11月に『おっかなの晩 船宿若狭屋あやかし話』が刊行されました。時は江戸時代。舞台は日本橋にある小さな船宿・若狭屋。女将のお涼を視点人物に、船宿を訪れるおかしな客の交流を描いた連作集です。船宿ということで、水にまつわる不思議な8編が収められています。狐憑きと呼ばれる花魁や、川で溺れた歌舞伎役者、あやかしに嫁ぐことになった花嫁など、ちょっと風変わりな人々が登場します。
粋と人情を大切にしている江戸っ子の女将・お涼の爽快な人柄も魅力の一つ。人情噺あり、怪談あり、笑い噺あり、どれも滋味深く、読後はスッと前向きになれること間違いなし。愛おしい妖怪と人間の物語を書いた、著者の折口真喜子氏に執筆についてのテーマや裏話を存分に語っていただきました。
――まずは『おっかなの晩』を執筆するきっかけを教えてください。
日本は行事が多い国ですよね。今は普段の生活に少し残っていたりするぐらいですけれど。そのルーツがここにあったんだ、という発見を書いていけたら面白いんじゃないかと思って話が広がっていきました。
――船宿を舞台にした理由はなんでしょう。
まずはかっこいい女将さんが書きたかったんです(笑)。当時、あの年齢で独身ということはワケありだろうと周囲からは言われたと思います。私が考えるかっこいいというのはバランス感覚です。極端にお人好しでもなく、男勝りでもなく。女将さんは男性を相手に商売をすることが多いと思いますが、男女どちらの性別のこともわかってないといけないですよね。さらに、船宿は人間も相手にしているけど、川や海など自然も相手にしている。まさに「潮を見る」ことができないと務まらないと思うんです。そこから人知外との繋がりができて……というのも書きたかったことのひとつです。
――書いていて楽しかったところはありますか。
作中の小咄のオチや、言葉遊びを考えることが楽しかったです(笑)。お涼のぼけたお父さんが登場しますが、彼に言わせるオチは考えると言うより、出てくる、という感じでした。
――折口さんは資料を読むのがお好きと伺いました。
「船」や「桶」など物についての民俗学的な資料をずっと読んでいました。完全に趣味ですね(笑)。今思うとそんな人は少ないのかも……。船と一口にいっても、構造や航路、色んな切り口がありますよね。たとえば村上水軍がつくったと言われている潮見のカレンダーがあったりするんです。水軍の子孫が売り出したのか、大阪の北前船なんかを買ってる人たちが「これは良い」と言って売り出したのかはわからないんですが面白いですよ! そういう資料を読むのが好きだったんです。
――そういったインプットが小説を書くきっかけでしょうか
小説を書こうと思って初めて書いたのは「背守り」というお守りの話でした。昔は背中から悪いものが出入りすると考えたらしく、つなぎ目にワッペンみたいな色んな形のお守りを縫いつけていたんですね。その母親の気持ちはとっても可愛いじゃないですか! 「守ってくれますように」という母親の気持ちを想うと、そこからお話が出来てきて……。なぜこれを作ったんだろう、なぜこういう物が必要だったんだろうと調べると、そこには必ず人の気持ちが入っている。それに気がついたとき、お話が生まれます。物だけじゃなくて習慣や言い伝えを聞くと、背後にある考えに思いが至り、出発点になることが多いです。
――そんな折口さんの読書歴をお聞かせ下さい。
小学校の頃はミステリを好きで読んでいましたよ。ホームズやルパンから入って、江戸川乱歩など。ズッコケ三人組のシリーズも好きでよく読んでいました。中高生になると夏目漱石や芥川龍之介など文豪の作品に触れ、そうすると作品内で古典の引用があるんですよね。となると今度は古典に興味が出てきて、『論語』『孫子』となどを読むように。今は、ほとんど覚えてないですけれど(笑)。時代小説は短大時代から。司馬遼太郎さんにハマりまして、ストーリーももちろんですが、挿入される江戸の小物に関するミニ知識もすごく好きでした。だんだんそっちの方に注目することになって、民俗学というか、物について資料をかたっぱしから読むようになったんです。
――そこに繋がっているんですね! 『おっかなの晩』には8編収めていますが、特に思い入れのある作品はありますか。
書き始める前は悩みましたが書き始めてから意外とすんなり書けたのは「海へ」でしょうか。
――川に落ちて消えてしまった子どものお話ですね。
この作品集でいちばん初めにできました。川や船宿を舞台にした不思議なお話といった設定が決まったあとはあっさりと。もともと私は鹿児島の海沿いで生まれ育ったんです。私の家は海から少し距離がありましたが、雨が降る前になると、普段は聞こえない波音が聞こえてくるんです。それを聞くと父が「ああ、雨が降るな」って。それから霜が降りる日は晴れて、二、三日後に雨が降るんです。雨が近い、と言う感覚がある。
