「性格の悪い人のほうが向いてるんだよ」
校正の仕事をしていると言うと、非常に注意深い人なのだろうとか、物知りなのだろうとか、思われているような気がするのですが、私個人としては「ちょっと違うんだけどな」と感じます。
また、他人の間違いに厳しい人、と見られることもあるようです。悪く言うと、他人のあら探しを仕事にしているのだと。実際に、校正の仕事について冒頭のように言われたこともあります(冗談めかした言い方でしたけどね)。べつに意地悪しているつもりはないんですけど・・・・・・。
では、実際のところ校正者は何をしているのか、私が日頃手がけることの多い仕事のひとつである、翻訳作品の文庫のカバー校正を例にとって考えてみたいと思います。
カバーのゲラが来ると、まず寸法の確認をします。
創元推理文庫の場合、左右360ミリ、天地149ミリ、表(ひょう)1(表表紙)の左右106ミリ、束(つか)(背幅)は本によって違うので原稿の指定と合っているか確認し、登場人物紹介の位置(タイトルが仕上がり天から10ミリ、タイトル下の罫線は表1の端から10ミリ、長さは38ミリ)、背のタイトルは仕上がり天から5ミリ、著者名は同じく57ミリ・・・・・・という具合に、寸法関係だけでもたくさんのチェック項目があります。
次に、必要なデータがすべて組まれているか、確認します。
タイトル・著者名・整理番号・叢書名・ISBNと値段、背だけでもこれだけの要素があります。登場人物紹介や内容紹介は担当編集者がパソコンで作成しデータをデザイナーさんに渡していますが、何かの拍子に一部が欠けたり、違うものが入っていたりすることがあるので、ざっと確認します。
それから級数を確認します。
「校正課だより 見習い校正者が語る校正のお仕事」でも取り上げられた級数表の出番です。内容紹介は12級25字詰め・7行・行送15歯、著者紹介は10級・15字詰・行送16歯といった具合に確認すべき箇所は、数えたところ13あるようです。
ようやく素読みに入ります。私はカバーの左側にある要素から、1字1字をまず見ていきます。この段階では文の内容についてはあまり留意せず、単純な誤字・脱字と思われるものについて、鉛筆で疑問出ししていきます。
次に内容の確認です。
ふたたび左側から始めます。登場人物紹介を本文(ほんもん)ゲラの登場人物紹介と1字1字照合します。単に読み比べるのではなく、「照らし合わせる」ことが肝心です――読んでしまうと、長いカタカナ名前が1字違っているのを見落としたりする危険性があるので。本文の人物紹介と食い違っていたら、鉛筆で疑問出しします。人物名はゴシック、説明は明朝体とフォントを使い分けているので、その確認もします。
背のタイトル・著者名も本文ゲラの扉と照合して確認。値段とISBNは新刊のデータベースと照合します。
内容紹介については、固有名詞を確認。本文ゲラのフロントページなどと照合します。「~が○○した」のような記述が、本文と合っているかも確かめます。
やっと右端の著者紹介にたどりつきました。著書名は、カタカナ表記を本文の扉と、欧文表記をクレジット頁と照合。紹介文の生没年・著作についての書誌情報・伝記的事実などの確認には、著者の公式サイトや各国の国立図書館のオンラインカタログなどを参照します。
ここまでで、六分どおりの作業が完了したというところでしょうか。
さて、ここまでの作業を見ていただくと、ひたすら確認、確認の連続だったことがおわかりいただけると思います。指定どおりになっているか確認、ゲラと照合して確認、その他のソースと照合して確認・・・・・・。そして、異同があった場合にその旨鉛筆で注記しているだけです。とくに物知りである必要はないのです。たとえば作家の生年を知っていたとしても、自分の記憶だけでゲラの情報が正しいかどうかを判断することはしません。かならずなんらかの資料にあたって確認します。
