そして、船は行く 三村美衣 Mii Mimura
本書はThe Ship Who Sang(1969)の全訳である旧版『歌う船』の新訳に加え、単行本刊行後に発表された短編「ハネムーン」と「船は還った」の二編を収録した、つまりアン・マキャフリーが単独で執筆した《歌う船》の全作品を収録した日本版オリジナルの連作短編集である。
〈F&SF〉一九六一年四月号に発表された短編「船は歌った」の冒頭は鮮烈だ。
重度の障害を持って生まれたその子は、まず〝もの〟と表現される。しかしその後、電子脳造影テストによって知性が確認されると、今度は二つの選択肢が与えられる。安楽死か、さもなくばカプセルの中に閉じ込められたシステムの〈頭脳〉となるかだ。両親からすると、いずれを選んでも子どもは自分たちの手の届かないところに行ってしまい、もう二度と抱くこともできない。
それでも。
両親はその子が生存し続けられる唯一の道を選んだ。
こうして〈中央諸世界〉に託された子どもは、そこではじめてヘルヴァという名を与えられた後、カプセルの中に入れられ、数学や物理や歴史から芸術や心理学まで、さまざまな教育を受け、十六歳の誕生日に宇宙船の〈頭脳〉となった。そして〈頭脳〉には共に働く生身のパートナー〈筋肉〉が寄り添う。
文庫本にしてわずか三〇ページほどの短編だが、機械と人間の融合、〈外殻人〉となった少女の成長と初恋、そして別れを盛り込んだ「船は歌った」は好評を博し、続編として発表された雑誌掲載の五編に加えて一編を書き下ろし、連作短編集『歌う船』が刊行された。以来半世紀以上経った現在でも読みつがれる古典的名作となった。とはいえ、アメリカにおいてマキャフリーといえば〝ドラゴン・レディ〟の異名で語られるほど《パーンの竜騎士》の作者というイメージが強いのだが、これが日本においては逆転し『歌う船』の人気が際立つ。
それは『歌う船』が喪失の物語だからだろう。
実は『歌う船』を執筆していた時期、マキャフリーは二つの問題を抱えていた。ひとつは本書の献辞に認(したた)められている父の死がもたらした喪失感だ。兵士として二度の大戦に従軍したマキャフリーの父親はたいへん厳格な人で、家でも子どもたちから〝大佐〟と呼ばれていた。第二次世界大戦前夜には家族に行軍練習をさせただの、娘が大学の卒業式で優秀賞を受賞したときに「最優秀じゃないのか」と叫んで妻から窘(たしな)められただの、強烈なエピソードに事欠かない。その父が一九五四年、マキャフリーの作家としての成功を見ることなく病で他界した。悲嘆に暮れたマキャフリーは、父の期待に応えられなかったという思いに苛まれつづけた。あるとき、ヘミングウェイの自殺にショックを受けたレイ・ブラッドベリが、それを乗り越えるために「キリマンジャロの雪」を再話したと語るのを聞いたマキャフリーは、自分も物語として父を描くことにした。ヘミングウェイの自殺は一九六一年の七月であり、それより前に発表された「船は歌った」執筆の動機をそこに求めるにはタイムマシンを必要とするが、第二話の「船は悼んだ」をはじめ、以降の多くの作品で、師匠や父親的なポジションにある人物への喪失感と回復というモチーフは繰り返される。
さらにこの時期、彼女は夫との不和にも悩んでいた。マキャフリーはファッション業界誌〈ウィメンズ・ウェア・デイリー〉の記者だったホレス・ライト・ジョンソンと一九五〇年に結婚した。〈ウィメンズ・ウェア・デイリー〉は影響力の強さと、反論を封じる強硬な姿勢で知られており、ライトは仕事のストレスから、家庭内でも常にピリピリと張り詰めていた。さらにマキャフリーの友人であり、出版エージェントでもあったヴァージニア・キッドは、二人の不和の原因は作家志望であった夫のクリエイター・コンプレックスにもあったと分析している。しかし当時のマキャフリーは、その原因が自分の至らなさにあると考え、自分を責め続けていた。マキャフリーは本書を刊行した翌年の一九七〇年、《パーンの竜騎士》シリーズの高評価や、アメリカ国内における女性自立の気運にも後押しされ、子どもたちを連れてアイルランドへ移住することで、ようやく夫との関係を断ち切った。
