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10月某日 死人の顔を一度剃ったことがあった。 人の顔を逆さに見ることに何の不思議も感じない職業の私も、この時ばかりは直ぐそれを意識するほど異様に、窪んだ眼孔の先に小鼻の落ちた細い尖った鼻も、黒ずんで歪んだ唇も、偽歯を除いた為めに出来た特別な皺を眉毛にすれば、逆さそのままでまた顔にも見えてくることから、剃刀を持った手がふるえてくるのをどうすることも出来なかった。その時奥さんが、 「お水を持って参りましょうか」 と訊いたが、わたしはその方を振り向きもしないで、要りませんと答えた。死人の顔を剃るのに水をつけると却って剃り難いと聞いていた。 ――『剃刀日記』 | |
嵐が去って、家に寝転がって、ぼーっとしている。 『伏』の映画館での舞台挨拶や、『無花果とムーン』のサイン会、東京と関西の書店訪問(二日ずつ)が終わって、帰京して、バッタリ。 充電中の携帯電話の如く、コタツにまっすぐ突き刺さって、本を片手にうつらうつらだ。 関西のホテルの部屋では、K島氏オススメの仁木悦子の短編集『赤い猫』 あと京都で、担当が同じK子女史のつながりで、綾辻行人さんにごはんご一緒していただいたとき、来年の春に出る、あるミステリーの新人賞を獲った作品が面白いと聞いて……春まで覚えてて買おうと脳内に大きな字でメモしたりした。 しかし、それにしても眠いなぁと、コタツの中で犬に尻をガジガジ齧られながら、ぼーっとしている。 で、一日うつらうつらしながら、関西に出る前にやってて途中になってしまってた「『湿地』と『64』 うん、これ……。面白い随筆……あっ、ちがう、じゃなくて短編小説だな。でも、すごく随筆っぽい……? 先月末の東京の書店訪問のとき、ジュンク堂書店池袋店で書店員の田口さんとお会いして、『64』と高村薫の新刊(『冷血』 小説とはちがうものだと切り替えず、“文学”の書き方のままで書いているもののことかなぁ、というのが、仮の結論、だけど。 で、この『剃刀日記』は、短編小説なんだけど、ほんとうに床屋さんとして働いていた著者が床屋を舞台に書いていて、私小説的な雰囲気で、でも書かれている事柄はおそらく創作であろう短編ばかりで、あぁ、これは……自分が思う随筆っぽい文章そのものだなぁ。 どうしてかな、なにがそんなにちがうのかな、そして、どうしてそういう文章は減ってるのかな……と考えながら、コタツにまっすぐ突き刺さって、うつらうつらと読み続けた。 さて、ばたばたが終わって……。充電して……。そして、そろそろつぎの小説のことを考えねばならない。 こうして、日々本と歩き続ける。 (2012年11月) | |
■ 桜庭一樹(さくらば・かずき) 1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『荒野』『製鉄天使』『ばらばら死体の夜』『傷痕』、エッセイ集『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記』『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』『お好みの本、入荷しました 桜庭一樹読書日記』『本に埋もれて暮らしたい 桜庭一樹読書日記』など多数。 |
ミステリ小説、SF小説|東京創元社