もろもろの確認作業を終えたところで、いよいよ内容を考えながら読む、二度目の素読みの段階に入ります。
登場人物紹介では、読者にわかりにくくはないか、誤解される可能性はないかに気をつけます。「~の娘」「~の友人」のような説明は、スペースの関係で本文の人物紹介にはあった人物をやむをえず省略した場合など、うまくつながらなくなることがあるので、人間関係をよく考えながら読むようにします。
登場人物紹介の内容を頭に入れたうえで、内容紹介を読みます。
書かれている内容を頭の中で組み立てていきます。わずか175字のなかに作品の内容と魅力を盛りこもうというのですから、書き手である担当編集者もなかなか大変です。選んだことばのちょっとしたニュアンスの違いで、与える印象ががらりと変わることもあるので、国語辞典でことばの意味をこまかく確認します。ここでも読者にわかりにくかったり、誤解されたりしないかに留意します。
以上、カバーの校正という具体例に沿って、校正者が何をしているかについてご紹介してきました。本文についても、確認と素読みをおこなうのは同じです。そして、素読みに関しては、あるいは校正者の“性格の悪さ”がかかわってくるかもしれません。ここで、私が学生時代にアルバイトで校正の仕事をしていたときのことに触れたいと思います。
私は学習参考書の編集プロダクションで、主に中学生の英語の参考書や問題集の校正をしていました。学参の仕事での重要なチェックポイントは“別解がないか”でした。設問に対して、解答編に示された以外の答えが考えられるかどうかです。問題文に複数の解釈可能性があるかどうかと言いかえてもいいでしょう。可能性があるなら、解答例として加えるか、別解の可能性がなくなるように設問を考え直さなければなりません。
この別解の可能性を検討するときの頭の使い方が、いま文芸の仕事をする時にも役立っているように思います。
たとえば、同音異義語の問題。ゲラにある語の意味を考えると同時に、同音の他の語の可能性はないか考えます。パソコンで文章を入力するとき変換キーを押すと、候補がいくつも挙がりますが、あんな感じです。目の前の語のことだけを考えていると、たまたまどちらの語でも文章がなりたってしまうような場合、文脈的にはおかしいのを見過ごすおそれがあります。
また、ことばの意味、代名詞の指している内容、接続は順接なのか逆接なのか……などについて、ほかの解釈が成立する可能性はないかな、と頭の一部で思っています。書き手の想定した読み筋以外の筋を探すわけですから、これはある意味、意地悪な読み方といえるでしょう。しかし、あまり素直に読んでしまうと、話がとんでしまっているところや、読者に誤解される危険性のあるところは見えにくいようです。
もちろん、全体の流れのなかである程度解釈の方向性は見えるものですから、ありえない可能性(妄想?)は捨てていきます。それで書き手の想定した読み筋だけが残ればそれでよし、やはり別の可能性が否定できない場合は鉛筆で注記することになります。
説明するのが難しいのですが、一度はあえて文章や物語の流れに乗らないようにして読んでみる、というところでしょうか。「ほんとかな?」「そうかな?」「こういうふうにも考えられるのでは?」そうやって読んだときに気になって注記した疑問を、あとで作品の頭から通して読んでみて、「やっぱりゲラママで大丈夫」と消すこともよくあります。
つまり、校正者に意地悪い気持ちはないのです(たぶん)。ただ確認しているだけ、でも、もしかしたら文章を読みながらあらぬことを考えているかも……
――アルバイト時代の思い出話をひとつ。英文和訳で、「Mike」がなんだとか、どうしたかという問題が出てくるたびに、「マイクやのうて、ミケやないやろか?」と思ってしまう。ミケは~です、ミケは~します、ミケは~より~が好きです……。ミケでもありえるんちゃうやろか? ミケではあかんやろか?