ヘルヴァは、生物の境界を超えた存在でありブレイン・マシン・インターフェイスの先駆として、SF史上最も有名な女性サイボーグだ。しかしヘルヴァには、宇宙船が手足の代用だという意識はない。彼女にとって宇宙船が身体そのものなのである。にもかかわらず、物語はヘルヴァと生身の搭乗員である〈筋肉〉とのパートナーシップを主眼とする。このSFならではの先進的なアイデア性と、古典的ともいえるロマンチックな恋愛物語とのギャップこそが本書の魅力なのだ。〈頭脳〉は何百年も生きるが、〈筋肉〉の寿命は普通の長さしかない。〈頭脳〉は常にいつか必ず訪れる喪失への恐怖を抱えながらも、それでも誰かを、往々にしてパートナーである〈筋肉〉を愛さずにはいられない。この悲しみを抱えながら生きる船=ヘルヴァの圧倒的な寂寥感と孤高の美しさ、決然と顔をあげる強さとその歌声は、読むものの魂を揺さぶるのだ。
マキャフリー自身、数ある自作の中でこの『歌う船』が最も好きな作品だと語っているほどだ。ところが、人気作品は必ずシリーズ化していたマキャフリーが、『歌う船』の続編には着手しようとしなかった。この作品に向き合うと、執筆当時のつらい記憶がフラッシュバックするためだったという。そんなマキャフリーの心の壁を突き崩したのは、マキャフリーのファンで、友人でもあった作家ジョディ・リン・ナイとその夫で出版プロデューサーのビル・フォーセットだった。マキャフリーとの共作は、若手の作家にチャンスを与えると同時に、経済的にも助けることになると、マキャフリーの親切心に訴える作戦に出たのだ。下積みの苦労を知るマキャフリーは折れ、こうして《歌う船》のシリーズ化が実現した。
《歌う船》シリーズと呼んではいるが、ヘルヴァの物語ではなく、共作者である四人の新鋭がそれぞれの特質を生かした〈頭脳〉と〈筋肉〉を新たに誕生させ、独自の物語を展開している。
マーガレット・ボール『友なる船』は、〈頭脳〉ナンシアの物語。パートナーすら決まらない初飛行で彼女が知ってしまった乗客たちの陰謀の顚末が描かれるサスペンスタッチの物語。マーセデス・ラッキー『旅立つ船』は、先天性の障害ではなく後天的な要因から、つまり両親ではなく自らが船と融合することを選んだ少女ティアが主人公。生身の身体感覚を記憶として持つ船の冒険と恋が描かれる。S・M・スターリング『戦う都市』は船ではなく宇宙ステーションを操る男性の〈頭脳〉シメオンが主人公であり、家と家族を守るために戦う。同作家による単独作『復讐の船』はシメオンの養女(!)を主人公とするスピンオフだが、実は〈頭脳〉も〈筋肉〉も登場しない。ジョディ・リン・ナイの『魔法の船』と、同作家による単独作『伝説の船』はRPGオタクの〈頭脳〉キャリエルと〈筋肉〉ケフのコンビが活躍する王道の作品。それぞれの面白さがあるが、原典に対する問題提起や異なる視点との化学反応が際立つという意味で、『旅立つ船』と『戦う都市』の二作を強く推す。
さて。人間と機械の融合というテーマに果敢に挑んだ『歌う船』は、発表当初の衝撃が和らいだ後も、時にはマキャフリーの意図さえ超えたところで、さまざまな議論を呼びつづけている。
マキャフリーが〈外殻人〉のアイデアを思い付いた背景には、一九五〇年代から六〇年代にかけて、世界十数カ国で発生し、数千人から一万人の被害者が出たサリドマイド薬害事件の存在がある。アメリカは妊娠初期の胎児への安全性に疑問があるとして同薬を認可しなかったので被害は少なかったが、新聞や雑誌では連日、各国の被害の状況や実態が報道されていた。マキャフリーが使った〝もの〟という表現や安楽死の存在、身体を伴わない〈外殻人〉に性別を付与し、従来の結婚制度や異性愛をそのまま作品に取り入れた点や、〈外殻人〉の年季奉公的な側面などは、SF界はもとより、科学哲学、社会哲学などさまざまな方面からも考察されている。科学哲学者ダナ・ハラウェイ「サイボーグ宣言」や、サミュエル・ディレイニーによる「サイボーグ宣言」批判、ジェシカ・アマンダ・サーモンスンによるジェンダーとセクシャリティからの『歌う船』批判など、議論の一端は巽孝之編『サイボーグ・フェミニズム【増補版】』(水声社)にて読むことができる。
