カーのホームズ愛
中西 裕  

 本書は『悪魔のひじの家』The House at Satan's Elbow, 1965 邦訳は一九九八)の改訳文庫版です。カー(以下、ジョン・ディクスン・カーもカーター・ディクスンも「カー」で統一します)の長篇はほぼすべてが訳されていますが、晩期の作です。おどろおどろしいタイトルが多いカーの作、“悪魔のひじ”もまさにその通り。でも、これは地名なんですね。そこに建つ屋敷で起こる密室事件になつかしいフェル博士が挑戦します。例によって幽霊も出ますが、ご安心を。カーはロマンスも忘れていませんし、私などはクリスティの作だと言われても納得しかねないほどの、なかなかにすっきりした佳作です。
 本作で、レストレードだのグレグスンだのと呼びかけられたエリオット副警視長が、両警部のほかアセルニー・ジョーンズの名も出して、そう呼ぶのは一向にかまわないが、限度があるぞと怒る場面があります。たしかにジョーンズも警部ですが、『四つの署名』にしか出てこない人物名を持ち出すところから、カーのホームズ好きは明らかです。ついでに言えば、アセルニー・ジョーンズは気になる存在らしく、ある有名作家が自作に重要人物として用いていますし、ホームズの伝記を書いたベアリング=グールドも同じことをしていますね。
 そんなことを気にしながらカーの作品を手に取ると、いたるところにホームズの影が差しているのに気づきます。ホームズや作者コナン・ドイル(この人は自分で複合姓を主張していますが、以下では「ドイル」と表記します)への敬愛がどんな風に作品に表現されているかを眺めてみましょう。カーの少し違った面に気づくかもしれません。

「シャーロック・ホームズその人だって当てられやしないさ」は『連続自殺事件』からの例です。こういったことばがあちらこちらに書かれていますし、ホームズ、ワトスンの名は頻繁に登場します。ホームズですぐに思い浮かぶのは『アラビアンナイトの殺人』です。ウェイド博物館に勤めるロナルド・ホームズが活躍します。ワトスンのほうは、あまりにも原作での医師としてのイメージが定着している故か、カーはそれを使って茶化したりもしています。
『帽子収集狂事件』には監察医のワトスンさんが出てくるのですがガキ「ドクター・ワトスンだよ。もしも冗談好きがわかりきったことを言ったら、脳天をかち割ってやるからな。[略]うんざりだよ。みんな隅でヒソヒソとわたしのことを噂しやがって。注射器と四輪辻馬車と刻みタバコの話を振ってきて、リヴォルヴァーはいつも撃てるようにしているのかと訊ねる。私服刑事どもはひとり残らず辛抱強くわたしの報告書を待っている。“基本だよ、ワトスン君”と言いたいがために」とご不満のようです。

 マイクロフトの名も何度か出ますね。主役級の人物ですから登場するのも当たり前でしょう。『黒死荘の殺人』では、「君は三課とも関係があるそうじゃな。もちろん、陸軍情報部のじゃ。わしは君のところの部長を知っとるぞ。マイクロフトと呼ばれておる御仁じゃ。よく知っておる」とフェザートン少佐が語ります。マイクロフトが入っていた「ディオゲネス・クラブ」にはヘンリ・メリヴェール卿も在籍していました(『かくして殺人へ』)。『一角獣の殺人』には「これはこれは、マイクロフト殿」と呼びかけられてH・Mが戸惑う場面もあります。カーはたぶんニヤリとしながらいたずらを仕掛けているのです。

 正典の、はるかにマイナーな登場人物にもカーは眼を付けています。アセルニー・ジョーンズもそんな一人ですが、アンストラザーと聞いて、あああの、とすぐにうなずくとしたら、ホームズ物語に興味を持つ人でしょう。この名は『弓弦城殺人事件』に出てきます。ダグラス・G・グリーン著『ジョン・ディクスン・カー 奇蹟を解く男』(国書刊行会 一九九六)によれば、カーはこのAnstruther(グリーン著の原書で綴りがホームズ物語と一致することを確認しましたよ)を習作時代に使ったことがあるそうです。カーがこの名に愛着を持って再利用したのだとグリーンは推測して「たいした意味はないだろう」と書いているだけなので、この名の出自に彼が気づいていたかどうか曖昧なのですが(邦訳書一三七頁)。結婚したワトスンはホームズとの同居を解消して開業します。でも、相変わらずホームズから事件捜査に連れ出される。実はそんなときに代診を頼まれる医師の一人がアンストラザーなんですね。