これ疑問にしたかな、しいひんかったかな……したかも、にゃあ。
ミステリ・SFのウェブマガジン|Webミステリーズ! 東京創元社
校正の仕事をしていると言うと、非常に注意深い人なのだろうとか、物知りなのだろうとか、思われているような気がするのですが、私個人としては「ちょっと違うんだけどな」と感じます。
また、他人の間違いに厳しい人、と見られることもあるようです。悪く言うと、他人のあら探しを仕事にしているのだと。実際に、校正の仕事について冒頭のように言われたこともあります(冗談めかした言い方でしたけどね)。べつに意地悪しているつもりはないんですけど・・・・・・。
では、実際のところ校正者は何をしているのか、私が日頃手がけることの多い仕事のひとつである、翻訳作品の文庫のカバー校正を例にとって考えてみたいと思います。
カバーのゲラが来ると、まず寸法の確認をします。
創元推理文庫の場合、左右360ミリ、天地149ミリ、表(ひょう)1(表表紙)の左右106ミリ、束(つか)(背幅)は本によって違うので原稿の指定と合っているか確認し、登場人物紹介の位置(タイトルが仕上がり天から10ミリ、タイトル下の罫線は表1の端から10ミリ、長さは38ミリ)、背のタイトルは仕上がり天から5ミリ、著者名は同じく57ミリ・・・・・・という具合に、寸法関係だけでもたくさんのチェック項目があります。
【カバーの指定。紫色やオレンジ色で書かれた指定どおりになっているか、すべてチェックする。※クリックで拡大】
次に、必要なデータがすべて組まれているか、確認します。
タイトル・著者名・整理番号・叢書名・ISBNと値段、背だけでもこれだけの要素があります。登場人物紹介や内容紹介は担当編集者がパソコンで作成しデータをデザイナーさんに渡していますが、何かの拍子に一部が欠けたり、違うものが入っていたりすることがあるので、ざっと確認します。
それから級数を確認します。
「校正課だより 見習い校正者が語る校正のお仕事」でも取り上げられた級数表の出番です。内容紹介は12級25字詰め・7行・行送15歯、著者紹介は10級・15字詰・行送16歯といった具合に確認すべき箇所は、数えたところ13あるようです。
ようやく素読みに入ります。私はカバーの左側にある要素から、1字1字をまず見ていきます。この段階では文の内容についてはあまり留意せず、単純な誤字・脱字と思われるものについて、鉛筆で疑問出ししていきます。
次に内容の確認です。
ふたたび左側から始めます。登場人物紹介を本文(ほんもん)ゲラの登場人物紹介と1字1字照合します。単に読み比べるのではなく、「照らし合わせる」ことが肝心です――読んでしまうと、長いカタカナ名前が1字違っているのを見落としたりする危険性があるので。本文の人物紹介と食い違っていたら、鉛筆で疑問出しします。人物名はゴシック、説明は明朝体とフォントを使い分けているので、その確認もします。
【本文ゲラの人物紹介(左)とカバーの人物紹介(右)】
背のタイトル・著者名も本文ゲラの扉と照合して確認。値段とISBNは新刊のデータベースと照合します。
内容紹介については、固有名詞を確認。本文ゲラのフロントページなどと照合します。「~が○○した」のような記述が、本文と合っているかも確かめます。
やっと右端の著者紹介にたどりつきました。著書名は、カタカナ表記を本文の扉と、欧文表記をクレジット頁と照合。紹介文の生没年・著作についての書誌情報・伝記的事実などの確認には、著者の公式サイトや各国の国立図書館のオンラインカタログなどを参照します。
【カバーの著者紹介】
ここまでで、六分どおりの作業が完了したというところでしょうか。
さて、ここまでの作業を見ていただくと、ひたすら確認、確認の連続だったことがおわかりいただけると思います。指定どおりになっているか確認、ゲラと照合して確認、その他のソースと照合して確認・・・・・・。そして、異同があった場合にその旨鉛筆で注記しているだけです。とくに物知りである必要はないのです。たとえば作家の生年を知っていたとしても、自分の記憶だけでゲラの情報が正しいかどうかを判断することはしません。かならずなんらかの資料にあたって確認します。
