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12月某日 「これはなにに見える?」 「“オールドランド”。失われた大陸だ。すっげぇ昔にあったんだ。そこには王がいて、そいつは両性具有だったんだ。王には夫と妻がいて、妻の名はヴァージニア。王と妻は一年ごとに交代で息子を産み、彼らと結ばれてこんどは娘を産む……」 「夫の名は?」 「シアドア」 「王の名は?」 ――『B-EDGE AGE 獅子たちはノアの方舟で』 | |
12月前半から半ばは、出版界の三大多忙期のひとつである。「年末進行」といって、年末年始のお休みの分を、前払い状態で一気に片づける混乱状態が二、三週間ぐらい続くのだ。 わたしも、サイン会が終わってからしばらく、一月末に出る単行本(『読書日記』)と文庫本(『GOSICK』 コタツに入って、リストを元に、色紙に店名と自分の名前と一言メッセージを書いて、シールを貼っていく。 あまりにもシーンとしているので、ひとつ空気をなごませようと思って、 わたし「K子さん、もしも一箇所、整形するなら、どこにします?」 もくもくとサインを書き、シールを貼る。K子女史はできあがった色紙を一枚ずつ梱包して、封筒に店名をメモしていたが、たっぷり十分も経った後、 K子 「…………首」 もくもくと作業を続ける。 と、数分後。とつぜん堰を切ったように、 K子 「だいたいね、首さえ長ければ、なにを着てももっとお洒落に見えるはずなんですよ。タートルネックが似合う大人の女というか。そして、吉野朔実の漫画に出てくるようなロングコートも似合ってね、えーっと、それから……」 また、沈黙が落ちる。 こういう忙しいときにするドーピング(すっぽん、ユンケル、にんにく注射など)って、どこかで宙に浮いてるフリーの元気をもらえるわけじゃなくて、自分の“元気の前借り”してるだけだから、ドーピングが切れるとドッときますねぇ、という話になる。 さらに「今年の酷暑だった夏に、なぜかちょっと体重が増えちゃって、もどらないんですよねぇ」と言うと、K子女史が封筒からのっそりと顔を上げて、 K子 「かれいですよ」 ところが、この後しばらく会話がぜんぜん噛みあわなかった。これは変だなと思って、しだいに言葉少なになっていき……。互いの顔を、不安げにちらちら見始めた。 やがて、ほぼ同時に、 K子 「まさか、カレーライスの話、してたんですか!?」 と、座っていたビーズクッションの上に仰向けになって“イナバウアー”そっくりのポーズになりながら、後ろにおいてあったシールの束をつかんだ。と、K子女史と目があったので、仕方なく……イナバウアーのまま、にやり、と笑いかける。 起きあがったところで、 K子 「……いまの、いったいなんですか」 と、ひっきりなしにもめながらも、ようやく色紙を書き終わった。 二人でコタツに入って、加齢気味の猫のようにきゅっと目を細めて、サイン会でいただいた紅茶を出してきて、飲む。「そうだ。月末にある「GOSICK」先行上映会イベントの詳細資料ができました。これです~」と出されたおおきな紙を受け取って、「どれどれ~」と広げながら、おもむろに仰向けに寝転んだら、K子女史がまた「ワッ!」と目をむいた。 わたし「……なんすか?」 フンッ、と寝転んだまま資料を読む。 1月の頭から、毎週放映されるアニメの第一回の先行上映イベントで、お客さんは抽選で選ばれた300名、壇上にわたしや監督などスタッフさん、声優さんも上がってトークする、というものだ。会場のビルの、上から見た俯瞰図と、真横から見た図に、細かな指示がたくさん書きこんであって、目をひきつけられた。 入口にわかりやすい看板。観客のエレベーター使用禁止の徹底と、整理番号順に階段に並んでもらうためのスタッフ、通過した観客の人数をカウントするスタッフ。キャスト(わたしたち)の移動時のみ稼動するエレベーターの管理。