【連載バックナンバー】
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以前にどこかで書いたかも知れないが、ここ最近は専ら二・二六事件を題材とした本格ミステリに取り組んでいる。次に刊行される伊吹亜門の単著は恐らくこれになると思うので、気長にお待ちいただきたいのだけれど、これがなかなか大変なのだ。
私は元々長編・短編を問わず、粗い初稿を書き上げてから幾度も推敲を重ねていくことで完成に近付けていくタイプの人間だ。二・二六ミステリは一周目の推敲を半分ほど終えた段階で、既にこれまで書いたどの長編よりも文字数が多くなっている。これから新たに書き足さなければならない章やシーンも多くあると思うので、行く先は果てしない。
思い返せば、直近3年で刊行した作品は『京都陰陽寮謎解き滅妖帖』(星海社)、『焔と雪 京都探偵物語』(早川書房)、『帝国妖人伝』(小学館)と、中・短編集ばかりだった。長編の書き方そのものを思い出しつつ筆を進めている訳だからそりゃア時間だって掛かるワイと自ら云い聞かせつつも、何より苦労しているのは、話を戻そう、東京の地理なのである。
私は名古屋の生まれで、小中高と浪人時代を併せた19年を雄大な濃尾平野で過ごしてきた。大学進学と同時に京都へ移り住み、京田辺(きょうたなべ)・今出川(いまでがわ)・双ヶ岡(ならびがおか)と住まいを移しながら二十代の大半をこの愛すべき古都で過ごした。大阪へ引っ越したのは2021年で、コロナ禍を経た最近になって漸くあちらこちらを探訪し始めている。
左様な次第なので、東京にはまるで縁の無い人生だった。そのため二・二六ミステリの主人公を三宅坂(みやけざか)の参謀本部から中野区の鷺宮(さぎのみや)まで移動させようと思った時、まずは正しい道順から模索しなければならない。
パソコンの画面上でグーグルマップを開き、机の上には復刻された昭和十年当時の地図と市電の路線図、それに時刻表を広げる。
グーグルマップのルート検索でおおよその道順を探り、今度は紙の地図でそれと同じか、もしくはなるべく近い道筋を辿る。90年近く前の東京でも同じルートが使えるのならば万々歳だが、上手く繋がらない場合は他を捜すしかない。昭和××年の乗り換えアプリでもあればと毎回思うのだが、そんな都合のいい物は望むべくもなく、作中の人物が場所を移るたびに、私は溜息を吐きながらがさがさと大判の地図を広げている。
グーグルマップのルート検索でおおよその道順を探り、今度は紙の地図でそれと同じか、もしくはなるべく近い道筋を辿る。90年近く前の東京でも同じルートが使えるのならば万々歳だが、上手く繋がらない場合は他を捜すしかない。昭和××年の乗り換えアプリでもあればと毎回思うのだが、そんな都合のいい物は望むべくもなく、作中の人物が場所を移るたびに、私は溜息を吐きながらがさがさと大判の地図を広げている。
私にとって、時代ミステリとは大いなる虚構を史実で肉付けし、謎と論理で粧(よそお)った作品に他ならない。嘘の話だからこそ、それを構成する要素は極力事実に即していないといけないと思っている。一方で、あまりにも描写や説明に拘り過ぎると読者の興味は薄れてしまう訳で、その塩梅が何とも難しい。
飛鳥先生や義長先生は、どの程度の取材をされるのだろう。飛鳥先生は、平安京に思いを馳せて京都を歩かれたのだろうか? 義長先生は『虹の涯』執筆に際して、天狗党と同じく中山道を辿られたりしたのだろうか? 興味の尽きない所です。
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折角の機会なので、飛鳥先生の新刊『歌人探偵定家 百人一首推理抄』も紹介しておこう。
羽生飛鳥待望の新刊は、源平の争乱で荒廃した京都を舞台に、平家一門の生き残りである平保盛(たいらのやすもり)が若き藤原定家(ふじわらのていか)とバディを組んで不可解な事件に挑んでいく連作ミステリだ。平頼盛(たいらのよりもり)を探偵役に据えた『蝶として死す』『揺籃の都』とは別シリーズのようにも思えるがご安心を、本作のワトソン役である保盛は、何と頼盛の長男なのである。つまり前二作とは地続きの作品となる訳で、同一シリーズと見ることも出来るだろう。何ともニクい趣向ですな。
松木立で見つかった女のバラバラ死体には、紫式部の和歌「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜半の月かな」と書かれた札が留められていた。名歌を穢(けが)され激昂する定家と、それに引っ張られる保盛が捜査を開始する第一話「くもがくれにし よはのつきかな」を巻頭に、二人は和歌に絡んだ五つの謎に挑んでいく。個人的には、最終話「しのぶることの よわりもぞする」で明かされる衆人環視下のトリックが好きだ。人間が悪しき心を抱いて罪を犯し、それを秘匿しようとするのはどの時代でも変わりがない。それゆえ平安の世であっても当然に不可能犯罪は起こり得る。羽生飛鳥のミステリは、そんな事実を改めて気付かせてくれる。
紹介ついでにもう一冊。あまり周知はされていないかも知れないが、羽生飛鳥は「齋藤飛鳥」名義で『シニカル探偵 安土真(あづちまこと)』(国土社)というジュブナイル・ミステリも上梓している。現時点で3巻まで刊行されているそのシリーズは、児童向けと侮るなかれ、なかなかどうして切れ味の鋭い本格ミステリなのである。殊に『シニカル探偵 安土真② 七草館の大冒険』収録の「魔性の隠れ家」は素晴らしい。一読、思わず感嘆の息が漏れた。
G・K・チェスタトンの『ブラウン神父の童心』(創元推理文庫)に「見えない男」という短編がある。監視された建物のなかで男が殺されるのだが、近くにいた人々は誰もが口を揃えて怪しい人物など見ていないと証言した。果たして犯人は、如何にして現場に出入りしたのか?