 ドイルがホームズを創造するに当たってモデルにしたのがジョセフ・ベル博士だったことはよく知られていますが、カーの『緑のカプセルの謎』には関係する記述があります。
「講師がなにか液体の入った瓶に口をつけ、しかめつらをして、どれだけ苦かったか話すんです。それから瓶を学生にまわす。[略]中身が本当に苦い液体の場合、講師は飲むふりだけをする――そしていま自分がやったとおりのことをしなさいと学生に指示します。よほど注意して見ていないと、思い切り飲んでしまうものなんですよ」(七三―七四頁)
 これはベル博士が授業で実際に行った実験でした。その具体的な様子はダニエル・スタシャワー著『コナン・ドイル伝』(東洋書林 二〇一〇 三七頁)に詳しく書かれています。

 カーとドイルの息子エイドリアンとが組んだパスティッシュ短篇集『シャーロック・ホームズの功績』では前半の六編が共著です。その第二作「金時計の事件」に、牧師が語るこんな一節があります。
「彼と姪の仲はあまりよくなかつたということです。彼は野蛮といつてもいいくらい厳格な性質で、あるときなど、二年ほど前のことですが、彼女がブリストルへ行つて、ギルバート・アンド・サリヴァンの喜歌劇『ペイシェンス』を見てきたというただそれだけの理由で、剃刀砥ぎの革で、可哀そうにドロレスを折檻して、パンと水だけあてがつて、部屋に閉じこめておいたことさえあります」(ハヤカワ・ミステリ 一九五八 四八頁)
 なぜこれを紹介したかと言えば、ドイルに関わる事実が含まれているからなのです。カー著『コナン・ドイル』(早川書房 一九六二 一五四頁)によると、ジェイムズ・バリと共作したオペレッタ「ジェーン・アニー」が失敗して「以前サヴォイ劇場へ『忍耐』を見にエルモ・ウェルデンをつれて行つたことを思いだしながら」、ドイルが「こういう失敗について、いやなのは、自分が、だれかの後押しをして、その相手を失望させたように感じることだ。だが、まあいいさ」と言ったのだそうです。ペイシェンスは登場人物の名ですから「忍耐」はまずいですね。いや、無理もないのですが、後で訳したはずのほうが間違っているのは「翻訳工房」の内部事情でしょうか。それはともかく、実際にエルモがドイルと一緒に植物園へ行った記録もありますから、ドイルと出かけたがために彼女が折檻を受けたという事実がなかったことを祈りたいものです。

 カーとホームズとの関わりはまだまだあります。グルーズが描いた肖像画が掛かっていた邸が『火刑法廷』に。同じ絵がホームズ物語ではあの男の書斎にありました。そう言えば、あの男がカー作品に出て来るかどうか。『盲目の理髪師』には、ワトスンが「まだらの紐」の暗闇で聞いた、不吉さを思わせるシューッという音が登場しますし、「彼をぼくたちのベイカー街コレクションに加えよう!」ということばも出てきます。
『黒死荘の殺人』で捜査に当たるバート・マクドネル巡査部長の友人テッド・ラティマーは、「コナン・ドイルの降霊術の著書に強く惹かれ、憑依状態に入ろうと何度も試み」たそうです。ホームズお得意のことばを引用したのは『三つの棺』。「陳腐な言いまわしを用いたくはありませんが、不可能なことを排除すれば、残ったものが、いかにありそうでなくとも真実である。そう言っていいように思えますけどね」。同作で、「ドロシーはシャーロック・ホームズのようにソファのクッションを床に積み上げ、ビールのグラスを片手に」坐りました。『曲がった蝶番』では、好きな本を尋ねられた相続権主張者が「シャーロック・ホームズの本すべて。ポオの本は残らず。『修道院と炉辺』、『モンテ・クリスト伯』、『誘拐されて』、『二都物語』。あらゆる怪談。海賊、人殺し、廃墟になった城の物語」云々と答えています。このあとに嫌いな本としてジェイン・オースティンやジョージ・エリオットなどが挙げられるのは分かるような気もします。
 ホームズへのカーの愛情が最大限に炸裂するのは『九つの答』でしょう。マリルボン図書館で一九五一年に行われたホームズ展を舞台としていて、実に詳しい描写がなされています。最後にはその展示室で主人公と犯人が対峙するのですが、展示品を壊しやしないかと読者はヒヤヒヤしながら経緯を見守ることになります。
 ドイルの「ガリデブが三人」は名前の稀少性を背景としています。カーが四人目のガリデブを登場させた作はないものかと引き続き捜索中ですが、望み薄かもしれません。
 それはさておき、いかがですか、カーの別の面に気づいていただけたでしょうか。

 まだ推測の部分が残っているといいたければ、それでも結構。だが、わしはこれで決まりだと思う。神を称え、『証明終わり』と記してもいい気分だ。

 本書終幕におけるギディオン・フェル博士の境地を目指して、今後もカーのホームズ、ドイル愛の捜索を続けたいと思います。愛読者の皆さんとご一緒できれば幸いです。