もろもろの確認作業を終えたところで、いよいよ内容を考えながら読む、二度目の素読みの段階に入ります。
登場人物紹介では、読者にわかりにくくはないか、誤解される可能性はないかに気をつけます。「~の娘」「~の友人」のような説明は、スペースの関係で本文の人物紹介にはあった人物をやむをえず省略した場合など、うまくつながらなくなることがあるので、人間関係をよく考えながら読むようにします。
登場人物紹介の内容を頭に入れたうえで、内容紹介を読みます。
書かれている内容を頭の中で組み立てていきます。わずか175字のなかに作品の内容と魅力を盛りこもうというのですから、書き手である担当編集者もなかなか大変です。選んだことばのちょっとしたニュアンスの違いで、与える印象ががらりと変わることもあるので、国語辞典でことばの意味をこまかく確認します。ここでも読者にわかりにくかったり、誤解されたりしないかに留意します。
以上、カバーの校正という具体例に沿って、校正者が何をしているかについてご紹介してきました。本文についても、確認と素読みをおこなうのは同じです。そして、素読みに関しては、あるいは校正者の“性格の悪さ”がかかわってくるかもしれません。ここで、私が学生時代にアルバイトで校正の仕事をしていたときのことに触れたいと思います。
私は学習参考書の編集プロダクションで、主に中学生の英語の参考書や問題集の校正をしていました。学参の仕事での重要なチェックポイントは“別解がないか”でした。設問に対して、解答編に示された以外の答えが考えられるかどうかです。問題文に複数の解釈可能性があるかどうかと言いかえてもいいでしょう。可能性があるなら、解答例として加えるか、別解の可能性がなくなるように設問を考え直さなければなりません。
この別解の可能性を検討するときの頭の使い方が、いま文芸の仕事をする時にも役立っているように思います。
たとえば、同音異義語の問題。ゲラにある語の意味を考えると同時に、同音の他の語の可能性はないか考えます。パソコンで文章を入力するとき変換キーを押すと、候補がいくつも挙がりますが、あんな感じです。目の前の語のことだけを考えていると、たまたまどちらの語でも文章がなりたってしまうような場合、文脈的にはおかしいのを見過ごすおそれがあります。
また、ことばの意味、代名詞の指している内容、接続は順接なのか逆接なのか……などについて、ほかの解釈が成立する可能性はないかな、と頭の一部で思っています。書き手の想定した読み筋以外の筋を探すわけですから、これはある意味、意地悪な読み方といえるでしょう。しかし、あまり素直に読んでしまうと、話がとんでしまっているところや、読者に誤解される危険性のあるところは見えにくいようです。
もちろん、全体の流れのなかである程度解釈の方向性は見えるものですから、ありえない可能性(妄想?)は捨てていきます。それで書き手の想定した読み筋だけが残ればそれでよし、やはり別の可能性が否定できない場合は鉛筆で注記することになります。
説明するのが難しいのですが、一度はあえて文章や物語の流れに乗らないようにして読んでみる、というところでしょうか。「ほんとかな?」「そうかな?」「こういうふうにも考えられるのでは?」そうやって読んだときに気になって注記した疑問を、あとで作品の頭から通して読んでみて、「やっぱりゲラママで大丈夫」と消すこともよくあります。
つまり、校正者に意地悪い気持ちはないのです(たぶん)。ただ確認しているだけ、でも、もしかしたら文章を読みながらあらぬことを考えているかも……
――アルバイト時代の思い出話をひとつ。英文和訳で、「Mike」がなんだとか、どうしたかという問題が出てくるたびに、「マイクやのうて、ミケやないやろか?」と思ってしまう。ミケは~です、ミケは~します、ミケは~より~が好きです……。ミケでもありえるんちゃうやろか? ミケではあかんやろか?
これ疑問にしたかな、しいひんかったかな……したかも、にゃあ。
(校正課K)
(2017年10月31日)
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