遅れてきた観客のすみやかな誘導。また、当日トイレの列ができている可能性のある場所が点線で囲んである。 キャストの進む道筋。カメラ位置。ステージ上のそれぞれのポジション。帰り際の葉書回収と、その枚数をカウントするスタッフ、プレゼントを渡すスタッフ……。 これだけの人数がきちっと管理されて、すみやかなイベント進行になっている。すごい……。と、最初は感心して心囚われていたのだけれど、だんだん……映画の中で爆弾犯とか狙撃手がアジトで広げている見取り図みたいに見えてきた。 壇上に上がったわたしを、撃つなら、果たしてどこからがいいのか!? 二ヶ所あるカメラ位置、非常口、関係者用ドアに、使用不可のちいさなドア……ここか!? 黒尽くめの服を着たイ・ビョンホン(映画『甘い人生』 K子 「その顔は、また、ろくでもないことを考えてるでしょう」 で、この日は、色紙50枚を抱えたK子女史を送りだして、ご飯を食べてから、三分の一ぐらい読みかけで止まっていた『ズリイカ・ドブソン』 初めてシリーズ物を書けたけれど、二巻で打ち切りになってしまった作品だ。K子女史が“重大なことを話そうとした”と言っていたのが、来年、この作品を復刊しないか、という件だったのだ(その後、無事に思いだした)。 失意のうちにアメリカに渡った天才少年、美弥古は、武器となるはずの頭脳を鍛えて、日本に帰ってきた。かつて救えなかった幼なじみの少女を、再び守るために……。 トンデモ展開や、伏線が足りなくてアンフェアな部分もあるけれど、それよりも気になったのは、これを書いたころの自分は、小説や読者のことを信じられていなかったんじゃないか、ということだ。自分が本を読むときに、いやだな、と思う、作者の“斜め目線”や、“自信のなさ”や、そのせいで“読者を疑ったりなめる気持ち”が、ときどき不気味にヌッと顔を出す。流れていく物語を、不快な金属音とともに、いやがらせみたいにいちいち止める。 自分はこの時期、こんなだったのか。 ――小説のそばからは離れず、でも背を向けて、黙って拗ねてるんじゃないか。 しかし二巻の途中から、作者(自分だ……)の卑屈なせせら笑いはすこしずつ薄れてくる。光は、見える。 そうだ。これが打ち切りになった後、『赤×ピンク』 いまの自分があるのは、立ち直らせ、育ててくれた編集者や読者の存在があったからだ。 夜も遅いので、K子女史の会社のアドレス宛に「これは復刊できない」とメールをする。すると「いや、一巻にある“自分の価値が信じられない子供だけが発見するサイコキラーの学校”というダークパラダイス感と、“それに立ち向かう戦士もまた自分を信じられない子供である”という対立構造が面白い。二巻のWP(ウォーターパーソナリティ人格障害)という精神疾患も」と返事がくる。「でも、やめたほうがよい」と返事を書くと「しょんぼり!」という返事がくる。「いや、これはいかん」と返事をすると、「しぶしぶ了解した。しかし、世界の残酷さの前で被害者である子供が、その立場に甘んじず、そのあいだを埋めていく。それこそが成長であり、世界を変える力だというこのテーマを、いつの日かべつの作品で書け!」と返事がくる。 あれっ、メールだと、しごくまともな対話だな……と、夕方の首が伸びるだのイナバウアーだの起きろといったやりとりを思いだして、ちょっとだけ不思議になった。 それから目を閉じて、これを書いたころの自分の、絶望と疑いの日々を思い返そうとした。だけども過去は遠くて、怖くて、ずるい。波間の向こうに浮かぶ暗い蜃気楼みたいだ。あまりにも霞んでいて、気分次第で、良くも悪くも見える。 二度と小説を疑うまい。そして二度と読者に甘えまい、と思いながら、寝ようと思って、でもいつまでも布団の上を、右にゴロゴロ、左にゴロゴロと、醜い難破船のように揺れていた。 |
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