数学者にして推理小説家である天城一(あまぎはじめ)は、同作を“超純密室犯罪”に分類して、「この作こそ、人智の驚異が生んだ傑作として、密室犯罪が探偵小説の中に存在する限り、語り継がれるべきであろう」と絶賛している。犯人は大手を振って現場を出入りしていたのにも拘わらず、或る理由から、周囲の人々にはそれが見えていなかった。この「見えない男」が、そんな人間の盲点を衝いた傑作であることは言を俟(ま)たない。興を削がぬために多くは語らないけれど、「魔性の隠れ家」はその亜種なのである。これにはやられた。完敗である。最近読んだ短編ミステリのなかでも屈指の傑作だと思うので、是非皆さんもご一読を。凄いですよ。
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4月の末には博多の「本のあるところ ajiro」さんで行われた法月綸太郎(のりづきりんたろう)×千街晶之(せんがいあきゆき)のトークイベント「『明日のミステリ』はどこへ向かうのか」を観覧した。5月には東京の「サロンクリスティ」で日本推理作家協会賞の待ち会をした。そして6月中旬には、盛岡の「書肆みず盛り」さんで行われた南海遊(みなみあそう゛)×蔓葉信博(つるばのぶひろ)×坂嶋竜(さかしまりゅう)のトークイベント「現代ミステリはなぜ永劫館を生んだのか みちのくミステリミーティング」に参加した。旅行が好きなものだからあちらこちらに足を伸ばしているのだが、それらの話をする前に文字数が尽きてしまった(というか大幅にオーバーしてしまった)。
今年の夏・秋にもどこか遠くへ行くつもりなので、伊吹亜門のドタバタ珍道中はまた次の機会にでも。御期待ください、では失敬。
■伊吹亜門(いぶき・あもん)
1991年愛知県生まれ。同志社大学卒。2015年「監獄舎の殺人」で第12回ミステリーズ!新人賞を受賞、18年に同作を連作化した『刀と傘』でデビュー。翌年、同書で第19回本格ミステリ大賞を受賞。他の著書に『雨と短銃』『幻月と探偵』『京都陰陽寮謎解き滅妖帖』『焔と雪 京都探偵物語』『帝国妖人伝』がある。
■戸田義長(とだ・よしなが)
1963年東京都生まれ。早稲田大学卒。2017年、第27回鮎川哲也賞に投じた『恋牡丹』が最終候補作となる。同回は、今村昌弘『屍人荘の殺人』が受賞作、一本木透『だから殺せなかった』が優秀賞となり、『恋牡丹』は第三席であった。『恋牡丹』を大幅に改稿し、2018年デビュー。同じ同心親子を描いたシリーズ第2弾『雪旅籠』も好評を博す。その他の著作に『虹の涯(はて)』がある。江戸文化歴史検定1級。 ■羽生飛鳥(はにゅう・あすか)
1982年神奈川県生まれ。上智大学卒。2018年「屍実盛」で第15回ミステリーズ!新人賞を受賞。2021年同作を収録した『蝶として死す 平家物語推理抄』でデビュー。同年、同作は第4回細谷正充賞を受賞した。他の著作に『揺籃の都 平家物語推理抄』『歌人探偵定家 百人一首推理抄』『『吾妻鏡』にみる
ここがヘンだよ!鎌倉武士』がある。また、児童文学作家としても活躍している(齊藤飛鳥名義)。