気持ちはわからないし、安易にわかるふりをされたら、その人を殺してやろうと思った。この愛着なのか執念なのか……解決方法もなく、重たい石のようで、抱えてこれからも生きていくしかないものを、誰とも分かち合うべきではないし、もうこれ以上はなにも話したくない、黙ってこの痛みと二人きりでいるのだと思った。
 受け手と創作物のあいだにも、“運命の相手”はいるのだ。“赤い糸”はあるのだ。もちろん小説も然り。
 帰宅して『受取人不明』をまた観始めた。
 それから『アリラン』を観始めた。
『ブレス』も観た。
 夜はどんどん更けていった。
 この夜、わたしは、ついに自覚し、捉えたわたしの“恨”と二人きりで、誰よりも寂しい人間、生ける亡者の如き孤独な観客だった。



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