――折口さんは“海の子”なんですね。
山も近くにあったので、“山の子”でもありますけれど(笑)。初めて熊本に来たとき、球磨川とか白川とか大きな川がたくさんあって驚きました。阿蘇などの源泉の方に行くとすごく綺麗なんですよ。毎時何トンと水がわき出ているところもあって、川の美しさはまた海とは違いました。最初は近くに海がない違和感や寂しさを感じたけれど、それがいつのまにかなくなって、川の良さを知りました。川にも満ち引きがあるんだとか、逆流の様子を見たりとか。日本の人って海とか川を身近に感じる人が少なからずいるんじゃないかな。そういった自分の気持ちが、この話に影響しているかもしれません。
――今回は川や海など水辺で起こる怪異を描きましたが、次回作の構想をお聞かせ下さい。
今度は怖い話を書いてみたいです。「怖ろしい」というより、「不思議」ぐらいの怪談です。今回はかわいい妖怪が出てくる感じですけれど、幽霊寄りでしょうか。人柱や首を切られた話とか地域の言い伝えがお話になって現代まで残っているということは、怖いという感情だけじゃなくて、救いを求めているからなのでは、と。なぜそのような悲劇に至ったのか、理由を書いてみたいです。
――まさに人の想いが凝縮しているテーマですね
自分でも書いていて憑かれるんじゃないかと(笑)。『おっかなの晩』でいうと、「夏の夜咄」のようなテイストですね。
――『おっかなの晩』について読者にメッセージを
今回の作品は小咄のような話が書きたい、かっこいい女将さんが書きたい、という二つの柱がありました。江戸物を読むと、私は気分が切り替わって軽くなる感じがしているんです。悩み事があったり嫌な気分の時って、まったく別なことが差し込んでくると気持ちが軽くなることがあると思うんです。この作品を読んで、ふふふっと笑ってもらって、今抱えている問題を一瞬忘れてもらえたら嬉しいです
――登場人物たちが軽やかですものね。
私の中で、登場人物たちは真剣になるのはいいけど、深刻になるのはだめだ、という考えがあるんです。私自身もなるべく深刻にならないように考えようとすると実際に気持ちが軽くなります。読者の方にもぜひ、この本を読んでそうなってほしいです。
折口真喜子
鹿児島県生まれ。2009年、「梅と鷺」で第三回小説宝石新人賞を受賞。2012年、受賞作を収めた『踊る猫』でデビュー。軽やかであたたかみのある人物描写が魅力の新鋭。他の著書に『恋する狐』がある。現在は熊本県在住。
(2015年11月某日 熊本市にて)
ミステリ小説の月刊ウェブマガジン|Webミステリーズ! 東京創元社
粋と人情を大切にしている江戸っ子の女将・お涼の爽快な人柄も魅力の一つ。人情噺あり、怪談あり、笑い噺あり、どれも滋味深く、読後はスッと前向きになれること間違いなし。愛おしい妖怪と人間の物語を書いた、著者の折口真喜子氏に執筆についてのテーマや裏話を存分に語っていただきました。
――まずは『おっかなの晩』を執筆するきっかけを教えてください。
日本は行事が多い国ですよね。今は普段の生活に少し残っていたりするぐらいですけれど。そのルーツがここにあったんだ、という発見を書いていけたら面白いんじゃないかと思って話が広がっていきました。
――船宿を舞台にした理由はなんでしょう。
まずはかっこいい女将さんが書きたかったんです(笑)。当時、あの年齢で独身ということはワケありだろうと周囲からは言われたと思います。私が考えるかっこいいというのはバランス感覚です。極端にお人好しでもなく、男勝りでもなく。女将さんは男性を相手に商売をすることが多いと思いますが、男女どちらの性別のこともわかってないといけないですよね。さらに、船宿は人間も相手にしているけど、川や海など自然も相手にしている。まさに「潮を見る」ことができないと務まらないと思うんです。そこから人知外との繋がりができて……というのも書きたかったことのひとつです。
――書いていて楽しかったところはありますか。
作中の小咄のオチや、言葉遊びを考えることが楽しかったです(笑)。お涼のぼけたお父さんが登場しますが、彼に言わせるオチは考えると言うより、出てくる、という感じでした。
――折口さんは資料を読むのがお好きと伺いました。
「船」や「桶」など物についての民俗学的な資料をずっと読んでいました。完全に趣味ですね(笑)。今思うとそんな人は少ないのかも……。船と一口にいっても、構造や航路、色んな切り口がありますよね。たとえば村上水軍がつくったと言われている潮見のカレンダーがあったりするんです。水軍の子孫が売り出したのか、大阪の北前船なんかを買ってる人たちが「これは良い」と言って売り出したのかはわからないんですが面白いですよ! そういう資料を読むのが好きだったんです。
――そういったインプットが小説を書くきっかけでしょうか
