挫折(ざせつ)経験を持ち、今は大学に行くのもやめてニート状態にある貴美也。父親は豪放磊落(ごうほうらいらく)な経営者で、再婚を繰り返してきたが今は独(ひと)り身。狩猟を趣味とする彼は息子にも免許をとらせ、鹿狩りのために北海道へと連れ出す。
が、彼の目的は鹿ではなかった。二日目、摩周湖(ましゅうこ)のそばの立ち入りが禁止されている区域へと無断で分け入った父は、狙いは熊だという。呆然とするが父には逆らえない貴美也。と、彼らの前に本当に巨大な影が現れ、なんと父親を襲ってしまう。そこに現れたのは野犬の群れ。犬にも襲われた貴美也は、一人で逃げ出すのだが……。
前作では、北の地の馬と人との繋がりを六代にわたる家族の物語の中で雄大に描き出した著者。今回も動物モノできたかと思ったら、読み味はまったく異なる。熊に襲われる場面の恐ろしさ、人間にまったく斟酌(しんしゃく)しない自然の厳しさのなかで、精神的にひ弱な青年には、どんな心の変化が起きるのか。その極限状態の物語が、北の地を開拓した人々の過酷な体験や、貴美也たちを襲った熊のバックグラウンド、さらには人間に捨てられ、あるいは人間から逃げ出して野生化した犬たち一匹一匹の来(こ)し方を追いながら、緊迫感を持って描かれていく。
人間とともに生きてきた記憶を捨てられない犬と、ギリギリまで追い詰められて野生に目覚めていく一人の人間。彼らが本気で熊に立ち向かった時、起きることは……。
生き延びようとするサバイバルものというよりは、影響を与え合う自然と人間、そして人間の中の動物としての本能は何かということに焦点が当てられていて、終盤には一体何がこの物語のハッピーエンドなのだろうかと考えざるを得なくなる。
著者は北海道の現役の羊飼いだ。日々動物たちと接し、この土地の歴史を拾い集めてきた人物だからこそ書ける生々しさがある。今後どんな作品を生み出してくれるのか非常に楽しみ。
マッサージ店に勤務するさくらは、誕生日プレゼントをもらったことを機に、客の松原と親しくなる。見た目も性格もよさそうに見えた彼だが、つきあいはじめてほどなく、支配欲の強さを見せ、さくらは彼に別れを告げる。だが、相手は諦(あきら)めない。なんとか会って話しあおうとする松原を避けているうちに、彼の行動はどんどんエスカレートしていく。
振った身として罪悪感のあるさくらは、厳しい態度に出ることができない。一方松原は、たとえばLINEを既読スルーされたとしても、まだ自分のアカウントが削除されていないことに希望を抱いてしまう。他人なら、読みながらもっときっぱりはねつければいいのに、と思うのは簡単だ。読み進めていくと、毅然(きぜん)と冷たい態度をとった場合、相手を逆上させる可能性もあるという指摘があってはっとする。他にもさくらの行動ひとつひとつに、「友達の“大袈裟(おおげさ)だよ”という言葉など気にせず警察に行けばいいのに」「引っ越せばいいのに」と反応してしまうのだが、だが執拗(しつよう)な松原の行動を見ていると、一体何が正解なのか分からなくなってしまう。一度粘着されてしまったら、ストーカーはどこまでも追ってくる。振り返っても振り返っても追いかけてくる、夜空の月のように。
参考にしたいのは、周囲の言動だ。知人がストーカーされていたら、どんなことに気を使えばいいのか。そして、もしも知人がストーキングしていたら、何か止める手立てはないのか。小説としてぐいぐい読ませるページターナーでありつつも、実践のための参考書のようにも読める一冊だ。
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■瀧井朝世(たきい・あさよ)
フリーライター。1970年東京都出身。本の話WEB「作家と90分」、WEB本の雑誌「作家の読書道」ほか、作家インタビューや書評などを担当。著者に『偏愛読書トライアングル』(新潮社)がある。
(2018年1月11日)
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