シリーズ続編の共作者の一人マーセデス・ラッキーは、マキャフリーは〈外殻人〉の世界がディストピアであることを自覚していたが、あくまでもその中で生きる者の物語を描く作家だったと語っている。奴隷のように扱われる〈外殻人〉、さらにその選択肢すら与えられずに葬られてしまった犠牲者の上に世界が成立していることは意識しながら、その社会制度を嘆いたり破壊するのではなく、愛する心を失わず、自己の所有者となるために歩き続けるヘルヴァの姿を描き抜いた。その姿こそが、別離と喪失の苦しみを抱えていたマキャフリーが求めていたものであり、決意だったのだ。
マキャフリーは二〇〇〇年に心臓発作、二〇〇一年に脳卒中を起こしながらも精力的に創作を続けたが、二〇一一年十一月二十一日にアイルランドの自宅で八十五歳の生涯を閉じた。
しかしその作品は読みつがれ、今も、船は歌いつづけている。
本稿執筆にあたり、マキャフリーの死後にマキャフリーの息子であり共作者でもあるトッド・マキャフリーが編纂した追悼集Dragonwriter: A Tribute to Anne McCaffrey and Pern(2013)、生前に刊行された評伝Dragonholder: The Life and Dreams of Anne McCaffrey(1999)の電子版(2014)、同じく生前に刊行されたロビン・ロバーツの評伝Anne McCaffrey: A Life with Dragons(2007)などを参照させていただいた。
最後にシリーズの原題と初出及び発表年を付す。
本書収録作
『歌う船』THE SHIP WHO SANG(1969)
「船は歌った」“The Ship Who Sang”/The Magazine of Fantasy and Science Fiction(1961/4)
「船は悼んだ」“The Ship Who Mourned”/Analog(1966/3)
「船は殺した」“The Ship Who Killed”/Galaxy Magazine(1966/10)
「劇的任務」“Dramatic Mission”/Analog(1969/6)
「船は欺いた」“The Ship Who Dissembled”
※雑誌掲載時“The Ship Who Disappeared”/If(1969/3)
「船はパートナーを得た」“The Partnered Ship”/書き下ろし(1969)
「ハネムーン」“Honeymoon”/『塔の中の姫君』書き下ろし(1977)
「船は還った」“The Ship That Returned”/ロバート・シルヴァーバーグ編『SFの殿堂 遙かなる地平2』書き下ろし(1999)
共作
『友なる船』PARTNERSHIP(1992)マーガレット・ボール/浅羽莢子訳
『旅立つ船』THE SHIP WHO SEARCHED(1992)マーセデス・ラッキー/赤尾秀子訳
『戦う都市』THE CITY WHO FOUGHT(1993)S・М・スターリング/嶋田洋一訳
『魔法の船』THE SHIP WHO WON(1994)ジョディ・リン・ナイ/嶋田洋一訳
原案
『伝説の船』THE SHIP ERRANT(1996)ジョディ・リン・ナイ/嶋田洋一訳
『復讐の船』THE SHIP AVENGED(1997)S・М・スターリング/嶋田洋一訳
■三村美衣(みむら・みい)
書評家。1962年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。共著書に『ライトノベル☆めった斬り!』が、共編著に『大人だって読みたい! 少女小説ガイド』がある。