小説を書こうと思って初めて書いたのは「背守り」というお守りの話でした。昔は背中から悪いものが出入りすると考えたらしく、つなぎ目にワッペンみたいな色んな形のお守りを縫いつけていたんですね。その母親の気持ちはとっても可愛いじゃないですか! 「守ってくれますように」という母親の気持ちを想うと、そこからお話が出来てきて……。なぜこれを作ったんだろう、なぜこういう物が必要だったんだろうと調べると、そこには必ず人の気持ちが入っている。それに気がついたとき、お話が生まれます。物だけじゃなくて習慣や言い伝えを聞くと、背後にある考えに思いが至り、出発点になることが多いです。
――そんな折口さんの読書歴をお聞かせ下さい。
小学校の頃はミステリを好きで読んでいましたよ。ホームズやルパンから入って、江戸川乱歩など。ズッコケ三人組のシリーズも好きでよく読んでいました。中高生になると夏目漱石や芥川龍之介など文豪の作品に触れ、そうすると作品内で古典の引用があるんですよね。となると今度は古典に興味が出てきて、『論語』『孫子』となどを読むように。今は、ほとんど覚えてないですけれど(笑)。時代小説は短大時代から。司馬遼太郎さんにハマりまして、ストーリーももちろんですが、挿入される江戸の小物に関するミニ知識もすごく好きでした。だんだんそっちの方に注目することになって、民俗学というか、物について資料をかたっぱしから読むようになったんです。
――そこに繋がっているんですね! 『おっかなの晩』には8編収めていますが、特に思い入れのある作品はありますか。
書き始める前は悩みましたが書き始めてから意外とすんなり書けたのは「海へ」でしょうか。
――川に落ちて消えてしまった子どものお話ですね。
この作品集でいちばん初めにできました。川や船宿を舞台にした不思議なお話といった設定が決まったあとはあっさりと。もともと私は鹿児島の海沿いで生まれ育ったんです。私の家は海から少し距離がありましたが、雨が降る前になると、普段は聞こえない波音が聞こえてくるんです。それを聞くと父が「ああ、雨が降るな」って。それから霜が降りる日は晴れて、二、三日後に雨が降るんです。雨が近い、と言う感覚がある。
――折口さんは“海の子”なんですね。
山も近くにあったので、“山の子”でもありますけれど(笑)。初めて熊本に来たとき、球磨川とか白川とか大きな川がたくさんあって驚きました。阿蘇などの源泉の方に行くとすごく綺麗なんですよ。毎時何トンと水がわき出ているところもあって、川の美しさはまた海とは違いました。最初は近くに海がない違和感や寂しさを感じたけれど、それがいつのまにかなくなって、川の良さを知りました。川にも満ち引きがあるんだとか、逆流の様子を見たりとか。日本の人って海とか川を身近に感じる人が少なからずいるんじゃないかな。そういった自分の気持ちが、この話に影響しているかもしれません。
――今回は川や海など水辺で起こる怪異を描きましたが、次回作の構想をお聞かせ下さい。
今度は怖い話を書いてみたいです。「怖ろしい」というより、「不思議」ぐらいの怪談です。今回はかわいい妖怪が出てくる感じですけれど、幽霊寄りでしょうか。人柱や首を切られた話とか地域の言い伝えがお話になって現代まで残っているということは、怖いという感情だけじゃなくて、救いを求めているからなのでは、と。なぜそのような悲劇に至ったのか、理由を書いてみたいです。
――まさに人の想いが凝縮しているテーマですね
自分でも書いていて憑かれるんじゃないかと(笑)。『おっかなの晩』でいうと、「夏の夜咄」のようなテイストですね。
――『おっかなの晩』について読者にメッセージを
今回の作品は小咄のような話が書きたい、かっこいい女将さんが書きたい、という二つの柱がありました。江戸物を読むと、私は気分が切り替わって軽くなる感じがしているんです。悩み事があったり嫌な気分の時って、まったく別なことが差し込んでくると気持ちが軽くなることがあると思うんです。この作品を読んで、ふふふっと笑ってもらって、今抱えている問題を一瞬忘れてもらえたら嬉しいです
――登場人物たちが軽やかですものね。
私の中で、登場人物たちは真剣になるのはいいけど、深刻になるのはだめだ、という考えがあるんです。私自身もなるべく深刻にならないように考えようとすると実際に気持ちが軽くなります。読者の方にもぜひ、この本を読んでそうなってほしいです。
折口真喜子
鹿児島県生まれ。2009年、「梅と鷺」で第三回小説宝石新人賞を受賞。2012年、受賞作を収めた『踊る猫』でデビュー。軽やかであたたかみのある人物描写が魅力の新鋭。他の著書に『恋する狐』がある。現在は熊本県在住。
(2015年11月某日 熊本市にて)
(2015年12月7日)
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