盗難にあったアート作品がきれいに修復され元の場所に戻される事件が連続発生。それらはすべて、謎の集団「アノニム」によるものだった。構成要員は香港の巨大美術館の建築計画の指揮をとる建築家、ブルックリンのギャラリー経営者、ラグジュアリーブランドのオーナーでファインアートのコレクター、在野でありながら世界的な美術史家、オークション会社のオークショニア……。今、彼らのうち数名が集まってきたのは香港、向かうのはサザビーズのオークション。狙うのは目玉である抽象表現主義を代表する作家、ジャクソン・ポロックの幻の名作だ。その目的とは?
著者ならではのアートの知識を盛り込みながら、オークション開催に至るまでの数日間のそれぞれの行動を追っていく。その企みの裏にはやはり、芸術への熱い愛情と信頼がこめられていて、こちらの胸も熱くなってくる。ただ、これだけ魅力的な人物たちを創り出してたった一冊で終わるのはもったいないので、シリーズ化できそう。
周囲の人間たちもさまざまな過酷な人生を歩んでおり、容赦のない筆致につい引きこまれては打ちのめされるのだが、現代のブラック企業や低賃金労働の痛ましい問題とも重なる部分があり、遠い昔の出来事とは思えないものがある。遊郭もタコ部屋も、形を変えて現代に潜んでいるのだ。著者は女による女のためのR-18文学賞出身で、本作でまたこれまでとは作風を変えてきたので、今後が楽しみだ。
週刊誌の記者の里佳は、交際男性を次々殺したとして捕まった梶井真奈子に取材を申し込むため拘置所に手紙を送るが返答はない。が、友人のアドバイスにより、手紙で梶井の得意料理のレシピを尋ねる一文を添えたところ、面会を許される。男社会で窮屈な思いをしている里佳にとって、自分が女性であることに肯定的な梶井の言動は刺激的だ。男たちにも食事を作っていた彼女が好むのは、バターたっぷりの濃厚な味。面会のたびに指示されて、里佳は彼女が薦めるレストランに足を運ぶ。
友情というより師弟関係のようなものが芽生える二人だが、この後思いもよらない展開が待っている。今の世の中、これまでの恋愛観、結婚観は上書きせねば男も女も辛いのだと提示する。希望のあるラストに至るまで、濃厚な味わい。堪能した。
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■瀧井朝世(たきい・あさよ)
フリーライター。1970 年東京都出身。慶應義塾大学卒。朝日新聞「売れてる本」、本の話WEB「作家と90分」、WEB本の雑誌「作家の読書道」ほか、作家インタビューや書評などを担当。
(2017年7月14日)
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